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第1部 接触の先
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彼はアルバイトで有り、アルバイトとは彼だった。詰まり、彼の事をアルバイトと呼称為ても問題は無い。
彼がアルバイトと呼ばれる事には、勿論其れなりの理由が有る。其れなりの理由と言う時の、「其れなり」の程度は人に因って異なる。彼自身は「此れなり」と思って居るかも知れないし、又別の第三者は「彼れなり」と思って居るかも知れない。
彼は生まれた時からアルバイトだった。此の文は、果たして文法違反だろうか。其れは兎も角、要するに、彼は最初からアルバイトの様な性質を持って生まれて来たのだ。
では、アルバイトの様な性質とは、どんな物か。
一言で言えば、留まらない、と言う事に成るだろうか。彼は小さい頃から何者かに成りたいと思って居たが、何時まで経っても何者かに成る事は出来なかった。そして、今後も出来そうな気配は無い。例えば、彼は嘗て物理学者と言う物に憧れて、物理学に関係為る書物を読み漁ったが、読み漁ったのは僅かに一週間程度で、一週間後には遂に其の夢を諦めて仕舞った。又一方で、彼は嘗て詩人と言う物に憧れて、詩を書いては新人賞に応募為ると言う事を繰り返した。此方の方は三ヶ月程度継続為れたが、三ヶ月後には矢張り匙を投げて仕舞った。
そんな風に、彼には一定の物事に当たると言う事が出来なかった。此れが、彼がアルバイトで有り、アルバイトとは彼で有って、故に彼がアルバイトと呼ばれる理由だ。
そんなアルバイトの彼は、正真正銘、今日もコンビニのアルバイトと為て働いて居た。
アルバイトと言っても、働いて居る時間の合計は正社員と変わらない。否、もしか為ると其れ以上かも知れない。平均為れば一日当たり十時間をとうに超えて居るだろう。此の点で、実は彼は一定の性質を帯びて居ると言える。アルバイトと言う名の、然し実質的には正社員なのだから。
彼自身、其の事にとっくに気が付いて居る。
でも、一定為て物事に当たると言うのは、そう言う事では無い。
もっと、こう……、華やかなレッテルが欲しいのだ。
自分自身のアイデンティティを定める物と為ての、物理学者や詩人と言う肩書きが欲しいのだ。
アルバイト、と言うレッテルでは嫌なのだ。
そう遣って、何者かに成りたい……。
レジを打つ手は意識から乖離し、客の顔を見る筈の目は其の向こう側を見て居る。身体の動きと頭の働きがリンク為て居ない。其れは、或る意味では人間と為て通常の状態だろう。然し、彼の場合は其の度合いが著しかった。身体の動きと頭の働きが態とらしく逆を向いて居るのだ。コンパスのS極とN極の様な関係に成って仕舞って居る。
「五百九十八円です」と告げる其の声は、比較的はきはきと為て居る。「スプーンお付け為ますか?」
「いえ、結構」と答える客の声は、はきはきとは為て居ないが、至って自然だった。
時計の針は午前零時を回って居た。レジの奥、裏手から、制服を身に付けた後輩が姿を現す。交代の時間だった。伝達為べき内容を告げて、彼は裏手に姿を引っ込める。
溜め息が出た。
然し、其の溜め息に哀愁の色は無い。
無色。
透明。
制服から私服に着替えて、再びレジの方に出る。御疲れ様ですと零した後輩に軽く頭を下げて、彼は自動ドアを抜ける。
外気は冷えて居た。
体内で温められた空気が、靄と成って空に上って行く。
其の時だった。
其の、吐き出した息で遮られた視界の向こうから、一台のトラックが此方に迫って来て居た。
何れほど身体の動きと頭の働きが別の方を向いて居ても、身体に危険が迫れば、頭も身体の制御に加担為る。結局の所、頭も身体の一部には違い無いのだから。身体が故障為ると言うのは、頭が故障為ると言う事をも含意為る。
トラックは其れなりのスピードで此方に迫って来て居た。此の場合の「其れなり」と言うのは、然し、置き換えると為れば「可成り」と成るだろう。危険に種類も度合いも無い。其れならば、大きく見積もって置いた方が安全だ。
接触為る数秒前で、身体を捻った積もりだった。
けれど、身体をどう動かすのかと言う事は、今は関係が無かった。
其れは、結果に影響を与えないのだから。
根本から間違えて居たのだから。
詰まりは、店の出入り口を潜るタイミングから?
或いは、此のコンビニでアルバイトと為て働く事を決めた所から?
何れに為よ、其の接触からは逃れられない。
硬質。
触れた、と思った後に衝撃を感じた。
其の更に後に、温かさが、いや、熱さが。
視界は上を向いて居た。
星。
直ぐ傍に、星。
そう言えば、夜空を見たのは何時振りだっただろう?
背中から地面に着地し、幾度かバウンド為て彼の身体は静止為た。
星は驚くほど綺麗だった。
然し、視界は間も無く閉ざされ、
彼は意識を失った。
彼がアルバイトと呼ばれる事には、勿論其れなりの理由が有る。其れなりの理由と言う時の、「其れなり」の程度は人に因って異なる。彼自身は「此れなり」と思って居るかも知れないし、又別の第三者は「彼れなり」と思って居るかも知れない。
彼は生まれた時からアルバイトだった。此の文は、果たして文法違反だろうか。其れは兎も角、要するに、彼は最初からアルバイトの様な性質を持って生まれて来たのだ。
では、アルバイトの様な性質とは、どんな物か。
一言で言えば、留まらない、と言う事に成るだろうか。彼は小さい頃から何者かに成りたいと思って居たが、何時まで経っても何者かに成る事は出来なかった。そして、今後も出来そうな気配は無い。例えば、彼は嘗て物理学者と言う物に憧れて、物理学に関係為る書物を読み漁ったが、読み漁ったのは僅かに一週間程度で、一週間後には遂に其の夢を諦めて仕舞った。又一方で、彼は嘗て詩人と言う物に憧れて、詩を書いては新人賞に応募為ると言う事を繰り返した。此方の方は三ヶ月程度継続為れたが、三ヶ月後には矢張り匙を投げて仕舞った。
そんな風に、彼には一定の物事に当たると言う事が出来なかった。此れが、彼がアルバイトで有り、アルバイトとは彼で有って、故に彼がアルバイトと呼ばれる理由だ。
そんなアルバイトの彼は、正真正銘、今日もコンビニのアルバイトと為て働いて居た。
アルバイトと言っても、働いて居る時間の合計は正社員と変わらない。否、もしか為ると其れ以上かも知れない。平均為れば一日当たり十時間をとうに超えて居るだろう。此の点で、実は彼は一定の性質を帯びて居ると言える。アルバイトと言う名の、然し実質的には正社員なのだから。
彼自身、其の事にとっくに気が付いて居る。
でも、一定為て物事に当たると言うのは、そう言う事では無い。
もっと、こう……、華やかなレッテルが欲しいのだ。
自分自身のアイデンティティを定める物と為ての、物理学者や詩人と言う肩書きが欲しいのだ。
アルバイト、と言うレッテルでは嫌なのだ。
そう遣って、何者かに成りたい……。
レジを打つ手は意識から乖離し、客の顔を見る筈の目は其の向こう側を見て居る。身体の動きと頭の働きがリンク為て居ない。其れは、或る意味では人間と為て通常の状態だろう。然し、彼の場合は其の度合いが著しかった。身体の動きと頭の働きが態とらしく逆を向いて居るのだ。コンパスのS極とN極の様な関係に成って仕舞って居る。
「五百九十八円です」と告げる其の声は、比較的はきはきと為て居る。「スプーンお付け為ますか?」
「いえ、結構」と答える客の声は、はきはきとは為て居ないが、至って自然だった。
時計の針は午前零時を回って居た。レジの奥、裏手から、制服を身に付けた後輩が姿を現す。交代の時間だった。伝達為べき内容を告げて、彼は裏手に姿を引っ込める。
溜め息が出た。
然し、其の溜め息に哀愁の色は無い。
無色。
透明。
制服から私服に着替えて、再びレジの方に出る。御疲れ様ですと零した後輩に軽く頭を下げて、彼は自動ドアを抜ける。
外気は冷えて居た。
体内で温められた空気が、靄と成って空に上って行く。
其の時だった。
其の、吐き出した息で遮られた視界の向こうから、一台のトラックが此方に迫って来て居た。
何れほど身体の動きと頭の働きが別の方を向いて居ても、身体に危険が迫れば、頭も身体の制御に加担為る。結局の所、頭も身体の一部には違い無いのだから。身体が故障為ると言うのは、頭が故障為ると言う事をも含意為る。
トラックは其れなりのスピードで此方に迫って来て居た。此の場合の「其れなり」と言うのは、然し、置き換えると為れば「可成り」と成るだろう。危険に種類も度合いも無い。其れならば、大きく見積もって置いた方が安全だ。
接触為る数秒前で、身体を捻った積もりだった。
けれど、身体をどう動かすのかと言う事は、今は関係が無かった。
其れは、結果に影響を与えないのだから。
根本から間違えて居たのだから。
詰まりは、店の出入り口を潜るタイミングから?
或いは、此のコンビニでアルバイトと為て働く事を決めた所から?
何れに為よ、其の接触からは逃れられない。
硬質。
触れた、と思った後に衝撃を感じた。
其の更に後に、温かさが、いや、熱さが。
視界は上を向いて居た。
星。
直ぐ傍に、星。
そう言えば、夜空を見たのは何時振りだっただろう?
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