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紅い蜘蛛
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夕間暮れ。
女の子が、吸い寄せられるようにたどりついた先は、胸に秘める若者の住む邸宅だった。
生垣の隙間から、家屋を眺めると、車庫に入った真っ赤なクラシック・スポーツカーが見えた。維持するだけでもお金がかかる、プレミア車……。
――あの人の車だ。
女の子は、助手席に座わる自分の姿を描きつつも、小さく首を振った。
――私みたいな女と、あの人は似合わない。
女の子は丸々と太っていた。目は切れ長で、丸くつぶれた鼻をしていた。しかも、若者とはうらはらに貧しかった。
――でも、それでも、一度だけでいいから、あなたとドライブがしたい。助手席に乗せてもらいたい。
こぼれ落ちたため息が、大きく膨らんで、意識を包んでいく。
気がつくと、女の子は蜘蛛になっていた。
女の子は車庫へ行くと、車の中に忍び込み、フロント上部のすき間に潜り込んだ。
――きっと、あの人はやってくる。
翌朝。
ドアを開ける音で、女の子は目を覚ました。
ベージュのジャケットを着た、背の高い男性が、乗り込んできた。
面長で、筋の通った高い鼻。名工のノミさばきで彫られたような瞳。薄い唇で硬く結ばれた口元。
――こんな間近で見るのは、はじめて。
女の子は熱く震えた。
エンジンがうなり声をあげて、車が発車した。
細い路地を抜け、街へと向かう。
女の子は、ハンドルを握りしめる若者を見つめた。
――ねえ、今日はどこへ行くの?
この道はどこまで続くの?
身を乗り出しそうになって、あわてて奥へ戻った。
――私は醜い蜘蛛なんだ。
みつからないようにしなければ。
三十分ほどが過ぎた頃、二十階建てのマンションの前で車が停止した。
外を見た女の子は、息を飲み込んだ。
若い女性が佇んでいたのだ。
若者は、手を伸ばして、助手席のドアを開けた。
「まった?」
「ううん」と、澄んだ声が響く。
かすかに脱色したストレートヘアと、宝石の形をしたゼリーのような眼。ほんのりと桜色に染まったマシュマロのような頬。
何もかも、若者にお似合いの女性だった。
――こんな、こんなはずじゃなかった。
女の子は、黙ったまま硬くうずくまった。
再び車が走りはじめた。
とりとめのない会話が交わされて、若者の笑い声と笑顔が、女性に向けてふりまかれた。
――ああ、イヤイヤ。聞きたくない!
車のスピードが上がった。
信号待ちのない道を進んでいく。
日が暮れて薄暗くなった頃、木々が生い茂る、曲がりくねった坂道に入った。
見ると、ライトアップされたお城のような建物へ車は向かっていた。
その瞬間、女の子の胸に火柱が立った。
燃える、燃える。
炎に包まれる。
――ああ、熱い。苦しい!
女の子は、糸をたらしながら、若者の顔面に向け跳んでいた。
――助けて。助けて助けて助けて助けて。
「うわっ、く、蜘蛛だ」
若者は、まゆを潜めながら、手で払いのけた。はじかれた女の子は、軽くフロントガラスにぶつかると、そのまま張り付いた。
若者は、テッシュをひとつかみすると、蚊を叩くようにして、女の子を捕らえようとした。
「ちょっと、前、車が!、危ない前、前!」
直後、凄まじい破壊音が鳴り響き、車体が揺れた。
サイレンを響かせたパトカーが到着した。
交通警察官が、フロントが粉々に砕けたスポーツカーの運転席を、力ずくで開ける。
警察官の目に、血の中で横たわる若い男女の頭部が映った。
「古い車か。エアバッグもないし、シートベルトだって旧式だ。こりゃダメだな」
見ると、若者の顔には、蜘蛛の巣がかかっていた。
張りめぐらされた糸が、濡れている。
血で染まっている。
巣の真ん中にいる蜘蛛までもが、血まみれで、紅くなって。
雨がふってきた。
女の子が、吸い寄せられるようにたどりついた先は、胸に秘める若者の住む邸宅だった。
生垣の隙間から、家屋を眺めると、車庫に入った真っ赤なクラシック・スポーツカーが見えた。維持するだけでもお金がかかる、プレミア車……。
――あの人の車だ。
女の子は、助手席に座わる自分の姿を描きつつも、小さく首を振った。
――私みたいな女と、あの人は似合わない。
女の子は丸々と太っていた。目は切れ長で、丸くつぶれた鼻をしていた。しかも、若者とはうらはらに貧しかった。
――でも、それでも、一度だけでいいから、あなたとドライブがしたい。助手席に乗せてもらいたい。
こぼれ落ちたため息が、大きく膨らんで、意識を包んでいく。
気がつくと、女の子は蜘蛛になっていた。
女の子は車庫へ行くと、車の中に忍び込み、フロント上部のすき間に潜り込んだ。
――きっと、あの人はやってくる。
翌朝。
ドアを開ける音で、女の子は目を覚ました。
ベージュのジャケットを着た、背の高い男性が、乗り込んできた。
面長で、筋の通った高い鼻。名工のノミさばきで彫られたような瞳。薄い唇で硬く結ばれた口元。
――こんな間近で見るのは、はじめて。
女の子は熱く震えた。
エンジンがうなり声をあげて、車が発車した。
細い路地を抜け、街へと向かう。
女の子は、ハンドルを握りしめる若者を見つめた。
――ねえ、今日はどこへ行くの?
この道はどこまで続くの?
身を乗り出しそうになって、あわてて奥へ戻った。
――私は醜い蜘蛛なんだ。
みつからないようにしなければ。
三十分ほどが過ぎた頃、二十階建てのマンションの前で車が停止した。
外を見た女の子は、息を飲み込んだ。
若い女性が佇んでいたのだ。
若者は、手を伸ばして、助手席のドアを開けた。
「まった?」
「ううん」と、澄んだ声が響く。
かすかに脱色したストレートヘアと、宝石の形をしたゼリーのような眼。ほんのりと桜色に染まったマシュマロのような頬。
何もかも、若者にお似合いの女性だった。
――こんな、こんなはずじゃなかった。
女の子は、黙ったまま硬くうずくまった。
再び車が走りはじめた。
とりとめのない会話が交わされて、若者の笑い声と笑顔が、女性に向けてふりまかれた。
――ああ、イヤイヤ。聞きたくない!
車のスピードが上がった。
信号待ちのない道を進んでいく。
日が暮れて薄暗くなった頃、木々が生い茂る、曲がりくねった坂道に入った。
見ると、ライトアップされたお城のような建物へ車は向かっていた。
その瞬間、女の子の胸に火柱が立った。
燃える、燃える。
炎に包まれる。
――ああ、熱い。苦しい!
女の子は、糸をたらしながら、若者の顔面に向け跳んでいた。
――助けて。助けて助けて助けて助けて。
「うわっ、く、蜘蛛だ」
若者は、まゆを潜めながら、手で払いのけた。はじかれた女の子は、軽くフロントガラスにぶつかると、そのまま張り付いた。
若者は、テッシュをひとつかみすると、蚊を叩くようにして、女の子を捕らえようとした。
「ちょっと、前、車が!、危ない前、前!」
直後、凄まじい破壊音が鳴り響き、車体が揺れた。
サイレンを響かせたパトカーが到着した。
交通警察官が、フロントが粉々に砕けたスポーツカーの運転席を、力ずくで開ける。
警察官の目に、血の中で横たわる若い男女の頭部が映った。
「古い車か。エアバッグもないし、シートベルトだって旧式だ。こりゃダメだな」
見ると、若者の顔には、蜘蛛の巣がかかっていた。
張りめぐらされた糸が、濡れている。
血で染まっている。
巣の真ん中にいる蜘蛛までもが、血まみれで、紅くなって。
雨がふってきた。
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