虹の樹物語

藤井 樹

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〜8章〜

未知との遭遇

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 大勢の村の男たちが浜辺に集まっている。何かを中心に円を描き、その何かを遠巻きに凝視していた。その中には珍しく戦士隊の者たちもいた。

「浜辺に何か漂流したらしいぞ」

 そんな号令が村中に響き渡り、働く男たちは皆、仕事そっちのけで集まってきた次第だ。

 好奇心に駆られ集まった男たちは、その得体の知れない何かについて議論を重ねている。

「巨大な昆虫だろうか」

「魚類じゃあるまいな」

「いやいや、これはどう見ても生き物じゃない」

 誰も的を得ていないことは分かりながらも、それぞれ思い思いの予想を言い合っている。

「開けてくれ、これ、道を開けなさい」

 円の外からしわがれた声が響く。

 未知の物体を囲んでいた人垣が割れ、ルーナがフィーニを引き連れてやってきた。

「村長、一体これは何でしょうか」

 フィーニの方を見て、一人の青年が尋ねる。コーモスだ。

 村長の隣にいるルーナを見つけ、目線で「何がどうなってる?」と訴えた。

 ルーナは肩をすくめ恐る恐るその未知の物体の方へと目を向けた。

 それまで喧騒に包まれていた男たちの視線が一斉に、村長のフィーニへと集まり静まり返る。張り詰めた空気に、波の音だけが響いていた。

 浜辺に横たわる未知の物体を見やり、んんーと唸るフィーニ。その眉間には深い皺がより一層深く刻まれていく。
 やがて、コーモスの方を振り返ると、ちょいちょいと手招きした。
 「コーモスよ。戦士長に申し伝えて欲しいのだが」

 耳打ちされたコーモスの表情がだんだんと真顔になっていく。

「わかりました」
 
 彼はそう言うと、回れ右をして村の方へと戻っていく。

「村長、いったい全体なんなんだ?」

 フィーニは片手を上げ、男たちを制した。

「このことは他言無用じゃ。ここにいる戦士隊はこれを運んでくれ。その他はほれ、行った、行った」

 未知の物体を囲っていた男たちはぶつぶつと何やら言いながら、名残惜しそうにその場を離れていく。

「村長、どこへ運びましょうか?」

 戦士隊の一人が尋ねる。未知の物体は、いつの間にか持ち出されていた大きな布に包まれ、たくましい戦士たちに抱えられていた。

「議会場へ運ぶように。頼むぞ」

 戦士隊は頷き、静かにその未知の物体を運んでいく。

 一人取り残されたルーナは、とぼとぼと一人家路につこうとしていた。そんなルーナの背後からフィーニが声をかける。

「ルーナよ。君の父上にも来てもらう必要がありそうじゃ」

「わかった」

「それとプルヴィアにも、声をかけてくれるかな?」

 ルーナは黙って頷き、今歩いてきた道を駆け出した。

 何が起こるんだろう。

 漠然とした不安とはっきりとした興奮を抱え、ルーナは村まで走った。


「政府に指示を仰ぐべきだと思われます」

 ひんやりと冷たい床を背中に感じる。複数の声が頭上を飛び交い、熱い議論が交わされている。

 今僕はどこにいるんだろう。何をしていたんだっけ?

「いや、これは悪鬼の子孫だ。今すぐ殺して山にでも埋めてしまうべきだ」

 低く轟くような声が、何やら物騒なことを言っている。男たちの怒声が響き渡る。

「これこれ、そう事を急ぐでない」しゃがれた声が笑いながらいなす。

 ソルはぼーっとする頭を必死に動かし考えた。体は未だ眠ったままだ。

 トットと船でツアーに参加していた。小さな船にも乗った。あれは確か、旧人類。あれ。

「帝国との因縁の火種を炊く必要はなかろうぞ」

 しゃがれた先ほどの声が静かに言った。

 黄昏の空。巨大な岩壁。夢について熱く語る親友。

「そんなことは、、、」

「まず、我々に敵意がないか。それを確認すべきだと思います」

 朗々と響く声が物騒な男を制する。

 ソルは段々と体に力が戻ってくるのを感じた。

「万が一敵意があると判断した場合は、拘束し地下へと監禁するのが望ましいでしょう」

 先ほどの男が続ける。

「敵意などなく、ただ何かの間違いでこちらへと流れ着いた、という事であれば政府からの指示が来るまでの間、うちでしばらく滞在して貰えばいい。そう思いますが、いかがですか?村長」

 敵意ってなんだ。何の話をしているんだろう。

 爆撃を受け、海へ投げ出される。トットが目の前から消える。

 全ての記憶が繋がり、意識がはっきりとする。

 ハッと目を覚ましたソルは、ガバッと上体を起こした。

 と、突然動き出したソルに驚いたのか、ソルの周りからは悲鳴にも似た怒声が響き渡り、
金属の擦れ合う音がいくつも鳴り響いた。

「動くな。貴様は何者だ!」

 明らかに自身に向けられたその罵声に、ソルは恐怖に慄き硬直した。が、すぐに飛び込んできた目の前の光景に、呆気にとられ呆然とした。

(植物人間だ。)

 授業で習った、ルナシリス王国の民に違いない。

 そして今、そのルナシリスの民は剣を抜き、ソルへと襲い掛からんとする剣幕であった。

 緊張で張り詰めた場内はしんと静まり返り、誰一人として動かない。

「これ、落ち着きなさい。お前たち、剣を納めなさい」

 しわがれた声が轟く。渋々、といった様子で周りの者たちが剣を収める。

「こんにちは。私の言葉がわかるかな?」

 声のする方へ目を向けると、そこには枯葉を纏ったような皺くちゃの老人がいた。

 ゆっくりと周りに目を凝らすと、そこには十数人ほどの植物人間たちが自身を囲って座っている。皆、恐怖と好奇心の間で揺れ動き、得体の知れない物をまじまじと見つめている。

 ソルは緊張からか、声を発しようにも声が出ず、仕方なくゆっくりと頷いた。

「おお、そうかそうか。それはよかった」

 満足げにその老人は頷き、隣にいる老人へと目配せをした。その老人は静かに頷きそっと呟いた。

「ここはルナシリス王国の辺境にあるフロンスマーレという村」

 消え入りそうなその声は、凛と静まる部屋に粛々と響き渡った。声質からして女性のようだ。

「今朝方、あなたが浜辺に打ち上げられているのを発見した。ここまでは良いか?」

 ソルは再び声を発しようとしたが、声は吐息に消えていき空に消える。

 声が出ない状況に焦ったソルであったが、最初に声をかけてきた老人が助け舟を出した。

「頷くか首を振るかで答えてくれれば良いぞ。慌てずゆっくりと」

 その優しい眼差しに少年はゆっくりと頷いた。

「よろしい。それではどうやってここに来た?目的は何だ?」

 老婦人は静かだが有無を言わさぬ口調で問い詰めた。

 ソルは何とか言葉を発しようとしたが、やはり声を発することができず困惑した。

 黙っているソルを見て、彼を囲む者たちはざわめき出した。

 目覚めてから一言も言葉を発さない彼を不審に思ったのか、はたまた得体の知れない物への恐怖心からか、ざわめきが広がった。

「プルヴィアよ、意地悪するでない。この方はまだ混乱しておるようじゃ」

 プルヴィアと呼ばれた老婦人は静かに咳払いをして、再びソルに問いかけた。

「よろしい。それでは、あなたの目的は私たちルナシリスに対する侵略か、もしくは諜報か?」

 冷たい視線が突き刺さり、ソルはブルっと体を震わせた。その目は心の奥まで見透かされているかのように深く冷たかった。

 ソルは大きく首を横に振り、敵意がないことを表したが、果たしてどこまで伝わっただろうか。

 しばらくソルの方を凝視した後、プルヴィアは隣の老人を見やり何やら耳打ちをした。

 老人は静かに頷き、「テラシー!」と、向かい側の方向へ向けて手招きをした。

 一人の大柄の植物人間が立ち上がり、その老人の傍に跪いた。

「あの方をお連れしてしばらく待機していてもらえるかな」

 テラシーと呼ばれた植物人間は頷き、ソルの方へと近づいてきた。

「すまないが、あなたの処遇について少しばかりの議論をするのでのう。今しばらく他の部屋でお待ちいただけるかな」

 老人の声が優しく微笑みをたたえながら言った。

 ソルの隣までやってきたテラシーは優しく頷きソルの手を取る。ソルは恐る恐るではあったが、その手を取り立ち上がった。

「大丈夫、心配ないよ」

 巨体に似合わず優しい笑顔を浮かべるその植物人間に、ソルはひとまず安心し彼に従った。

 多くの視線が射抜く中、ソルはゆっくりと場内を後にした。 


「怖がらせたね」

 ソルは今、小さな部屋へと通されていた。ベッドに机、それと水の張った桶だけがある質素な部屋であった。

 部屋に入ると、ソルの様子を伺うようにテラシーが声をかけてきた。

「何せ私たちも初めてのことでね。皆動揺していたんだ。どうか私たちを許してやってくれ」

 テラシーは静かに頭を下げ、どうぞ、と言ってソルに座るように促した。

 ソルは大人しくそれに従い、静かにテラシーを見やった。

 大きな背丈はソルの倍ぐらいあるだろうか。鎧を身に纏い、その腰には刀のようなものが下げられている。また、手の先は明らかに木のツルでできているようだった。

 ソルは初めて見る植物人間をまじまじと観察していた。

 そんな彼を見て、その大男は笑い声を上げた。

「お互いに興味深いことだね。僕達の体は植物でできており、君の体は金属でできているようだ。全くもって不思議な感覚だよ」

 ジロジロと観察してしまっていたことを後ろめたく思ったソルは、苦笑いを返すことしかできなかった。

「よかったら触ってみるかい?」

 そう言いながらテラシーは手を差し出してきた。ソルは恐る恐る差し出された手を握り、二人は握手を交わした。

 彼の手は不思議な感触であった。ソルマルクでは植物は育たないので、植物というものの感触はわからないが、その手の感触は柔らかく自分の体とは全くもって異なるものであった。

「さて」と、言ってテラシーはゆっくりと手を引き、立ち上がった。

「緊張で疲れただろう。会議が終わるまでまだ少しかかるだろうから、しばらく休んでいて構わないからね」

 ベッドを指差しながらそう言うと、テラシーは静かに部屋から出ていった。

 大男が部屋から出ていくと、ソルは溜め込んでいた息を深く吐き出した。椅子に深く体を投げ出し、んんーと四肢を伸ばす。

 外の様子を伺うように恐る恐る椅子から立ち上がり、静かにベッドへと身を預けた。

 柔らかく沈み込むような感覚に、脱力感が襲ってくる。

 先の見えない状況に不安を覚え、何もない部屋の天井を見上げる。

(どうしたものかな。これからどうなるんだろう。)

 すぐに考えることにも疲れ、深い眠りへと落ちていった。

 ガチャっと扉の開く音に、ソルは目を覚ました。ビクッと体を起こし、たった今部屋に入ってきた者を見据えた。

「やぁ、すまないね。起こしてしまったみたいだ」

 テラシーだった。後ろ手に静かに扉を閉め、室内へと足を踏み入れた。

「調子はどうだい?」

 その顔には優しい微笑みが浮かんでいる。

 会議が終わったのだろうか。どんな内容で話が進められ、どんな結論が下されたのか。そればかりが気になって仕方がなかったが、何故だか未だに声を発することができず、ソルはただ静かにベッドから立ち上がった。

「安心してくれ。君は無事、国に帰れることになった」

 安堵のため息を吐き、天井を仰いだ。

 テラシーは背中をポンポンと叩きながら、「詳しくは歩きながら話すよ」と、扉を開け部屋を出るよう促した。

 長く入り組んだ廊下を歩きながら、その大男は会議の内容について簡潔に説明をしてくれた。

「さっきも言ったように結論から言って、君を国に返すことが決定したんだ」

 暗い廊下に二人の足音だけが鳴り響いている。

 ソルは黙って話の続きを待った。

「ただ、今までに例のないことだからね。正直、議会は荒れたよ」

 乾いた笑い声を上げ、話を続けた。

「まぁそれは君には関係のないことだ。忘れてくれ。ええと、これからのことだが」

 テラシーはソルのこれからの動きについて説明をしてくれた。

 ざっくりと省略するとつまりこういうことだ。

 国を介しての返還手続きを行う必要があるが、基本的に国同士の交流が皆無と言っていい状態であるため、外交問題が起きないよう慎重に話を進めていく必要がある。また、それには様々な手続きが発生する見込みで、かなりの時間がかかると見込まれている。

 それゆえ、諸々の手続きが完了するまでは、ソルはフロンスマーレの管轄に置かれ、実際にいつ帰れるかは予想がつかない、といった具合であった。

 いずれにせよ、無事に返してもらえる。両国の争いの歴史を鑑みるに、その事実だけで、ソルにとっては十分であった。

「とまぁ、そういったことで、寂しい思いをさせて申し訳ないが、しばらくはこの村で過ごしてもらうことになる。我々にできる最大限のことだと理解してもらえたら嬉しい」

 長い廊下を歩き終え、二人は大きな広間へと辿り着いた。

 そこには木でできた階段が二階へと続いており、壁には額縁に飾られた絵が掛けられている。恐らく外へと続く扉だろう。扉の隙間からうっすらと淡い光が漏れ出し、室内へと一筋の線となっていた。

「ところで」

 扉に手をかけたテラシーが振り返り言った。

「一つ気になったことがあるのだが、君は目覚めてから一度も言葉を発していない。それは単に動揺からなのかい?それとも、どこか身体に異常があって話せないようになってしまったのかな?」

 テラシーはソルの目を覗き込むように尋ねた。

 ソルは改めて声を発しようと試みたが、やはり声は出ずうなだれた。

「やはりそうか。私も詳しくはないが、君たちの体は金属でできているだろう。海水に長いこと浸ったせいか、体のどこかに異常が発生したんだろうと思う」

 考え込むように真剣な表情を浮かべる彼に、ソルは自然と感謝の気持ちが湧き上がった。

 文化の違いについてはまだわからないが、少なくともこの大男は平等かつ優しさに溢れているようだった。

「あぁ、そうだ。ちなみにこちらにいる間、君は私の家に滞在してもらうことになったよ」

 心細い彼を思いやってか、安心させるように優しく微笑む。

 ソルはその知らせに安堵し、感謝の意を込めて深く頷いた。

「それじゃ、行こうか」

 テラシーはそう言うと、重い木の扉を勢いよく開けた。

 見たこともないくらい眩い光が降り注ぐ。

 その光に包まれるかのようにソルの意識は遠のいていった。
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