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season3
命を救った嫉妬
「ナディア…」
出産と産後の処置を終えたナディアは、ぐったりと力なく眠りについていた。
顔色はそんなに悪くないが、良好とは思えないその様子に不安が込み上げてくる。
手を掬って握り、温もりを感じて少しだけ安心することが出来た。
「かなりの出血だったから、暫くはまた安静にしておいてください」
「……ナディアは大丈夫だろうか…」
「何をもってして大丈夫なのかは、この時点ではお答えできません。今は眠っていますが、このまま目覚めない人もいる…そのくらい、危険な状態ではありました」
その言葉に、思わず握る手に力が入った。
このまま…冷たくなる可能性が……?
いやだ。
失いたくない。
「今の医療ではこれが限界です。あとは奥様の生命力と…あなたへの愛情に懸けるしかない」
「……僕?」
「えぇ。出産の時、ちょっとばかり奥様へ発破をかけたんですが、だいぶ奮起されましてね。お陰で無事にご出産なされた」
一体何を…と問いただしたかったが、ナディアが目覚めたら聞けと言うばかりで…しかも何故か楽しそうなのが面白くない。
「そんな顔しないでください。本当に旦那様を愛してるんだなと思ったんですから」
「……気になるじゃないか」
「あとのお楽しみですよ」
それじゃ…と優しく笑い、若先生は従業員達と共に帰宅の途についた。
「それでは旦那様、ぼっちゃまは乳母に預けて参りますので」
「あぁ、宜しく頼む」
「失礼致します」
ジェイマンや侍女…皆が出ていき、静まり返った部屋の中、眠るナディアとふたりきり。
「ナディア、お疲れ様」
全く反応がなくて心配になるけれど、出血と疲労のせいだと言っていたから仕方ない。
用意された温かいタオルをいつもより優しくあてて…顔、腕、足と拭きあげていく。
着替えは無理せず、様子を見てと言われていたから…今日はなしでもいいだろうか。
そう思って…ふと、胸の部分がじんわり濡れていることに気付いた。
『母乳が出るかもしれないから、夜着が濡れないように布をあててあげてもいいかと』
若先生の言葉が過り、閉じられているボタンをひとつひとつ丁寧に外した。
やがて露になったナディアの胸の頂きからは、母親になった証の母乳がタラリと溢れている。
その光景に涙が流れ落ちた。
出産は命懸けとは聞いていたが、皆どこか明るく話すから深刻には捉えていなかった。
そうなんだな…くらいにだけ……
僕はいつだって、その場面にならなければ分からない大馬鹿者だ。
「ごめんね、ナディア…拭くよ」
こうして体力尽きて眠っていても、ナディアは母親として生きている。
子に乳を与えようとしている。
命を懸けて、守ろうとしている。
『あなたへの愛に懸けるしかない』
目覚めてくれるだろうか。
僕に会いたいと…願っているだろうか。
僕達と共に生きたいと……
「ナディア…っ…」
いつまでもはだけさせているわけにもいかないので、負担にならぬよう丁寧に着替えさせた。
本当なら、今頃ナディアが自分で授乳をしていたんだろうな…そう思うと、やりきれない。
子は無事に生まれた。
あとはナディア…そこに君が必要なんだ。
君がいないと、僕は……
******
「可愛い…やっぱりバルトに似てるわ」
僕はそんな必死にしゃぶりつかないぞ…とおかしな対抗心を抱きつつ、ナディアに抱かれて母乳を飲んでいる息子に、少しばかり嫉妬してしまう。
あれから二週間。
漸く回復の兆しが見られ、初授乳となった。
まだ安静は続いているが、息子を腕に抱いているナディアの笑顔は顔色もいい。
「ふふっ…凄い食欲」
「確かに…」
息子は必死な様子で頂きに吸い付き、止まることなく懸命に飲んでいる。
…ちょっと長くないか?
乳母の時はそうでもないと聞いたぞ?
「たっぷり飲んでね」
ナディアは、子に乳を与える為にと自分も積極的に食しており、そのお陰かよく出るようだ。
妊娠してから膨らみを増した乳房には、プリシラ様から頂いたクリームを塗ってきた。
どうやら妊娠と授乳によって色味が変わる女性が多いらしく、それを防ぐ効果もあると聞いたことで、毎朝毎晩塗り込んだ。
勿論、僕が。
そのおかげが産後も肌や頂きの調子は良好で、今後も継続して購入したいらしい。
ナディアが欲しいなら幾らでも買おう。
嬉しそうな顔が見られると、僕も嬉しいしね。
「大きくなるのよ、ジェイド」
子の名前は祖父から受け継いだ。
人格者であり、優秀な子爵として多くの人から慕われていた…という祖父のようになるようにとの願いを込めて。
「本当に可愛い」
ナディアはすっかり“お母さん”だ。
今までも女神のように優しかったけれど、そこに母親特有の強さが加わった気がする。
「バルト…この子を守ってくれてありがとう」
あの日の選択を、ナディアは“子を守った”と表現してはお礼を口にする。
僕はただ…ナディアがそう望んでいたからで…ナディアに嫌われたくなかったから。
ナディアのように、純粋に子を想う気持ちから選んだわけではない。
だけど…実際に抱いた今なら、ナディアの気持ちが痛いほど分かる。
「これからは、ナディアもジェイドも僕がちゃんと守る。いい父親も目指したいな」
「もう既にいい父親よ」
「……息子に嫉妬してしまうのに?」
チラ…とわざとらしく拗ねてみせ、未だ胸に食らいついたままの息子に視線を向ければ、ナディアは幸せそうな笑みを浮かべた。
ふわりと胸は温かくなる。
「暫くは我慢してね」
「分かってるよ」
ふたりして笑う。
夢にまで見た幸せに、涙腺は緩みそうだ。
「あら、もういいの?」
ぷはっ!!とでも聞こえてきそうな飲みっぷりを見せていたが、さすがに腹が膨れたらしい。
「偉いわね、たくさん飲んで」
ご機嫌な息子を暫くあやし、体を休める為に乳母へ頼むと、まじまじと自分の胸を見るナディア。
「どうした?」
「うん…あのクリーム、本当に凄いなと思って」
「あぁ、プリシラ様に貰ったやつね」
母親となっても、美しさは失いたくないという声から作られた特製クリーム。
ナディア以外の胸など見ることはないから分からないが、とても綺麗だと思う。
肌は白く、頂きはピンク色。
初めて見た時の感動は今も覚えている…なんて初夜の事を思い出していたらナディアと目が合い、なんとなく恥ずかしくなった。
ナディアも何かを感じたのか、頬を染める。
母親になっても、初心さは変わらない。
「……バルト…本当にありがとう」
「僕の台詞だよ、ありがとう」
優しく抱き締めると、ナディアの手も僕の背に周り…改めてホッとする。
「ナディア…愛してるよ。ジェイドを生んでくれてありがとう。生きていてくれてありがとう」
「信じて待っていてくれてありがとう。あのね…実は言っていないことがあって……」
「うん?」
何故か腕の中でもじもじするナディア。
「バルトならいい父親になると思っていたし…その…私に万が一があっても…心配はしていなかったんだけど…だけどね…」
「……うん」
「あの…若先生にね…その…出産の時に…」
「……何か言われたの?」
まさか暴言でも?と心配になり、体を離して顔を覗き込むと……真っ赤だった。
ん?と思わず首を傾げる。
「えっと…私が死んだら…その……新しい女性と再婚…するかもしれないぞ…って……」
「……は?」
思わず低い声が出た。
ナディアも慌てている。
「あのっ、あくまでも若先生は私の気を持ち直させる為にだからっ、、でも、それでちょっと…」
「…ちょっと……なに?」
そう言えば発破をかけたと言っていたな…と思い出したが、なんてことを言ってくれたのだと些か腹立たしくなる。
…が、続くナディアの言葉で霧散した。
「…なんだこのやろう……って…思って……」
「え?」
「バルトが他の女性と親しくして…もしかしたらジェイド以外の子を儲ける…とか考えたら…絶対に死んでやるもんか!!って…」
そう思いました…と尻すぼみで言われ、ただでさえ溢れるナディアへの愛情が爆発した。
真っ赤な顔を俯かせている様子が可愛くて、両頬に手を添え顔中に口付けしてると目が潤みだし…それが更に可愛くて。
辛抱たまらず深く口付けると、くたっとなった。
「……私の方こそ嫉妬深いわ」
その言葉を聞けただけで、息子が食らいつく位なんだと言うんだ!!と思えた僕は、やはり単純。
僕を取られない為にも死ねない…それだけ愛されているのだと、心が満たされた。
******
息子はすくすくと成長し、半年が過ぎて多少の距離なら外出もいいだろうとなり、温かな日に僕達はモリス家の墓を参った。
結婚する前からナディアと共に何度も足を運んでいたが、息子が加わった事に感慨深くなる。
もっと大きくなったら、オリバー達が眠る墓にも連れていってやりたい。
「父上、母上…ジェイドです。毎日よく食べ、よく笑い、病気ひとつせずに育っています」
両親は、僕の体が弱いことを常に気にしていた。
母上から、『丈夫に生んであげられなくてごめんなさい』と何度謝られたことだろう。
そんなに気にせずともいいのに…と子供心に思っていたが、親になった今ならよく分かる。
もしもジェイドが病気で苦しんだら、僕の種が欠陥品だったのかと思い悔やむ。
ナディアは『さすが私達の子だわ』なんて笑って言っていたけれど、僕はその明るさに何度も救われてきた。
初めて出会ったあの日も、ナディアの明るさと力強く手を引く姿に救われたんだ。
「お父様、お母様。無事にバルティス様のお子を生むことが叶いました。お守り頂きありがとうございます」
出産で皆が慌ただしく動くなか、僕は祈ることしか出来なかったと言った時も、そのお陰でふたりとも無事でいられたのね…と笑ってくれた。
本当に…無事でよかった。
「ナディア、風が出てきた。戻ろう」
「はい」
父上、母上。
あなた達が僕に与えてくれたように、僕も息子に目一杯の愛情を注いで育てます。
だからこれからも…見守っていてくださいね。
******
それからさらに時は流れ。
一歳半を迎えた息子は、少しずつ喃語を話すようになり…絶賛反抗期でもある。
「こら、ジェイド!!いけません!!」
「やぁっ!!」
執務室の中、先程まで大人しくしていた息子が、応接テーブルに置いてあったナディアの本を掴み取り、ページをビリビリに破いた。
あっという間の出来事だったが、ナディアが慌てて取り上げようとするも…我が息子はなかなか力持ちらしい、渡さない。
そんな様子を微笑ましく思い見ていると、ついつい執務の手が止まる。
「やぁぁっ、ちっち!!」
遂にはナディアに取り上げられてしまい、不貞腐れた顔を僕に向けた。
どうやら抗議しろと言いたいらしい。
この舌ったらずの呼び方が、なんとも言えないほどに可愛らしくてムスムズして頬が緩む。
ちっち…ちっちだって。
『ちちうえ』と言おうとしているらしく、だが言えるわけでもなく…いつまででも、なんなら永遠にそのままでいいと思ってしまう可愛さ。
いや…このサイズ限定か?
「ちっち!!」
「今のはジェイドがいけないぞ。これは母上が読んでいたご本なのだから。ジェイドにも大切にしている絵本があるだろう?」
抱き上げてやると、ぶすっと頬を膨らませて納得していない様子を見せる。
まだ何がよくて何が悪いのかなど分からないのだろうが…こうして、ひとつひとつ教えてやらなくてはならない。
ジェイマンが言っていた、『これからが大変』との意味が漸く分かってきた。
世の中の親達はすごいな。
「ちぃち……」
怒っていたと思ったら、今度は肩口に顔を埋めてきて…少しばかり体が温かい様子に、お昼寝の時間かと思い至った。
眠くてぐずっていたのか。
ナディアが手を伸ばしてきたが首を振り、そのまま息子の背を叩いてやっていると、やがて可愛い寝息が聞こえてきた。
すぴぃ…すぴぃ…と聞こえるから、鼻が詰まっているのかと覗けば案の定。
しっかり寝付いたところで取ってやり、そこで乳母に手渡した。
「すっかりお父さんね」
貴族は基本的に世話を両親がしない。
だけどナディアは元々平民であり孤児、僕も家族というものに憧れがあった。
社交などで家を空ける事もあり、だからこそ出来る事はなるべく自分達でやり、可能な限り家族で過ごそうということに。
最近は、もっぱら執務室が家族三人で過ごす部屋となっている。
「少し休憩にしようか」
ナディアの隣に座り、腰を抱き寄せてから頬に口付け、愛してると告げた。
息子は一歳半を過ぎたが、
僕達はまだ…肌を合わせられずにいる。
原因は僕だ。
愛しいことに変わりはないし、むしろ以前より愛情は増している。
ナディア以外を抱きたいなど思うこともない。
二人目が欲しいとも思う。
だけど……
出産でナディアを失うかもしれない不安が過ると
先へ進めなくなってしまった
出産と産後の処置を終えたナディアは、ぐったりと力なく眠りについていた。
顔色はそんなに悪くないが、良好とは思えないその様子に不安が込み上げてくる。
手を掬って握り、温もりを感じて少しだけ安心することが出来た。
「かなりの出血だったから、暫くはまた安静にしておいてください」
「……ナディアは大丈夫だろうか…」
「何をもってして大丈夫なのかは、この時点ではお答えできません。今は眠っていますが、このまま目覚めない人もいる…そのくらい、危険な状態ではありました」
その言葉に、思わず握る手に力が入った。
このまま…冷たくなる可能性が……?
いやだ。
失いたくない。
「今の医療ではこれが限界です。あとは奥様の生命力と…あなたへの愛情に懸けるしかない」
「……僕?」
「えぇ。出産の時、ちょっとばかり奥様へ発破をかけたんですが、だいぶ奮起されましてね。お陰で無事にご出産なされた」
一体何を…と問いただしたかったが、ナディアが目覚めたら聞けと言うばかりで…しかも何故か楽しそうなのが面白くない。
「そんな顔しないでください。本当に旦那様を愛してるんだなと思ったんですから」
「……気になるじゃないか」
「あとのお楽しみですよ」
それじゃ…と優しく笑い、若先生は従業員達と共に帰宅の途についた。
「それでは旦那様、ぼっちゃまは乳母に預けて参りますので」
「あぁ、宜しく頼む」
「失礼致します」
ジェイマンや侍女…皆が出ていき、静まり返った部屋の中、眠るナディアとふたりきり。
「ナディア、お疲れ様」
全く反応がなくて心配になるけれど、出血と疲労のせいだと言っていたから仕方ない。
用意された温かいタオルをいつもより優しくあてて…顔、腕、足と拭きあげていく。
着替えは無理せず、様子を見てと言われていたから…今日はなしでもいいだろうか。
そう思って…ふと、胸の部分がじんわり濡れていることに気付いた。
『母乳が出るかもしれないから、夜着が濡れないように布をあててあげてもいいかと』
若先生の言葉が過り、閉じられているボタンをひとつひとつ丁寧に外した。
やがて露になったナディアの胸の頂きからは、母親になった証の母乳がタラリと溢れている。
その光景に涙が流れ落ちた。
出産は命懸けとは聞いていたが、皆どこか明るく話すから深刻には捉えていなかった。
そうなんだな…くらいにだけ……
僕はいつだって、その場面にならなければ分からない大馬鹿者だ。
「ごめんね、ナディア…拭くよ」
こうして体力尽きて眠っていても、ナディアは母親として生きている。
子に乳を与えようとしている。
命を懸けて、守ろうとしている。
『あなたへの愛に懸けるしかない』
目覚めてくれるだろうか。
僕に会いたいと…願っているだろうか。
僕達と共に生きたいと……
「ナディア…っ…」
いつまでもはだけさせているわけにもいかないので、負担にならぬよう丁寧に着替えさせた。
本当なら、今頃ナディアが自分で授乳をしていたんだろうな…そう思うと、やりきれない。
子は無事に生まれた。
あとはナディア…そこに君が必要なんだ。
君がいないと、僕は……
******
「可愛い…やっぱりバルトに似てるわ」
僕はそんな必死にしゃぶりつかないぞ…とおかしな対抗心を抱きつつ、ナディアに抱かれて母乳を飲んでいる息子に、少しばかり嫉妬してしまう。
あれから二週間。
漸く回復の兆しが見られ、初授乳となった。
まだ安静は続いているが、息子を腕に抱いているナディアの笑顔は顔色もいい。
「ふふっ…凄い食欲」
「確かに…」
息子は必死な様子で頂きに吸い付き、止まることなく懸命に飲んでいる。
…ちょっと長くないか?
乳母の時はそうでもないと聞いたぞ?
「たっぷり飲んでね」
ナディアは、子に乳を与える為にと自分も積極的に食しており、そのお陰かよく出るようだ。
妊娠してから膨らみを増した乳房には、プリシラ様から頂いたクリームを塗ってきた。
どうやら妊娠と授乳によって色味が変わる女性が多いらしく、それを防ぐ効果もあると聞いたことで、毎朝毎晩塗り込んだ。
勿論、僕が。
そのおかげが産後も肌や頂きの調子は良好で、今後も継続して購入したいらしい。
ナディアが欲しいなら幾らでも買おう。
嬉しそうな顔が見られると、僕も嬉しいしね。
「大きくなるのよ、ジェイド」
子の名前は祖父から受け継いだ。
人格者であり、優秀な子爵として多くの人から慕われていた…という祖父のようになるようにとの願いを込めて。
「本当に可愛い」
ナディアはすっかり“お母さん”だ。
今までも女神のように優しかったけれど、そこに母親特有の強さが加わった気がする。
「バルト…この子を守ってくれてありがとう」
あの日の選択を、ナディアは“子を守った”と表現してはお礼を口にする。
僕はただ…ナディアがそう望んでいたからで…ナディアに嫌われたくなかったから。
ナディアのように、純粋に子を想う気持ちから選んだわけではない。
だけど…実際に抱いた今なら、ナディアの気持ちが痛いほど分かる。
「これからは、ナディアもジェイドも僕がちゃんと守る。いい父親も目指したいな」
「もう既にいい父親よ」
「……息子に嫉妬してしまうのに?」
チラ…とわざとらしく拗ねてみせ、未だ胸に食らいついたままの息子に視線を向ければ、ナディアは幸せそうな笑みを浮かべた。
ふわりと胸は温かくなる。
「暫くは我慢してね」
「分かってるよ」
ふたりして笑う。
夢にまで見た幸せに、涙腺は緩みそうだ。
「あら、もういいの?」
ぷはっ!!とでも聞こえてきそうな飲みっぷりを見せていたが、さすがに腹が膨れたらしい。
「偉いわね、たくさん飲んで」
ご機嫌な息子を暫くあやし、体を休める為に乳母へ頼むと、まじまじと自分の胸を見るナディア。
「どうした?」
「うん…あのクリーム、本当に凄いなと思って」
「あぁ、プリシラ様に貰ったやつね」
母親となっても、美しさは失いたくないという声から作られた特製クリーム。
ナディア以外の胸など見ることはないから分からないが、とても綺麗だと思う。
肌は白く、頂きはピンク色。
初めて見た時の感動は今も覚えている…なんて初夜の事を思い出していたらナディアと目が合い、なんとなく恥ずかしくなった。
ナディアも何かを感じたのか、頬を染める。
母親になっても、初心さは変わらない。
「……バルト…本当にありがとう」
「僕の台詞だよ、ありがとう」
優しく抱き締めると、ナディアの手も僕の背に周り…改めてホッとする。
「ナディア…愛してるよ。ジェイドを生んでくれてありがとう。生きていてくれてありがとう」
「信じて待っていてくれてありがとう。あのね…実は言っていないことがあって……」
「うん?」
何故か腕の中でもじもじするナディア。
「バルトならいい父親になると思っていたし…その…私に万が一があっても…心配はしていなかったんだけど…だけどね…」
「……うん」
「あの…若先生にね…その…出産の時に…」
「……何か言われたの?」
まさか暴言でも?と心配になり、体を離して顔を覗き込むと……真っ赤だった。
ん?と思わず首を傾げる。
「えっと…私が死んだら…その……新しい女性と再婚…するかもしれないぞ…って……」
「……は?」
思わず低い声が出た。
ナディアも慌てている。
「あのっ、あくまでも若先生は私の気を持ち直させる為にだからっ、、でも、それでちょっと…」
「…ちょっと……なに?」
そう言えば発破をかけたと言っていたな…と思い出したが、なんてことを言ってくれたのだと些か腹立たしくなる。
…が、続くナディアの言葉で霧散した。
「…なんだこのやろう……って…思って……」
「え?」
「バルトが他の女性と親しくして…もしかしたらジェイド以外の子を儲ける…とか考えたら…絶対に死んでやるもんか!!って…」
そう思いました…と尻すぼみで言われ、ただでさえ溢れるナディアへの愛情が爆発した。
真っ赤な顔を俯かせている様子が可愛くて、両頬に手を添え顔中に口付けしてると目が潤みだし…それが更に可愛くて。
辛抱たまらず深く口付けると、くたっとなった。
「……私の方こそ嫉妬深いわ」
その言葉を聞けただけで、息子が食らいつく位なんだと言うんだ!!と思えた僕は、やはり単純。
僕を取られない為にも死ねない…それだけ愛されているのだと、心が満たされた。
******
息子はすくすくと成長し、半年が過ぎて多少の距離なら外出もいいだろうとなり、温かな日に僕達はモリス家の墓を参った。
結婚する前からナディアと共に何度も足を運んでいたが、息子が加わった事に感慨深くなる。
もっと大きくなったら、オリバー達が眠る墓にも連れていってやりたい。
「父上、母上…ジェイドです。毎日よく食べ、よく笑い、病気ひとつせずに育っています」
両親は、僕の体が弱いことを常に気にしていた。
母上から、『丈夫に生んであげられなくてごめんなさい』と何度謝られたことだろう。
そんなに気にせずともいいのに…と子供心に思っていたが、親になった今ならよく分かる。
もしもジェイドが病気で苦しんだら、僕の種が欠陥品だったのかと思い悔やむ。
ナディアは『さすが私達の子だわ』なんて笑って言っていたけれど、僕はその明るさに何度も救われてきた。
初めて出会ったあの日も、ナディアの明るさと力強く手を引く姿に救われたんだ。
「お父様、お母様。無事にバルティス様のお子を生むことが叶いました。お守り頂きありがとうございます」
出産で皆が慌ただしく動くなか、僕は祈ることしか出来なかったと言った時も、そのお陰でふたりとも無事でいられたのね…と笑ってくれた。
本当に…無事でよかった。
「ナディア、風が出てきた。戻ろう」
「はい」
父上、母上。
あなた達が僕に与えてくれたように、僕も息子に目一杯の愛情を注いで育てます。
だからこれからも…見守っていてくださいね。
******
それからさらに時は流れ。
一歳半を迎えた息子は、少しずつ喃語を話すようになり…絶賛反抗期でもある。
「こら、ジェイド!!いけません!!」
「やぁっ!!」
執務室の中、先程まで大人しくしていた息子が、応接テーブルに置いてあったナディアの本を掴み取り、ページをビリビリに破いた。
あっという間の出来事だったが、ナディアが慌てて取り上げようとするも…我が息子はなかなか力持ちらしい、渡さない。
そんな様子を微笑ましく思い見ていると、ついつい執務の手が止まる。
「やぁぁっ、ちっち!!」
遂にはナディアに取り上げられてしまい、不貞腐れた顔を僕に向けた。
どうやら抗議しろと言いたいらしい。
この舌ったらずの呼び方が、なんとも言えないほどに可愛らしくてムスムズして頬が緩む。
ちっち…ちっちだって。
『ちちうえ』と言おうとしているらしく、だが言えるわけでもなく…いつまででも、なんなら永遠にそのままでいいと思ってしまう可愛さ。
いや…このサイズ限定か?
「ちっち!!」
「今のはジェイドがいけないぞ。これは母上が読んでいたご本なのだから。ジェイドにも大切にしている絵本があるだろう?」
抱き上げてやると、ぶすっと頬を膨らませて納得していない様子を見せる。
まだ何がよくて何が悪いのかなど分からないのだろうが…こうして、ひとつひとつ教えてやらなくてはならない。
ジェイマンが言っていた、『これからが大変』との意味が漸く分かってきた。
世の中の親達はすごいな。
「ちぃち……」
怒っていたと思ったら、今度は肩口に顔を埋めてきて…少しばかり体が温かい様子に、お昼寝の時間かと思い至った。
眠くてぐずっていたのか。
ナディアが手を伸ばしてきたが首を振り、そのまま息子の背を叩いてやっていると、やがて可愛い寝息が聞こえてきた。
すぴぃ…すぴぃ…と聞こえるから、鼻が詰まっているのかと覗けば案の定。
しっかり寝付いたところで取ってやり、そこで乳母に手渡した。
「すっかりお父さんね」
貴族は基本的に世話を両親がしない。
だけどナディアは元々平民であり孤児、僕も家族というものに憧れがあった。
社交などで家を空ける事もあり、だからこそ出来る事はなるべく自分達でやり、可能な限り家族で過ごそうということに。
最近は、もっぱら執務室が家族三人で過ごす部屋となっている。
「少し休憩にしようか」
ナディアの隣に座り、腰を抱き寄せてから頬に口付け、愛してると告げた。
息子は一歳半を過ぎたが、
僕達はまだ…肌を合わせられずにいる。
原因は僕だ。
愛しいことに変わりはないし、むしろ以前より愛情は増している。
ナディア以外を抱きたいなど思うこともない。
二人目が欲しいとも思う。
だけど……
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