迷子のネムリヒメ

燕尾

文字の大きさ
20 / 60

第20話

しおりを挟む
 やっちゃった。
 降りる駅を間違えた。
 改札を抜けた先には、商店街はなかった。
 私の目に映るのは大きな商業施設。そう、私は実家の駅の改札を抜けたのだ。
 会社の最寄り駅から二駅目で降りればいいのに、終点のターミナル駅まで行き、ご丁寧に乗り換えたってことか。
 ……アホすぎる。何で気づかないかな? 前に一回間違えたから、気をつけていたはずなのに。その時でさえ、改札を出る前に気づいたのに。
 自分で自分に毒づく。でも、原因は何となくわかっている。
 休憩室のやり取りの後のことはよく覚えていない。自分の席に戻ってからは、仕事以外のことは強引に頭の中から追い出した。
 仕事以外のことが見えなくなればいいと、PCの画面を睨みつけ、ひたすらキーボードを叩いていた。そして、間違いがないかをいつも以上にチェックをしていた。
 少しでも暇ができると、余計なことを考えそうだからって、課にかかってくる電話を無理やり取ってたっけ?
 少しでも気を抜くと、休憩室でのやり取りや谷崎さんの悲しげな表情を思い出しそうで……怖かった。
 わかっている。これが現実逃避だってことくらい。
 後ろめたさや気まずさから逃れる為に、ありったけのHPとMPを使った。不純な動機だったけど、仕事の神様的なものが降りてきてくれて、恐ろしいほど仕事がはかどった。
 自分でも無理してるなってわかっていたけど、その反動は会社を出た途端に出てしまったらしい。
 ここで考えてもしょうがない。
 今日は谷崎さんが帰ってくる日なんだから、きちんとお迎えしないと。気まずいし後ろめたい……けど、私は大人。逃げてはいられない。
 踵を返して、再び改札を抜けた。

 マンションの廊下から見える空は、とても濃い藍色をしている。それが月をキレイに映し出している。
 会社を出た頃は、滝のように降っていた雨が止んだ後で、雲ひとつない澄んだ水色をしていたのに。
 今はもうすっかり暗くなっている。当たり前だ……あれから、一時間以上経っているんだから。
 昨日のうちに晩御飯の材料を買っておいてよかった。これから買い物だったと思うとぞっとする。
 今日の献立はカレーライス。
 それは谷崎さんのリクエストだった。出張初日に食べたカレーがとても辛くて、家庭の甘いカレーが恋しくなってしまったそうだ。普段は中辛のカレールウを使っているけど、甘口のルーも買った。今日は子供がいる家のカレーにする予定だ。
 カレー肉はカット済みのものを買ってあるし、野菜は今日の出勤前に切って冷蔵庫に入れておいた。あとは、ご飯を炊いて、炒めて煮込めばいいだけだ。
 谷崎さんは報告書作成や部長への報告の関係で、そんなに早く帰ってこれないはずだ。急いで準備すれば待たせないですむ。

「大丈夫だから落ち着け」

 自分に言い聞かせて鍵を開けて、ドアを開いた。

「……」

 玄関にある男性用の靴。
 明かりがついている廊下、そこから見える明かりの灯ったリビング。
 部屋の中に漂うカレーの香り。
 ……嫌な予感がする。
 完成されたカレー。
 リビングのソファーに腰掛け、テレビを見ている部屋着の谷崎さん。
 何でもう帰って来てるの? 
 しかも、カレーまで作ってくれて。ありがたいを通り越していたたまれない。本当にダメな妻だ。

「おかえり」

 谷崎さんはいつもと変わらない様子で私に声をかけた。会社で見せたような悲しげな目もしていない。
 それは、まるで何も無かったかのようで……。
 ただいま──そう言えたら、何も無かったことできるのかもしれない。でも……言えない。

「どうして……」
「ああ、部長の都合で報告は明日に延期になったんだ。報告書は機内で作成していたから、さっさと帰ってきた」
「そうじゃなくて、何で何も言わないんですか? 休憩室のやり取り聞かれてましたよね?」
「ああ、あれか……」

 やっぱり聞かれてたんだ。
 だったら、あんな言い方は無いだろとか言ってくれればいいのに。あんな表情するくらいなら、私を責め
ればいいのに。
 それなのに、どうして何も言ってくれないの?
 あなたが何も言わないなら……こっちから言うまでだ。

「ねえ、どうして私なんかと結婚したんですか?」
「それは……」

 谷崎さんは言葉に詰まっているみたいだ。やっぱり言えない理由があるんだ。夫婦感が漂っていない二人だものね。
 谷崎さんが言い淀むなら、私が谷崎つぐみさんの秘密を暴露してやる。

「自分で言うのも変ですけど、あなたの奥さんすごい嫌な人ですよ。暴言吐いて他人を傷つけて、旦那に黙ってピル飲んで……それだけでも最低なのに、他の男と不倫してたみたいですよ?」
「……」

 谷崎さんは淡々とした表情のまま黙っている。特にショックを受けている感じはしない。手帳を見た時の私とは大違いだ。
 もしかして……タカノリのこと知ってた?
 私だけが罪悪感を感じていたってこと?
 それって。

「……バカみたい」
「つぐみ?」
「あーもう、意味わかんない。何にも思い出せないし。そもそも、私が望んでいた未来じゃないし、これ。私がしたかったのは、結婚なんかじゃなくて公認会計士になってバリバリ働くことだったのに!」
「つぐみ……落ち着け」

 そう言って谷崎さんは私の腕を掴もうとしたけど、寸前のところで手を止めた。私に対する気遣いだって知ってる。この人がいい人だって、わかっている。だけど、私の口からは残酷な言葉しか出てこない。

「もう、何もかも嫌なんです。何にも思い出せないし。記憶が戻ったら素知らぬ顔で不倫してるかもしれないし。……最低なことしてたくせに、なんで妊婦なんか庇うかな? 記憶が飛ぶんだったら、いっそのこと死んじゃえば」
「止めろ! これ以上言うな」
 
 初めて見る谷崎さんの怒った顔、初めて耳にする強い口調。今までのは違う空気を纏う谷崎さんに怯んだ。その隙に腕を掴まれた。
 叩かれる──本能的にそう思った。最低なことを口走ったんだから当然だ。覚悟を決めて目をぎゅっと閉じた。
 ……。
 頬には何の痛みも感じなかった。その代わり……唇をふさがれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ガネット・フォルンは愛されたい

アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。 子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。 元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。 それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。 私も誰かに一途に愛されたかった。 ❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。 ❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【書籍化決定】アシュリーの願いごと

ましろ
恋愛
「まあ、本当に?」 もしかして。そう思うことはありました。 でも、まさか本当だっただなんて。 「…それならもう我慢する必要は無いわね?」 嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。 すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。 愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。 「でも、もう変わらなくてはね」 この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。 だって。私には願いがあるのだから。 ✻基本ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻1/19、タグを2つ追加しました ✻1/27、短編から長編に変更しました ✻2/2、タグを変更しました

処理中です...