迷子のネムリヒメ

燕尾

文字の大きさ
53 / 60

第53話

しおりを挟む
「……」

 谷崎さんの言葉がすうっと私の胸に染み込んでいく。

 何か言わなきゃ──そう思うのに、ぶわっと色々な想いがこみ上げてきて言葉にならない。優しい眼差しで私を見つめる谷崎さんを見つめ返すので精一杯だ。
 ……参った。
 顔は熱くなってくるし、頭はぼうっとしてくるし、心臓の鼓動は激しくなるし……それなのに、私の心はどこかほっこりしている。何とも言えない不思議な感じ。
 どう表現すればいいかわからないけど、心の中に空のカップがあって、そこに温かいお茶を注がれたような気分。それは冷たくもなければ、熱々でもなく……今の私にとってちょうどいい温かさで、ゆっくりと私の心の中を巡って、冷たくてカサカサになっていた場所を潤していく。
 嬉しかった。
 私の強がりを“強くありたいと思っている”と捉えてくれたこと。
 私の中にある弱さや脆さを見抜いた上で、私に想いを寄せてくれたこと。
 そして……抱きしめたくなるほどいじらしい。
 この台詞を柏原つぐみに言えるのは、世界中どこを探しても一人だけだ。そのたった一人が今こうして私の隣にいる。そんな奇跡的で贅沢な現実を思うと、自然と口元が綻んでしまう。
 谷崎さんが告げてくれた言葉のひとつひとつが、私の心の中にあったこわばりを解いていく。
 ああ……心が満たされていく時ってこういう感じなのか。
 少しこっ恥ずかしくて、少しくすぐったいや。だけど、私の胸の中は幸せな気持ちで満ち溢れている。
 こんな気持ちになる日が来るなんて、会社の休憩室でふて寝した時は思ってもいなかった。
 あの頃の私がふてくされたままだったら、ここに辿りつけなかった。
 そして今の私が記憶喪失という現実にめげたままでも、きっと辿りつけなかった。
 今、私がとても幸せで満たされているのは、過去と今──それぞれの私が失敗したり痛い思いをしながらも、色々なことに真正面からぶつかっていったから。そして何より……そんな私を温かい目で見守り、とても大切に思ってくれた人がいるからだ。
 

「……ありがとう」

 谷崎さんはたくさんの言葉を伝えてくれてたのに、私が絞り出せたのはたったこれだけ。五文字じゃ足りないってわかっているけど、それしか言いようがなかった。
 一言だけど、その中には色々な気持ちが詰まっている──私の意図が伝わったのか、谷崎さんは微笑みながら頷いてくれた。私も負けじと微笑み返す。

「まあ、その後が大変だったけどな」
「え?」

 このまま甘い雰囲気が続いていくのかなとぼんやり思っていたけど、谷崎さんはあっさりとそれを打ち破った。

「つぐみは部下としては扱いやすかったけど、恋愛対象としてはとても手強かった」
「手強いだなんて大げさな……」

 そう言い返したもの、思い当たるフシがあるだけに内心あたふたする。

「そんなことはない。本当に手強かった。不器用なくせに上司と部下というバリアを器用に張り巡らせて、迂闊に想いを告げられない雰囲気を作っていた」
「気のせい……」

 ですよ──言おうと思ったけど、口ごもってしまう。
 ……言えるわけがない。
 記憶はないけれど、私はその辺りのことを日記にバッチリ書いていたのだから。
 私は谷崎さんの気持ちに薄っすら気づいていながら、気づかないフリをしていた。間違っても想いを告げられるようなムードにならないようにと予防線を張っていた。そのまま時が流れて谷崎さんの気持ちが別の人に向けばいいと本気で思っていた。
 私を好きだと思ってくれる気持ちを蔑ろにしていたのだ。椎名さんを好きだった時にあんなに切ない思いを味わったのに……私は谷崎さんにそれをさせようとした。
 やっぱり……最悪だ。

「ごめんなさい」
「いや、つぐみの中に俺の部下にならなければ、公認会計士になれていたかもしれないという葛藤があったのはわかってたから」

 やっぱり……わかっていたのか。あの頃の私からすれば、悟られたくなかった気持ちだろうけど、私の弱さや脆さを見抜かれていたのなら仕方がない。だけど……自分と出会わなければって思っている相手を好きになるって……。

「……面倒くさいって思わなかったんですか?」
「思わなかった。つぐみの気持ちの整理がつくまで待とうと思っていた。それなのに、つぐみは俺の気持ちが冷めるようにって、自分は面倒くさがりやで大雑把だとか、食べるのは得意だけど料理は全然できないとか……素の部分をたくさん教えてくれたけど」

 ……無意味だった。
 笑いながら語る谷崎さんの表情で悟った。
 私ったら……でも、何となく谷崎さんと一緒になってからの私がキレイになった理由がわかった気がする。自分のダメな部分を知られているから伸び伸びしていたというか、いい感じに力が抜けたんだ。

「変わらなかったんですよね」
「ああ、らしいなって思ったけどな。むしろ得した気分だったよ。大路とか、片想いしていた相手には絶対に教えないだろうなって思うと」
「……何でもお見通しって感じだったんですね」

 自嘲気味に言うと谷崎さんは意外なことを口にした。

「そうでもないぞ。つぐみは俺や仕事には隙は見せなくても、他の奴らには無防備なところがあったし。予想外の言動をするし……おかげで長期戦で行こうと思っていた計画が崩れた」
「……」

 遠い目で語る谷崎さんを見て、胸がざわざわしてきた。
 予想外の言動……谷崎さんの言うそれは多分……。

「それって大路さんの披露宴?」

 恐る恐る尋ねると、谷崎さんは目を瞠って見せた後、気まずそうな顔をした。

「知ってたのか……」

 その一言で忘れかけていた日記の内容が私の中で一気に再生された。

「……えっと今更ですけど、その節は本当に失礼致しました」
「いや、俺も悪かった。あの時は余裕がなかったから」
「谷崎さんが?」

 谷崎さんとは程遠い言葉に眉をひそめると、谷崎さんはため息を零した。

「あの日のつぐみは最高にキレイだった。歌っている時の眩しさったら……」

 あれを見られていた? って、冷静に考えたら当たり前だ。でも、あれをキレイと言われてしまうと……当時の谷崎さんの気持ちから考えたら無理はないけど。

「そんな大げさですよ。披露宴の一コマでしょう?」

 恥ずかしさを紛らわせるように言うと、谷崎さんはちょっと不満げに首を横に振った。

「そんなことはない。目に焼き付けておきたいくらいだった。もっとも、俺はレンズ越しでしか見れなかったけどね」

 ん? レンズ越し?
 ……私の脳裏に大路さんと姫島さんの披露宴のDVDの映像が浮かび上がってくる。

「あのDVDって谷崎さんが撮っていたんですか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ガネット・フォルンは愛されたい

アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。 子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。 元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。 それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。 私も誰かに一途に愛されたかった。 ❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。 ❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

【書籍化決定】アシュリーの願いごと

ましろ
恋愛
「まあ、本当に?」 もしかして。そう思うことはありました。 でも、まさか本当だっただなんて。 「…それならもう我慢する必要は無いわね?」 嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。 すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。 愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。 「でも、もう変わらなくてはね」 この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。 だって。私には願いがあるのだから。 ✻基本ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻1/19、タグを2つ追加しました ✻1/27、短編から長編に変更しました ✻2/2、タグを変更しました

処理中です...