4 / 5
第4部 分析する春
しおりを挟む
私の何を観察するつもりか分からなかったが、ダストは私を椅子に座らせて、そのまま静止しているように言った。彼女が描いているのは人物画ではないから、どういうつもりかよく分からない。そう考えてから、果たして、自分は、彼女の何を、どこまで、どのように分かっているのだろう、という疑問が生じた。
分からないことの方が多いのではないか。
それは、彼女に関してだけでなく、自分に関しても、あるいは、この世の仕組みに関しても、そうかもしれない。
ダストはキャンバスに向かってペンシルを走らせている。私が何も話さないと、聞こえるのは、ペンシルとキャンバスが擦れる音、あるいは、彼女が傍の机から道具を引き寄せる音だけだった。もしかすると、彼女の心音や息遣いも聞こえるかもしれないと思ったが、どれほど耳を澄ませても、それは聞こえなかった。
天窓から差し込む陽光が、彼女の横顔を奇妙に照らしている。伸びかかった前髪でただでさえ隠れ気味の目もとに、陽光によってさらに陰りが作り出されている。その暗闇の中を、彼女の赤い目が、ときに滑り、ときに踊った。私をモデルにしているというのに、ダストは私の方をあまり見ない。なんとなく、それに耐えられないような気がして、私は口を開いた。
「ダストは、いつもここで暮らしているの?」
私が尋ねると、ダストは鋭い眼差しのまま、しかしこちらを見ずに、一度頷いた。小さな顎が空間を滑る。頷いたとき、少しだけ上目遣いになったその角度を、私は確かに観測した。
「ずっと、一人で?」
ダストはもう一度頷く。
沈黙。
不意に手を止めて、ダストはゆっくりとこちらを向く。そして、机の上から紙の切れ端を取ると、持っていたペンシルでそこに文字を書いた。
“何か、ききたいこと○あるみたい”
彼女の言葉を見て、私はそのまま彼女の顔に視線を移す。ダストは、ときどき見せる悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の方を見ていた。
「うん」私は素直に答えることにする。「色々、あるよ」
“言ってごらん”
「うん……」私は少し天井の方を見る。「でも、言いたいことはあるけど、どう言ったらいいのか、まだ纏まっていない」
“纏める必要はないよ”
彼女の文字。
“思ったとおり□言うの○いいよ”
ダストに言われて、私は、そういうものだろうか、と思った。思ったとおりに言えば良いのだろうか。しかし、思ったことを言葉にしようとすると、必ず、思ったことは思ったとおりの形ではなくなってしまう。思ったことを言葉に変換する過程で、摩擦のようなものが生じ、情報が削られてしまうからだ。
「だから、ダストは話さないの?」
気づいたときには、私はそう口にしていた。それは、どうだろう。思ったとおりではないかもしれないが、可能な限りで思ったとおりの表現だったかもしれない。
ダストは、キャンバスに戻していた顔を再びこちらに向けて、紙に文字を書く。
“声□はしないけど、文字□はしているよ”
そうか、と私は思う。
「じゃあ、どうして声を出さないの?」
“絵○好きだからだよ”
「文字が、絵みたいだから?」
“そう”
「いつから、そうしているの?」
“生まれたときから”
私は彼女の言葉の意味を考える。
「絵は、いつから描いているの?」
“生まれたときからだよ”
「生まれたときからって、どういう意味?」
“そのままの意味”
「ダストには、家族はいるの?」
“今はいない”
「どうして、いないの?」
“死んでしまったから”
ダストはずっと表情を変えない。冷たくも、温かくもない表情だった。けれど、その赤い目だけは、ずっと私を見ている。正確には、私の目だけを追っていた。だから視線はずっと交わったままだ。私が右を見れば右へ、左を見れば左へ追従する。私が瞼を閉じれば、その赤い光も同じように瞼によって隠される。
「どうして、死んでしまったの?」
“実験で、失敗したから”
「何の実験?」
“宇宙□行く実験”
「宇宙?」
“そう”
「もう少し、詳しく聞かせて」
私がそう言うと、ダストは初めてにっこりと笑った。それから、椅子から立ち上がり、私の傍までやってくる。一度私の正面にしゃがみ込んで、下から私の顔を覗き込むと、今度は背後に回り、私の腹部にそっと腕を添えた。
温かかった。
彼女の心音と、吐息が、すぐ傍に聞こえた。
腹部に回された腕の先に、紙とペンシルを持った手が付いている。それらが動き、また文字を生んだ。
“宇宙□行って、そこ□一人の女の子△、保存しておこうとしたんだ。でも、駄目だった。その女の子○、途中で目△覚まして、帰りたいって言ったから。けれど、帰りの分の燃料は、二人分しかなかった。子ども△安全に地球□帰すためには、どうしてもその二人分の燃料○必要だった”
私の前方で、デスクの手が止まる。
心音。
私は少しだけ背後に顔を向ける。
「それで、どうなったの?」
デスクの手が再び動く。
“女の子は、無事に地球□帰ってきたよ。それで、今も元気に暮らしている。いつか、自分の力で宇宙□行くために、図面△描いているよ。ロケットの図面。でも、ただのロケットじゃない。物体△移動させるには、とても多くのエネルギー○必要で、そんなの一人じゃ無理だから、物体じゃなくて、気持ちだけ△届けるロケット”
私は黙って彼女の次の言葉を待った。
“君となら、できると思うんだ”
「どうして?」
“宇宙□行った人は、今のところ五人いるけど、私以外、皆、途中でスクール△辞めたんだ”
分からないことの方が多いのではないか。
それは、彼女に関してだけでなく、自分に関しても、あるいは、この世の仕組みに関しても、そうかもしれない。
ダストはキャンバスに向かってペンシルを走らせている。私が何も話さないと、聞こえるのは、ペンシルとキャンバスが擦れる音、あるいは、彼女が傍の机から道具を引き寄せる音だけだった。もしかすると、彼女の心音や息遣いも聞こえるかもしれないと思ったが、どれほど耳を澄ませても、それは聞こえなかった。
天窓から差し込む陽光が、彼女の横顔を奇妙に照らしている。伸びかかった前髪でただでさえ隠れ気味の目もとに、陽光によってさらに陰りが作り出されている。その暗闇の中を、彼女の赤い目が、ときに滑り、ときに踊った。私をモデルにしているというのに、ダストは私の方をあまり見ない。なんとなく、それに耐えられないような気がして、私は口を開いた。
「ダストは、いつもここで暮らしているの?」
私が尋ねると、ダストは鋭い眼差しのまま、しかしこちらを見ずに、一度頷いた。小さな顎が空間を滑る。頷いたとき、少しだけ上目遣いになったその角度を、私は確かに観測した。
「ずっと、一人で?」
ダストはもう一度頷く。
沈黙。
不意に手を止めて、ダストはゆっくりとこちらを向く。そして、机の上から紙の切れ端を取ると、持っていたペンシルでそこに文字を書いた。
“何か、ききたいこと○あるみたい”
彼女の言葉を見て、私はそのまま彼女の顔に視線を移す。ダストは、ときどき見せる悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の方を見ていた。
「うん」私は素直に答えることにする。「色々、あるよ」
“言ってごらん”
「うん……」私は少し天井の方を見る。「でも、言いたいことはあるけど、どう言ったらいいのか、まだ纏まっていない」
“纏める必要はないよ”
彼女の文字。
“思ったとおり□言うの○いいよ”
ダストに言われて、私は、そういうものだろうか、と思った。思ったとおりに言えば良いのだろうか。しかし、思ったことを言葉にしようとすると、必ず、思ったことは思ったとおりの形ではなくなってしまう。思ったことを言葉に変換する過程で、摩擦のようなものが生じ、情報が削られてしまうからだ。
「だから、ダストは話さないの?」
気づいたときには、私はそう口にしていた。それは、どうだろう。思ったとおりではないかもしれないが、可能な限りで思ったとおりの表現だったかもしれない。
ダストは、キャンバスに戻していた顔を再びこちらに向けて、紙に文字を書く。
“声□はしないけど、文字□はしているよ”
そうか、と私は思う。
「じゃあ、どうして声を出さないの?」
“絵○好きだからだよ”
「文字が、絵みたいだから?」
“そう”
「いつから、そうしているの?」
“生まれたときから”
私は彼女の言葉の意味を考える。
「絵は、いつから描いているの?」
“生まれたときからだよ”
「生まれたときからって、どういう意味?」
“そのままの意味”
「ダストには、家族はいるの?」
“今はいない”
「どうして、いないの?」
“死んでしまったから”
ダストはずっと表情を変えない。冷たくも、温かくもない表情だった。けれど、その赤い目だけは、ずっと私を見ている。正確には、私の目だけを追っていた。だから視線はずっと交わったままだ。私が右を見れば右へ、左を見れば左へ追従する。私が瞼を閉じれば、その赤い光も同じように瞼によって隠される。
「どうして、死んでしまったの?」
“実験で、失敗したから”
「何の実験?」
“宇宙□行く実験”
「宇宙?」
“そう”
「もう少し、詳しく聞かせて」
私がそう言うと、ダストは初めてにっこりと笑った。それから、椅子から立ち上がり、私の傍までやってくる。一度私の正面にしゃがみ込んで、下から私の顔を覗き込むと、今度は背後に回り、私の腹部にそっと腕を添えた。
温かかった。
彼女の心音と、吐息が、すぐ傍に聞こえた。
腹部に回された腕の先に、紙とペンシルを持った手が付いている。それらが動き、また文字を生んだ。
“宇宙□行って、そこ□一人の女の子△、保存しておこうとしたんだ。でも、駄目だった。その女の子○、途中で目△覚まして、帰りたいって言ったから。けれど、帰りの分の燃料は、二人分しかなかった。子ども△安全に地球□帰すためには、どうしてもその二人分の燃料○必要だった”
私の前方で、デスクの手が止まる。
心音。
私は少しだけ背後に顔を向ける。
「それで、どうなったの?」
デスクの手が再び動く。
“女の子は、無事に地球□帰ってきたよ。それで、今も元気に暮らしている。いつか、自分の力で宇宙□行くために、図面△描いているよ。ロケットの図面。でも、ただのロケットじゃない。物体△移動させるには、とても多くのエネルギー○必要で、そんなの一人じゃ無理だから、物体じゃなくて、気持ちだけ△届けるロケット”
私は黙って彼女の次の言葉を待った。
“君となら、できると思うんだ”
「どうして?」
“宇宙□行った人は、今のところ五人いるけど、私以外、皆、途中でスクール△辞めたんだ”
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【最新版】 日月神示
蔵屋
歴史・時代
最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる