Dream Per Second

羽上帆樽

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第9章 追想しますか?

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 丘の上の公園。

 自分はなぜここにいるのか、という疑問。

 地平線から太陽が姿を現して、前方から僕を照らす。空は端の方から徐々に紫色に染まり始めている。普通、太陽が昇り始めてから空が淡色になることはない。

 背後にあるブランコが揺れていた。

 振り返って、僕はそこに座る人形の少女に声をかける。

「今は、朝? それとも、まだ夜?」

「うーん、どっちだろう……」少女は下を向いて考える。小さな顔を支える首が、折れてしまいそうだった。「朝だと認識した方が、後々のためには有利かな……」

「まだ、十二時間の猶予が与えられるから?」

「うん……」少女は頷く。「時間的な余裕があった方が、人生としては有利じゃない?」

「死が、絶対的な終極だと認める者にとっては」僕は応えた。「自分は、どうなのだろう」

 少女はブランコから立ち上がって、僕の隣に立った。横に並ぶと、彼女の方が圧倒的に背が高いことが分かって、気後れする。彼女には歳の概念がない。僕も知能的な面では歳は関係ないかもしれないが、人間は見た目で判断をする生き物だから、彼女との身長の差は、僕にとっては解決のできない大きな問題として映った。

 腕を伸ばして、リィルが僕の手を掴む。

 僕は彼女を見る。

「痛かった?」首を傾げてリィルは尋ねた。

「いいや」僕は首を振る。

「だっこしてあげようか?」

「今度ね」僕は正面に向き直った。そちらでは、まだこの星が回転している様が上演されている。「あとでのお楽しみにしておくよ」

 太陽が完全に姿を現して、街が明るく照らし出された。けれど、相変わらず空は淡色のままで、端の方は赤く、上に向かうに連れて青かった。昼間のように突き抜けるような青ではない。それは宇宙の色に似ている。宇宙に色はあるのだろうかと自問して、それから、色とは何だろうかと考える。何だろうという問いを立てて、明確な答えが得られることは少ない。

「家に帰る?」僕は尋ねる。

「うーん、もう少し、ここでこうしていたい」リィルは笑顔を浮かべて答えた。

「寒くない?」

「あまり」

「そう」

「君は?」僕の顔を覗き込んで、リィルが尋ねてくる。「お腹、空いていない?」

「うん、朝だから、少し空いてきた」

 近くのコンビニまで行って、リィルがパンを買ってきてくれた。ファストフードに典型的な菓子パンではなく、ファストを極めて食パンだった。しかも四枚入りだ。僕は最高でも二枚しか食べられないから、あとの二枚はとっておくことにした。あるいは、どこかに鳩が群がっていたら、彼らに分けてやるのも良いかもしれない。

「僕は、君と同じだけど、その実感がない」僕は言った。僕とリィルは並んでベンチに座っている。「どうしたら、君と同じだと認識できるようになるだろう?」

「そんなふうに認識する必要は、ないんじゃない?」

「どうして?」

「だって、私は私で、君は君なんだから」リィルは人差し指を立てる。「無理に同じだと思おうとするから、悩むんだよ。人には色々な形がある。同じ形をしている人はいない。他人と自分を同じグループで括る必要はないんだよ」

 彼女があまりにも雄弁に話すものだから、僕は驚いてしまった。でも、相変わらず感情は顔には出なかった。僕は、自分の感情を表に出すのが苦手だ。リィルは表情豊かだが、それが感情を反映した姿なのか、僕には分からない。

「まさか、君がそんなことを言うとはね」少し笑って、僕は言った。「たしかに、その通りだよ。やっぱり、どちらか一方に傾倒するのはよくないんだろうな。二つの間で、常に揺れているのがベストだ。僕は個人でもあるし、君と同じグループに属する一人でもある」

「なんだ、結局、ロジカルな方に落ち着くんじゃん」

「ロジカルなだけで、本当にロジカルかは分からない」

「それでいいよ」リィルは正面を向く。「私は、私っぽいから私なんだし」

 誰もいないのに、背後にあるブランコが音を立てて揺れている。幽霊の仕業なら愉快だが、さっきから風が吹いているから、そのせいだろう。朝に特有な優しい風が僕は好きだ。晒されているというよりも、包まれている感じがする。リィルにも同様のものを感じるから、たぶん僕にプログラムされた生物学的なロジックなのだろう。

「僕は、君が好きだ」

 いつの間にか、彼女と並ぶ背丈になっていた身体を操って、僕は立ち上がってリィルを見下ろす。

「それ、前にも聞いたよ」彼女は僕を見上げて言った。「でも、何回言われても、飽きることはないから、不思議だね」

「レコードに収録して、ずっとリピートしていたら、飽きる?」

「そりゃあ、飽きるよ。いくら君の声でも、話しているのはレコードなんだから」

「音楽はそうやって売られている」

「きっと、そこに感情が込められているという思い込みがあるからだよ」

「僕の声には、感情が込められていないって言うの?」

「違うよ。機械的な繰り返しが嫌だってこと」

「人生は、繰り返しの連続だ」

「繰り返しと捉えるか、重なる部分のある直線と捉えるかは、君次第だけどね」

 場面が暗転して、僕はどこか分からない場所に立っていた。

 地面は限りなく広大で、歪な三角形の形状をしている。正三角形でも二等辺三角形でもない。綺麗ではないが、どこかシャープな印象を受ける歪んだ三角形だ。

 三角形の地面に立つ僕の頭の上に、同じ形の三角形が浮かんでいた。それは地面よりも小さくて、けれど頭の上にある分インパクトが大きい。よく見ると、それは単なる平面ではなく、中央に向かって少しずつ膨らんでいく立体的な物体であることが分かった。どこかに搭乗口があれば、巨大なUFOのように見えるかもしれない。

 地面の端は柵で囲まれている。僕は柵の傍に向かい、下を見下ろす。

 海と街があった。

 海の隣に街があるのではない。

 街と海が共存しているのだ。

「綺麗だね」

 隣から声が聞こえて、僕はそちらを向く。

 いつの間にか、リィルが立っていた。

 彼女は、眼下の海から吹いてくる風を受けて、その綺麗な紙を揺らしている。

 ……?

 紙?

 いや、髪か……。

「君は、海は好きなんだっけ?」思い出せなくて、僕はリィルに尋ねた。

「好きか嫌いか、意識したことはないけど、嫌いだと思ったことはないから、どちらかといえば、好きなんだろうね」

「君には珍しい、持って回った言い方だね」

「君の真似をしたんだよ」

「君って、誰?」

「私から見た他者」

 上空に飛行機が飛んでいた。雲の尾は引いていない。曇り気味のグレーの空に飛行機が小さく飛ぶ様は、よく映えた。普段は写真を撮らない僕でも、カメラを持っていたらシャッターを切ってしまったかもしれない。

「君に、言わなくちゃいけないことがあるの」リィルが唐突に言った。

 柵に寄りかかっていた身体を持ち上げて、僕は尋ねる。

「何?」

「私ね、もう少ししたら、死ぬの」

 僕はリィルを見つめる。彼女は柵の向こうに目を向けたまま、僕を見ようとしなかった。

 彼女の言葉を聞いても、僕の心は動かなかった。それを単なる音声として捉えていた。

「そう……」

「だから、こんなふうに君と話すのも、もうこれで最後」

「寂しいね」僕は他人事のように呟く。「でも、今は楽しいから、それでいいよ」

「うん……」リィルは少し笑う。笑っている彼女の横顔は、正面から見るよりも美しい。「死んだら、楽しいという感情も消えてしまうんだね」

「消えないように、僕の中に留めておくよ。そうしたら、僕が感じる楽しさが二倍になるから」

「じゃあ、お願い」そう言って、リィルは鉄棒をするように上半身を柵の上に載せる。「ああ、いい眺め。街の人には、私たちの姿は見えているのかな?」

「小さくて、よく見えないかもね」

「でも、私たちからは見えるんだよ」

「その前に、あの街に本当に人が住んでいるのか、確かめなくてはならない」僕は悠長に話す。「もしかしたら、もう捨て去られてしまった街かもしれない」

「なんだか寂しいね」

「うん、寂しいよ」僕は頷く。「何かを失うことはいつも寂しい」

 リィルはこちらを向く。

 僕は瞬きを止めないで彼女を見た。自分が生きている証拠は消さないでおいた。

「私も、寂しい」

 リィルの目の端から、涙が零れ始める。

 それを、単純に、涙、と形容するのは、僕に才がないからか、それとも、僕が限りなく人間に近いからか、どちらだろう。

「君と離れるのは、寂しい」

 彼女は、手で掬うこともせずに、ぽろぽろと流れる涙を野放しにする。

 それは、重力の影響を受けて、眼下にある街へと降っていった。

 雨のように。

 人間だけが生み出せる、塩辛い雨だ。

「僕も一緒に行こうか?」僕は言った。「僕も、君とずっと一緒がいいんだ」

「来てくれるの?」リィルは首を傾げる。「いや、でも、駄目だよ。私一人で行かなくちゃいけないんだから」

「どうして? 僕が自分の意思で行くって言っているんだよ。君が決められることじゃない」

「でも、駄目なの。私一人で行かなくちゃいけないの」

「どうして?」

「どうしても」リィルは泣きながら笑う。「私は、一人で生きていくの」

 海が荒れ、立ち並ぶ家を侵食し始めた。大地より下にあった海水が、背を伸ばして家を飲み込む。海は街を己の内に包摂し、自身の領土を拡大させていく。

「分かった。じゃあ、僕は止めないよ」僕はいつもの口調で言った。「それが僕の判断だ。引き留めることはしない。君の自由は君が自分で使うといい。神から与えられた絶対的な自由だ。何者にも干渉されることはない」

「うん、ありがとう」

「いつ、行くの?」

「もう、すぐに」彼女は答える。「今まで、ありがとう」

 僕に背を向けて、リィルは歩き出す。

 三角形の頂点から底辺に向かって、人影が遠ざかっていく。

 彼女の姿が完全に見えなくなってから、僕は上を向いて息を吐き出した。

 何の息かは分からない。

 ただ、僕が生きている証拠としての息ではある。

 眼下に街はもう見えなかった。

 そうだ。

 そこには最初から海しかなかった。

 街なんてなかったのだ。

 生き物は海から生まれ、そして海へと還っていく。

 この星の大部分は海で覆われている。

 生命の宿る青い星。

 でも、僕たちは、水の中では生きていくことができない。

 矛盾。

 なぜ、僕たちはこのような進化を遂げたのか?

 そうなるようにプログラムされていたからか?

 誰がプログラムしたのだろう?

 そのプログラムを僕たちの手で書き換えることはできないのか?

 柵を越えて海に向かって身を投げると、いつの間にか喫茶店の席に座っていた。

「人の話、聞いている?」

 正面に座るリィルが、頰を膨らませて僕を見ている。頰を膨らませてというのは、比喩ではない。腹を立てたとき、彼女は本当に片方の頰を膨らませるのだ。

「聞いているよ」コーヒーを飲んで、僕は尋ねた。「それで、何が問題なの?」

「だから……。ほら、ちゃんと聞いていないじゃん」

「聞いているよ。聞いているってことを、君は聞いていないじゃないか」

「その、飄々とした態度が癪に障るんだよなあ」リィルはフォークを振りながら話す。「ちゃんと聞いていますよって、態度で示すことくらいできないの?」

「態度で示すだけでいいの? 本心でどう思っているかに関係なく?」

「まずは、形から始めなさいって言っているの」

「僕はね、こういう態度じゃないと、人の話を聞けないんだよ。ほら、人って、誰かと話しているとき、必ず何らかのポーズをとっているだろう? 黙って気をつけの姿勢で聞いているわけじゃない。その人にとって落ち着く形というものがあるんだ」

「意味の分からないこと言っていないで、私の話を復唱するくらいしたら?」

「ちゃんと人の話を聞いていないのは、君の方じゃないか」僕は笑いながら指摘する。「僕が、今なんて言ったのか、ちゃんと覚えている?」

「僕はね、こういう態度じゃないと、人の話を聞けないんだよ。ほら、人って、誰かと話しているとき、必ず何らかのポーズをとっているだろう? 黙って気をつけの姿勢で聞いているわけじゃない。その人にとって落ち着く形というものがあるんだ」

「へえ……」僕は驚いて、感嘆詞しか出てこなかった。

「ね、ちゃんと聞いているでしょう? それで、君の方は? 私がさっきなんて言ったか、覚えている?」

「いえ、覚えていません」

「じゃあ、ちゃんと謝って」

「はい」僕はカップをソーサーに戻し、頭を下げる。「すみませんでした」

 店内は暗い。しかし、今は夜ではない。もともと照度が小さいのだ。たぶん、店主の趣味だろう。店の雰囲気もインドっぽいし、流行の先駆けになりたいのかもしれない。

 お腹が空いたので、僕はパンを注文した。ホットドックでも菓子パンでもない。メニューに食パンがあったので、それを頼んだ。

「はああ……」額に片手を当てて、リィルが溜め息を吐いた。「本当に、どうしたらいいのかなあ……」

「何が?」

 そう尋ねると、彼女はまた僕を睨みつけた。

「分かった分かった」両手を掲げて、僕は彼女を制する。「次はちゃんと聞くから、もう一度話してよ」

「話すわけないじゃん。どうせ、次も同じ結果になるんだから」

「未来のことは分からないよ」

「馬鹿じゃないの? そんなこと言っているから、いつまで経っても大統領になれないんだよ」

「この国は大統領制じゃないんだけど」

「だからさ、なんでできない理由を探そうとするの? そんなの、この国から出て、別の国でやればいいだけじゃん」

「できない理由を述べたいんじゃなくて、一般的な範疇で話がしたいんだよ」カップに手を伸ばして、僕はコーヒーを飲む。「そんなふうに、いちいち感情的になって、疲れない?」

「疲れません」

「さっき、溜め息を吐いていたじゃないか」

「溜め息を吐くから、疲れるんです」

「え? 何を言っているの?」

「もう、日本語も分からないの?」リィルは勢いに任せて椅子から立ち上がる。「そんなことで大統領になれるのかよ!」

 店員がやって来て、テーブルに食パンを置いた。直接皿に載せられているのではなく、袋に入ったまま、それが皿に載せられていた。商品名が丸見えだが、僕は特に気にしない。食パンを買うときにブランドを気にしたことはなかった。

「まあ、言葉はそのままの意味ではないからね」食パンの袋を開いて、僕は言った。「運用論的に考えなくてはいけない部分もある」

「それを、日常的にやれっていうの?」

「いや、やれというよりも、日常では、むしろ無意識にそうしているんじゃないかな」僕は考えながら話す。「たとえば、『ちょっといい?』というのは、『今時間がある?』という意味であって、少量を表す『ちょっと』と、善し悪しを表す『いい』の組み合わせではない。『ちょっといい?』で一つの言葉なんだ」

「だから何? そんなこと言っていたら、法律なんて読めないでしょう?」

「君、法律を読みたいの?」

「読めるわけないじゃん。あんなに文字ばっかりでさあ」

「文章は、普通、文字ばっかりだよ」

「難しい文字って言っているの!」リィルはまた立ち上がる素振りを見せたが、直前で留まった。「自分で言っている癖に、全然運用論的な解釈ができていないじゃん」

「うん。僕は、常に論理的だから」

「あああ……。なんていうのか、本当に馬鹿馬鹿しい」

「なんていわなくても、馬鹿馬鹿しいよ」

 食パンを食べると、食パンの食感と、食パンの味がした。当たり前すぎて、途中で噎せ返ってしまった。喉の変な場所に引っかかった滓をコーヒーで流し込み、安寧を得る。

「で? その問題について、いつまで議論すればいいの?」

 テーブルに突っ伏しているリィルに向かって、僕は尋ねた。

「いつまでって……」リィルは少し顔を上げ、上目遣いで僕を見る。「解決するまでに決まっているじゃん」

「解決なんてしないよ。ここでいう解決というのが、どういう意味か分からないけど、君としては、たぶん、唯一の解答を得られることが正解だと考えているんだろう?」

「まあ、そうだけど」

「ないよ、そんなもの」

「でも、もしかしたら、あるかもしれないでしょう?」

「そりゃあ、もしかたしたら、あるかもしれないよ。でもね、そのもしかしたらというのが、どのくらいの可能性なのか分からない。だから感覚に頼るしかない。その結果、僕の感覚は、限りなくゼロに近いという結論を出したんだ」

 僕がそう言うと、リィルはまた溜め息を吐いた。おそらく、自然に出ているのではない。そういうジェスチャーとして、意図的に吐いているのだろう。

「……それで納得できるの?」リィルは僕に問う。

「納得はできないけど、するしかない」僕は言った。「そう……。感覚という内の世界と、その感覚を駆使して捉える外の世界は、別なんだ。だから、内の世界では納得できなくても、外の世界には適用せざるをえない。僕たちはそういうふうにできているんだ。常に矛盾を抱えているんだよ」

 リィルはテーブルから身体を離し、僕を真っ直ぐ見つめる。

「本当に、それでいいの?」

「あ、機嫌、直った?」

 リィルはわざとらしく僕を睨む。

「次それを言ったら、もっと不機嫌になるからね」

「ああ、そう。分かりました」

「矛盾って、解消することはできないのかな?」

「解消してどうするの? どうして、解消したいと思うんだろう?」

「感覚的に気持ちが悪いからじゃない?」

「でも、それは君の内の世界の話だ。外の世界にそんなものはない」

「それじゃあ構造が滅茶苦茶だよ。それこそ矛盾しているじゃん」

「僕は、矛盾を抱えていても気持ち悪くないよ」

「いつも、矛盾しているのは嫌だって言っているじゃん」

「そんなこと、言ったっけ?」

「いや、言ってはいないけど……」リィルは少し下を向く。「なんか、そういう目をしている」

 店員にカップと皿を下げてもらって、テーブルの上は真っさらになった。通常、この手の店では砂糖や塩の分の料金はとられない。いや、もしかすると注文した料理にその分の料金が含まれているのかもしれない。

「そういえば、君の方こそ、あの問題は解決したの?」暫くの沈黙のあと、リィルが僕に尋ねてきた。

「あの問題?」

「ほら、例の文のやつ」リィルは空中に指で長方形を描く。「空白が埋まらないとかどうとか……」

「それは、僕だけが抱えている問題じゃないよ。いつから、君は関係なくなったの?」

「だって、考えるのは君ばかりで、私はほとんど関わっていないし」

「僕たち二人の問題じゃないか」

「考えさせようとしない方に、責任があるんじゃないの?」

「じゃあ、どうやって考えさせればいい? 考えさせるってどういうこと? 馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできないんだよ」

「は? 馬? 水?」

「君だって、考えるときはきちんと考えるじゃないか。せっかくいい頭を持っているんだから、少しくらい、仕事にもその労力を割いてほしいね」

「割いているよ。考えても分からないから、君に任せているんだから」

「いつもそうじゃないか」

「それで? 君の方は、もう何か結論は出たの?」

「うん、まあ……」僕は曖昧に頷く。

「え、本当に?」リィルは少し身を乗り出す。

「まだ、理論化できる段階ではないから、説明はできないよ。……いや、そもそも理論化なんてできないかもしれない。理論っぽくすることはできるけど、誰にでも理解されるわけではないから、それでは理論とは呼べないね」

「いいから、聞かせてよ。私も、それなりに興味があるし」

「それなりって、どれくらい?」

「コーヒーに含まれるカフェインくらい?」

「なんだ、その程度?」僕は笑った。「僕は、今まで、コーヒーを飲んで、カフェインの影響を受けたことなんてないよ。身体の中では何らかの作用があるんだろうけど、それを実感したことはない。布団に入る前に飲んでもすんなり眠れるし、逆に眠たくてどうしようもないときに飲んでも、眠気はまったく治まってくれない」

「いいから、早く説明してよ」

「だから、まだ理論化できていないから……」

「できていなくてもいいからさあ……」リィルはまたテーブルに突っ伏す。テーブルホールド症候群かもしれない。「退屈だから聞かせて……」

「へえ、退屈なんだ。僕といる時間が、そんなに退屈だったとはね」

「ずっと一緒にいたら、飽きもするって」

「最低な発言だね」僕は頷く。「でも、分からなくはない」

「もうさ、飽きるとか、飽きないとか、そういう感覚もなくなって、一緒にいるのが当たり前になっているじゃない? ほら、いつ、どこに行っても、傍には空気があるみたいにさ」

「うん、たしかにね」僕は頷いた。「でも、僕の場合は、空気じゃなくて、コーヒーだから」

「だから、何?」

「だから、だからなんだ」
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