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第21話
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誰だ?
キスしたら記憶が戻るかもよ──とか言ったヤツ。
戻らないよ。
何も変わらないよ。
私の中身は二十七歳の柏原つぐみのまま。
王子様のキスでお姫様は目覚めたりしないし、ヒロインのキスでヒーローは自分を取り戻したりしない。おとぎ話も少女マンガも……みんな嘘だ。
予想外のキスに思わず目を瞠る。
私の目に映る谷崎さんの顔。それは私が初めて見る谷崎さんの顔だった。
上司でもなく、同居人でもない……男の人の顔。その表情や纏う空気にゾクッとして、反射的に体を離そうとした。けれど、谷崎さんの腕が私を捉えて動けない。華奢だと思っていたのに、その腕はとても力強かった。
唇に感じる熱くて柔らかい感触。与えられる刺激に吐息がこぼれ、唇が離れるけどすぐに重なる。さっきからその繰り返し。唇から伝わる熱が、体中に広がっていく。それと同時に、頭がクラクラしていく。
そんな状態から一刻も早く逃れて楽になりたい。そう思うのに……私は瞳を閉じ、谷崎さんの唇を受け入れていた。
どれくらい経ったのだろう。短いキスを何度か繰り返した後、私の顔からゆっくりと谷崎さんの顔が離れて行った。それと同時に、私を捉えて離さなかった力強い腕からも自由になった。けれど、その瞬間に体の力が抜けてしまい、ぺたりとその場にへたり込んでしまった。
「ごめん。驚かせたよな」
「……」
そう言って、私と目線を合わせるように谷崎さんが腰を落とす。
頭の中が空っぽ。
さっきまであんなに辛辣な言葉を口にしていたくせに……。頭の中に入っていたものが全て吹き飛んだって感じだ。
どうしよう……この人とどう向き合えばいい?
口調はいつものように淡々としているけど、纏っている空気が全然違う。
頭の中が混乱していて、何の言葉も出てこない。黙り続けている私に、谷崎さんは言葉を続けた。
「でも、あれはつぐみの本心じゃないから。言ったら後で後悔するから、もう言わないで欲しい」
いっそのこと死んじゃえばよかったのに──谷崎さんに遮られた言葉。
本心じゃないと谷崎さんは言うけど、私はそうは思わない。でも、もし私の記憶が戻って……私の中身が谷崎つぐみさんに戻ったら?
「それは、谷崎つぐみさんがってことですよね?」
「いや、それは柏原つぐみだろうが、谷崎つぐみだろうが変わらない」
「そんなの……わかんないじゃないですか?」
「わかるよ」
「どうして?」
きっぱりと言い切る谷崎さんの口調にそわそわする。私のことは何でもお見通しという、この感じ。それが妙に落ち着かなくて、気に食わなくて、反抗期の子供のようにいじけて反論した。
谷崎さんはしばらく黙り込んだ後、すうっと息を吐き、私の目を見ながら口を開いた。
「愛しているから」
「……っ」
想いを告げる低い声に反応し、心臓の鼓動が強くなっていく。何かに追い詰められているみたいだ。私は必死で逃げ道を作る。
「それは、谷崎つぐみさんを……つまり、あなたの奥さんをってことですよね」
「違う。今の君も、だ」
即座に否定され、鼓動が更に強くなる。冷めていた熱がまた上がっていく。
「記憶が戻らないままでも?」
「もちろん。何を知って、何に混乱しているのかはわからないけど、俺はつぐみを信じているから」
ドクンドクンと心臓が力強く動いている。顔中が熱い。それなのに谷崎さんは顔色を変えず、平然としている。私が谷崎さんの立場だったら、ここまで言わないし、言えない。
こんなにストレートな想いを受け止めたのは初めてだ。
それなのに……私の中にはいい感情が湧いてこない。
頭の中に浮かんでくるのは、どうすればいいの? っていう困惑や戸惑いばかりだ。
私には谷崎さんに対する気持ちがないってこと?
谷崎さんに対して少しでも気持ちがあれば、嬉しいという感情が湧いてくるはずなのに……。
だけど、嫌な気持ちにもなっていなくて……。
どうして何もわからないんだろう……自分のことなのに。
自分の中にある気持ちが全然見えない。
……もういい。
疲れた。
このまま、流れに乗ってしまえ。
もう、この人の奥さんってポジションでいいじゃない。
受け入れてしまえば、きっと楽になれる。
好きじゃないけど嫌いでもないんでしょ? キスされても嫌じゃなかった。受け入れたってことは、つまり……そういうことだ。
「本当に……今の私のままでもいいんですか?」
「ああ」
「……だったら、証拠見せてよ」
そう言って、私は谷崎さんの首に手を回し、強引に唇を奪った。
谷崎さんは一瞬戸惑ったようだったけど、私の唇を受け入れた。やがて、谷崎さんの大きな手がシャツの中に入り、長い指が私の素肌に触れた。
──だめっ!
体が谷崎さんの体温を感じ取った瞬間、心の奥の方でそう聴こえた。叫ぶような強い声に、電流が走ったかのようにビクッとした。その感覚で我に返った。
何してんの? 私。
だめだよ。だめに決まってるじゃない。
こんなの何の解決でもない。このまま進んだところで幸せになんてなれない。
そんなの嫌だ。
私はともかく、谷崎さんまで巻き込んでいい道じゃない。
ありったけの力で谷崎さんを突き放した。
「ごめんなさい……。今日は実家に戻ります。そこで頭冷やしてきます」
リビングに転がっていたカバンを強引に引き寄せ、逃げるようにマンションを後にした。
キスしたら記憶が戻るかもよ──とか言ったヤツ。
戻らないよ。
何も変わらないよ。
私の中身は二十七歳の柏原つぐみのまま。
王子様のキスでお姫様は目覚めたりしないし、ヒロインのキスでヒーローは自分を取り戻したりしない。おとぎ話も少女マンガも……みんな嘘だ。
予想外のキスに思わず目を瞠る。
私の目に映る谷崎さんの顔。それは私が初めて見る谷崎さんの顔だった。
上司でもなく、同居人でもない……男の人の顔。その表情や纏う空気にゾクッとして、反射的に体を離そうとした。けれど、谷崎さんの腕が私を捉えて動けない。華奢だと思っていたのに、その腕はとても力強かった。
唇に感じる熱くて柔らかい感触。与えられる刺激に吐息がこぼれ、唇が離れるけどすぐに重なる。さっきからその繰り返し。唇から伝わる熱が、体中に広がっていく。それと同時に、頭がクラクラしていく。
そんな状態から一刻も早く逃れて楽になりたい。そう思うのに……私は瞳を閉じ、谷崎さんの唇を受け入れていた。
どれくらい経ったのだろう。短いキスを何度か繰り返した後、私の顔からゆっくりと谷崎さんの顔が離れて行った。それと同時に、私を捉えて離さなかった力強い腕からも自由になった。けれど、その瞬間に体の力が抜けてしまい、ぺたりとその場にへたり込んでしまった。
「ごめん。驚かせたよな」
「……」
そう言って、私と目線を合わせるように谷崎さんが腰を落とす。
頭の中が空っぽ。
さっきまであんなに辛辣な言葉を口にしていたくせに……。頭の中に入っていたものが全て吹き飛んだって感じだ。
どうしよう……この人とどう向き合えばいい?
口調はいつものように淡々としているけど、纏っている空気が全然違う。
頭の中が混乱していて、何の言葉も出てこない。黙り続けている私に、谷崎さんは言葉を続けた。
「でも、あれはつぐみの本心じゃないから。言ったら後で後悔するから、もう言わないで欲しい」
いっそのこと死んじゃえばよかったのに──谷崎さんに遮られた言葉。
本心じゃないと谷崎さんは言うけど、私はそうは思わない。でも、もし私の記憶が戻って……私の中身が谷崎つぐみさんに戻ったら?
「それは、谷崎つぐみさんがってことですよね?」
「いや、それは柏原つぐみだろうが、谷崎つぐみだろうが変わらない」
「そんなの……わかんないじゃないですか?」
「わかるよ」
「どうして?」
きっぱりと言い切る谷崎さんの口調にそわそわする。私のことは何でもお見通しという、この感じ。それが妙に落ち着かなくて、気に食わなくて、反抗期の子供のようにいじけて反論した。
谷崎さんはしばらく黙り込んだ後、すうっと息を吐き、私の目を見ながら口を開いた。
「愛しているから」
「……っ」
想いを告げる低い声に反応し、心臓の鼓動が強くなっていく。何かに追い詰められているみたいだ。私は必死で逃げ道を作る。
「それは、谷崎つぐみさんを……つまり、あなたの奥さんをってことですよね」
「違う。今の君も、だ」
即座に否定され、鼓動が更に強くなる。冷めていた熱がまた上がっていく。
「記憶が戻らないままでも?」
「もちろん。何を知って、何に混乱しているのかはわからないけど、俺はつぐみを信じているから」
ドクンドクンと心臓が力強く動いている。顔中が熱い。それなのに谷崎さんは顔色を変えず、平然としている。私が谷崎さんの立場だったら、ここまで言わないし、言えない。
こんなにストレートな想いを受け止めたのは初めてだ。
それなのに……私の中にはいい感情が湧いてこない。
頭の中に浮かんでくるのは、どうすればいいの? っていう困惑や戸惑いばかりだ。
私には谷崎さんに対する気持ちがないってこと?
谷崎さんに対して少しでも気持ちがあれば、嬉しいという感情が湧いてくるはずなのに……。
だけど、嫌な気持ちにもなっていなくて……。
どうして何もわからないんだろう……自分のことなのに。
自分の中にある気持ちが全然見えない。
……もういい。
疲れた。
このまま、流れに乗ってしまえ。
もう、この人の奥さんってポジションでいいじゃない。
受け入れてしまえば、きっと楽になれる。
好きじゃないけど嫌いでもないんでしょ? キスされても嫌じゃなかった。受け入れたってことは、つまり……そういうことだ。
「本当に……今の私のままでもいいんですか?」
「ああ」
「……だったら、証拠見せてよ」
そう言って、私は谷崎さんの首に手を回し、強引に唇を奪った。
谷崎さんは一瞬戸惑ったようだったけど、私の唇を受け入れた。やがて、谷崎さんの大きな手がシャツの中に入り、長い指が私の素肌に触れた。
──だめっ!
体が谷崎さんの体温を感じ取った瞬間、心の奥の方でそう聴こえた。叫ぶような強い声に、電流が走ったかのようにビクッとした。その感覚で我に返った。
何してんの? 私。
だめだよ。だめに決まってるじゃない。
こんなの何の解決でもない。このまま進んだところで幸せになんてなれない。
そんなの嫌だ。
私はともかく、谷崎さんまで巻き込んでいい道じゃない。
ありったけの力で谷崎さんを突き放した。
「ごめんなさい……。今日は実家に戻ります。そこで頭冷やしてきます」
リビングに転がっていたカバンを強引に引き寄せ、逃げるようにマンションを後にした。
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