街で見かけた美少年は、老婆に囲われている男娼でした。ほっとけばいいのに気になってしまう、本当に余計なお世話です。

糸掛 理真

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 その日アルテマは昼間友人のリリーと郊外で過ごし、夕方王都ファリスの中心部へと帰ってきた。せっかくの土曜日で明日も休み、そうなると早々と解散するのはなんだかもったいない。特にアルテマは最近まで仕事が忙しく、やっと解放されたところだったので思い切り羽を伸ばしたい気分だった。リリーも同意したがさりとて特にすることがないので、二人は連れ立ってヴァレリー座という劇場に入った。

 幕間に外へ出ると、廊下で背の高い細身の少年とすれ違った。アルテマは思わずハッと息を飲んだ。今までに見たどんな人間よりも美しい、彼女はそう思った。
 
 輝くようなサラサラの金髪、小さい顔に整った目鼻立ち、すらりとした無駄のない体つき。身だしなみはとてもきちんとしていて、爽やかな雰囲気だ。

 中でも一番印象的なのは、どこか憂いを帯びたようなブルーグレーの目だった。優しげなのに少し悲しそうな、仄暗い瞳。

 アルテマが釘付けになっていると、あろうことか友人のリリーが彼に挨拶をした。

 「こんばんは、バーニィ!」

 「こんばんは、リリー嬢。いい宵ですね」

 明るく声をかけたリリーに、バーニィと呼ばれた少年は微笑み、礼儀正しく応えた。いや、少年と呼ぶには大人すぎるだろうか。見た目はまだ幼さを残しているが、態度は大人びていた。18歳ぐらいだろうか。

 彼の控えめで柔らかな笑顔はアルテマの胸を甘くときめかせた。こんな表情を向けられて、平然としていられるリリーが信じられなかった。

 「珍しいわね、お一人なの?」

 「いえ、ローレンス伯爵夫人と一緒に」

 バーニィは目線をちらりと舞台の方向にやった。伯爵夫人はあちらで待っているのだろう。

 「あら、そうなのね。ではお待たせしては悪いわね。またお会いしましょう!」

 「お気遣いありがとうございます、では失礼します。またぜひ近いうちに」
 
 バーニィはそう言って軽く頭を下げ、アルテマに対しても会釈して去っていった。そんなお愛想程度の挨拶に対しても、アルテマは胸をキュンとさせた。

 「ねえどういうことなの」

 「何がよ」

 「もっっのすごい美しい子じゃないの!しかも不思議なオーラがあるわ…なんだか神話に出てきそう。あなたにあんなお友達がいたなんて聞いてないわ、ねえいつの間に…」

 「ねぇ勢いが気持ち悪くてよ、落ち着き遊ばせ。ねえ、次の幕が始まる前にお菓子を買いに行くんでしょう?早く並ばないと間に合わないわよ」

 そう言っていなされ、アルテマは仕方なくリリーと一緒に売店の列に並んだ。しかしそこでまた尋問を始めた。

 「バーニィって呼んでたけど、どういう関係なの?」

 「どうしたのよアルテマ、殿方のことをこんなに熱心に聞いてくるなんて初めてじゃない?」

 「そりゃ熱心にもなるわよ、あんな子見たことないもの!ああ大変…なんだかのぼせて鼻血が出そう」

 「ちょっと、ここで流血はやめていただける?バーニィは確かに綺麗よ、羨ましいほどの美貌だわ。でもね、私は別にあの子と親しいわけじゃないわよ。3ヶ月ぐらい前にたまたまお茶会でお会いして、そこで共通の知人がいることがわかって少し話が盛り上がったの。ほら、あのピエールのことだけど。だから友人と呼べるほど仲良くはないの」

 ピエールというのは飲み屋で働いている青年で、顔が広いことで知られている。

 「へぇぇ、あのピエールと?意外だわ。…ねぇ、私もバーニィさんとお近づきになりたいわ。紹介してもらえない?無理なら、ピエールをダシにして自力で何とかするわ」

 リリーは少し顔を曇らせた。

 「紹介はできてよ。でも…」

 その時リリーの順番が来たので、二人は話を中断してそれぞれ飲み物とお菓子ボンボンを買った。
 
 また劇場へと戻っていく時に、リリーは少し言いづらそうにポツリとこう言った。

 「バーニィの本名は、バーナード。バーナード・アマデウス、あなたも聞いたことあるんじゃない?」

 「あっ…」

 アルテマは息を呑んだ。それと同時に、なぜ彼のような年若い人間が、血縁でもないローレンス伯爵夫人とご一緒しているのかも理解した。



 バーナード・アマデウスは、有名な若い男娼だ。国一番とも呼ばれる美貌と素直で優しい性質、そしてその美しいテノールの歌声が女たちを虜にしているという話だった。

 特に金持ちの未亡人や高位の娼婦たちは実際に彼を買うために、一晩で何百万ファリという大金を積み上げたこともあるらしい。
 
 この国では16歳から成人とみなされるし、役所への登録や病気の検査などの義務をきちんとしてさえいれば売春は違法ではない。とはいえどういう事情でその年齢で色を売っているのだろう、気の毒なことだとアルテマは思っていた。

 16歳というのはもう子供ではないかもしれない、しかしまだ庇護してやりたい年齢ではないか。善悪の区別はつくだろうが、まだ世間を知らないが故に騙されたり利用されたりもしやすいだろう。

 「そう、あの子がバーナード・アマデウスなの」

 アルテマはゆっくりとそう言った。先ほどまでのはしゃいだ様子はどこへやら、その声はとても静かだった。

 噂はかねがね聞いていたし興味はあったが、アルテマは王都に出てきて一度も会ったことがなかった。どちらかというと早寝早起きであまり夜遊びというものをしない彼女と、夜の世界に身を置くバーナードとでは活動時間や活動場所が重なりにくいからだろう。

 アルテマは彼の顔や声、仕草を思い出していた。柔らかく慇懃で大人びた様子と、どことなく影のある寂しげな雰囲気は彼の職業がそうさせたのだろうか。

 「アルテマ?」

 リリーが心配そうに名前を呼ぶ。

 「ん?…大丈夫よ、ちょっと色々考えちゃっただけ。あの美しさゆえに、苦労を強いられることも多いんじゃないかなと思って」

 リリーはうなずいた。

 「そうでしょうね。あ、始まるわ」

 ブザーが鳴り、芝居の続きが始まった。王道のロマンティックな恋物語だ。アルテマは上の空で、我にもなく桟敷席にちらちらと目をやった。客席は薄暗いので、バーナードの姿は見つけられない。

 (あの子は幸せなのかしら)

 どこか寂しそうな影のある微笑が頭に浮かぶ。

 (私には関係のないことだけれど。…でも16歳なんて…友達と遊んだり恋をしたり、気楽に楽しんで良いはずの歳じゃないの。あんな年老いた伯爵夫人の相手をするなんて、失礼だけれど苦痛に決まっているわ。でもきっと事情が許さないのね)

 娼婦や男娼たちは、必ずしも自分の意思でその職業に就いていない。お金欲しさに自分から進んでなる者もいるが、それはむしろ少数派で、大体が幼い頃に親に売られてくる。そして礼儀作法を叩き込まれ外見も磨かれて、16になったら客を取らされるのだ。

 まだ大人になりきっていないバーナードの体や心を、大人たちが金で買って弄んでいる。そう考えると、アルテマは少し気分が悪くなった。だが自分にはどうすることもできない。彼のような境遇の人間は他にもいるが、他人がそこから救ってやることはできないのだ。莫大な身請け金を払わない限り。
 
 (気の毒な気がするけれど、仕方のないことだわ。…それに案外、不幸ではないのかも。借金なんかがあったとしても、贅沢な暮らしができるぐらいのお金はあるはずだわ。なんたって、この王都ファリス一の男娼ですものね)

 アルテマはそう思おうとした。心の底では納得がいかないものの、これ以上考えることを放棄したのだ。



 芝居が終わった。アルテマたちは人混みの中を縫うように歩き、劇場を出た。外はいくぶん涼しく、夜風が心地よかった。

 「見て、バーニィよ。…まぁいやだ、あの伯爵夫人ったらバーニィにあんなにしなだれかかって、みっともない。伯爵がご存命の頃は、むしろお堅い奥方だったのに」

 リリーの言う通り、伯爵夫人は酔っているのか、赤い顔をして、たいそう上機嫌でバーナードにぴったり密着していた。もう60歳はとうに過ぎているだろう彼女の顔や唇には深い皺が所狭しと刻まれていて、白粉や口紅がそれをより目立たせているようだった。

 彼女の若すぎる連れは客に対してもちろん嫌そうな様子は見せず、かと言って媚びるような態度でもなく、落ち着いて応対していた。

 「プロ意識が高いのね」
 
 アルテマが言うと、リリーは同意した。

 「ほんと、客あしらいが上手なのよ。…ねえアルテマ、バーニィに興味があるなら今度紹介しましょうか?」

 「ううん、いいわ。最初はすごく素敵な子だと思ったし、今も思っているけれど…あの子の境遇を考えたら、私はあまり近づくべきじゃないと思う。もちろん差別意識なんかじゃないわよ、住む世界が違うってだけ」

 「そう…でも、分かる気がするわ。その方がいいのかも」

 アルテマはうなずいた。

 深く知り合うことがなければ今夜の偶然の出会いのことだってきっとすぐに忘れるだろう、彼女はそう思ったのだ。
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