迷子のネムリヒメ

燕尾

文字の大きさ
51 / 60

第51話

しおりを挟む
 胃袋をつかまれる──という女子力のカケラもないきっかけで、私と谷崎さんは仲良くなっていった。けれど、それはあくまでも上司と部下としてだ。
 心を開いたと言っても仕事以外の話をするようになったくらいで、それも新聞やニュースの話や会社の近くの安くて美味しい店の情報とか、コンビニスイーツの新商品の話という……浅いものばかりだった。
 資格取得のために勉強しているという話はちらっとしたらしいけど、公認会計士を目指しているという話は一切しなかった。

「本音を言えば……話して欲しかったと思う。だけど、安易に他人に話すことでもないよな。俺がつぐみの立場でも言わなかった。その上でどうするかを考えた」

 谷崎さんが出した答えは、私が公認会計士のことを口にしない限り、知らない振りを貫くというものだった。
 自分だったら絶対に知られたくないという考えのもと、知らない体で私と接して事情を知っている南ちゃんには「俺が知っていることは絶対に伝えるな」と固く口止めしたそうだ。

「本当は業務量を減らしてやれればよかったんだけどな……」
「ダメですよ。それで業務を減らすのは間違ってる。そんな配慮されても、嬉しくなんかない」

 谷崎さんはそんなことをしなかったと知っていても、気弱な言い方に声を張り上げてしまう。谷崎さんはそんな私に苦笑した。

「そんな配慮はしてないから大丈夫だよ。減らしてやりたくても……あの時は市場開発課も大変な時だったし。俺にできたのは、体力がつくようにって時々旨いものを食わせてやることくらいだった。あとはつぐみに仕事を頼む上で、どうしたら効率的に作業できるかを考えて指示を出すようするとか? ……今考えると、大して役に立ってないな」
「そんなことない」

 力がつくようにって美味しいご飯を食べさせてくれたり、仕事をしやすいように考えてくれたり……至れり尽せりだわ。
 私はそんな谷崎さんの見えない優しさに気づけていたのだろうか。いや……きっと試験勉強に必死で見えていなかっただろう。
 嬉しいやら、ありがたいやら、情けないやら、自分に腹立つやら……プラスの感情とマイナスの感情が頭の中でマーブリングみたいになってきた。

「私って……谷崎さんに助けられてばっかりだ」

 自分を卑下するつもりはないけど、しょんぼりした気持ちになってしまう。

「それは違う」

 ため息混じりの私の呟きに穏やかだけど、毅然とした声が降ってきた。下を向いていた視線がその声の持ち主を求めていく。そんな私にふっと軽く笑って見せた後、谷崎さんは笑みを解いて真面目な顔をして口を開いた。

「助けられていたのは俺だ」
「え?」
「俺にとってつぐみは、ヒーローみたいなものだった」
「……はい?」

 谷崎さんの言葉に眉間にぎゅっと皺が寄る。
 ヒーローって? 何?
 童話に出てくる王子様? 
 それとも、なんとかマンとか、なんとか戦隊とか?
 頭の中で記憶にある限りのヒーローを思い浮かべる。
 ……全部男だ。一体、どういう意味なんだろう。
 なんとか戦隊のピンク的なイメージで言ってくれているんだろうか。

「……なんとかピンク的な?」
「つぐみは、ピンクよりもイエローだろう?」

 首を傾げながらの独り言に、谷崎さんが静かにツッコミを入れてきた。
 イエローって……大食いキャラじゃん。
 戦隊ものをほとんど見たことない私だって、それくらいは知ってる。
 
「あんまりだ……」
「え?」
「イエローって大食いキャラでしょ」
「……」

 拗ねながら言うと、小さなため息が聴こえてきた。

「言っておくが、歴代のイエローで大食いのキャラはほとんど存在しない。今のイエローは、曲がったことが嫌いな真っ直ぐな女性キャラだ。ちなみにピンクは、駆け引き上手な小悪魔キャラだ。それでもピンクがいいのか?」

 ……私にピンクは無理だ。

「イエローでいいです」

 谷崎さんの的確な解説で素直に納得する。だけど……。

「何でそんなに詳しいんですか? まさか……」

 実は戦隊シリーズオタクで書斎の重厚そうな経済書の奥に、歴代のDVDとかを忍ばせていたりして?

「オタクじゃない。甥っ子達からオモチャをせがまれるから、覚えただけだ……って、何でなんとか戦隊の話になるんだ」
「谷崎さんが変なこと言うからですよ。ヒーローって……ヒロインならともかく」
「ヒロインか……」

 そう言って谷崎さんは私をじっと見つめた。

「……無理だ。俺にはあの日のつぐみはヒーローにしか見えなかった」
「……っ」

 あの日という言葉に胸がざわめく。
 私の予想が正しければ、谷崎さんの言うあの日とは私の試験一日前の話だ。

「あの日って……」

 ゆっくりと呼吸を整えて尋ねると、谷崎さんはゆっくりと頷いた。

「そう。つぐみの試験一日前の話だよ」

 それは八月のお盆が明けた頃のことだった。
 私が受けていた公認会計士試験は短答式と論文式の二つで成り立っている。
 私の場合、短答式試験は前年に合格していた。だから免除申請をして、論文式試験だけを受けることになっていた。
 その論文式試験は、毎年八月の中旬を過ぎた頃に実施される。うちの会社は夏休みは雇用形態に関わらず、好きな時期に取ることになっている。だから私は毎年この時期に夏休みを取っていた。それは市場開発課に異動しても同じだった。
 八月は取引先の夏季休暇の関係で閑散期にあたるけど、その年は事情が違った。
 お盆明けに市場開発課にとって、重要で大きな商談が控えていたのだ。谷崎さんをはじめとする社員の人達は、普段の業務に加えて膨大な資料の作成や打ち合わせに明け暮れて、毎日終電続きだったと、南ちゃんに聞いたことがある。

「そんな時期に夏休みって……ちょっと罪悪感ですね」
「いや、当然の権利だろう。それにつぐみは休みに入る前にできる限りのことを済ませてくれていた。残っていたのは、プレゼンのリハーサルくらいだったし」

 その日は大事な商談の前日だったけど、事前準備を済ませていた谷崎さんにしてみれば、よくある普通の一日に過ぎなかった。
 それを一変させたのは、客先に提示する資料用に提供していたデータに欠陥があるという技術部からの連絡だった。

「一日前に言われても……って話ですね」

 素直に思ったことを口にしたら、谷崎さんは視線を落として笑って首を横に振った。

「いや、あれは俺の確認不足だ」
「そんな……技術部のデータに誤りがあるなんて、営業部門じゃ見抜けないでしょう」
「俺が新入社員だったらな。だけど、俺は仕事で技術部のデータを何度も目にしていた。現に連絡を受けて見直したら、違和感がくっきり見えた。俺が見過ごさなければ、もっと早く手を打てたはずだ」
「……」

 谷崎さん自身に向けられた厳しい言葉に息を呑む。
 そんなことないと言いたいけど、これは私が踏み込んではいけない領域だ。どういう状況だったにしろ、そのまま客先に提示していたら、失注だけじゃなく会社の信用を大きく損ねていたかもしれない。信頼を得るのに時間や労力をかけても失う時は一瞬だ。

「それで……どうしたんですか?」
「すぐに正しいデータを入手して、資料を作り直すことにした」
「客先にリスケをお願いするとかは考えなかったんですか?」
「徹夜すれば何とかできるレベルだったからな。それにあれは五社競合の案件で、うちのプレゼンが最後たっだんだ。その状況で延期を申し出るのは不利だと判断した」

 私を呼んだらという声もあったらしいけど、谷崎さんはそれを頑なに拒否した。
 谷崎さんは私が翌日試験を控えていると知っていた。それは南ちゃんも同じで、連絡しようとする他の社員を睨みつけて威嚇していたらしい。
 だから、私がそれを知ることはなかった……はずだった。
 だけど、私はその時にたまたま姫島さんの家にいて、姫島さんに届いた「トラブルが起きたから今日は帰れないかもしれない」という大路さんからのメールで間接的に知ってしまった。

「それは不可抗力ですね」
「そうだな……大路は落ち込んでたけど、つぐみと姫島さんが一緒にいるなんて誰も思わないし。息を切らしながら駆け込んだつぐみを見た時は、本当に驚いた。だけど、すぐに我に返ってつぐみを廊下に連れ出して、どうしてここに来たんだって一喝した」

 その時の谷崎さんは普段とは違って、かなり冷たくて厳しい目を私に向けていたそうだ。だけど、私は怯むことなく、姫島さんに届いたメールで知ったので来たと淡々と答えた。

「大丈夫だから帰れって言っても、つぐみは帰ろうとしなかった。あんまりにも強情だったから、明日は論文式試験の一日目だろって言った」
「……それで?」
「ハトが豆鉄砲食らったような顔してた」

 それはつまり、かなり面食らったってことか。
 きっと間抜けな顔してたんだろうなあ……。でも、私の事情なんて知らないだろと高を括っていた人の口から、論文式試験なんて言葉が出できたら……動揺くらいする。

「俺が知っているとは夢にも思っていなかったんだろうな。面白いくらいに固まってた。だから、優しく諭すように帰りなさいって言った」
「それを私は拒否したんですよね」
「ああ。さっきまで間抜けな顔してたくせに、急にキリッとした顔で“嫌です”って即座に返してきた」
「……私らしい」
「最初はその態度にカチンと来たけど、その後に“大丈夫です。これでダメになるような浅い努力なんてしてません”って笑って言うんだからな」

 うわぁ……南ちゃんからちらっと聞いてたけど、本人から聞くと破壊力が増す。

「……試験に落ちてるくせによく言うって話ですよね。本当に恥ずかしい。タイムマシーンがあったら、今すぐ回収しに行きたいくらい」
「それはダメだ」
「え?」
「今のつぐみが思おうが、俺はあの時のつぐみに見惚れたんだから」
「……っ」

 さりげない谷崎さんの告白に心拍数が一気に跳ね上がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ガネット・フォルンは愛されたい

アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。 子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。 元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。 それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。 私も誰かに一途に愛されたかった。 ❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。 ❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

【書籍化決定】アシュリーの願いごと

ましろ
恋愛
「まあ、本当に?」 もしかして。そう思うことはありました。 でも、まさか本当だっただなんて。 「…それならもう我慢する必要は無いわね?」 嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。 すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。 愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。 「でも、もう変わらなくてはね」 この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。 だって。私には願いがあるのだから。 ✻基本ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻1/19、タグを2つ追加しました ✻1/27、短編から長編に変更しました ✻2/2、タグを変更しました

処理中です...