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第三章 守られる日々と誓い
書類の震えと小さな指輪
しおりを挟むsideシェイ
シェイは深く息を吐いて、静かに机の引き出しを開いた。
そこにあるのは、用意しておいた婚姻届。
「……本当に、こうして書く日が来るとはね」
呟く声は、誰にも届かない。
それでも、どこかくすぐったくて、少しだけ誇らしくて――。
筆をとって、自分の欄を丁寧に埋めていく。
名前、年齢、生年月日……。
「300歳なんて、さすがに書けないよね」
冗談めかしながらも、手は慎重に動く。
もちろん、“戸籍上の年齢”で記入する。
最後の一筆まで書き終えて、そっとペンを置いた。
じっと見つめた用紙の端が、少しだけ震えているのに気づいて
思わず苦笑する。
「……大丈夫。俺は、守ると決めたんだ」
彼の目に映るのは、書類の文字ではない。
そこに連なる未来と、名前の隣に添えられるであろう“ユリカ”という存在。
「――さて、あとは彼女の気が変わらないうちに渡さないと」
どこか嬉しそうに、でも必死に平静を装いながらシェイは婚姻届を丁寧に封筒に入れた。
◇
ユリカが筆を手に取ると、シェイは優しげな笑みを浮かべて、静かに頷いた。
「……急がなくていいですよ。落ち着いて、ね」
言葉は穏やか。
その口元には、いつもと変わらぬ柔らかな笑み。
けれど――
(……おい落ち着け俺。なんだこの心拍数。何もしてないのにこの汗はなんだ……)
顔には一切出さず、内心は嵐。
書類を乗せたテーブルの下、膝の上で手を組んだまま、親指と人差し指が止まらず擦れている。
一方のユリカは、丁寧に名前を書き始めていた。
文字のひとつひとつに想いを込めるように、筆先が紙の上を静かに滑っていく。
(ああ……綺麗な字だ……)
(今書いてるの、俺の“隣”に並ぶ名前なんだよな……)
(ちょっと待って、呼吸ってどうするんだっけ……?)
ちらりと見えたユリカの横顔に、無意識に目を奪われる。
その額にうっすら浮かぶ汗。
緊張しているのは、彼女も同じ。
そして――
「……これで、いいんでしょうか」
ユリカが顔を上げて問うと、シェイはほんの一瞬間を置き、いつも通りのやさしい声で答えた。
「……はい。とても、綺麗な字です」
(ありがとう!!本当にありがとう!!!)
静かに受け取ったその用紙を見つめ、胸の奥にずっと探し求めていたものがすっと根を下ろしたような感覚を抱く。
「……では、あとは提出するだけですね」
「はい」
互いに微笑んだ瞬間――。
ふと、シェイの額に一筋の汗が流れているのに気づいたユリカが、くすっと笑って言った。
「……顔は涼しそうなのに、緊張してたんですね?」
「えっ……いや、これは、たまたまその、室温が……」
「ふふっ。ありがとうございます、シェイさん」
「……いえ。こちらこそ」
sideユリカ
役所からの帰り道。
ふたり並んで歩きながら、なんとなく会話は少なめで。
ユリカは手元の書類を見つめてぽつりとこぼした。
「これで、私たち……夫婦なんですね」
どこか照れくさいような、信じられないような声だった。
シェイは歩を止め、ふいに深く息を吸い込むと――
「……ご結婚おめでとうございます、ユリカさん!」
唐突な大声に、ユリカがびくっと肩を跳ねさせた。
「な、なに急に……!」
「いやあ、めでたいですよ。
今日から僕、旦那さんです。
堂々と“うちの妻が”とか言えちゃうわけです」
「やめてください、恥ずかしい……」
そう言いながらも、口元は緩んでいた。
「じゃあ改めて。
あなたに誓います。
今日から僕は、あなたの味方で、家族で、そして……まぁ、できる限り良い夫であれるよう努力します」
シェイは懐から、小さな指輪の箱を取り出す。
「――で、指輪交換します?
ここ、バッチリ空が綺麗ですよ。
証人は……ほら、あの鳥」
木の上でぴぃと鳴いた鳥にユリカが思わず笑ってしまう。
「……もう、シェイさんってば……」
笑いながらも、彼女はそっと手を差し出した。
シェイは真面目な顔に戻り、ユリカの指に優しくリングを通す。
「これで、正式に夫婦ですね。
――さあ、今なら“旦那さん”って呼んでもいいですよ?」
「……呼びません」
「ええーっ!初“旦那さん”逃した……!」
ユリカがふっと吹き出す。
「でも……ほんとに、ありがとう」
ふざけてるようで、まっすぐな気持ちがちゃんと伝わる。
そんなふたりの、“小さな誓い”の瞬間だった。
ふと、シェイの顔を見つめた。
その瞳の色を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「……昼間の空の色、なんですね。あなたの瞳は」
そう呟いた自分の声が、思ったよりも小さく響いた。
シェイが少し目を丸くしてから、照れたように笑った。
「そう言われたのは初めてかもしれません」
――昼の空。
晴れた日の空。
まっすぐな、スカイブルー。
でもユリカの胸の奥に浮かんだのは、夜の空の色だった。
静かにまたたく、藍の星――彼の、あの瞳。
(あの人の瞳は、夜の空みたいだった)
胸の奥が、きゅう、と締めつけられる。
でも、目をそらさなかった。
昼の空の瞳と向き合いながら、ユリカは静かに思った。
(今、私は……この空の下で、生きている)
過去を手放すわけじゃない。
ただ、少しずつ――少しずつ、自分の居場所を、心に作っていく。
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