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〜3章〜

道化と木偶の坊と幼い魔女

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「うぅ、寒い」

 小さな木の人形を右の肩に、大きな荷物を左の肩に担いだ白塗りの男は、ぶるぶると震えています。頭に被った長い帽子の上にはうっすらと雪が積もっているようです。

 その男は、かの有名な『幸運のピエロ』デシデリオです。

「なぁ、シエロ。チュロペンが終わったら一旦家に寄るだろう?」

 一人のはずのピエロに誰かが話しかけます。『シエロ』とはデシデリオの本当の名前なのですが、そのことはこの広い世界で誰一人として知る者はありません。

 巨大な山脈『キャンデス』を背に、決して快適とは言えない山道を慎重に、気をつけながら歩いていきます。気を抜くと、重たい荷物にイタズラされてしまいそうです。

「あぁ。次の旅支度をしないと。もう食糧が底を尽きそうだ」

 右の肩に担いだ小さな木の人形がしゃがれた声を上げました。

 空耳でしょうか?

「やった。なら帰ったらバターを塗ってくれ。この辺りは寒いし乾燥がすごいからもう関節がギシギシだよ」

 はたまた、幻聴でしょうか?

 白塗りのその顔は優しげに微笑みそっと頷きます。

 一人と一体はそそくさと山を降りると、麓にある『チュロペン』という小さな集落へとやってきました。

「誰もいないな」

 ビターなチョコレートのように味気ない建物がポツポツと立ち並ぶその集落には、人っ子一人としていないようでした。

 まるでどこかのお菓子屋さんのようです。

 シエロの右肩に乗る木の人形がボロリと肩から滑り落ちました。

 地面に衝突する前に、凛々しく仁王立ちしたその木の人形は、一人でにゆっくりと歩き始めます。

 頭と両手足から伸びる五本の紐は、シエロの右手から伸びているようです。

 まるで本当に生きているかのように、実に滑らかに歩いていくではないですか。

 さすが幸運のピエロ。芸が細かい。

 集落の片隅に小さな広場がありました。

 シエロは近くにあった小さな木箱の傍に荷物を置き、ぐるぐると肩を回します。旅はいつの時代も疲れるものです。

 組み立て式の机を取り出すと、その上に次から次へと商売道具を並べていきます。

「パタムール。カセット流してくれ」

 シエロはヘンテコなポーズを取り、まるで銅像のようにピタッと体の動きを止めました。

 パタムールと呼ばれた木の人形は、机の上に軽々と飛び乗ると小さなラジカセのボタンを押しました。

 これもシエロの技なのでしょうか。

 いいえ、さすがにこれは言い訳できません。

 そう、パタムールは生きているのです!

 すぐにリズミカルで楽しげな音楽が流れます。

 その音を聞きつけてか、集落からは人々が顔を覗かせました。

「幸運のピエロだ!」

 子供たちはシエロの姿を見つけると、嬉しそうに声を上げすぐさま集まってきました。

 チャンチャカチャカ。

 子供たちの後ろでは大人たちが興味津々といった様子で首を伸ばしています。

「さぁさぁさぁ。おかしな幻想世界へいらっしゃい。幸運のピエロが誘う不思議な世界。希望に胸を膨らませる子供たちよ。そして、現実に絶望する大人たちよ。全てを忘れ幻想に抱かれるが良い。幸運のピエロ・デシデリオのショーの始まりだー!」

 ラジカセから流れる軽快な音楽に乗せて、しゃがれた男の声が響き渡ります。

 デシデリオの右手に繋がれた木の人形が司会者の如く振る舞っているようです。

「わぁ、すごいね!ちっちゃな司会者さんだ」

 子供たちはキャッキャっと声を上げて笑っています。

 ほんとはパタムールがほんとに喋っているのですが、それに気づく人は誰一人としていませんでした。

 カクカクと壊れた人形のように、音楽に合わせたマイムが始めまりました。

『幸運のピエロ』デシデリオのおかしな動きに子供たちは笑い声を上げます。

「さぁて、お次は、恐怖のパン切り包丁ジャグリング!薄切りパンにならないよう御用心を」

 デシデリオは机の上に並べられたパン切り包丁を左手で掴むと、ジャキっと金属の擦れ合う重たい音を響かせながら、子供たちの前でパン切り包丁を広げました。

 ギラギラと輝くパン切り包丁は全部で八本もあるようです。

 子供たちは恐怖と好奇心に満ち溢れた目で、次に何が起こるか、固唾を呑んで見守っています。

 デシデリオはヒョイっとパン切り包丁を一本、また一本と宙へ放り投げると、なんとそのまま片手でジャグリングを始めました。ジャグリングをしながら今度は一輪車を蹴り上げてその上に飛び乗ったではありませんか。

 子供たちは嬉しそうに手を叩き歓声をあげています。

 なんて器用なピエロなんでしょうか。

 歓声の中、右手に繋がれている木の人形を操り机の上にあったパンの塊を掴ませると、なんとジャグリングをしている自分のところへと投げさせました。

 宙に舞ったパンの塊が、パン切り包丁のジャグリングの中へと吸い込まれていきます。

 すると、パンの塊はあっという間にとんでもない薄切りにされ、子供達の方へと、一枚、また一枚と飛んでいきました。

 その後も、ひとしきりに子供達から笑顔をいただいた『幸運のピエロ』デシデリオは、優雅なお辞儀をしてその集落を後にしました。

 先ほどの集落『チュロペン』を後にした一人と一体は、ティラミルンの丘と呼ばれる小高い丘の上にいました。スーウィ島の街が一望できる場所です。

「あぁ、ワッフル食べたいなぁ。チョコレートとハチミツのたっぷりとかかった」

 シエロはズキズキと痛むこめかみを抑え、そうこぼしました。

 荷物を漁り中から何やら焼き菓子のようなものを取り出すと、退屈そうにボリボリと齧り始めました。

 その硬い焼き菓子は味気なくボソボソとしていました。

「シエロ。お前に甘いものは似合わないぜ」

 丘の下を覗き込むようにしていたパタムールが振り返りそう呟きました。

 ふっと鼻で笑ったシエロは、その味気ない焼き菓子のようなものを口に詰め込むと、手を払いゆっくりと立ち上がりました。

「わかってるよ。俺の頭を痛めつけるのはやめてくれないか。やる気がなくなる」

 大きな荷物を抱えそそくさと歩き始めます。その後を慌てた様子で追いかけるパタムール。

「おーい、待ってくれ。頭痛はオレのせいじゃないぜ。単純に糖分不足のせいだろさ」

 ぴょんっと跳ね上がりシエロの右手から伸びる紐に掴まったパタムール。

 上手にその紐を登っていき、あっという間にシエロの右肩へと座りました。

「おい、どっちに行くんだよ。家に一旦帰るんじゃなかったのか?」

 パタムールはシエロの耳元でそう心配そうに呟きます。

 早いところバターを塗り込んで欲しくて堪らないのでしょう。

「ちょっと気分転換」

 そう呟いたシエロは身軽に小高い丘を降りていきます。

「あ、ちょっと!」

 急な斜面を下っていくシエロにパタムールは振り落とされないようしっかりとしがみついています。

 丘を下りしばらく進むとふとシエロが声を上げました。

「あれ、おかしいな」

 気がつくと森の中です。

 そこは『シナモルンの森』と呼ばれる大森林で、なんとも不思議な香りが充満する森です。

 狐にでもつままれたのでしょうか。

 ふと、何かの気配を感じて身を隠すシエロ。

「別に隠れることなんてないじゃないか」

 そう言いながらもパタムールも小声になっています。

 何が現れるのでしょうか。

 木の影からそっと気配のした方向を伺っていると、木々の間から小さな鹿が顔を覗かせました。

「なぁんだ。ただの鹿か」

 ホッとした様子でパタムールは胸を撫で下ろしています。

 シエロもふぅっと息を吐き、木陰からゆっくりと身を出しました。

「トナカイよ」

 ふと二人の背後から若い女の声が響きました。

 ビクッと体を震わせ後ずさったシエロは木に背中を盛大にぶつけ、うっ!っと呻き声を上げました。

「鹿じゃなくて、トナカイ」

 ぶつけた背中をさすりながら、滑り落ちそうになっていたパタムールを座り直させたシエロは目の前の女性(よくよく見たらまだ年端も行かない少女だ!)の方を見つめます。

 その少女は大きな傘を差し、これまた不釣り合いなほどに大きな帽子を被っています。その真っ黒な帽子はまるでどこか異邦の貴婦人のようです。

 ん?ちょっと待てよ。雨なんて降っていないぞ。

 大きなまん丸のメガネの向こうから覗く目が三日月の形に変わります。

「あなた、ややこしい魔法にかかってるのね。ははーん。デシデリオね、『幸運のピエロ』か」

 一人でに何か納得した様子で喋り始めるその少女は、興味津々といった様子でシエロの周りを練り歩きます。

 その少女の傘に雨粒が跳ねてシエロの顔を打ちますが、呆気に取られていたシエロはまるで狐につままれたかのようにじっと動きません。金縛りに遭ってしまったのでしょうか。

「なーるほど。木偶の坊やに操られているわけか。うまくできてるわね」

 その間、その少女はふんふんとシエロを観察し、右手から伸びる紐の先を辿りパタムールへと視線を向けます。

「オレは坊やでも木偶の棒でもないぞ」

 パタムールは心底心外だ、といった様子で抗議の声を上げます。

 いたずらに笑ったその少女は、『雨の降る傘』を差したまま不躾にパタムールへと手を伸ばします。その手から逃れるようにシエロの肩を飛び出したパタムールは慌てて逃げ出します。

「あら。・・・私には喋れるわよ。ピエロさん」

 その少女はニヤリとシエロの頬をつつきます。

 するとシエロはまるで金縛りが解けたかのようにため息をつくと、そっと呟きました。

「しまってくれない?その傘」

 飛び跳ねる雨粒にシエロの白塗りは少しずつ流れていました。

「あら、失礼」

 その少女はさしてそう思っていない様子で傘を畳むと、懐に下げた小さな巾着袋の中へと傘を突っ込みました。何やら、せっかくいいところだったのに、などと一人呟いています。

 どうなっているのでしょう。世の中、不思議なことだらけです。

「何者?」

 シエロは顔についた水滴を拭い取り、その少女を驚いた様子で見つめます。

 遠巻きにパタムールが注意喚起をしていますがひとまずのところは無視です。

「あら、素顔はハンサムなのね。ふふ。私はシニコローレ。魔女よ」

 まだ幼いその少女は自分のことを魔女だと言いました。

 魔女と出会うのはシエロも初めてのことです。

 今度はシエロが興味津々にその魔女のことを見つめます。

「シニーでいいわ。よろしくね、シエロ」

 唐突に自分の名前を呼ばれたシエロは身を見開き驚きました。

「なんで、俺の名前?」

 秘密、といたずらっ子のように笑った魔女はシエロの右手から伸びる紐を手繰り寄せ、あっという間にパタムールのことを捕まえてしまいました。

「シエロ、やばいよこの女。早く逃げよう」

 魔女の魔の手から逃れようともがきますが、そうはいきません。

 シニーはキャッキャと笑いながらその様子を弄んでいます。

「どうして俺と会話ができるの?それになんでパタムールに驚かない?・・・魔女だから?」

 シエロはそっとその魔女の手を抑えパタムールを取り戻すと、自らの右肩に乗せました。

 パタムールは怯えた様子でシエロの肩から顔だけを覗かせています。

「その程度の幼稚な魔法なら、私じゃなくてもちょちょいのちょい、よ」」

 ふふっと星形のウィンクを飛ばしたその魔女は右手を差し出してきます。

「こいつは握手なんてできないぜ。俺がいるからな」

 ベーっと舌を伸ばしたパタムールにシニーは呆れた様子で言います。

「違うわよ。誰がそんなこと。手相見せて。あんたにかかったややこしい魔法、解いてあげられるかも」

 驚いた様子で目をまん丸とさせたパタムールが身を乗り出します。

 紐が伸びるシエロの右手を取りじっと見つめたシニーは、「はぁー」とか「ほうほう」などと一人呟いています。

「で。どうなの?」

 シエロはさして興味のない様子でそう呟きました。

 魔女のことを信用していないのでしょう。誰だってそうです。

 まだ幼い魔女は「ん~」と考え込むような素振りをした後、ゆっくりと歩き始めました。

「少し歩きましょう。迷子なんでしょ?」

 そう言うと再びあの『雨の降る傘』を取り出し、さっさと歩いて行ってしまいました。

 シエロとパタムールは顔を見合わせると、困ったように眉を下げ仕方なしといった様子でその魔女の後を追いました。
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