付く枝と見つ

羽上帆樽

文字の大きさ
20 / 50

第20部 yo

しおりを挟む
 余裕がない人生というのは嫌なものだな、とシロップは思う。そう思うのは、今まさに自分に余裕がないからだろう。考えてみれば、自分のこれまでの人生は、どちらかといえば余裕があった方に思える。毎日をだらだらとして過ごすことができた。死ぬことができないルンルンも同じだろうか。

 そうか。余裕というものは、死を前提としているからこそ生じる心持ちなのだろう。死なないのであれば、時間が永遠にあるということだから、そもそも余裕とは関係がない。今日やらなくてもいつでもできるということになり、人生に締め切りがないということで、余裕とは無縁になる。

「ねえ、運転手さん。貴方の人生には、これまで、余裕があった?」シロップは気になってきいてみた。

「余裕ですか?」運転手はこちらを見る。「まあ、呼ばれればどこにでも飛んでいくような生涯でしたからねえ。なかったような気がしますぜ」

「貴方、もう、死んでいるの?」

「自分でも分かりませんね」彼は言った。「そもそも、自分が生きているのかどうかなど、確かめようがないですからね」

 パトカーは水飛沫を上げて海上を走る。月の光ではなく、街の明かりが遠くに見えた。フィルターがかかっているかのように、明かりは所々で湾曲している。

 明かりがあるだけで、街に人の気配は感じられない。それは、きっと、ここから街まで遠く離れているからではない。自分にその気配を感じる気がないからだ。目に映るものと言えば、そう……。意志を持たない、物。そして、その有り様だけ。

「外は涼しそうですねえ」運転手が言った。「よければ、ここから飛び降りてみますかい?」

 彼の提案が、シロップには案外面白そうに思えた。だから、扉を開けて、走行する車の中から水面に向かって飛び出した。

 水と接触して数秒経ってから、冷たい感覚が全身に伝播した。濡れて目にへばりついた髪を退けて、口の中に入った塩水を吐き出す。

 前方を見ると、パトカーのテールランプが尾を引きながら遠ざかっていった。

 辺り一面に黒い水の空間が広がっている。底が見えない。粘度を持った物質としての水が、彼女の侵入によって体積が増したことを、叱りつけるようにうねり、踊った。

 空を見上げる。

 車に乗っているときよりも、ずっと鮮明に、星が見える。

 自分も、いつか、その内の一つになれるだろうか。

 沈もうと思っても、彼女の身体は軽すぎて、ずっと浮かんだままだった。

「ホントウハ、シズモウトモ、シノウトモ、オモッテイナイノデハアリマセンカ?」

 背後から声。

 振り向くと、四角い物体が水面を浮かんでいた。

「オムカエニマイリマシタ、オジョウサマ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

処理中です...