短編中編マーブル(大体恋愛)

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恋する吸血鬼と吸血鬼調教書~恋人バディ誕生までの紆余曲折~11

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「あ、あなたも吸血鬼、ですか?」
「あなた、だなんて寂しいなあ、忘れちゃったのかいお兄ちゃんを」
「え……?」

 媛は一瞬わけがわからなかった。
 自分に兄なんていないはずだ。しかし優しく微笑むその顔を見て、心の奥深くで感情が波打った。
 けれど媛はそれを上から押さえ込むように意識を切り替えた。
 何故か酷く悲しくて突き詰めたくなかったのだ。

「わ、私は一人っ子ですけど」

 今度は相手の青年がわけのわからないような顔付きになった。

「それ、本気で言ってる?」
「本気も何も、実際そうですし」
「……」

 青年は思案するように媛をじっと見据えた。
 吸血鬼であるのを否定しない辺り、彼も正真正銘吸血鬼なのだろう。
 同族を察知できるという媛の中の吸血鬼の力の一部が彼もそうだと訴えてもいる。

「緋汐の皆は強制的に封じたりはしないだろうし、もしかしてあの時に自らで記憶を封じたのかな? そりゃあまあ子供には結構酷な光景だったよね」

(今、緋汐って言った。やっぱり吸血鬼繋がりなんだ。しかもうちの家族を知ってるの?)

「媛、もう一度訊くけど、本当に俺を覚えてない? 俺が誰かわからない?」
「し、知りません。もしも近隣に暮らす吸血鬼のどなたかでしたら新米の私が珍しかったのかもしれないですけど、どうぞお引き取り下さい。それか、私に御用でしたらまずは私の家族に話を通して下さい。それとも、緋汐の未熟な吸血鬼を狙って来たんですか?」

 青年は面白いものでも見るようにパチパチと瞬いた。傍から見ればどことなく親しみを感じさせるような表情だったが、そんな表情をされても実の所媛の心は休まらない。刺客かもしれないと思えば、相手を逆上させないようにとだけ必死に念じていた。
 大体にして、彼を見てまず初めに感じたのは、

(うう、こここ怖い~ッ)

 得体の知れない者への不信感だった。
 これ以上近付きたくないと思った。

「うーん困ったな、俺は媛を迎えに来たんだよ」
「迎え……?」
「そう。俺と一緒に仲間たちの所に行こう?」

 彼は一体何を言っているのだろうか。
 ただ一つ媛がわかるのは、彼が禍々しいまでの紅の瞳をしている悪しき吸血鬼だという事実だ。
 ただちに逃げなければ、との切迫感がせり上がる。

「覚えていないならそれはそれでいいよ。いずれ思い出すと思うしね」

 さあ、と媛へと掌を差し出して、青年は一歩また一歩と距離を詰めて来る。
 媛は下がろうとして自分が洗面台の前に居るのを思い出した。これ以上は退がれない。

「こ、来ないで下さい」
「媛?」

 完全に見知らぬ相手への不可解さを顔に出し拒絶を示す媛を、青年はやはり困ったような顔で見ている。ゆっくりと近付くのは止めないまま。
 このままでは捕まってしまうと媛は戦慄した。彼も覚醒した自分と同じ吸血衝動を持つ吸血鬼だろうが、同類だからと一緒に行っては駄目だと媛の中の勘が働いた。
 そもそもそちら側になど行きたくなかった。

(銀優……! もう一度キミに会いたいよ)

「媛」
「来ないで!」

 優しく名を呼ばれるも、撥ね退けるような声を投げ付けて媛は横方にある窓辺に走った。
 いちいち鍵を開けている暇もなくそのままガラスに突っ込む。
 ガラスの割れる音と共に文字通り病室から飛び出した媛は、ここが地上階ではないのを知っていたが自殺行為を実行したのだ。
 何故なら、着地が可能だと悟っていた。
 沢山の欠片が降る中、甲高い破砕音の雨を耳にする媛は振り返らずに即座に駆け出し跳躍する。
 近くの梢に足を乗せ、そこを起点に更なる前方を目指す。太い枝を大きくしならせて近くの建物の屋根に跳び、もっともっと前へ前へとひたすらに走って跳んだ。
 絶対に捕まりたくないとの一心で、媛は一人夜の街へと紛れ込んだ。
 緋汐の家に戻ればきっと何とかなると、それだけは媛の中で確実だった。




「あははっ逃げられちゃった。これは予想外だなあ。小さい頃はよく後ろをくっ付いて来てくれたのに、ちょっとショックかも。まあ俺を忘れちゃってるみたいだからそれも仕方ないのかな。……それとも、あの湊君が傍に居るせい?」

 だとしたら心底ムカつくね、と破壊された窓辺に寄って闇夜に消えた妹の姿を見送っていた青年――緋汐彰人は台詞に似合わない苦笑を浮かべた。
 湊銀優、かの少年はかつて彰人が闇の吸血鬼として覚醒した直後に油断して腕を斬られた相手だ。
 腕はとうに再生してはいるが、当時は分が悪く仲間と共に緋汐家から逃げた後、再生のために激しい渇きと吸血衝動に駆られて大変だった。
 因縁に近い相手と言えた。
 彼が大事な妹の傍でずっと過ごしていたのも気に食わない理由の一つだ。
 機会があれば仲間の餌にしてやりたいと彰人は思っていたりする。思い切り私怨だ。

「まあでも媛はやっぱり規格外だったなあ。このままハンター側に、湊銀優にやるなんて冗談じゃない。媛はまだ気付いてないだろうけど、お前を理解できるのは兄の俺だけなんだよ」

 騒々しい音を聞き付けた病院関係者達の足音と声が近付いてくる。

「おっと~、面倒を被る前に退散退散」

 直後に当直の看護師と共に駆け付けた警備員が勢いよく扉を開けた。
 しかし部屋には割れたガラス窓から夜風が吹き込むだけで、誰の姿もなかった。
 むしろだからこそ余計に騒然となったのだった。




 襖を開け和室に侵入してきた何者かが、緋汐千影の布団の横にストンと膝を突いた。

「お帰りなさい、媛」

 この夜中、緋汐家に近づく吸血鬼の気配に気付いた千影は、早々にそれがよく知る孫のものだとわかった。
 無言でこくりと頷く媛を見上げると溜息をついて布団を押しのけ半身を起こす。千影はそのまま布団の上に正座した。

「病院を抜け出してきたのね?」
「うん……ごめんなさい」
「まあ先方への言い訳は明日にでも考えましょう。媛、あなたがこの家に戻って来られて良かったわ。思いも掛けず吸血鬼の血があなたを救ったようね」

 吸血鬼の血、と媛は小さくその言葉を反芻した。
 その目に見る間に涙が盛り上がる。

「お、お祖母ちゃ……っ、お祖母ちゃん……ッ」
「折角の畳が濡れてしまうから泣くのはおよしなさい」

 鼻を啜る音がして、媛は涙を拭った。雫は落ちてこなくなったものの嗚咽だけは余韻のように残っている。

「でもどうして泣いているの? 血の覚醒をしたから嫌なの?」
「……私……私……どうしようっ、どうしよおおお~ッ」

 千影は再び泣き出し泣きじゃくる媛の様子から、そして変化した瞳の色から、孫の覚醒にはどうやら問題があるのだと感じた。
 とっくに媛の誕生日は過ぎていて、もう一週間が経っていた。
 誕生日当日も病院のベッドで眠る媛には何事も起きなかったので、正直血の覚醒はおそらく聴力や視力の強化などの無難なものだったと思っていた千影だ。

 ただ、媛の回復の一助程度になるような吸血鬼の再生能力を期待していなかったと言えば嘘になる。

 現在それがまさに起き奇跡とも言える回復を果たした媛なのだが、千影の予想よりも媛の血の中の吸血鬼の本能を呼び覚ましてしまったらしかった。

 千影は媛の両親がハンターの仕事に戻っていてよかったと思った。
 そうでなかったなら媛はまだ心の整理も覚悟もつかないうちに生真面目な両親と対面し、悪くすれば関係の悪化を招いたかもしれない。
 彼らは真正の吸血鬼に対し、千影よりも厳格だからだ。
 逆を言えば、二人と会うまでに媛の適切な処遇を考えなければならなかった。

「あなたの血の覚醒は、想定していたものとは違ったのね」

 確証を孕ませた千影の淡々とした問いに、一瞬固まった媛がぎこちなくも無言で頷いた。

「そう。じゃあ咽が乾いているでしょう。うちにも一応血液のストックはあるからそれを飲みなさい。まだ何の血も口にしていないのでしょう?」

 媛は驚愕に大きく目を見張って千影を見つめた。

「い、嫌。血なんか飲まない。飲みたくない……っ」

 駄々をこねるようにして嗚咽交じりで拒絶する媛が哀れで千影はそっと媛を抱きしめた。幼子をあやすように背中を撫でてやる。

「来たの……」

 媛が小さく呟いた。

「私の兄だって名乗る吸血鬼が来たの。病院に、迎えに。でも私その人を知らなかったし、一緒に行きたくなくて逃げたの」
「そう、だから急いでうちに帰ってきたのね」
「うん、他に行く場所なんてないもん。それにここが一番安全だから。だけど……」
「はいはい、落ち着いて、これからどうするかちゃんと相談しましょうね。泣かないの。ハンター側に所属している他の吸血鬼一族は媛と似た様な立場にあるのよ。だから不安に思わなくても大丈夫」

 世界には緋汐家だけではない人間側の吸血鬼一族が存在していて、彼らは当然日の光は苦手だ。しかし彼らもきちんと人間社会に馴染んでいるのだ。

「ね、ねえお祖母ちゃん、私には本当にお兄ちゃんがいるの?」

 千影はゆっくり息を吐いて小さく頷いた。

「ええ、いるわ。彰人と言うのだけれど、何か少しは思い出してきた?」
「ううん」
「媛は思い出したいの?」
「……よくわからない。でも怖いって感じたから、思い出さない方がいいのかも」
「いつも思うけれど、媛のそういう面での嗅覚は舌を巻くレベルよね」
「え、そう?」
「彰人は……彼も当然血の覚醒をしたけれど、望んでいたような闇の吸血鬼になれなくて手荒な手段で闇の吸血鬼化をしたの。今ではもう緋汐の敵ね」

 千影の胸に顔を埋めていた媛が息を呑む。
 吸血鬼ハンターの敵は悪しき吸血鬼だ。少し考えればその対立図は容易にわかっただろうが動転していた媛は祖母に言われてやっと思い至った。
 自分の置かれた危うい現状にも。

「私はお祖母ちゃんやお父さんお母さん、それに銀優の敵にはなりたくない。だけどそうすると、私は血の契約を人間のハンターの誰かとしないといけないんだよね」
「ええ、後々は」
「だよね……。でもそれさえすれば私はこっち側に留まれるんだ」

 血の契約と言っても、血の奴隷と言われる方の主従契約で、相手と対等な血の献身の方では決してないだろうと媛は思った。

「怖い、なあ……」
「媛……。けれど心配しなくてもあなたには…」
「お祖母ちゃん、銀優に会って来てもいい?」

 急に思い付いたようにしてガバリと顔を上げた媛から懇願するような目を向けられて、千影は微苦笑する。まさに自分も口にしようと思っていた銀優の名が出てきたからこそ千影は表情を緩めていた。

「仮にお兄ちゃんとやらが追いかけて近くまで来ても、この家や隣家に居る限りは下手に手を出しては来ないよね。私もまだ人を襲ってまでってくらいは咽も渇いてないから、今のうちに顔を見ときたいんだ。……きっともう会えないだろうから」
「媛?」
「血の奴隷なんていう一方的な契約を結んでも、人間側に留まれるならそれでもいい。だけど、けど……その姿を彼には見られたくない。吸血衝動に苦しむ様も。だからお祖母ちゃん、お願いだよ、私が真実血に飢えて誰かを襲おうとする前に、明日にでも誰かと契約を結ばせてほしい」

 決意した強い眼差しに、千影は些か気圧されたように言葉を呑み込んだ。
 ハンターの誰かと契約を結んだら、即日にでもそのハンターと共に任務地に出立したいと思う。

「私は人の血なんか飲まない。人間の善き友でいたい」

 吸血鬼の食事は人間の血ではなく動物の血でも代用可能だ。
 ただし栄養状態が違うのか人の生き血を呑む吸血鬼と比べると異能の出力が落ちるのは否めないため、主にハンターと契約した吸血鬼たちはほとんどが献血された血液パックを食事としているそうだ。契約主によっては強制されるかもしれない。
 だが、人の血を飲んでしまったら、きっともう今の自分には戻れないし赦せない。
 きっとその時は断固拒否するだろう。

(例え、滅んでも)

 これはここまでの逃走中に自分で想定した末路の一つ。
 家族にも銀優にも言えないがそんな結末もあり得ると覚悟している。

「ねえお祖母ちゃん、緋汐媛は人間が好きなんだよ。銀優に軽蔑されたくないんだよ」

 囁くような告白が夜の暗い和室に溶けていく。

「……わかったわ。急ぎ過ぎるきらいがないでもないけれど、駆け合っておくわ」
「ありがとう、お祖母ちゃん……。本当はね、自分自身が怖い……」

 自身の目途が立った少しの安堵を呼気に、縋るように媛は祖母の懐に再び顔を埋める。祖母は下手な慰めを口にはせず優しく媛を包み込んでくれた。それだけで十分で、一時そうやって心を落ち着かせると媛はそっと身を起こした。

「あ、そうだ、実は逃げる時病院のガラス割っちゃったから、病院の方はきっと騒ぎになってると思う」
「まあ……」
「えへへ、ごめんなさい。その~……それの事後処理も宜しくお願いします」

 そこまで破天荒な行動を取っていたとまでは想像していなかった千影は目を丸くした。
 眉尻を下げた媛は申し訳なさげに肩を竦めた。
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