河童様

なぁ恋

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二界の壁

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息子は、
二日目には歩き始め、
三日目に言葉を話し、
四日目には黒髪が腰まで伸び、
五日目には大人の身体になり、
六日目には自分が何者か理解した。

可愛くて仕方なかった。

どんな姿をしていても、私には可愛い赤子に見えていた。
現に息子は私の母乳を飲んで育っていたから。



息子を寄越せと鬼達は言った。

けれど、黙っていれば判らないのでわ?

甘く考えていた。

息子は日増しに大きくなり、二十日後には人間の見た目で表現するならば二十歳を過ぎて見えた。


学習能力も優れた息子は文字を理解し本を読んで、ラジオを通して世の中を知る。

自分が何者か理解していた息子は、それでも私に優しく、虫を怖がる気弱な子どもであった。

手放せる筈がなかった。


「誰かが呼んでる……」

生まれて三十日目の満月の夜、窓を開けて息子が呟いた。

すると生温い風。
あの時の風が部屋へ吹き込んで来た。

風が止むと、息子の目の前に焔が一つ揺れて居た。
 
それは迎えの鬼火。

私はただ黙ってその様子を見つめる。

「「約束だ。連れて行く」」

ゆらりと揺れる焔に映る影が言う。

影は二本角を有した鬼。

「―――ダメよ!」
それは心からの叫び。

無駄だと判っていた。
けれど、言わずには居れなかった。

「「これからまた10年先にあの場所に来るが良い。
次の息子を与えてやる」」

鬼は低い笑い声を残して息子を連れ去った。

私に残ったのは、張った乳房だけ。
 
 
何故護ってやれなかったのか。

どんなに悔やんでもどんなに祈っても帰って来ない。

10年後、次の息子を授けてやると鬼は言った。
けれど、息子は……あの子は一人だけ。

息子……心の底では連れて行かれるのが解っていたから名付けなかった。

それでも、
それでも、

抱き締めて呼んでやればよかった。






数年を助産婦として過ごした。
何度も何人もの赤子を取り上げ、その度に息子を思い出した。

時代は変わり、医師免許を取得して木道を開業。

私の両親が住んでいた小さな土地に作った医院。
周りは徐々に住宅が建ち、私は私とは違う木道の者としてそこで暮らす。

不老の身で一ヶ所に居るのは危険。それでも化粧を施し、立ち振舞いを気を付け誤魔化した。

この頃になると“不老”の意味が解って来た。
大病を患わない限り、生き続けられる。と。
歳をとらないだけで、死は免れないのだ。
 
そして噂を耳にする。

龍羽神社の巫女が、龍の子を産んだ。と。

私なりに調べた。
この界隈、“瑞雲村ずいうんむら”に関する土地の逸話について。
そして納得出来る話が見つかった。
妖界の門と、妖怪の花嫁と混血の子どもの役割について。
 
 
図書館で見付けた村の逸話がまとめられた一冊の古びた書物。

それは埋もれて居た歴史。
それは誰かの記憶。

この街がまだ今より小さく“瑞雲村”と呼ばれて居た頃、その村の名とは裏腹に、百鬼夜行が見られる村と密やかに言われて居た。

百鬼夜行とは色々な化け物が夜中に出歩く事。
それは悪人がわがもの顔にふるまう。人間を指して言う言葉でもあったが、この村でのそれは前者の意味を持って居た。

妖怪は数を増す。
彼らは人間の恐怖を魂を喰らう。
それを愁いた一人の人間と妖怪の混血が居た。
その者はどちらにも味方出来なかった。

そしてどちらもの良い能力を受け継いだこの者は、その類い稀な力で自らを犠牲にし壁を作った。

人間が住む世界を人界。
妖怪が棲む世界を妖界。

それを隔てる壁を門とも扉とも呼んで居た。

その壁は互いに行き来出来ぬ様に作られて居た。


だが、何にでも例外はあるもので、霊力の強い人間の女性のみがその壁を越えて妖界へ行く事が出来た。
妖怪達が人界に影を送り、そう言った女性をたぶらかして妖界へ連れ込んだ。

それをそれぞれの“妖怪の花嫁”と呼んだ。

その役割は混血児を産む事。
混血児のみが壁を壊す力を持って居たから。

だが、これまで壁を壊し人界へ来た者は皆無。
 
 
古い書物を閉じる。
タイトルも無く、著者も判らない紐で綴じてあるこの本には信憑性があった。

百鬼夜行の妖怪の名前や特性も書かれてあったが、私が知りたいのは息子を助けるにはどうすればいいか? と言う事。

“混血”とは私の息子。

鬼はこちら側に来たくてわざわざ人間と子を成すのだと納得した。

でもどうやって壁を壊すのか?

その先は文字が滲み解らなかった。

“花嫁”の意味が解ったとしても、どうすれば息子を救えるのかは判らないまま時は過ぎる。

息子を失って九年目、それは夏の蒸し暑い満月の夜だった。

ガラスの割れる音に驚いて。音のした部屋へ、息子の部屋へ入る。
連れ去られた時のままにしてあった部屋。
そこに一つの焔が揺れていた。

窓は割れ、月明かりと揺らぐ焔に照らされた室内に見えるのは、床に、壁一面に飛び散る赤黒い血飛沫。


「あぁ……息子よ!」

髪は乱れ、頭上に三本の角。
肩は盛り、床まで長く伸びた腕は、右側の手先が血で汚れて居た。
左側に抱える長い黒髪の女は?

「「痛い……よ。痛い」」

赤く焔に照らされた瞳から流れる涙。

「可愛いそうに……何をされたの?」

近寄って擦る。
人間より二回りは大きい体躯。

薄汚れて血の匂いが染み付いた髪。

何故こんなに傷付いて居るの?
父親達はこの子に何をしたの?!
 
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