迷子のネムリヒメ

燕尾

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第23話

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 それは二〇〇×年四月の話。
 私が広岡に暴言を吐いた……あの日記の数日後。
 あの頃の私は南ちゃん曰く、戦うOLって感じだったそうだ。
 内面的には試験勉強と仕事の両立が上手くいかず、イライラしていただけだったような気がするけど、傍目には仕事をどんどん割り振ってくる鬼上司とやりあっているように見えたらしい。
 市場開発課に異動した当初、谷崎さんは姫島さんと同程度の仕事しか私に振らなかった。
 だけど、その期限は姫島さんの時より短く設定されていた。にも関わらず、私はそれを難なくクリアしていた。それどころか「ギリギリになるのはちょっと……でも、早過ぎると使える奴と思われてしまう」と考え、敢えて期限の二時間前に完了させるようにしていたらしい。
 谷崎さんに試されているとも気づかずに、簡単な仕事でも複雑な仕事でも、全部二時間前に終わらせていた。
「姫島さんよりはマシかもしれませんけど、私もそんなに仕事はできませんよ」というアピールのつもりだったみたいけど、それは裏目に出ていた。
 谷崎さんが私に持った印象は、何でも二時間前に終わらせる奴という微妙なものだった。

「バカだ」
「確かにね……そのせいで谷崎さんは、二時間の壁を壊してやるって意気込むし……。つぐみはそれを受けて立ってるし……。今思えば、あの頃からお似合いだわ」
「そ、それは今関係ないでしょ。で、二時間の壁は谷崎さんが壊したんでしょ?」
「それが違うのよね」
「じゃあ誰?」
「……姫島」
「は? 姫島さん?」
「そう、技術営業支援課に異動した姫島」

 私の技術営業支援課での仕事は、課長のサポート業務と簡単な庶務。姫島さんも同じはずだった。だけど、女性社員達は自分達の仕事を姫島さんに押しつけていた。
 それは、大路さんと結婚した姫島さんに対する嫌がらせだった。けれど、市場開発課で仕事を任せてもらえなかった姫島さんには嬉しいことだったらしい。頼られて嬉しいですと南ちゃんに語っていたそうだ。
 ただ、彼女も妊娠している身。時短勤務や通院等で就業時間が短くなっていた。そんな中で本来の業務以外の仕事を引き受けていれば、当然その綻びが出てくる。
 それは、姫島さんが検診で午後出社の日に起こった。
 技術営業支援課では、その日の夕方にとある商談を控えていた。客先に来てもらい、プレゼンを行うというもの。そこで客先に提示する資料が完成していないということが判明した。

「それってあり得ないでしょ? 普通、前日までに完成させておくものじゃないの?」
「それがあり得るのが、あの課でしょ。まあ、つぐみがいた時に八割くらい出来てた資料だったし、佐々木課長も何も言わなかったから、姫島が後回しにしちゃってたと思うけど……」

 それだけでも大問題だと思うのに、女性社員の一人が共有フォルダに入っていた途中まで作成した資料のデータを誤って削除するというオマケがついていた。

「それ、わざとだろ!」

 思わずツッコんでしまった。南ちゃんがきょとんとした顔をしている。

「ごめん……話の途中だったよね」
「いや、あの時はみんなそう思ったし。続けるよ」

 夕方のプレゼン資料がないという事態に、佐々木課長は血相を変えて市場開発課のフロアに来たそうだ。佐々木課長は谷崎さんのところに駆け寄り、事情を説明し「柏原さんのフォローが必要なので、貸して欲しい」と助けを求めた。

「……私からすれば迷惑な話だけど、佐々木課長にしてはまともな判断だね」
「そうなんだけどね、谷崎さんはそれを断ったの」
 
 谷崎さんは佐々木課長の申し出を「そっちの問題なんだから、そっちで何とかするべき。それに他部署の仕事を手伝う暇など柏原さんにはない」と一蹴した。それを聞いた佐々木課長は、フリーズしてしまった。
 その場には大路さんもいて、私がダメなら自分がと動こうとしたけれど、谷崎さんが「他部署の問題に首を突っ込むな。自分の仕事に集中しろ」と釘をさしたらしい。
 その時の様子は、今の私にはわからない。谷崎さんの課がどれだけ仕事を抱えていたかも知らない。私がとやかくいう筋合いなんてないけど……。

「課長としては正しい判断かもしれないけど、冷酷じゃない? それにこれって会社の信用に関わることだよね?」
「そうなんだけどね。そこに谷崎さんの狙いがあってね。ここからは、つぐみに酷な話になるんだけど……」
「大丈夫。覚悟はできてる。私はその時どんな感じだったの?」
「つぐみ、山路さんって覚えてる?」
「山路さん? 一月に定年退職した人でしょ」
「そう、その案件って、山路さんが担当していたものなの」

 山路さん。
 その名前にはっとする。
 技術営業支援課の中で唯一尊敬できた人。私がこの会社に入って間もない頃、会社や業界のことをよく教えてくれた。
 私の記憶に残る山路さんは、他の営業部署が投げ出した客先に可能性があるからと、時間を見つけては足を運び話を聞いていた。その記録はノート三冊分はあった。
 定年退職で、そのノートを佐々木課長に引き継いだ時の、山路さんの寂しそうな悔しそうな……何とも言えない表情が頭に残っている。
 その山路さんの案件。
 聞かなくてもわかる。
 平然としていられるわけがない。 
 
「谷崎さんもそれは知っていた。だから、動揺しているつぐみに言ったの」
「何を?」
「“今のは課長としての俺の意見。もし、柏原さんが手伝いたいなら止めない。だが、こっちも柏原さんの実力に見合った仕事をお願いしている。今の柏原さんには、技術営業支援課の仕事を手伝う余裕なんてないはずだよね。もし、手伝う余裕があると言うなら、これから俺は柏原さんに容赦なく仕事を振るし、残業もしてもらう”って」
「最低!!」

 南ちゃんが言い終わった途端、叫んでいた。もう過ぎたことだから、今更怒っても仕方ないけど、怒りで手が震えている。

「そうね。でも、仕方ないんじゃない? あの頃の谷崎さんは、つぐみが公認会計士を目指しているなんて知らなかったし」
「そうだけど……。で、私はどうしたの?」

 私がどうしたかは、予想通りだった。
 私は谷崎さんの言葉を受け入れ、技術営業支援課に手伝いに行くことにした。そして、技術営業支援課につくなり、佐々木課長にはこう言い放ったそうだ。

「勘違いしないで下さい。私がここに来たのは、仕事ができないくせに担当外の仕事を引き受け、優先順位もつけられず、データのバックアップも取っていないバカな社員のせいで、山路さんのしてきたことが無駄になるのを見過ごせなかっただけです。技術営業支援課の為なんかじゃありません」

 それだけでも頭を抱えたくなるのに、真っ青な顔をしていた姫島さん相手に──

「あなた何してたの? 佐々木課長に進捗状況を報告しなかったの? やる気があるのは構わないけど、やらなきゃいけない仕事を蔑ろにして、関係ない他人の仕事を引き受けてんじゃないわよ。しかも、あなた妊娠してるんでしょ? 無理ができないことも考えて仕事しなさい。それができないなら、さっさと会社を辞めれば?」

 と説教した。

「つぐみ? 大丈夫?」

 テーブルの上に額をピタリとくっつけたままの私に南ちゃんが聞く。

「……大丈夫じゃない」

 大丈夫じゃなさすぎて、顔を上げる気にもなれない。
 断言する。これ、絶対に日記に書いてる。
 一体、あのノートの中にはどれだけの痛い出来事が綴られているのだろう。

「谷崎さんのこと最低って言ったけど、私の方がクズだ……」
「いや、いいんじゃない? つぐみにはあれぐらい言う権利あったと思うよ。あの一件のせいで、業務量すごい増やされたし」
「……ちょっと疑問に思ったんだけどさ」
「何?」
「どうして、南ちゃんが私の暴言を知ってるの? 私が自分で、あんなこと言っちゃったとか言ったの?」
「いや……私、その場にいたし。ちなみに谷崎さんと大路さんもいたよ」
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