迷子のネムリヒメ

燕尾

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第52話

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「あの時のつぐみはとてもかっこよかった」
「……」

 私の心拍数などお構いなしに谷崎さんの話は続いていく。

「きゅっと上がった口の端に勝ち気な瞳。つぐみの顔を見ていたら、大丈夫、何とかなるって思えた」

 谷崎さんは目を細めて語っているけど……それって俗に言うどや顔というものでは?

「Tシャツとジーンズにスニーカー姿で、颯爽と自分の席に歩いて行く姿は凛々しくてさ。ヒーローの登場シーンそのものだった」

 それでか……。
 よりによって、Tシャツとデニムとスニーカー……。
 ええ、私の休日の定番ファッションですとも。
 楽だし動きやすいから、試験シーズンはいつもそのコーディネートで通していた。だから驚きはしないけど。あの格好の私って……中学生って感じなのよね。
 童顔だから幼く見えるのもあるけど、それ以上に私を幼く見せるのは……体だ。
 ちらりと自分の胸をのぞき込んだ。谷間なんて永遠の夢って感じのまな板みたいな……ある意味とても健全な胸。
 普段は子供っぽい体なりに、ネックレスを上手く合わせて大人っぽく見せているけど……休みの日にそんな面倒なことをする理由なんてあるわけもなく……。
 中学生って感じの私がどや顔で、「浅い努力なんてしてませんから」って……中二病じゃない。

「自分の恥ずかしさと痛さに……悶絶しそうです」
「そんなことはない。本当にかっこよかったんだから。PCを操ってテキパキと資料を作成している姿は、次々と出てくるモンスターを倒している戦士みたいで、見ていて気持ちが良かった」
「モンスターって……」
「俺よりもずっと華奢な体なのに、その背中が広く見えて……何だか王子に守られている姫の気持ちになったよ」

 王子って私のこと?

「……随分と体格のいいお姫様ですこと」

 谷崎さんの現実離れした喩えに頭がついていかず、そう混ぜっ返すので精一杯だった。
 王子っていうのは褒め言葉なんだろうけど……何故だろう。あんまり嬉しくない。
 自分のキャラクターが、お姫様やヒロインからかけ離れているのはわかっているけど、だからって王子様やヒーローになりたいわけじゃない。姫を守る王子より、王子に守られる姫の方がいい。
 確かに谷崎さんの方が私より女子力ありそうだし、その気になれば谷崎さんのことをお姫様抱っこできるって思っていたけどね。
 ……何だかんだ言いつつ、根本は女子だってこと? そう考えると、この微妙な気持ちに納得がいく。

「これで恋に落ちたってことですか?」

 そうじゃありませんように──と密かに願いながら尋ねる。谷崎さんが私を好きになってくれたことが大事なんだから、きっかけなんてどうでもいい。そうわかっていても、私の中にある複雑な女心が私を矛盾させる。

「いや……そこではない」

 口にはしていない私の心の声を感じ取ったのか、谷崎さんは安心しなさいと言うような表情で答えてくれた。

「あの時は商談が成立するかの瀬戸際だったし、つぐみの試験のこともあったしな。そんなことを思う余裕なんてなかった。今考えると、五割くらいは落ちてたかもしれないけど」
「じゃあ、完璧に落ちたのって……」
「それは……」

 続きを言いかけて谷崎さんは口を噤んだ。
 再び時が止まったように静かになる。
 実家からここに来た時も、何度かこんな風になったことがあったな。その時は気まずさしか感じなかったけど、今はちょっとだけ温かさを感じる。
 それは谷崎さんの沈黙の裏にあるものがわかっているからだ。谷崎さんが黙っているのは、恥ずかしいとか体裁が悪いからじゃない。私の予想が正しければ谷崎さんのきっかけは……。

「私の合格発表の後ってことですね」
「……ああ」
「言い淀まなくても大丈夫ですよ。もう、自分の中でケリをつけたことなんで。聞かせて下さい……あの時の私のこと」
「わかった」

 あの後、その日の内に資料は完成した。
 日付が変わりそうな時間だったけど、私がそのまま試験に行ける荷物を持っていると知った谷崎さんは、会社のビルに隣接しているシティホテルに部屋を取ってくれたそうだ。

「……贅沢な。そこまでしなくて良かったのに」
「いや、無理をさせてしまったんだから当然だ。少しでも万全に近い状態で試験に向かわせる責任が俺にはあった。贅沢だって言うけど、成立した商談の額からすれば安いくらいだ」

 次の日、私はホテルから試験会場に向かい、一日目の試験を無事に終えることができた。谷崎さんはプレゼンを成功させ、見事に商談を勝ち取った。
 最後の試験と夏休みを終えた私は、ホテルのお礼がてら谷崎さんには無事に試験を終えたことを報告したけど、それ以上のことは語らなかった。谷崎さんも私に余計なことは聞かなかった。
 そして……合格発表の日。
 最後の合格発表は自宅で迎えた。いや、それまでも合格発表の日は休みを取っていた。

「落ちても、受かっても……そのことで頭がいっぱいになって、仕事どころじゃなくなるんですよね」

 結果は不合格。
 だけど、それまでで一番いい成績だった。
 自分の力を出し切ったから悔いはないけど、やっぱり悔しくて……たくさん泣いた。その時に書いた日記を読んだ今の私も……大泣きした。

「俺もそわそわしてたな」
「え? 谷崎さんが?」
「合格していて欲しいって願っていたけど、つぐみと仕事できなくなるって考えると複雑だったり。結果が気になって仕方なかった」
「まあ、中途半端に知っちゃいましたしね」
「だろ? だけど、これは俺が踏み込んでいい場所じゃない。だから俺はつぐみが言ってくるまで、何も聞かないと決めていた」

 とは言うものの、翌日の私の顔を見て谷崎さんは結果を察してしまった。

「瞼は腫れてなかったけど目が真っ赤だった。それで、泣いてたんだなって……それが嬉し涙じゃないのは、つぐみの様子でわかった」
「何か変なミスとかやらかして……ご迷惑をかけましたか?」
「心配しなくても、普段通りの完璧な仕事ぶりだったよ。だけど、無理やりいつもの自分と同じように振る舞っているようにも見えた。大丈夫だとは思ったけど……」

 私の様子に思うところがあったのか、谷崎さんは何も聞かないという判断を撤回した。
 打ち合わせと称して私を会議室に呼び出し、試験の結果を聞き出した。

「つぐみは笑顔でダメでしたってさらっと答えてくれた。明るかったけど、それが痛々しかった。何て声をかければいいか……自分で聞き出したくせに、情けないよな」

 何も言えなかったけど、谷崎さんは自分なりに責任を感じていたそうだ。

「技術営業支援課にいれば、違う結果だったのかもしれないって……俺が思う資格はないのに、そんな考えが頭を過ぎってしまった。それで……思わず悪かったって言いそうになった。だけど、口を開こうとした瞬間に鋭い表情で“悪かった”なんて言ったら、刺しますよって言われた」

 谷崎さんはその時のことを思い浮かべたのか、懐かしそうに笑った。
 だけど、私は笑えない。
 刺すって……二十七歳の私はどれだけ血の気が多いんだ。

「色々してくれた人に向かって……本当にごめんなさい」
「いや、謝るのはこっちだから。俺が悪かったって言うのは、つぐみのしてきた努力を殺すようなものだから」
「……どういうことですか?」

 谷崎さんの言葉をどう受け取ればいいのかわからず、困惑しながら谷崎さんの顔を見つめた。谷崎さんはそんな私に大丈夫だと目で語りかけ、ゆっくりと話し始めた。

「さっき言ってただろう? どんなハンデが降ってきても叶える人は叶えるって」
「はい」
「あの時のつぐみも同じことを言っていたんだ」

 ああ、やっぱり。さっきの谷崎さんの反応を見て、何となくそうかなとは思っていたけど。

「だから、異動は言い訳にならない──つぐみはそう言ったけど、納得し難くて……」

 俺に仕事を増やされ、残業を避けられなくなって……勉強に充てられる時間が減ったと思わないのか? と問い詰めたらしい。

「随分と嫌な質問を……圧迫面接みたい」
「否定はしない。俺を責めてもどうにもならないってわかっていたけど、そうすることで楽になれたらって……今、考えると浅はかだったけどな」
「確かに余計なお世話って感じですね。で、私はどう答えました?」

 試験に落ちたことを消化している今の私なら、朝早く起きて勉強しましたとか言えるけど……消化している真っ只中であろう私にそんな余裕があるとは思えない。

「帰りが遅くなるのなら、朝早く起きて勉強すればいいし、勉強時間が減るなら短い時間で身につくように、脳みそをフル回転させて濃密な時間に変えてやるまでだって」
「……いいこと言いますね」

 きっと過去の私は最初からこの台詞を言えたわけじゃない。
 市場開発課に異動して、思うように勉強ができなくなって、その苛立ちを広岡にぶつけたこともある。
 だけど、私はそこで止まらなかった。不利な状況はプラスに変えてやれって自分を奮い立たせた。そして……試験は不合格だったけど、谷崎さんに異動は関係ないと言ってのけた。そんな自分をちょっとだけ偉いと思う。

「私は自分が持っている全部の力をぶつけてきた。だから、悔やんだりはしないって、真っ直ぐな目をして言い切るんだからな。つぐみの芯の強さには敵わないって思った」
「それで……なんですね」

 ……やっぱり、王子様ルートか。
 嬉しいけれどちょっと複雑だ。私は谷崎さんが思うほど強くない。過去の私が言ったことは本音だけど、異動しなければ……とか、谷崎さんと出会わなければ……と思うことだってあった。
 まあ、谷崎さんと時を重ねていく内にその辺りのことはバレているだろうし、それでもこうして一緒にいるってことが一つの答えのような気がするし、これはこれでいいのかも……そう納得しかけていたら、谷崎さんが意味ありげに微笑んだ。

「いや、その後だ」
「え?」
「つぐみは、全力でダメだったってことは、これが自分の限界なんだって、寂しげに微笑んだ。微かに肩を震わせて笑う姿が弱々しくて見えて……俺は言葉を失った」

 限界という言葉に胸の奥がつんとする。私はどんな気持ちでその言葉を口にしたのだろう。私の脳裏に涙をたくさん吸った日記が浮かび上がってきた。

「黙ったままの俺につぐみは、仕事に戻りますと告げて去って行った。ピンと伸びた背筋で颯爽と歩いていたけど、その背中はとても小さく見えた。それが決定打だった」

 そこで谷崎さんは小さく息を吐いた。そして真剣な眼差しで私を見つめた。

「悔しくないって言っても……悔しくないわけがないよな。俺の前で毅然としていても、裏ではたくさんの涙を流していたはずだ。異動は関係ないという言葉に嘘はなくても、心の底では悔しさや悲しさや苛立ちという感情を抱えていただろう。だけど、つぐみはそれを表に出そうとしなかった」

 谷崎さんの言葉が私の心を揺さぶっていく。心の奥、奥の……深いところにおいてある気持ちを撫でられている気分だ。
 谷崎さんの言う通りだ。
 日記には悔いはないと書きつつも、悔しいって書き殴っていたし、異動しなければと未練がましく綴ってもいた。……その上に線を引いて消していたのは笑ったけど。 

「……強がっていたんですね」

 必死で自分の弱さや脆さを隠そうとして……。思い出せるわけじゃないけど、あの頃の私の様子がぼんやり頭の中に浮かんできて……苦笑してしまう。
 
「それはちょっと違う。つぐみは強く見せたいんじゃなくて、強くありたいと思っていたんだよ……それは今も同じか。強くありたいと願うからこそ、どんなに傷ついても、自分の弱さから目を逸らさずに向き合う。表面上では平気な振りをしていても、裏では誰よりも泣く──柏原つぐみの強さは眩しくて誇らしいけれど、柏原つぐみの弱さと脆さは抱きしめたくなるほどいじらしくて……気づいたら君のことをたまらなく愛おしいと思っていた。……それが俺の恋の始まりだ」
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