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下に空、上に地面
しおりを挟むフレーフトの町の通りは稀に光る。
厳密には道が光るというよりは、道が光に照らされているという方が正しい。霧ばかりで朝でも暗いというのに、不思議と澄んだ光なんだ。
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いつも逆立ちで歩いていた。
腕で地を支え、頭を下にして、足を空へと向けている。名前を知る者はほとんどいない。彼を「逆男」と呼ぶだけだ。
逆男は逆さまのままパンを買い、逆さまのまま日曜日の教会へ祈りを捧げ、夜も逆さまのまま寝た。霧が濃くなると、影が石畳の上でふるえて、まるで世界がひっくり返ったように見えた。
まさしく奇妙な姿。子どもたちは怖がって泣いたし、大人たちは口を閉ざした。
ただひとり、宿屋の女将風の老女だけがパンの切れ端を渡し、
「首は痛くないのかい」と笑った。
男は少しだけ手を動かし、
「もう、こっちのほうが楽なんですよ」
と答えたという。
霧が濃いある朝、宿屋の前で、逆男が倒れていた。
腕はまだ力強く地を掴んでいたが、動かなかった。
町医者が見たとき、彼は静かに息をしていたが、まぶたの裏に涙が溜まっていたそうな。
医者がそっと彼を仰向けに戻そうとすると、腕が勝手に拒んだという。
力が抜けた後も、身体はゆっくりと逆さまに戻ろうとしたのだ。
まるで重力そのものが彼を引き上げるかのように。
それからというもの、逆男は通りから姿を消した。
何日か経ち、町ではある「噂」がたった。夜更けになると、古い井戸の底から、逆立ちした人影が見えるという話じゃないか。
覗き込んだ者は、白い霧の向こうに空を見たという。
地上とは反対の、清んだ青の空を。
そして、そこをゆっくりと歩いていく男の姿を。
霧が晴れぬ日々の中、老女はその噂を静かに信じていた。
「きっと、あの人だけが見つけたんだよ。霧の裏側の空をね」
そうつぶやきながら、宿の裏手に一本の木を逆さまにして立てた。
根は天を指し、枝は地に沈む。
それは十字架のようでもあり、逆さに生えた樹のようでもあった。
風が吹くたび、その枝先が微かに軋み、
小さな鈴の音のような響きを夜気に散らした。
やがて子どもたちはその音を“霧の鐘”と呼び、
夕暮れの白い帳の向こうへ向かって、手を振った。
「逆さまの男が、星を見つけに行ったんだよ」
あの子たちはそう囁き、霧の中に笑い声を溶かした。
フレーフトの町では、今日も霧が絶えることがない。
けれど時おり、その白の海の上に、
かすかな光が差すのを見た者がいる。
それは空からではなく、地の底から射してくるのだという。
まるで誰かが、裏返った世界の空で、
ひとつ灯りをともしているかのように。
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