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第1部 三角と四角
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不意の接触に、あなたは顔を上げる。読んでいた本のページはそのままに、栞を挟むことも、指で押さえることもせず、反射的に視線を逸らした。
数メートル先の方に、接触した対象の姿を捉える。あなたが座っている位置からは死角になるが、ぎりぎり見えないこともない、その壁の向こう側にその対象は座ったようだ。長い脚と長い腕だけが見えた。顔は見えないが、その脚と腕からすべてが想像できるようだ。壁を狭間として、腕が現れたり、消えたりした。やがて、その腕は、その先の掌に一冊の本を開き、安定する。
しばらくの間、あなたはその手の挙動を観察した。手の裏側にある窓硝子、そのさらに向こうから差し込んでくる春の陽光が照明となり、指が踊る様を引き立たせた。指は、本のページを一方向に、あるいは逆方向に捲る。一つ一つの関節がそれぞれに意志を持ち、それらがすべて干渉し合うことで、結果的に一つの動きを生み出すことに成功している。指は弧を描き、また直線を引いた。その軌跡をなぞるように、あなたは対象の指の動きを目で追う。
チャイムが鳴って、午前最後の講義の終了が告げられる。たちまち、講義を終えた学生達が背後から姿を現して、あなたの前方を右に行き、左に行き、あるいはぐるぐると回って、あなたの視線の先にいる対象を覆い隠してしまう。それでもあなたは彼らに抗議することもせず、その群衆の隙間から見える対象にだけ注目しようと試みた。遮られ、再び現れる、群衆の向こう側の対象は、その度にアニメのコマ送りのように次々に指の角度を変える。一コマ前の姿と現在の姿との間の姿を推測でカバーしながら、あなたは指の挙動の全体像を頭の中に思い浮かべる。
お腹が空いたことを認識し、あなたは鞄の中から弁当箱を取り出した。机の上でそれを広げ、あなたは昼食をとり始める。その間も、前方の対象を見失わないように、あなたは視線を固定し続けた。
しばらくすると、対象は本を閉じ、椅子から下りて地に足をついた。脇に置いてあったリュックサックを背負い、歩き始める。
それまで妨害となっていた壁の、その向こう側からこちら側にやって来て、対象はあなたの前を通り抜けようとした。箸を持ったまま、しかしあなたは対象から目を離さない。最初に目を惹かれた、その脚と、腕と、それから、今初めてはっきりと見えたその顔、そして、その内の目に、あなたの視線は引きつけられる。
通り抜ける一瞬が間延びして、あなたの視線と彼女の視線は間違いなく交わった。相手の黒い目が、白地の背景を滑らかに動いてこちらを認識する様を、あなたは確かに観測した。
彼女はそのままあなたの前を通り過ぎていく。顔を動かさずに目だけで追える範囲まで、あなたは彼女の背中を見つめた。まるでそれ自体が宙に浮かんでいるように、リュックサックが空間をスムーズに遠ざかっていくのが見える。
正面を向いて、あなたは眼前に置いてある弁当箱を見る。左手に白米が、右手には、小ぶりなハンバーグと、ふやけたブロッコリーと、巻き損ねた卵焼きが並んでいた。その内の卵焼きを箸で摘まみ、あなたはそれを口に入れようとする。
横から腕が伸びてきて、口の傍まで運んだ手を掴まれた。
最初に感じたのは、冷たさ。
そして、次に、皮膚の向こう側にあるであろう骨の、固さ。
自分の手首に巻き付いた五本の指を、あなたはじっと見つめる。その指は、間違いなく、先ほどまで、向こう側で、本のページを捲っていたそれだった。
「何?」
と、すぐ傍から声がした。
小さな声。
周囲の喧噪にすぐに掻き消されてしまいそうなほど、小さな声。
けれど、喧噪を作り出す波の空白域を忠実に探し出し、その隙間を潜るように、はっきりとあなたの耳に届いた声。
あなたは声のした方に顔を向ける。
あの目に、補足された。
こちらを見ている。
大きな目。
その目は、あなたが応えるのを待つように、ただじっとこちらを見つめている。何の躊躇いもない、真っ直ぐな眼差しだった。
「何が?」引き締まって声の出しづらい喉を絞って、あなたは一言、そう応える。
「じっと見て、何か用?」
彼女に問われて、あなたは一度首を振る。
「いや」
「そう」と彼女は呟いた。綺麗な声だった。「何か言いたいのか、と」
遠くから見ていた、その脚が、腕が、そこにあった。そして、それらの四肢を連結している胴体。細く、どこか硬質な印象を受ける。
制服姿の天使がそこにいた。胸もとに巻かれたネクタイと、その上を覆う紺色のブレザー。ネクタイはカーディガンの内に仕舞われている。スカートから伸びた脚は、ブレザーと対照的に白く、けれどどこか生物らしく、彼女が人形でないことを証明していた。
数メートル先の方に、接触した対象の姿を捉える。あなたが座っている位置からは死角になるが、ぎりぎり見えないこともない、その壁の向こう側にその対象は座ったようだ。長い脚と長い腕だけが見えた。顔は見えないが、その脚と腕からすべてが想像できるようだ。壁を狭間として、腕が現れたり、消えたりした。やがて、その腕は、その先の掌に一冊の本を開き、安定する。
しばらくの間、あなたはその手の挙動を観察した。手の裏側にある窓硝子、そのさらに向こうから差し込んでくる春の陽光が照明となり、指が踊る様を引き立たせた。指は、本のページを一方向に、あるいは逆方向に捲る。一つ一つの関節がそれぞれに意志を持ち、それらがすべて干渉し合うことで、結果的に一つの動きを生み出すことに成功している。指は弧を描き、また直線を引いた。その軌跡をなぞるように、あなたは対象の指の動きを目で追う。
チャイムが鳴って、午前最後の講義の終了が告げられる。たちまち、講義を終えた学生達が背後から姿を現して、あなたの前方を右に行き、左に行き、あるいはぐるぐると回って、あなたの視線の先にいる対象を覆い隠してしまう。それでもあなたは彼らに抗議することもせず、その群衆の隙間から見える対象にだけ注目しようと試みた。遮られ、再び現れる、群衆の向こう側の対象は、その度にアニメのコマ送りのように次々に指の角度を変える。一コマ前の姿と現在の姿との間の姿を推測でカバーしながら、あなたは指の挙動の全体像を頭の中に思い浮かべる。
お腹が空いたことを認識し、あなたは鞄の中から弁当箱を取り出した。机の上でそれを広げ、あなたは昼食をとり始める。その間も、前方の対象を見失わないように、あなたは視線を固定し続けた。
しばらくすると、対象は本を閉じ、椅子から下りて地に足をついた。脇に置いてあったリュックサックを背負い、歩き始める。
それまで妨害となっていた壁の、その向こう側からこちら側にやって来て、対象はあなたの前を通り抜けようとした。箸を持ったまま、しかしあなたは対象から目を離さない。最初に目を惹かれた、その脚と、腕と、それから、今初めてはっきりと見えたその顔、そして、その内の目に、あなたの視線は引きつけられる。
通り抜ける一瞬が間延びして、あなたの視線と彼女の視線は間違いなく交わった。相手の黒い目が、白地の背景を滑らかに動いてこちらを認識する様を、あなたは確かに観測した。
彼女はそのままあなたの前を通り過ぎていく。顔を動かさずに目だけで追える範囲まで、あなたは彼女の背中を見つめた。まるでそれ自体が宙に浮かんでいるように、リュックサックが空間をスムーズに遠ざかっていくのが見える。
正面を向いて、あなたは眼前に置いてある弁当箱を見る。左手に白米が、右手には、小ぶりなハンバーグと、ふやけたブロッコリーと、巻き損ねた卵焼きが並んでいた。その内の卵焼きを箸で摘まみ、あなたはそれを口に入れようとする。
横から腕が伸びてきて、口の傍まで運んだ手を掴まれた。
最初に感じたのは、冷たさ。
そして、次に、皮膚の向こう側にあるであろう骨の、固さ。
自分の手首に巻き付いた五本の指を、あなたはじっと見つめる。その指は、間違いなく、先ほどまで、向こう側で、本のページを捲っていたそれだった。
「何?」
と、すぐ傍から声がした。
小さな声。
周囲の喧噪にすぐに掻き消されてしまいそうなほど、小さな声。
けれど、喧噪を作り出す波の空白域を忠実に探し出し、その隙間を潜るように、はっきりとあなたの耳に届いた声。
あなたは声のした方に顔を向ける。
あの目に、補足された。
こちらを見ている。
大きな目。
その目は、あなたが応えるのを待つように、ただじっとこちらを見つめている。何の躊躇いもない、真っ直ぐな眼差しだった。
「何が?」引き締まって声の出しづらい喉を絞って、あなたは一言、そう応える。
「じっと見て、何か用?」
彼女に問われて、あなたは一度首を振る。
「いや」
「そう」と彼女は呟いた。綺麗な声だった。「何か言いたいのか、と」
遠くから見ていた、その脚が、腕が、そこにあった。そして、それらの四肢を連結している胴体。細く、どこか硬質な印象を受ける。
制服姿の天使がそこにいた。胸もとに巻かれたネクタイと、その上を覆う紺色のブレザー。ネクタイはカーディガンの内に仕舞われている。スカートから伸びた脚は、ブレザーと対照的に白く、けれどどこか生物らしく、彼女が人形でないことを証明していた。
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