Dream Per Second

羽上帆樽

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第5章 剪定しますか?

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 街の外れにある花園に出かけた。名目上は花園ということになっているが、その花園には一切花がない。植木だけが空間を装飾していて、目に映るのは緑、緑、緑、そして緑だけだ。一歩その中に足を踏み入れれば、ああ、今自分は自然と触れ合っているのだなと甘い感傷に浸ることができる。都会では味わえない感覚だが、この花園は都会の中に存在している。

 例によって、ここに来た目的は、なくなってしまった言葉を見つけるためだった。目的は確かだが、目的を達成するための手段は確かではない。ここへ来るのが正解だという保証はなかった。ここに来ようと言い出したのはリィルの方なので、僕に責任があるわけではない。

 仕事の一貫として訪れても、上位の企業に料金を請求することはできない。なので、僕とリィルは自腹で花園に入った。入り口には白い金属製のアーチがあって、そこに幾数本もの蔦が絡まっている。何年もその状態が維持されているらしく、絡まった蔦は簡単には解けそうになかった。

 入り口から真っ直ぐ続く石畳の道を進んで、中央の広場に出る。いくつかテーブルや椅子が配置されていて、自由に寛げるスペースになっていた。一度座ってしまうと立つのが億劫になってしまうから、探し物を先にしようと僕は提案したが、リィルの我儘は相変わらず健在で、結局到着してから五分で腰を下ろすことになってしまった。

「あああ、疲れたあ……」外出したときの決まり文句を口にして、リィルが溜め息を吐いた。

「疲れたって、まだ何もしていないよ」僕も決まり文句を呟く。

「移動が一番疲れるんだよ。ほんと、人生で一番必要のないことだよね」

「何が本当なの?」

「こんな素敵な場所で、お昼寝でもできたら最高なんだけどなあ……」リィルは周囲を見渡しながら話す。「……仕事中だからって、許してくれないんだろうねえ」

「当たり前じゃないか」鞄から書物を取り出して、僕は応じる。「どんなときでも、任務遂行が最優先だ」

 僕が開いたのは例の古文書だ。「〈   〉、存在するのか?」という一文だけで構成された段落が、相変わらず文章の中に存在している。この空白に埋まる言葉を見つけるために、色々な場所を訪れているわけだが、今のところ何の手がかりも得られていないので、現時点では、このまま放浪の旅を続ける可能性が高かった。

「結局、そこには何が入るんだろうね」対面の席に座るリィルが、手もとを覗き込みながら尋ねてきた。「床屋でも、心太でもないとなると、もう、何が適切なのか分からないよ」

「うん、まあ……」手もとに目を向けたまま、僕は応える。「好い加減、床屋とか、心太ではないと思うけど」

「なんで? 何か根拠でもあるわけ?」

「根拠はないけど、感覚的にそう判断するのが普通だろう? 第一、君はなんでそんな言葉が当て嵌まると思うの? うん、やっぱり、頭のどこかが故障しているんじゃないかな。病院に行って見てもらうべきだよ。一緒に行ってあげようか?」

「馬鹿じゃないの?」

「馬鹿なのは君だろう」

 僕がそう言うと、リィルはそっぽを向いてしまった。

「はいはい。毎度のことだから、もうそんなふうに言われるのにも慣れています」リィルは小声で話す。「本気で考えて言っているのに……」

 リィルの様子を覗いつつ、僕は文字を追う。

 リィルがどれほど真剣に考えていたとしても、床屋や心太といった言葉はこの文には適応しない。言うまでもなく、それでは文として成り立たないからだ。文として成り立たない文である可能性もあるが、それならば、同じような文がほかにも見つかるはずだ。けれど、今のところそうした文は一つも見つかっていない。ここだけおかしな文になっている可能性もなくはいえないが、そちらの方向で考えるのは不自然だろう。まずは規則性をもとに考えたいところだ。

 古文書のページは比較的綺麗で、目立った汚れはない。年代物の本ではないのは確かだが、しかし、最近に書かれたものでもない。文体からそれが分かる。文法や言語学的な要素を歴史と関連させて論じる能力が僕にはないので、最近のものとどこが違うのかは述べられないが、なんとなく肌感覚でそれが分かった。日頃からある程度文章を読んでいる者なら理解できる感覚だろう。

「……でもさ、どうして、そこは空白になっちゃったんだろうね」

 どうやら機嫌が直ったようで、僕は内心ほっとした。顔を上げると、リィルが僕の方をじっと見ていた。

「その前に、どうしてという問いが有効かどうか、考える必要がある」

「でも、どうしてという方向で考えないことには、何も始まらなくない?」リィルは小首を傾げる。「それが、面白いってことじゃないの?」

 彼女の言うことはその通りだろう。なぜ、どうしてという問いを立てるのは、科学が常にしていることだ。問いを立て、解消しようとすることで、科学は成り立っている。

「たしかに、その通りではあるけどね」僕は頷いた。「どうして空白になったのかを考えれば、面白いのは間違いない」

「でも、君は、その方向では考えようとしないの?」

 リィルに問われ、僕はもう一度頷く。

「うん、まあ……。どうしてかは分からないけど、なんとなく、その方向ではないような気がするんだ」

「どうして?」

「だから、どうしてなのかは分からないよ」僕は少し笑った。「その方向ではないって、今、言ったじゃないか」

 なぜ空白が生じたのかという方向で考えないとすると、やはり、何が当て嵌まるのかを考えるしかない。なくなった過程を考えるのではなく、なくなった対象を考えるのだ。これは、人間が日常的に用いている手法だ。なぜ自分が生まれてきたのかを考えていては埒が明かない。きっとそこに具体的な理由はない。けれど、生まれてきた自分がこれから何をするのか、その内容について考えることはできる。少なくとも、前者よりは後者の方が生産的だろう(生産的とはどういう意味か、という問題は残るが)。

「で、その結果、ここに何が当て嵌まるのかを考えるわけだけど……」テーブルの上に本を開いたまま置いて、僕はリィルに話す。「どういう種類の言葉が入るのか、君に考えてほしいんだ」

「私にって、君も一緒に考えるんだよね?」リィルは僕に尋ねる。

「そうしたいところだけど……」僕は顔を逸らして言った。「実は、ちょっと、ほかにやりたいことがあってね……」

「え?」リィルは少し目を開く。「やりたいことって、何?」

「うん、そう、それ」

「それ?」

「だから、その……」僕は目だけでリィルを見た。「この施設を見学したいんだ」

 リィルは黙って僕の顔を見ている。まるで生気が抜けた一反木綿のような顔をしているものだから、僕は思わず声を出して笑ってしまった。

「え、何、笑っているの?」

 リィルに指摘され、僕は咳払いをして誤魔化す。

「僕はこの施設に興味がある。だから、僕が見学している間に、君には考察を進めてもらいたいんだ。その方が効率的だろう?」

「いや、なんで私一人なの? というか、考えても分からないとか、言っていなかったっけ? だから、考えるんじゃなくて、探すことにしたんでしょう? そのためにここに来たんじゃないの?」

「ここに来ようと言ったのは、君の方だよ」

「色々な場所を当たって探そうって、言ったじゃん」

「ああ、じゃあ、こうしよう」僕はわざとらしく人差し指を立てた。「君は考察担当で、僕は捜索担当。見学しつつ探し物もする」

「なんで? いや、私、考えるのなんて無理だから」リィルは両手をリズミカルに振る。「普通逆でしょう? ものを探す単純な作業をするのが私で、頭を使ってじっくり考えるのが君じゃないの?」

「いつもはそうだから、気分転換ということで、逆にする」

「嫌だ。私、考えるなんてできない」そう言って、リィルは椅子から立ち上がる。

「まあまあ……」僕は両手を挙げて彼女を制した。「ものは試しってやつだよ。君は、考えることに苦手意識があるんだろう? でも、それは単なる思い込みかもしれない。本当は秘めたる才能があって、今は表れていないだけかもしれないじゃないか」

「ないって、そんなもの」

「可能性を否定するのはおかしいよ」

「いや、そういう問題じゃないから」

「そういうのは、やってから言うものだよ。やる前から断定するのはよくない。うん、非常によくないね。それじゃあ単にエネルギーを消費するのを嫌っているだけだよ」

「いや、だからそうだって。私、エネルギーを使いたくないんだって」

「たまには頭を使うといいよ。錆びつかないようにするためにも」

「いや、だから」

 ぎゃあぎゃあと煩いリィルをおいて、僕は席を立った。背後から色々と文句が聞こえてきたが、今は聞こえない振りをしておいた。

 花園は、中央の広場を中心に星型に展開されている。入り口が一つの頂点にあるとすると、ほかに四つのエリアがあることになる。芝生の地面に突き立てられた看板を見ると、四つのエリアには、それぞれ、果物、野菜、観葉植物、熱帯植物が育成されていると書いてあった。なんとなく観葉植物に興味を惹かれて、僕は正面から見て右から二つ目のエリアに向かった。

 あの場にリィルを留まらせたのには理由がある。けれど、大した理由ではない。リィルだって、その気になれば僕のあとをついてくることができたわけだから、拘束力があるわけでもない。ただ、できる限り彼女にはついてきてほしくなかったのだ。

 花園は、様々な樹木によって天井が形成されている。もともと天井があって、そこに木の枝や蔦が絡まっているのか、それともすべてが自然の産物なのか、判断することはできなかった。所々にギャップが形成されていて、そこから木漏れ日が差し込んでいる。今日は快晴ではなかったが、閉鎖的な空間に差し込む光は、たとえ少量でも不思議と力を持っているように見えた。

 観葉植物が育成されているエリアに入る。特に入り口はなく、それまで周囲に植えられていた所謂普通の植物が、先に進むにつれて段々と姿を変えていくような感じだった。

 専門的な知識はないので、観葉植物と言われても僕には分からないが、見つめていると、ああ、観葉植物なんだなあという気がしてきた。おそらく、観葉植物というレッテルが貼られているからだろう。展示されている植物にはそれぞれプレートが付随していて、何という名前で、どのような生態を持つのかが記されている。名前は普段目にしないものばかりだったから、新鮮味があって面白かった。サヘなんとかかんとかとか、なんとかリノなんとかとか、そんな感じの名前だ。

 僕は、足を止めて、その場に立ち止まる。

 そして、手を伸ばして、一つの植物に触れた。

 葉に触れる。

 葉の感触がする。

 茎に触れる。

 茎の感触がする。

 蔦に触れる。

 蔦の感触がする。

 そして、土に触れる。

 当然、土の感触がした。

 このエリアの中央にも、テーブルと椅子が配置されている。空間そのものは閉鎖的だが、不思議と空気が停滞している感覚はなかった。適切な環境になるように調整されているのだろう。違和感を覚えないということは、僕も植物なのかもしれないという思いが到来して、いつの間にか、僕の心をすっかり支配していた。

 背後から誰かが近づいてくる気配がする。彼女が来ることは分かっていた。知っていたのではない。確かな感覚を伴って、それが分かっていたのだ。

 僕はゆっくりと後ろを振り返る。

 ドレスのような、しかし薄い軽装を纏った女性が、僕を見てにっこりと笑っていた。

「お久し振りですね」僕も笑顔で口を開いた。「あの子は、元気ですか?」

「ええ、お陰様で」女性は綺麗な声で答える。「貴方も、彼女と上手くいっているの?」

「それは、生活がですか? それとも、仕事がですか?」

「どちらも」

「生活は、まあ、上手くいっていると思います。いや、上手くいくというのはよく分からない表現だけど……、とにかく、彼女は僕を支えてくれます。一方、仕事となると、あまりよくは働いてくれません。興味がないわけではないのでしょうが、もとからそういう性格なのでしょう」

「前は、私たちのために、頑張ってくれましたけど」

「ええ、そうでしたね」僕は頷く。「他人のためになると思えば、やる気が出るのかもしれません」

 僕と女性は向かい合って席についた。先ほどまで目の前にいた少女と、今目の前にいる彼女とのギャップを埋めるのに暫く時間がかかりそうだった。二人はまったく似ていない。けれど、内に秘めるものはどこか共通しているように思えた。印象は出力の仕方によって決まる。

「私がここへ来ることが、分かっていたみたいですね」女性は僕を見つめて言った。「どうして、分かったの?」

「さあ、どうしてでしょう……」僕は目を逸らす。もともと人と話すのは苦手だから、ずっと目を合わせるのは僕には無理だった。「なんとなく、そんな感じがしたからとしか言えません」

「貴方は、何をしにここへ来たの?」

 女性に尋ねられて、僕は自分がここに来た理由を説明した。曖昧な説明だったが、彼女には伝わったようで、僕が話し終えると静かに頷いてくれた。

「では、少しずつ先には進んでいるのですね」

 周囲に向けていた目を正面に戻して、僕は彼女に質問する。

「先に進んでいるという捉え方で、正しいのでしょうか?」

「おそらく」女性は笑顔のまま頷く。「その先にゴールがあるのは確かです。線分ではなく、直線ではありますけど、どこかで終止符が打たれるのは間違いないでしょう。そちらの方向に向かって、貴方たちは進んでいけばいいのです」

「でも、このまま、空白を埋められなければ、ゴールに辿り着けないかもしれません」

「貴方たちが追い求めているものと、その空白は、何か関係があるの?」

 女性に問われ、僕は黙って考える。沈黙が下りても、女性はずっと笑顔だった。

「さあ、どうでしょう」僕は答える。「関係があるかもしれないし、ないかもしれない」

「それは、何であっても同じことです。私と貴方が出会ったことには、関係があるかもしれないし、ないかもしれません」

「まあ、でも、仕事だから、あまり人生には関係がない方が嬉しいですね」

「仕事も人生の内ですよ」

「貴女は、何の仕事をしていたんですか?」

 僕が尋ねると、女性は首を傾げて得意気に答えた。

「子どもたちを育てる仕事」彼女は微笑む。「これ以上ないくらい、素敵な仕事でしょう?」

 周囲にあるのが観葉植物というのが、僕は可笑しかった。それらの植物は見られるために生まれてきたものだ。つまり、生物の本来の役割から逸脱している。

「寂しくないですか?」

 少しの沈黙のあと、僕は女性に尋ねた。

「ええ、少し寂しいです」彼女は答える。「距離は、人間にとって最大の障壁ですね」

「頭の中で、その差を補うことはできませんか?」

「私にはできません」女性は首を振る。「それができるなら、あんな場所には住んでいません」

「何か、意味があるのですか?」

「いいえ、何も」

「では、どういう意味ですか?」

「何の意味もありません。ただ、そう思いついただけです。言葉にすると、どうにも繋がりが曖昧になってしまいますね。あまりいいことではありません」

 彼女の言っていることが分かって、僕は頷く。

「彼女も、距離があるのは、あまり好ましくないようです」何になるわけでもなかったが、世間話のつもりで僕は話した。「さっきも、ここまで来るのが大変だって、嘆いていたんです。運動するのは好きみたいですが、単調な繰り返しは嫌いなようですね」

「貴方は?」女性は首を傾げて質問する。「どちらかというと、単調な繰り返しが好きなように思えますけど」

 図星を指されて、僕は思わず笑みを零す。

「ええ、そうです。本当は、もっと機械的な仕事が向いているのかもしれません」

「この世界は、繰り返しで成り立っています」女性は話した。「私たちも繰り返しの中にいます。輪廻というのは本当かもしれません。本当にそうなのか分からなくても、そういうものとして捉えることは可能です。私もいつかは死にます。でも、その分、次の命が生まれてきます。毎日、起きては食べ、食べては眠ることを繰り返している。子どもたちと何度同じことを繰り返してきたか分かりません。でも、それに飽きたとは感じません。貴方も、彼女と一緒にいるのに飽きたとは感じないでしょう?」

「ええ、感じません」

「あの子も、同じように感じてくれていたら、嬉しいですけど」

「それは、本人に訊いてみないと分かりませんね」僕は笑って言った。

「随分と、冷たいことを言うのね」女性は笑顔のまま僕を睨みつける。演技のつもりだろう。

「僕も、度胸がなくて、なかなか訊けませんから」

「訊ける内に訊いておくべきです」女性は笑顔で話す。「そのポテンシャルがある内にしておくのが最善です」

「それなら、まだ、貴女とあの子の間にも、そのポテンシャルはあるのでは?」

「ええ、そうね」女性は頷いた。「だから、まだ楽しみは残っています」

 僕は鞄を開いて、ファイルに挟んである紙を取り出した。それは例の古文書のコピーで、一部が欠けている一文が記載されていた。

「この空白に、どんな言葉が当て嵌まるか、分かりますか?」僕は紙を女性に手渡して尋ねた。

「仕事を、私にやらせるつもり?」

「協力を請うているんです。どうも、僕たちの貧弱な頭脳では解決できそうにありませんから」

「私の頭も随分と貧弱ですよ」手もとの紙に目を向けながら、女性は話す。「子どもたちに勉強を教えるために、自分が勉強し直したくらいですから」

「勉強とは、そういうものです」

 暫くの間、彼女は僕が手渡した紙をじっと見つめていた。彼女が何かを考えているときの顔を見るのは初めてだった。人が考え事をしている様は絵になる。実際に写真を撮るわけではないが、被写体として相応しいように思えるのだ。

「『存在するのか?』の前に読点があるから、普通に考えれば接続詞、そうでなければ強調すべき語が入ると考えられますね」

「ええ、それくらいなら、僕にも分かります」

 女性は顔を上げ、僕を見る。

「私の意見を聞きたいのね?」

「そうです。一般論はいりません」

「おそらく、この文は、普通の文とは性質が異なると思います」女性は僕を見たまま話した。「空白が埋まっている状態でも、読み手に唐突な印象を与えるかもしれません。前後の文脈との繋がりは考えない方がいいでしょう。一文だけで段落が成立しているという特徴が、そのまま反映されていると考えるのです」

「何か、具体的な例は思いつきますか?」

 僕が尋ねると、女性はまた笑みを浮かべて首を傾げた。

「それは言えません」彼女は答える。「あなた方二人の力で見つけ出すべきものです」

「今、貴女に協力を求めてしまった以上、もう、僕たち二人だけの力ではありませんよ」

「私はサイダーですから」

「サイダー?」

「冷蔵庫の外にあるんです。だからもう冷えていなくて、炭酸も抜けてしまっています。きっと飲んでも美味しくないでしょう」

 彼女の説明を聞いて、僕には意味が分かった。冗談を口にするとは思っていなかったから、僕は思わず笑ってしまった。

「分かりました」女性から紙を受け取り、僕は椅子から立ち上がった。「貴重な意見、ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ」女性は座ったまま僕を見上げる。「私も、また貴方と話せて楽しかったです」

 来た道を引き返して、僕は中央の広場に戻った。もともと人気のない場所だったが、今はそこにリィルしかいなかった。テーブルに突っ伏している姿が遠目から窺える。彼女の外見はなかなか高級だが、振る舞いが特殊だから、華々しい貴族のティータイムという感じには映らない。

 僕が対面の椅子を引いて座ると、リィルはゆっくりと顔を上げた。眠っていたわけではないようだ。テーブルに付着していた髪が、垂れるようにして持ち上がった。

「おかえりなさい」だらしのない声でリィルが言った。「どうだった? 何か見つかった?」

「いや、何も」僕は澄ました顔で答える。

「どうせ、ただ見学がしたかっただけなんでしょう? 私一人に仕事を押しつけてさあ……」

「君は? 何か閃きはあった?」

「うーん……」リィルは唸りながらもとの体勢に戻る。「どうかなあ……」

 彼女の言葉を何も得られなかったという意味に受け取って、僕はそれ以上訊かなかった。

 どこからか小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 植物の世界に、動物が混じっている。

 人間の世界に、リィルが混じっているように。

 いや……。

 僕も同じか……。

「誰かと会ってきたんでしょう?」

 唐突にリィルが言った。

 僕は顔を上げる。

「誰?」彼女は笑っていた。「怒らないから、教えてよ」

「どうして分かるの?」特に何の演技もしないで僕は尋ねる。

「いつもと違う匂いがするから」リィルは答えた。「ここではない、どこかの匂いがする」

「君は、まだ、会わない方がいいと思ったんだ。いや、会っても大丈夫かもしれないけど、相手も君に気を遣うかもしれない」

「いいじゃん、そんなの。結局、人の関係って、そういうものだよ」

 奥深いことを言うなと感心したが、彼女のことだから受け売りかもしれないと思って、僕はその感想を口にするのはやめておいた。

「あ、今、言葉を飲み込んだでしょう?」

「何のこと?」僕は恍ける。

「駄目だよ、そういうの」上半身を起こして、リィルは言った。「目は口ほどに物を言うんだから」

 たしかにと思って、僕は一度頷く。

 それから、鞄からサングラスを取り出して、僕はそれを装着した。
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