始まりはどこから?

燕尾

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魔女の本音

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「……」

 柏原は何も言わず、口を真一文字に結んだまま、眉根を思いっきり寄せ俺を睨んでいる。
 はぁ?
 何も言わないが、柏原の顔がそう言っているように見えた。
 しまった……と思ったが、どうやら手遅れのようだ。
 言葉を交わさなくても、その目から俺に対する怒りや憎しみがひしひしと伝わってくる。
 完全に嫌われたな。
 わかっていたことだから傷つきはしないが、微かに胸が痛む。
 それにしても……今にも炎を噴き出しそうな顔をしてやがる。だが、こっちもそれなりの修羅場を潜り抜けて来てるんだ。そんな顔をされたところで痛くも痒くもない。
 この際だ。言うべきことは言ってやろうじゃないか。

「確かに山路さんは素晴らしい人だったよ。仕事に対する姿勢はもちろん、面倒見も良かったからね。柏原さんも色々教えてもらったんじゃない?」

 柏原は無言のままだったが、俺を睨みつけている目の力を微かに緩めた。
 それだけで柏原がヤマさんのことを慕っていたのだとわかる。
 なるほど……佐々木課長もそれをわかっていたから、柏原に聞こえるように大騒ぎをしたんだ。改めて思い返すと、苦々しい気分になる。

「山路さんが大事にしていた仕事だからって、柏原さんが思うのも無理はない。だけど、山路さんはもう退職されて……冷たい言い方になるけど、この会社にとっては過去の人だ。柏原さんにとってもね。その相手のために自分の負担が増えてもいいなんて普通は考えないよ」
「……」

 俺の言葉に柏原は再び目に力を入れた。それだけじゃない。手のひらに爪の痕が付くほどの力で両拳を握り締めている。噴火寸前といったところか……さっきの大路のプレッシャーが可愛く思える。
 だが、怯む気などさらさら無い。今回の柏原の言動が、自分を蔑ろにしたものだったのは紛れのない事実なのだから。

「おまけに姫島さんにあんな言い方までして……。嘘でも姫島さんのことを責めないで下さいって言っておけば、柏原さんの株が上がったのに。皆の前で説教して……彼女に向けられていた悪意を全て自分に向けさせた。自分の身を挺した柏原さんの優しさには感心したよ。
「……」

 これは褒め言葉ではなく当て擦りだ。
 いくらなんでも人が良すぎだ。
 何故、一番貢献した人間が責め立てられなきゃいけないんだ?
 周囲がバカのは言うまでもないが、そんな状況に自ら進んで立つ人間もバカだ。
 柏原は一瞬俯いた後、鋭利な刃物のような尖った視線を俺に向けてきた。どうやら、感心と言う言葉を額面通りに受け取らなかったらしい。
 今にも俺を斬りつけてきそうな険しい顔をしてやがる。だけど、研ぎ澄ませれたその佇まいが、妙に格好良くて俺の目を惹きつける。

「……そくらえ」
「え?」

 それは独り言だったのかもしれない。だが、俺の耳はその呟きにピクリと反応した。
 ……気のせいだろうか? 
 今、クソ喰らえと聞こえた気がするが……年頃の女が使う言葉ではない。ここは聞かなかった振りをしてやるべきだろう。

「そんなのクソ喰らえだって言ったんですよ」

 俺の気遣いなど知ったことかとでも言うように、今度は聞こえる声でハッキリと口にしやがった。呆気に取られている俺に構うことなく、柏原は言葉を続ける。

「自分を美化するために嘘をついて他人を傷つけるなんてクソ喰らえだわ」

 また言った。

「バカだとお思いでしょうが、バカなりに計算して自分のためにやったことなんで気になさらないで下さい」

 は? 計算? 自分のため?
 とてもそう思えないのだが……。

「自分のためとは程遠い対応だったと思うけど?」
「……」

 俺の指摘に柏原は視線を落とし、ため息ををついた。少しの間、床をじっと見つめた後、俺の方に視線を戻して口を開いた。 

「後悔したくなかった……それだけです」
「後悔?」

 想像もしていなかった言葉に眉をひそめる。俺の反応は想定済みだと言うように柏原は言葉を続けた。
 
「谷崎課長がおっしゃる通り、山路さんはもうここにはいない。だけど、私の頭の中には鮮明に残っているんです。あの日……最後の日。相手の会社の情報をたくさん書き込んだノートを佐々木課長に渡した時の、悔しそうで……寂しそうな山路さんの顔が」
「確かに送別会の席でもそれだけが心残りだって言ってたな……」
「あんなバカ課長に託すくらいなら、シュレッダーにかけて粉々にしてやればよかったのに……私ならそうする」
「それはどうかと思うぞ」

 吐き捨てるような言い方に思わず苦笑する。気持ちはわからないでもないが……。

「……でしょうね。だから山路さんはそうしなかった。仕事に対する矜持とこの会社の未来のために」
「だろうな。あの人は後々でかくなる案件を見る目が抜群にあったから」

 ヤマさんは先見の明を持った人だった。ヤマさんが受注獲得した取引先の中には、取引当時は目立たなかったのに今では大きな売上を叩き出すようになった企業がいくつもある。
 今回の商談相手は大企業だが、ヤマさんのことだから更に大化けする可能性があると踏んでいたに違いない。
 ヤマさんと仕事をする度、その視野の広さと深さにいつも圧倒され、少しでも学ぼうと必死だったことを思い出す。
 うちの会社はバカだ。
 ヤマさんはもっと上に行くべき人だったのに……。学歴を大事にするこの会社では、高卒のヤマさんが行ける道は定められてしまっていた。
 ヤマさんがそれをどう思っていたかはわからない。だけど、ふてくされているような人だったら、俺も柏原もヤマさんのことを慕ったりはしない。
 偉くならなかった分、俺は自由に動けた。それに比べて、お前はその年で余計な面倒を背負わないといけないから大変だな──ヤマさんにそう言われて、苦笑したのは少し前のことだ。

「山路さんがいない今、あの案件が成立するのは難しいかもしれない。だけど、プレゼン以前のあんなバカげた理由でダメになるなんて……くっ」

 言いかけて止めたところを見ると、少しは冷静になってきたらしい。

「私の力でどうにもできないことなら、仕方ないって割り切りました。だけど、私次第で何とかなるかもしれないのに……。残業したくないって理由だけで山路さんが大事にしていた案件を見捨てたら? 私は私のことをもっと大嫌いになる」

 自分のことをもっと大嫌いになる? 
 不思議な言い方をする。
 それはつまり……柏原は自分を嫌いってことか? 
 余計な詮索をされたくないのか、柏原は俺に考える隙を与えないように話を続けた。

「どうしてフォローに行かなかったんだろうって後で悔やむくらいなら、五臓六腑が煮えくり返るくらいムカつく条件を飲んだ方がマシだった」

 五臓六腑が煮えくり返るって……この事案に巻き込みたくない俺なりの配慮だったんだが。まあ、今更言い訳するつもりはない。

「本当にそれでよかったのか?」

 事情はどうあれ条件を受け入れた以上、手加減するつもりはない。ただ、迷いが残っているようだったら……。

「はい」

 毅然とした返事に俺の心配は杞憂にすぎないと悟る。

「って言うか、あんな条件を出してきた点で、谷崎課長は私が断わったところで、業務量を増やすように仕向けるなって思いました。だから、もうどうでもいいです」
 
 思っていたより柏原が鋭かったことに驚く。だけど、同時に出てきた投げやりな台詞に何とも言えない気分になる。
 経緯を考えれば仕方のないことだが、どうでもいいじゃなくて、前向きな気持ちで業務ボリュームを増やすように持っていきたかったんだぞ。

「……そうか。けれど、自分が悪者になる必要はなかっただろう。俺や大路が何か言うと思わなかったのか?」

 失恋したとは言え、あれからまだ2ヶ月だ。大路への気持ちはまだ残っているに違いない。そんな相手の前で自分の好感度を下げる真似など……普通の人間は絶対にしない。

「許せなかったから」
「何が?」

 尋ねると柏原は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「あの人達はわかってたんですよ。姫島さんは自分達より仕事はできないけど、素直でやる気があるって。だから陥れようとしたんです。仕事を利用するという姑息なやり方で、しかも、私を持ち上げることで姫島さんを更に突き落とそうとした」
 
 荒ぶった口調から柏原の怒りが伝わってくる。
 姫島を陥れようとしたことにも怒っているが、それ以上に仕事を利用したことや自分を使って姫島を責めようとした姿勢に憤りを感じているようだ。全て自分のためではない怒り……こいつの真っ直ぐさには感心するが、やっぱり自分を蔑ろにしているような気がしてならない。

「だからって自分が傷つく道を選ばなくても」
「傷?」
「技術営業支援課の奴らにキツイこと言われただろ」

 俺には奴らの言葉が柏原を刺しているようにしか見えなかった。だが、柏原は俺の言葉に不満げな表情をした。

「冗談じゃない。姫島さんを陥れる魂胆に使われる方がよっぽど傷だわ」

 きっぱりと言い切りやがった。
 それにしても何だ? 覇気に満ち溢れたこの感じ。昨日までのこいつとは大違いだ。それに腑に落ちないところもある。

「意外だな」
「意外?」
「柏原さんが姫島さんのためにそこまで怒るなんて」

 好きな男の妻のために自分が悪者になるなんて、俺には理解できない。叶わない恋の相手にそこまでする理由などないはずだ。

「……被害者だもの」
「え?」

 困惑した俺の表情を見て、柏原は口の端を上げた。

「きちんとした社員教育ができない会社と上司の」

 勝ち誇ったかのような言い方に胸の奥から苛立ちが湧いてくる。
 けれど、言い返せない。
 腹立たしいが、柏原が言っていることが正しいのは俺自身が一番よく知っている。柏原はそんな俺に冷たく笑って見せた。

「谷崎課長は姫島さんのこと使いづらいって思っていたでしょうけど、それって……単に使えるように育ててこなかっただけですよね?」
 
 柏原の言葉が俺の胸に鋭く突き刺さっていく。言われていることが正しいとわかっていても図星を突かれるとキツイものがある。

「それに引き換え、私のことは評価して下さってるみたいですけど……私と姫島さんは大して変わらないですよ?」
「いや、それは違うだろう」
「変わりませんよ。違うのは……いい上司がいたか、いないかだけだわ」

 その言葉だけで充分だというのに、柏原は容赦無く俺にとどめの言葉を投げつけてきた。

「私だって……最初の上司が谷崎課長だったら、使えない社会人になっていたと思います」
「ああ、そうだな……」

 上司にとって……これほど悲しくて悔しい言葉はない。たとえ自分が自覚していることだとしても……。
 だけど、俺の心はざわつくことなく平静だ。それは言われた俺よりも、明らかに傷ついた顔をしている奴がいるからだ。
 柏原よ……キツイことを言われたのは俺なのに、何でお前がそんな顔をする。

「……大丈夫?」

 言われた側の俺が言う台詞ではないが、今にも泣き出しそうな顔を見せられると、放っておくわけにもいかない。

「……っ」

 息を呑む気配がした後、柏原は自分の表情を隠すように俯いた。とうやら、俺の言葉で自分がどんな顔をしているか気づいたらしい。
 どう収拾つけるべきか──お互いそれを考えて黙っているうちに、フロアに人が戻ってくる気配がした。慌てて顔を上げた柏原は、俺と目を合わせることなく、踵を返して自分の席に戻って行った。
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