舞台装置は闇の中

羽上帆樽

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第25章

第250話 どうしても流す

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 学校が終わってから、すぐに家に帰った。いつもなら夜まで学校に残るが、今日はルーシが気がかりだった。

 家に帰ると、案の定ルーシの姿が見当たらなかった。フィルの姿もない。空っぽのリビングに、空っぽの空気だけが停滞している。硝子戸から橙色の光が差し込み、ヒグラシの鳴き声が闇に溶けていた。

 部屋の中央に立って、ぐるりと周囲を見回す。ぐるりを見回す、という表現ができるのはなぜだろう。

 何かに見つめられているような気がした。

 それは、いつも自分の中にあるもの。

 唐突な目眩。

 四角いはずの天井が円形に見える。

 バランスを崩し、ソファに凭れかかる。脚の力が抜けて、床にぺたんと座り込んだ。

 今日学校で学んだことが、頭の中をぐるぐると駆け回っていた。色々な文字や数式がすべて統合されたかと思うと、今度は限りなく分裂され、もとの姿が見る影もなくなる。

 リビングのドアが開いて、誰かがこちらにやって来るのが分かった。紙みたいな足音。軽快な摩擦音は、溶け出した世界にむしろ新鮮だった。

 月夜の傍までやって来ると、その誰かは彼女の身体に触れた。顔を上げて朧気な目で相手を見る。

 なんとなく、それがルーシだと分かった。

 さらに、背後から黒い四肢を纏った動物の姿。

「やはり、お前のせいだったか」フィルの声が聞こえた。「何とかしなければ」

「何とか、とは?」ルーシが尋ねる。

「何でもいい。眠らないようにするんだ」

「眠らないように?」

 フィルが月夜の前に来て、彼女の掌に噛みついた。手の表面から甲にかけて、パイプで突き抜けられるような痛みを覚える。

 痛くて、月夜は、痛い、と零した。

 考えて発したのではない。

 おそらく、反射。

 ルーシが月夜の肩に手をかけ、身体を持ち上げる。その力は想像以上に強く、彼女は一度に床から引き剥がされた。

「やりすぎだ」フィルが呟く。

「なるほど」ルーシの応答。

 ルーシは月夜をソファに座らせた。それから、両手で彼女の頬を挟む。何の陰影もない瞳で見つめられた。鋭い眼差などではない。鈍すぎて、色がなく、生きているとは思えない。

「僕のせいらしい」ルーシが言った。「ごめん」

「……何が?」月夜は小さな声で尋ねる。

「色々」

 色を失いかけていた世界に、少しだけ色が戻った。しかし、少し気を抜けばまたすぐに失われてしまいそうだ。

 雷が鳴れば良いのに、と思った。

 それから、自分にしては素直な発想だ、とも。
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