フレーフトにまつわる奇妙な話

リキーノ

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霧硝の灯

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約90年前

 町の裏山、通称“ニエヴラ”では、夜明け前に霧が“鳴る”。
音のする場所には、白い結晶――
霧硝(きりしょう)が生まれる。
昔より人はそれを掘り出し、灯りにし、飾りにした。
燃やせば音のない炎が揺れ、
飾ればそれをより一層の美へと昇華させる。


 老人イェクンも、霧硝掘りの1人。
若い頃からずっと霧の中を歩き、
山の声を聞いてきた。
鈴を腰に下げるのは、掘り手たちの習わしだ。
掘るたびに鈴を鳴らさなければ、
霧の音に惑わされ町に戻れなくなる。

 イェクンは霧の中で多くの者を失った。
相棒も、弟子も、同僚も。
皆、霧硝を求めて霧に呑まれた。
それでも一部の生き残りは掘り続けた。
誰かが灯りをともさねば、
町の夜は永遠に終わらないからだ。


イェクンが今日最後に掘り出した霧硝は、
どの結晶よりも白く、音を孕んでいた。
掌に乗せると、まるで小鳥の胸のようにかすかに脈打つ。
霧の鳴る夜――その音の正体が、これだと気づいたのはその時だった。

彼は懐の布に包み、慎重に歩き出した。
しかし霧はいつもより濃く、足元さえ見えなかった。
腰の鈴を鳴らす。
チリン――という澄んだ音に、
遠くで誰かが応えるように、もうひとつの鈴の音が返ってきた。

「……誰だ?」
声を投げたが、霧は答えなかった。
ただ、鈴の音だけがすぐそばで真似をする。
少し高い音。若い頃の弟子が鳴らしていた鈴の音だった。

イェクンは歩みを止める。
霧の奥に人影が見えた。
それは彼の若い頃の姿によく似ていた。
細い背中、煤けた手、腰に揺れる鈴。
そして、ゆっくりと振り返る。
その顔は――何もない。

空洞のような顔の奥から、
“風のような声”がこぼれた。

「イェクン、灯りをともせ。
 この夜はまだ終わっていない。」

彼は結晶を握りしめた。
音のない炎が、指の隙間から溢れ出した。
霧がひるがえり、白く光る。
その瞬間、イェクンの中で何かが切れた。
長く張り詰めていた糸が、ようやくほどけたように。

――翌朝。

町の灯台守が、ニエヴラでひとつの鈴を見つけたんだと。
風に触れるたびに、かすかに鈍い音が鳴るだけの錆び切った鈴だ。

不思議なことに、
その夜から町を覆う霧は、ほんの少しだけ薄くなった。
町の外れの灯が遠くまで届くようになり、
子どもたちは“霧の鳴る夜”を怖がらなくなったという。

誰かが言った。
「イェクンじいさんが、霧の向こうで鈴を鳴らしてるんだよ」

確かめる者はいない。
だが、夜明け前――
ニエヴラの方角から、ごく小さな鈴の音がひとつ、
霧の底を渡って町へ届くことがある。

その音を聞いた者は皆、
決まってこう言うのだ。

「ああ、今夜も灯りがともった」


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