迷子のネムリヒメ

燕尾

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第24話

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 体が冷えていくのがわかる。さっきまで熱っぽかったのに。経験したことはないけど、血の気が引くってこういうことかって思う。
 大路さんもいた──南ちゃんはさらりと言ったけど、私にとってはもの凄い衝撃だ。
 わかっている。
 過去は変えられないし、過去の自分に文句を言っても仕方がないって。
 でも、言う。
 何やってくれてんの? 柏原つぐみ!
 バカなの?
 姫に説教だけでも痛いって言うのに、王子がいる前でって……魔女になってどうする。

「何で、何でいるかな……」

 大きなため息と共に、独り言がこぼれる。

「私は技術営業支援課に渡す資料があったから、谷崎さんはつぐみを派遣する上での状況確認。大路さんは姫島が心配だったからでしょ」

 弱々しいぼやきにも関わらず、冷静かつ的確な答えが上から返ってくる。
 まあ……そうだよね。自分が行こうとしたくらいだもの。心配で様子くらい見に行くよね。しかも姫島さんは妊娠してたし……。それは正しい夫の行動だよ。これは二人から嫌われても仕方ない──ってあれ?
 嫌われてる?
 復帰した時の姫島さんの様子を頭に浮かべてみる。
 泣いてた。
 そして、抱きつかれた。
 お弁当を作ってくれた。
 嫌いな相手にそんなことする? いや、しない。
 じゃあ、大路さんは?
 記憶喪失になってから会ってないのでわからない。けど、大路さんと姫島さんの披露宴には呼ばれたみたいだし、二人の家にも行ったことがあるようだし……家族ぐるみのお付き合い的なことしてない?

「謎だ」
「何が?」
「姫島さんと大路さん。どう考えても嫌われルートなのに、私ってあの夫婦と親しくしてない?」

 私とあの夫婦の繋がりって……谷崎さんくらいしか思いつかない。
 いや、谷崎さんだ。
 上司の妻だから……仕方なくって感じ?

「谷崎さんの奥さんだから親しくしてるって思ってるでしょ?」
「……っ」

 思っていたことを言い当てられ、額をテーブルから離して南ちゃんの方をみやる。
 久々に合った目はやれやれといった感じで私を見ている。

「図星か……言っとくけど、違うから。上司の妻だから仕方なくとかじゃないから」
「じゃあ、何でよ?」」
「わかってたから」
「あの時、つぐみがわざとああ言ったって」
「はあ?」

 わざと言ったという南ちゃんの言葉に顔をしかめてしまう。妊婦を庇って交通事故に遭う並にあり得ない。

「あの時の技術営業支援課は大騒ぎだった。男性社員達と女性社員達の言い争い、ただあたふたする佐々木課長、顔が青ざめていく姫島。凄まじい学級崩壊っぷりだったよ」
「言い争いって?」
「男性社員達は、女性社員達が姫島に余計な仕事を押し付けたからだ。女性社員達は、できるって言うから任せたのにって言い張るし……」

 呆れた表情で話す南ちゃんを見て、その時の様子が想像できた。

「どっちも助けたり、フォローする気なんてないくせに騒いでたんでしょ?」
「ご名答。言い争ってる暇があれば、資料作ればって思ったよ」

 聞いているだけで疲れる話だ。

「それはそうだね。でもさ……これは男性社員の言い分が正しいんじゃないの?」
「そうだけどね。その結果、彼女らの矛先がどこへ向かうと思う?」

 言われてみればだ。この手のことはその場限りでは終わらない。
 出来事はその時限りだけど、会社や仕事は毎日続いていく。そして、その時の感情も持ち越されていく。

「……姫島さん」
「わかってるじゃん。だから、つぐみはみんなの前で姫島を責めたんだよ。現につぐみの説教で一気に空気が変わったし」
「どんな風に?」
「かわいそう姫島さん。柏原さんひどいって。男性社員達も女性社員達も……ある意味一つにまとまってたわ」
「そうでしょうよ。自分で言うのもあれだけど、私でもそう思うし。でもさ、これって仕事を増やされる羽目になるやつあたりなんじゃない? 相手は失恋相手の奥さんだし……。わざとって買い被りすぎだよ」
「それって、私に人を見る目がないってケンカ売ってる?」

 南ちゃんの声が低くなってる。これはやばいやつだ。でも、私だって引けない。

「そうじゃないよ。でも、あの頃の私の状況を考えたら、やつあたり的なものにしか思えないよ」
「だからこそじゃないの?」
「だから……こそ?」
「つぐみは友達に暴言吐いて、自己嫌悪したんでしょ?」
「した」

 日記でしか知らないけど、言い切れる。日記を読んだだけであんなに動揺したくらいだし。

「そうなら、わざわざ同じ轍は踏まないんじゃない? 日が浅いなら尚更。大体やつあたりするくらいなら、手伝ったりなんてしないでしょ。」
「……」

 南ちゃんの指摘に黙り込んでしまう。
 確かに一理ある。広岡との一件で学習していないはずがない。
 でも……。

「もっと他の方法があったでしょ? わざとだったとしても、いい気はしないでしょ」
「他の方法って? つぐみがそれを持ってたら、もっと上手く近江さんをあしらえたんじゃないの?」
「……」
「確にね、不器用だなって思ったよ。でもね、あの時のつぐみは真っ直ぐだった。辛そうな顔しながらも、色々なものを守ろうとしてた。だから、わかる人にはちゃんと伝わったんだよ。谷崎さん、大路さん、姫島、もちろん私にもね」

 その後、私は周囲の空気に構うことなく佐々木課長の席に陣取り、課長のパソコンを駆使して資料を作成した。当の課長はというと、プリンターの前で印刷される資料を待っていたそうだ。
 共有フォルダからデータは消えていたけど、異動する前にデータを課長にメールで送っていたので、二時間かからずに完成させることができたらしい。客先の来社にも間に合い、何とか受注獲得となった。
 私的にはいい話じゃないけど、会社的にはめでたしめでたし──な話には続きがある。
 佐々木課長としては、受注獲得できたのだからそれで終わりのつもりだった。上に報告する気なんてなかったし、しなかった。
 けれど、谷崎さんは違った。
 自分の部署の派遣社員が別の部署の仕事を手伝ったので、その分の費用をその部署に割り振りたい──という問い合わせを人事にして、この件を公のもとにさらした。

「上に直接言えばいいのに。なんで、そんな回りくどいことを?」
「さあ? 曖昧にされるのが嫌だったんじゃない?」

 結局、それがきっかけで佐々木課長は地方の支社に異動となり、地方で技術営業をしていた林田課長が技術営業支援課の課長になった。

「それで、みんなきちんと仕事するようになったってこと?」
「そっ。当たり前のことなんだけど、一部それが面白くない連中がいてね。わかってると思うけど」
「……もしかして、女性社員達の私に対する態度ってそれ?」
「そう、だからあいつらが言ってたことは気にしなくていい。仕事の意識が高い二人を捕まえて、夫婦間が漂ってないとか、谷崎さんが草食系とか……余計なお世話だって話よ」
「わかった……彼女達のことは気にしないようにする。でも、この話のどこに谷崎さんが私を意識する要素があるの?」
「……」

 少しの沈黙の後、南ちゃんが口を開いた。

「言いにくいんだけど、言うね。谷崎さん、知ってたんだよ」
「何を?」
「つぐみが大路さんのこと好きだったって」

 谷崎さんが知ってた?
 私の気持ちを?
 正確には好きになりかけていただけど、第三者から見たら好きだと同じ。
 ……。
 顔が熱い。さっきは、ヒヤッとしてたくせに。今日一日の私の体温グラフは激しい折れ線を描いているに違いない。
 
「な、なん……」
「何で知ってたかは、谷崎さんに聞いてね。夫婦なんだから」

 かろうじて口に出た言葉は、南ちゃんの容赦ない一言で封じられた。
 
「聞けないよ……」

 恥ずかしいって千回叫んでも足りない。夫婦だからいいでしょって言われるかもしれないけど、夫婦だろうが何だろうが、恥ずかしい恥ずかしいし、知られたくないことは知られたくない。
 
「まあ、気持ちはわかる。もう一杯飲む?」
「ううん。飲みたくてたまらないけど、明日に差し控えるからやめとく」
「そういうとこ、なのよね」
「どーゆうことよ?」

 ニヤニヤしてそう言う南ちゃんにちょっとイラッとして言い返す。

「谷崎さんがつぐみを意識するようになったとこ。仕事に対する責任感が強くて、無茶振りしても何とかこなすし、不利な条件も飲んでしまう。それだけじゃなくて、好きな相手の前で敢えて悪者になったり……好きになるかはともかく、気にはなるでしょ」

 ここは嬉しいと思うところなのかもしれない。でも、今の私はそういう気持ちにはなれない。無駄なことだってわかっているのに、色々なタラレバが浮かんでくる。
 谷崎さんの申し出なんて受けなければ?
 いっそのこと、その日休んでいれば?
 市場開発課への異動を断っていたら?
 そうしたら、私の未来は変わっていた?
 公認会計士になれていた?
 
「もし私が断ってたら、未来は違っていたのかな?」
「それは考えても無駄なことだと思うけど。その一件がなくても、谷崎さんはつぐみの業務量を増やすように仕掛けたんじゃないかな? あの人、つぐみが技術営業支援課を手伝うとは思ってなかったから」
「はあ? 何よ……それ」
「ああ言われたら、普通は手伝いに行かないでしょ?」
「南ちゃんだったらどうした?」
「決まってるじゃない。手伝いになんか行かないわ」

 無駄な質問だと思ったけど、即答で返ってきた。そっか……それが正しい答えだったんだ。やっぱり、私は……。

「だからって、つぐみがバカだって話じゃないからね」
「でも……」
「あれは、タイミングが悪かったの。もう少し後だったらつぐみもスルーしてたよ」
「時期は問題ないんじゃ?」
「ううん、谷崎さんや市場開発課のことがもっとわかってたら……」

 そう言う南ちゃんの顔がどこか暗い。まだ、何かあるのだろうか。

「あのね……あの時の谷崎さんは、つぐみがスルーしたとしても技術営業支援課を助けるつもりだったの」
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