短編中編マーブル(大体恋愛)

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番外編系

番外編 家が落ちぶれたら~ ミレーユ・フォグフォードの事情(後)

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「娘……?」

 俺の娘になれと言う目の前の男へと、ミレーユは明らかないぶかりを浮かべた。

「……孫娘じゃなくて?」
「孫おっ!? くはっはっはっは俺はお爺さんか。だがまあ確かにそうだな。若くして孫を持てばそう呼ばれても不思議じゃねえ。それにこの白い毛も立派なお爺さんだ。くはっはっは!」

 無意味に騒々しく笑う大人だと思った。日頃静けさを好んだ村人たちとは実に対照的だった。
 不愉快さは感じなかったものの逃げるべきかと迷っていると、どこかで聞いた事のあるフォグフォードという名の侯爵は再度訊ねてきた。因みにその名が領主の名だと知るのは少し後だ。

「どうだ? ここに居たら野垂れ死にするか狼にでも食われるか、まあ良くて人さらいに捕まって売られるかくらいだろうし、悪い話じゃないだろ。俺の養女になってお前の人生を変えたいと思わないか?」
「変える? 何がどうなっても、結局自分は自分でしょう?」

 虚を突かれたようにフォグフォード卿は両目をしばたたいてから、また「くはっはっはっは」と大笑いした。本当によく笑う男だ。

「幼いのにしっかりしてるな。まっ、考え方は人それぞれさな。とにかく、俺の娘になるなら一緒に来い」

 見ようによっては彼こそが人攫いもいい所だが、ここにはもう自分たちを見てどうこう言う人間はいない。誰一人として。
 加えて、家も物も家族も何一つなくなってしまった。
 唯一残ったのは、両親からもらったこのミレーユという名だけだった。
 彼女は半目を伏せやや思案すると、顔を擦った際に黒く汚れた頬を上げて一つだけ確認した。

「復讐はできる? あたし……強く、なりたい」

 強く、と望みを口にして、ようやく現実が追い付いてきた。
 心の奥底から表へと突き破ってきた痛烈な悲しみと憎しみが、たったの今まで麻痺していた感情に激しい荒波を立てたのだ。
 そうすれば両の目からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
 同時に、無茶をした手指の痛覚も戻り、泣かずにはいられなかった。

「強く…なりたい……っ! 皆を、こんなにした奴らを…殺して、やりたい……ッ」

 もう呼んでも答えてはくれない両親の名前を叫んだ。兄や姉の名も。
 村の仲の良かった友達や知っている人たちの名を全て呼んだ。もう誰も応えてはくれないとわかってはいたが、それでも全員分。
 もうこれからは二度と呼ばないと、この地に永遠に置いて行くように思って慟哭どうこくの中で声を上げ続けた。
 ミレーユが子供らしく大声でひとしきり泣いて泣きじゃくって泣き果てるまで、後方に部下を従えたフォグフォード卿は奇特にも待っていてくれた。
 直接彼に確かめた事はないが、たぶん時計の単針が一つは動いたくらいはあったと思う。

「ミレーユ、本気の本気で下手人に復讐したいのか?」

 泣き疲れて睡魔さえ感じ始めていた頃、しゃがみ込んでミレーユの不細工顔を覗き込んできたフォグフォード卿は、子供の戯言と茶化す気配もなく真面目な顔をしていた。

「したい」
「……そうか。ならお前の復讐に最大限助力すると約束しよう。ただし、これからお前が厳しい訓練や学問を経て、真実このフォグフォード家の一員となった暁にな」
「どんな試練だって、成し遂げて見せる!」
「ハハッ威勢が良いな」

 決まりだった。

「んじゃ是非とも期待してるぜ、よろしくなミレーユ」

 小さなミレーユ相手にも侮らず、きっちりと約束成立の握手を交わそうとしているのか、フォグフォード卿は手を差し出してきた。
 侯爵というのは確か貴族という階級の人間のはずで、そういう人間は得てしてミレーユのような貧しい子供に丁寧に接してくれるはずがないと、子供ながらにそう思っていた。
 だから些か意外感を伴って、ミレーユは彼の握手を受けようと小さな手を伸ばしたが、指先の激痛に苛まれ怯むように手を震わせてしまった。

「あーッ、おいおい何だよお前それ! ただ汚れてるだけかと思ってたら半分火傷かよー。熱い瓦礫に素手で触るとか、馬鹿だろ」

 酷い怪我だったのに気付いたフォグフォード卿は、歯に絹の一枚も着せないで呆れた。全く以ってその通りだったのでぐうの音も出ない。

「痛いならきちんとそう言え。あーあこりゃしばらく使い物にならなそうだな」

 手を戻して腰を伸ばすと彼は部下の方へと向き直った。
 その背中がもう自分を振り返らず小さくなるのが急に怖くなった。

 ――使い物にならない。

 今彼はそう言った。
 つまりはミレーユの事を要らないと思ったのかもしれない。

「……ッ、おっ置いて行かないで!」

 直前の言葉に彼が約束を撤回すると焦ったミレーユは、自分でも意外なほど必死に訴えていた。彼の言った通り、このままではミレーユはきっと生きていけないからだ。
 しかし、自分でも明確な言葉にはできないが、それだけではないような気もしていた。

「……置いて行かないで」

 意表を突かれたように振り返って見下ろしてきたフォグフォード卿は、もう一度繰り返すミレーユを面倒に思ったのかもしれない。
 しばし無言だった。
 ああ駄目なのかと薄らと諦観が滲んだ時、何を思ったのか彼はミレーユを抱き上げた。

「応急処置用の道具を持ってくるよう命じただけだから、安心しろ。……今度は置いて行かねえよ」

 今度は。

 それは真実誰にかけたかった言葉だったのか。
 ミレーユが成人し現在に至るまで、彼が彼の失った家族に対するその胸中を語った事はない。
 ただ、この時の彼のやれやれと言った風な微苦笑は、不思議とミレーユの中に鮮烈に残され色褪せる事はなかった。
 そうしてミレーユはフォグフォード卿の養女になった。
 彼は時に冷徹な決断を顔色一つ変えずに行い、時に老獪ろうかいであり、時に子供時代のミレーユでさえガキだなと呆れ果てる我が儘な一面もある極端な男だった。

 そういう面を知るにつれ、自分を拾ってくれたのは気まぐれだったのだと思う。

 彼の亡き娘と同じ名だったからかもしれないが、彼と縁を結んでしまった自分は幸運なのかそうでないのか未だに結論は出ないミレーユだ。
 それでも故郷の村を最後に出る時、ミレーユはフォグフォード卿から背負われていた。自分の足で歩くなんて意気込んで強がろうとも、七歳の子供の体力なんて高が知れていたのだ。
 後にも先にも養父から負ぶわれたのはあの時だけだ。
 温もりにどこか安堵していつしかそのまま背中で眠りに落ちていた。
 そして、

「間に合わなくて本当にすまなかったな、ミレーユ」

 心底悔やんだような養父の声を聞いたのも。

「……だが、今度は、お前だけは間に合って良かった、ミレーユ」

 どういう意味かその時はわからなかったが、今思うとそれはきっとミレーユと亡きミレーユ、同じ名前の娘を重ねた彼の普段誰にも聞かせない貴重な独白だったのだと思えば、彼の心に封じられた人間臭い温かさを思って、どこか胸が痛くなるミレーユだ。




 フォグフォード家は代々諜報を得意とする家だったようで、爵位を返上してからもそれ故に養父フォグフォードは一部からは陰の国王とまで囁かれる程、様々な相手の強みも弱みも把握していた。
 彼は見聞きした事は何一つ忘れないという異能の持ち主でもあったのも、彼の地位を固めるのに大いに役立ったに違いない。

 彼は本当に、学者ですら舌を巻く程に色々な事を知っている。

 そんな男の養女となったミレーユは幼いながらもあらゆる技能を叩き込まれた。
 人間社会の暗部を知り、嫌悪に心が折れず腐らず貪欲に吸収し続けたのはある種の才能だと養父から言われた記憶がある。まあ素直に喜んで良いのかは微妙だったが。
 そんな養父は国の統治や頂点には興味がなかったから、今まで王家とのいざこざは起きていない。ただ、王家の堕落や腐敗が進み国力が看過できない所まで落ちるような事があれば、重い腰を上げるかもしれない。
 幸いにして第三王子ルーカスの采配により、国政は幾分好転傾向にある。
 かの王子は口ではどう言おうと本心ではどうやら玉座への野心は薄そうだった。
 彼のシンパとも言えた元宰相のグレーウォールをあっさり切り捨てたのがその最たる証左しょうさだ。
 しかし異母兄弟たちが愚かにも国政そっちのけで王位争いを活発化させればどうだかわからない。庶子だった彼の過酷だったと聞く幼少時ゆえに、国と民のためと一念発起する可能性は捨て切れなかった。
 ミレーユは養父の意向に従い、しばらくは静観の構えを貫くつもりでいる。
 白髪は今となっては違和感もないが、出会った頃より老いているくせにそうと感じさせない溌剌さが養父にはあって、たまに本気で彼は悪魔や魔物の類なのではないかとミレーユは疑ったりした。

 そんな養父への感情は一言では表現できない。

 感謝はしているし、放ってはおけないと思うくらいには特別だが、そこに甘い感情はない。
 喪失を知る者への同情と共感はあるのかもしれない。
 そして表も裏も善も悪も彼のあるがままを受け入れている自分がいる。
 ミレーユはその感情が何なのかよくわからない。
 だがそれでいいのだと思うのだ。

 ただ、彼の公的立場からの意向には沿いたいと思う。

 養父フォグフォードは間違わないと、そう信じられるからだ。

 他方、フォグフォード家の一員となりミレーユの復讐は果たされた。
 さてその後はどうするか、養父のように国の安寧を願いつつ陰ながら糸を引くという生き方を踏襲するかどうか、ハッキリ言えば決めあぐねていた。
 そんな時に、当時はまだ探偵業だったジャスティン・ワーグナーと知り合い、暇潰しついでにどうやらスラム界隈に詳しい彼とつるむ事で様々な情報を得たりもした。
 そのうちジャスティンは弁護士として起業し、ミレーユはこれまた暇つぶしに事務所の雇われに収まっていたわけだが、そんな中で巻き込まれたというか関わったのがエレノアに関係する詐欺事件やら誘拐騒動だった。

 つらつらと思考が巡るままに回想していたミレーユはカップを傾ける。

「そういえば、エレノアちゃんたちはコーヒーが苦手だったみたいよね。この苦みが美味しいのに……」

 この事務所で一目対面した時からミレーユはエレノアという少女が好きになった。
 きっと彼女を中心に楽しい事が起きてくれるに違いないと直感が囁いた。
 楽しいという一言で片付けて良い事だけではなかったが、これからもミレーユはあの少女に関わっていきたいと望む。

 もしもこの先それが養父の意向に沿わなくとも。

「仮にそうなったとして、きっとそこだけは譲れないって思うのよね、何故か。うふふ、随分と遅い反抗期かしらあたしったら~」

 昔、無垢で善良だった頃、自分を可愛がってくれた兄や姉はきっと今の自分がエレノアを思うような気持ちだったのかもしれない。

「まだあたしも人並みの感覚はあったのね……なーんて」

 しみじみと呟くと、彼女は小さな苦笑を浮かべ、カップの最後までを飲み干した。
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