短編中編マーブル(大体恋愛)

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BL 双星は満ちて欠けて満ちて5

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 騒がしい教室後方を大樹と共に振り返った僕は我が目を疑った。

 女子学生達が古典的な言い回しだけど目をハートにする先には、一人の男性が講義に臨む学生よろしく着席して……はいたんだろうけど、緊急事態でもあったのか何だか焦ったような顔付きで机に両手を突いてその場に立ち上がっていた。

 な……んで……?

 午後だったはずじゃ?

 いやその前にいつの間に来たのってか、出入口は不便にも前方にしかないこの大教室だからいつから居たのって疑問が正しいのかも。もしも運命の相手なら一目で教室の人混みから見つけられたのかもしれないけど、僕は居たのに全然気付かなかった。意外にもそんな乙女ちっくな事でまだ落胆なんて感じた自分を自嘲した。

「えっもしかしてあれって、カノン? 早えーなもう来てんのか」

 横で大樹が感心したようにして大教室の後方を見上げている。
 うんうんホント感心だよ。午後って撮影予定なのに早々と午前中の早い時間から来て待機してるなんてあの大雑把っさはいずこに?
 思考の片隅でそんな風にも思いつつ、僕はすっかり放心してその他大勢と同じく観衆になっていた。

 しばししてハッと我に返って前を向く。

 ええと、こっちの方を見てるし、一瞬色グラス越しに目が合った気がしないでもなかったけど気付かれたりはしてないよね。この眼鏡で悪目立ちしていない事を願おう。気付かれませんように気付かれませんように気付かれませんように~ッ。
 だけど目立って波風を立てたくないって僕の根底の願いとは裏腹に、大多数の一部だった僕を引き上げる声が上がった。

「ゆきる!」

 カノンがはっきりと僕の名を呼んだからだ。

 …………え はいい~?

 ギクリとして肩が跳ねた。
 背中が瞬時に石になったみたいに動かない。

「ゆきるって!」

 もう一度呼ばれた所で僕は実にゆ~っくりとした動きで恐る恐る肩越しに後ろを振り返った。

 嗚呼、観念するしかないらしい……。

 ゆきるって名前は他にもいるのかもしれなかったけど、明らかにカノンの視線は僕を示していた。

「おいおいどんな状況これ? お前んとこ見てるけど、やっぱダチなのか?」

 大樹が訝しげな声を出したけど、凍り付く僕は「今は違う」なんて訂正を入れる余裕も彼の方を見る余裕もなかった。苦虫を噛んだみたいに顔が歪みそうになる。
 でもまさかどうしてだよ。

 どうしてカノンは僕だと気付いた?

 だって色グラスをしていたのに……。

 全体的な見た目だって最後に会った時とは全然違うし、どうして、有り得ない。どこかで僕の今の姿を見ていないと土台無理だ。親戚のおじさんおばさんだって寮から戻った僕をよりにもよって素顔で見たのに、実家で顔を合わせてから小一時間は甥っ子のゆきるだってわからなかったくらいだし。

 ――ゆきる。

 唐突に、本当にいきなりに、リビングで夢うつつに聞いた声を思い出した。

 いやいやそんなわけないだろ。居候は鈴木君って男であって、今や人気絶頂のカノンのわけがない。彼は俳優の仕事がしやすいように利便性の良い場所に高級マンションでも構えてるに決まってる。
 そう思うのに、僕の中の推理は的確にピースを嵌めて一枚の正解へと近付いていく。
 薄らと家の中に漂う誰かの気配は良く知っていた相手に似ていた。
 でも違う、そんなわけない。
 でも、だけど、しかし…………。

 そういえばカノンは御堂カノンって言って名字は御堂だけど、それは芸名で、本名は――鈴木カノンじゃなかったっけ?

 いつもカノンカノンって呼んでいて芸名の方が表立ってもいたから、たった今まですっかり完全に忘れていた。
 居候者は鈴木君。鈴木君を楽しみにしていた母親はしかもカノンのファンだ。そしてあの夜中のリビングでの声。
 いやいやいやないないないない!

 僕は強引に思考を打ち切ってごくりと唾を呑み込んで、通路に出てこっちに下りて来る相手をじっと見据えた。

 これはテレビか何かのドッキリ企画なのかもしれない。

 教室内にカノンが紛れていたら学生達はどんな反応をするか、みたいなさ。
 教室の皆は皆で僕を戸惑ったような目で見つめてくる。
 どうしてカノンが僕の名前を呼んで親しげに近寄って行くのかわからないからだろう。

「ゆきる、ゆきる……――あっもしかしてゆきるってあのゆきる君なの!? でも、ええ!? 全然イメージ違うんだけど……」

 そのうち鋭くも、一人の女子学生が気付いた。
 なになに~と周囲の友人から説明を求められ知っている事を話している。
 タツキ、と聞こえてきた。
 どうやら的確に見抜いたらしかった。

「ゆきる、久しぶりだな」
「カノン……」

 彼は僕の座席の真横の通路に来て足を止めた。
 座ったままの僕を見下ろして爽やかに、何事もなかったように微笑んで、僕を見ている。
 そうだよな、カノンにとったら何でもなかったに違いない。僕だけがピエロみたいに右往左往していただけの恋だった。
 わかってはいたけど、炭でも齧ったように内心がこの上なく苦い。広がる苦々しさに奥歯を噛みしめた。
 ああそれとも、本当は唐突に縁を切った僕に怒っていて意趣返しでもしてやろうって思ってるとか?
 最後の告白の手紙にしても伝えなくても良いような内容を書いて嫌がらせかって憤っていたのかもしれない。その可能性は排除できなかった。

 カノンは、一体全体どういうつもりで声なんて掛けて来たんだろう。

 僕はこの日、もう会うなんて思ってもなかった相手に予期せず再会した。

 再び僕の世界が反転する羽目になるとも知らずに。




「なあおいゆきる、顔色悪いけど平気か? ……もしかして二人は仲悪かった系?」

 絶句に近い状態の僕の顔を大樹が横から覗き込んで、気遣うように背中に手を添えてくれた。

「あ、えっと平気。ありがと」

 大樹の言葉に喜んで赤面していた熱なんて綺麗さっぱり血の気と共にどこかに引いてしまった僕は、引き攣った頬を何とか動かして安心させるように頷いてやった。でも虚勢だってのは寮生時代からの親しい付き合いの大樹にはバレバレだったと思う。彼の表情の曇りは取れなかった。
 その間、カノンは放置だ。
 だってどうしろって言うんだよ? ハーイ、久しぶり~ってフレンドリーな演技で肩を組むべき?
 いや無理。マジ無理。猛烈なこの気まずさは演技でもカバーし切れない。
 再びカノンに視線を戻した僕が難しい顔をしていると、大樹とのやり取りを黙って見ていたカノンは何故か浮かべていた笑みを深めた。その視線が一瞬大樹の手に向けられた気がする。

「なあ、何かテキトーにお久~とか社交辞令でも言えばいいんじゃねえの?」

 大樹が固まる僕にこそっと耳打ちをくれて、ぶっちゃけ失礼な物言いだけど僕もそれが最善かと心で同意する。
 簡単な挨拶を返そうと唇を開き掛けた矢先。

「ゆきる、何だよ俺を忘れたのか? 傷付くなあ」

 三流のナンパ男かって台詞を臆面もなく口にして、今度はカノンが腰を折って僕の顔を覗き込んできた。
 うわっ近っ。
 心底驚いた僕は色グラスの奥で大きく目を見開く。
 ドキリとしてぎゅう~っと心臓が締め付けられて、その反動で血液を全身に送り出し始める。体温と心拍数が異常上昇していく。

 嘘だろ、全然駄目じゃないか僕は。

 こんなはずじゃなかったのに。

 カノン、君って奴はまた僕を掻き乱すのか……!

 離れていた時間があっという間になくなった、そんな心地だった。
 こんな場所で赤面してゲイ疑惑を持たれたら、この先の学生生活をやりにくくなるだけだ。
 大樹は嫌がるかもしれない……いやごめん大樹、君はそういう人間じゃないか。
 動転する僕が穿った見方をしているだけで、カノンにだって本当はこっちの穏やかな学生生活を乱すつもりはないのかもしれないけど、腹が立った。
 僕は動悸を押し込めて彼をキッと睨みつける。
 さすがに遠目じゃ視線のわからない色グラス越しでも、傍で目を見れば僕がどんな表情をしてるのかはわかる。
 怒りを浮かべる僕を見て、意外な物を見たようにカノンは目を瞠ったものの、すぐさま余裕そうなお仕事スマイル全開で、何と彼は僕の二の腕を引っ張ってやや強引に立たせた。

「は? ちょっと何のつもり?」

 戸惑うというよりは僅差で抗議が濃い僕の問いに答えるでもなく、カノンはそのまま手を握って引っ張って教室前方に連れていこうとする。
 ざわめく教室、釘付けのまま離れない衆目が気になって、僕は物理的にはろくな抵抗もできなかった。

「カノン待ってって! 急に何だよこれ? 撮影とかなら困るんだけど!」
「ははっどうして。初めてじゃないだろ」
「そういう問題じゃない」

 ああもうやっぱ撮影かーっ。
 あれよあれよと前に連れて行かれ、教壇には上がらずに前方中央まで行って足を止めたカノンが教室全体を見渡して、僕も彼の横で鎖に繋がれたみたいに手を握られたまま立たされる。

 はい注目っとばかりに並ばされてしまいこっちとしたら堪ったもんじゃない。

 とんでもない展開と警戒と緊張に血の気が失せている僕の手は酷く冷たくなっている。これが昔だったら照れて汗ばんでいたかもしれないけど。
 指先の冷たさが気になったのか、カノンは一度こいつ大丈夫かって目を向けてきた。
 むーかーつーくーっ! 誰のせいだーっ。
 なんて心は大荒れしていても小心者で罵倒レベルじゃ怒鳴ったり出来ない僕は我慢して平静を装うしか出来ない。今よりもかなり控えめだった子役時代みたいな愛想笑いを貼り付けていた自覚はある。
 大樹は心配そうな顔をしていて、今にも止めに入るために腰を上げそうにしていたけど、僕は彼に向けて首を振って大事ないとアピールしてやった。

 その反面、隣の男は次に何をしでかすんだと気が気じゃない。

 ……って、あれ?

 昔ならカノンを見上げていた目線が、今は下がっている。

 ああそうか、会わないうちに僕は彼よりも身長が伸びたのか。

 こんな時なのにそんな関係のない事実に気付いてしまってほんの少しだけ得意な気分になった。僕よりも小さいカノンだなんて……微妙に可愛いかもと頬が緩んだけど、即座に内心で自分にロケットパンチを叩き込んでやったよね。ラリッてる場合じゃないからねアハハハー。
 他方、カノンは咳払いした。

「えー、皆さん、俳優をしている御堂カノンです。今日はここで撮影させてもらいにきました。宜しくお願いします」

 え、はい? 礼儀正しく挨拶だとお~?
 僕の扱いはよくわからないままこんななのに?
 一言の説明もないのに?

「本当は午後からの予定だったんですが、どうせなら後学のためにも生の大学生の空気というか雰囲気を味わっておきたくて、少し変装して潜入してみました。まあ、俺がちょっとボカやって予定よりも早くバレましたが」

 口調も丁寧なカノンは輝かしい営業スマイルと共に状況の説明を進めていく。
 変装してってさ、どこをどう変装してたのかな? ああ、ウィッグでか。片手に持っている。ロン毛で顔を隠すような感じだったのか。でもこうして近くで接してわかるけど醸すオーラが一般人じゃないからボカやんなくても早い段階でバレてたと思う。

「今日はこれから始まる講義に俺も参加させてもらおうと思ってます」

 いやあああ~ッと、ここで女子達の喜びの悲鳴が上がった。字面だけは僕の心の叫びと近い。感情は真逆だけどね……。ふふふまあ推しと同じ教室で同じ空気を吸えるなんて、一度大きく深呼吸したらもう息止めるしかないもんね、うん、死なない程度に頑張れー。
 僕は無意識に乾いた遠い目をしていたのかもしれない、大樹が今度は正気を保てと訴えてでもいるのか意味不明なジェスチャーを試みていて周囲から浮いている。君には苦労を掛けるね大樹……。ホント善き友人に恵まれたよ僕は……っ。で、大丈夫だからと口ぱくを返しておいた。

「そこの所も宜しくお願いしまーす」

 横じゃカノンが上機嫌に頭を下げたけど、否定的な反応は少なくとも僕の目には見当たらなかった。

「ところで皆さん俺の隣にいる彼が誰だか知ってますか?」

 ああ来たか。
 大きく溜息をつきそうになったけど何とか堪えた。
 カノンは僕を紹介してどうする気なんだか。
 今や人気絶頂の御堂カノンの言動はファッションにまで影響する。だからここで彼が僕をいじって僕をいじられキャラって皆に印象付けるなりして、巧妙に嫌がらせしようと思えばその目論見は成功するだろう。静かな学生生活は一時的にであれ長期的にであれ邪魔される。

 僕がそんな想像をして一人憂鬱になっていると、一人の女子学生が手と声を同時に上げた。

「あ、たぶんですけど、タツキ役だったゆきる君ですよね?」

 さっき僕の正体に逸早く思い当たっていた彼女だ。たぶんと言っておいてその声に揺らぎはない。カノンが僕を前まで連れてきた時点で確信に至ったんだろう。

「正解。彼は何と以前俺が共演したドラマの主人公タツキ役のゆきるです。俺もまさかここでグ・ウ・ゼ・ン再会出来るなんて思ってもなかったんですよね。だからこうはしゃいじゃったと言いますか。なあ、ゆきる?」

 繋いだ、いやいや向こうから一方的に掴まれている手を持ち上げさせられてまでの仲良しアピールに、僕はハハハと聞きようによったら辟易とした笑声を小さく立てる。
 客観的には僕が微かに口角を上げて冷笑したように見えているに違いない。だってねえやーさんですかってな定番のアイテム装着中だしね。

「ええとでも本当にあのゆきる君なんですか? 何だか全然違う人に見えるんですけど……」

 だよね。さっきとは別の女子学生が僕でさえ思う問いを投げかける。

「俺も変わり様には結構驚きましたけど、これを見れば一目瞭然ですよ」

 爽やかなくせに無邪気さも内包した絶妙な声を出すとか彼はやっぱり危険物だ。

 でも、これを見ればって?

 嫌な予感がした。

 カノンは次の瞬間、何と勝手に、僕の色グラスを取り去った。
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