迷子のネムリヒメ

燕尾

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第2話

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 pi……。
 携帯電話のアラーム音が鳴り出したと同時に適当なキーを押して音を止める。
 これが私の一日の始まり。
 起きなきゃいけない時間を意識してるのか、昔から目覚ましが鳴るちょっと前に目が覚める。特技といえばそうなのかもしれないけど、二日酔いの朝でも起きるようにプログラミングされている自分には呆れる。

「……っ」

 頭がガンガンする。力もやる気も何も出てこない。
 仕事……休もうかな?
 いや、だめだ。こんなことで貴重な有給を使いたくない。甘えた気持ちを追い出そうと、両手で頬を強めに叩いた。
 ──ぶよん。
 あれ?
 いつもならパチンという音と一緒に頬に痛みが走るはずなのに……聞こえたのは鈍い音。全然痛くないし妙な弾力があった。……嫌な予感がする。
 気のせいでありますように──そんなささやかな願いは、洗面所の鏡によって打ち砕かれた。
 鏡に映る私の顔はいつも以上に丸かった。思いっきりむくんでいる。これじゃあ──

「うわぁ。フグみてえ」

 出勤前の身だしなみチェックに来た兄が鏡を覗き込んでそう言ってきた。
 この家の持ち主である父は去年の春に転勤となり、母と二人で京都で暮らしている。そのため、この家には教師をしている兄と私の二人しかいない。自分のことは自分で、余計な干渉はしないと決め、お互い自由気ままな生活を送っている。
 ……にしても朝からムカつく。けど、言い返せない。私も同じことを思ったから。

「何さ、その代わりそっちみたいに腹に肉が付いてないもん」

 苦し紛れに兄のお腹にボディーブローをお見舞いした。
 私と違って顔に肉が付かない兄。だけど、その分脱いだらガッカリするくらいお腹がぷにぷにしている──はずだったのに今日は感触が固い。さては生徒の筋トレに付き合っていたな。
 どうだ凄いだろうとでも言いたげに兄はニヤリとしている。その自慢げな顔が憎らしい。悔しげな私を横目に腕時計に目をやり、「おっと、遅刻する。家にフグがいたから遅れたなんて生徒に言えないからな」と、ただでさえ低い私のテンションをさらに下げるようなことを言い残し、軽やかに出勤して行った。

「ゼリーあるかな?」

 シャワーを浴びてもスッキリしない体を引きずりながら冷蔵庫をのぞき込む。
 いつもは食パンと野菜ジュースを朝食にしているけれど、今日は食べられる気がしない。運良くゼリー飲料を見つけた。兄のだと思うけど、今朝の慰謝料代わりに頂くことにしよう。
 ちびちびとゼリー飲料をすすりながら、テレビのスイッチを入れる。
『まだ、間に合う! お勧めチョコ特集』と称したチョコレートの特集が流れている。BGMは、バレンタインおなじみの曲。
 聞こえてくる甘ったるい音楽と画面に映る甘そうなチョコレートに、気持ちがどんよりと沈んでいく。

「チョコチョコうるさい! こっちはそれどころじゃないよ。体はダルいし、顔はこんなだし」

 一人虚しくテレビに愚痴る。
 いつもだったら、「おいしそう……」と画面をガン見するけど、私の胃袋は今、それを全力で拒否している。とはいえ、チャンネルを変えるのも面倒くさい。このまま時が流れるのを待とう。
『モーニング占い。カウント~ダウン♪』
 苦行のようなコーナーが終わったと思ったら、次は占いコーナーか。しまった。いつもは占いコーナーになった途端にチャンネルを変えるのに、今日はタイミングを逃した。
 後悔している間に次々と星座が表示されていく。見たくないのに、それを目で追ってしまう目ざとい自分。私の星座はまだ出てきていない。と言うことは一位かビリ。うわっ、イヤな展開だ──とか思っている間にトップの発表。
『おめでとうございます。本日の一位は水瓶座のあなた!』
 女子アナの声が私の星座を告げた。
 ……よかった。
 今日は素直にそう思える。
 久しぶりに見た星占いが一位って、今日は意外といい日なのかも? 少しだけ浮上した気分のまま、解説を聞いてみる。
『気になっているあの人との距離がぐっと縮まるチャンス』
 気になる人……大路《おおじ》さんとの距離が近づくってこと? きゃー嬉しい──なーんて、わかってますよ。あり得ないってことぐらい。
 課も違えばフロアだって違う。今は関わっている案件もないから、縮まりようがないのも知ってる。でも、悪い気はしない。
 今日はついてる日だから、二日酔いでも大丈夫!
 そういうことにしておこう。嫌なことばかり考えると、変なものを引き込んじゃうから。どこかふわふわした気分で、まとまらない髪とメイクの乗らないむくんだ顔と格闘して家を出た。

 ……死ぬかと思った。
 地獄の満員電車から解放され、ふらふらした足取りで改札に向かう人達の後に続く。
 一体、どうしてこんなことになったのやら。電車の中で昨日のノルマをこなす予定だったのに……。
 自宅の最寄り駅からターミナル駅に出て、そこから始発の線に乗り換えて職場の最寄り駅まで二十分。ターミナル駅のホームは人で溢れかえっているけど、三本電車を見送れば座って行ける。
 今日もいつものように三本待って電車に乗り込み、席をゲットしてカバンの中から参考書を取り出し、好きなアーティストの頑張れソングが入ったMDのスイッチを押した。
 だけど、電車が発車する直前に“おなかに赤ちゃんがいます”マークをつけた妊婦さんが乗ってきた。三本待ったのに……と一瞬ためらったけど、見て見ぬふりはしたくなかったので席を譲った。
 勉強できない分、寝ようと気持ちを切り替えたら、めったに起こらない他線の振替輸送を受け入れて、あれよあれよという間に人が乗り込んできた。押し寿司かっていうくらい人を詰め込んだ電車はいつもよりスピードが遅くて……こんな目に合うなら、「頭が痛いです」と会社を休めばよかった。
 本当に今日はついてる日なのだろうか? まあ、席を譲ったことで妊婦さんをあんな満員電車で立たせずに済んだことは良かったけど。でも、もうHPは残っていない。ゲームだったら、間違いなく赤字で表示されてるレベルだ。
 バカなことを考えているうちに、改札を抜け駅に直結しているオフィスビルに着いた。雨でも傘いらずの安心設計。そんな場所に私の職場がある。

 私が働いているのは部品メーカー。CMとかは流していないので社名を聞いてもピンと来ない人が多いが、携帯電話からロケットまで幅広いものにこの会社の部品が入っている。
 特殊な技術を持っていて、一部の部品では圧倒的なシェアを占めているせいか、良く言えば穏やかで悪く言えば古くて温い会社だ。呑気な社員が多いなーと思う。セキュリティーカードもないし。でもそのお陰で残業もなく、勉強と仕事の両立ができている。

「おはようございます」
「おはよう」

 挨拶をして返ってくるのは、課長の声だけ。無視されているとかではない。単に課長しか来ていないだけだ。
 派遣社員といえども、十分前には自分の席に着くようにしている。けれど、私より先に出社しているのは課長だけだ。課長も仕事をするためというより、早く目が覚めるから出社しているって気がする。真剣な表情で画面を見つめているけど、そこに映っているのは将棋盤だ。
 他の社員はというと、五分前くらいに男性社員四人が、女性社員三人に関しては計ったかのように一分前に来る。これに関しては呆れを通り越してすごいとさえ思う。彼女達の登場と共に、静かな職場は私語と私語のオンパレードで騒がしくなる。
 この会社の名誉のために言っておくが、そんな感じなのはこのマーケティング部技術営業支援課だけだ。いくら古くて温い会社でもこんな部署だらけだったら、潰れてしまう。それは社内でも有名で、他部署の人達からは「学級崩壊みたいなところ」と陰口を叩かれている。
 ここが何をやっている部署かというと、営業向けの資料を作ったり、営業に同行して技術面の説明をしたりする──要は営業を支援しているところだ。私は課長のサポート業務や庶務を担当している。
 男性社員達は会社でアダルトサイトやゲームの攻略法を閲覧して、会社のパソコンをウイルス感染させてシステム部から怒られるというバカばかりだけど、技術面の知識は豊富だ。彼らのバカさ加減はいいように取引先で作用しているらしく、気難しい取引先の購買担当者にも気に入られ、受注獲得に繋げているので会社には貢献している。深く関わりさえしなければ、害はない人達だ。
 問題は彼らをサポートする女性社員達だ。彼女達に関しては……いいところが全くわからない。私語がうるさい分、仕事が出来るのかなと思ってみたけど、十分でできることを一時間かけてやって「大変だった」とか言う姿からは微塵も感じられない。
 何でこんな人達を採用したのか、不思議でしょうがない。コネかと思ったけれど、そうではないらしいし……まあ、どうでもいいことなんだけど。幸いなことに私と彼女達の仕事は別れている。なので最低限の関わりしか持たなくていい。もし一緒の仕事だったら、私は早々にこの派遣先を去っていただろう。

「ねえ、今日の特集見た?」
「見ました。あれ、超おいししそうでしたよね」
「今日、帰りに買いに行こうかしら?」

 ああ、今日もうるさい。いつもだったら集中力を身につける訓練と思ってやり過ごせるけど、今は無理だ。二日酔いの頭に甲高い声達がガンガン響く。
 独立した部屋だからって、少しは声のボリューム落としてよ──表情には出さないけど、いつもより乱暴にキーを叩いている気がする。イライラしながらキーを打っていたら内線が鳴った。さっき部長に呼び出されて出て行った課長からだ。
 すぐに会議室に来て欲しいと言われたので、分かりましたと答え受話器を置く。
 一体、何だろう。突然の呼び出しにイヤな予感を感じつつも、作成中の資料を保存しパソコンにロックを掛け、お喋り中の女性社員に会議室に行くと告げ、廊下へ出た。ドアが閉まるなり声が聞こえてくる。

「どうしたんですかね?」
「多分、契約終了とかじゃない。うちの会社って最近経費削減にうるさいし」
「えー柏原さんいなくなったら、課長の分の仕事がこっちに回ってくるってこと? 超迷惑なんですけど」
「四月から入ってくる新入社員にでもやらせるんじゃない?」
「じゃ、いっか……さっきの続きだけど」

 ムカつく……でも、私もそうじゃないかって思う。リーマン・ショックで取引先が大幅に利益を減らしている中で、この会社も数字を落としてしまっている。でも、契約終了なら派遣会社から連絡があるはずだ。そんなことを一人考えている内に、会議室の前に到着した。いい話ではないだろうけど、さっさと済ませてしまえと、ドアをノックして会議室に足を踏み入れた。

 何だ、この組み合わせ?
 会議室にはいたのは、マーケティング部の部長と市場開発課の大路さん、同じく可愛いけど仕事ができないと言われている姫島さん。そして、技術営業支援課の佐々木課長。
 
「突然、呼び出して申し訳ない。仕事の方は大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」

 部長に掛けるよう言われ、席に着く。視線の先に大路さんがいる。大路さんは私が気になっている人だ。大路さんと同席の打ち合わせってことは、合同プロジェクト?
 さっきまでの不安な気持ちが、消えていくのがわかる。気になっている人との距離が縮まるってこれのこと? とルンルン気分で部長の話を聞く。
 が、次の瞬間に部長が放った言葉で私の頭はフリーズした。

「実は、おめでたい話なんだが……」

 大路さんをチラリと見て部長は続ける。

「大路君と姫島さんが結婚することになってね。おめでたいことに授かり婚だそうだ」
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