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第十四話 再びの暗躍者たち

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「何? メイフィールド家の令嬢が王都に戻って来ている? 外国のお嬢様学校に留学中だろう?」
「一時的に帰国しているんじゃないか? 何でも豪商の開く舞踏会に出席するって話だ」
「舞踏会か。人が多い方がかえって目を逸らし易いし、攫うにはちょうどいいな。チャンスってわけだ」
「だがわざわざ今更あの娘を攫う理由がわからねえな。結局屋敷はおろか、その敷地内には宝物庫はなかったろ? だから最後に燃やすよう指示されたんだもんな」
「もしかして娘が在り処を知っていると踏んで吐かせる気なんじゃないのか?」
「ああ、なるほど」

 ピリヤード台やカードゲームに興じる用のテーブルが並ぶ広い遊戯室で、見るからに下級労働者と言った服を着た男たちのそんな会話が交わされている。壁際には酒類の瓶がコレクションのように陳列された棚があり、どれも年代物で上等な酒ばかり。酒の存在に気付いた男の一人がその一つへと手を伸ばした。

「おい勝手に飲むと怒らせるぞ?」
「ああ? 硬い事言うなよフォックス~。この前お前がガキでも出来るお使いに失敗してくれたおかげで、咽が渇いてしょうがねえんだよ。は命の源って言うだろ? それにボスはここを自由に使えって言ってただろ。だったらこの酒だってこの部屋の一部だから自由にしていいって事だろ」

 仲間の強引な論理に辟易とするのは、この中で唯一スーツを纏う狐顔の男だ。
 仲間内での愛称をまんまフォックスと言う彼は、確かにここ数日この屋敷に籠り切りになったのは自分のヘマのせいだったので、それ以上は何も言わなかった。キレられても面倒だというのもある。仲間はさっさと瓶を開け、直接口を付けて飲んでご満悦だ。

「あまり酔い過ぎるなよ」
「わ~あってるって~」

 室内に置かれた上等な革のソファに腰かける男、一人でビリヤードを楽しむ男、入口に陣取る男など、複数の男たちはフォックスが現在手を組んでいる仲間だ。
 詐欺の交渉役やその他必要に応じての聞き込み役を担当する自分とは違い、放火や拐かしなどの荒事担当の仲間の行動にほとほと呆れた彼が内心で嘆息していると、入口に陣取って静かに目を閉じていた黒髪の若い男が徐に口を開いた。

「貴様ら、さっきからごちゃごちゃと……。無駄話などしていないで作戦の一つも詰めろ」

 その男は自分たちの監視役兼伝令役として最近加えられた男だった。
 不摂生なのか目の下には色濃いクマがある。ここ一月ほど前に顔を合わせた当初はもっとまともな顔をしていたはずだったが、潜伏生活のせいだろう。
 フォックスからすると鬱陶しくさえ思える長め前髪の下でその両目が常に不機嫌そうにピリピリしているのは、やはり睡眠不足だからだろうか。
 因みにこの場の皆は彼が寝ていると思っていたのでちょっと驚いてもいた。
 それも束の間で、クマ男の物言いが頭に浸透するやカチンときたらしく、何人かがザザッと立ち上がった。

「お、落ち着け皆! とにかくそれじゃあ例の娘が外国に戻る前に済ませよう。な? どこの豪商が開く夜会か誰か知ってるか?」
「ピンカートン商会だって聞いたな。しかも仮面舞踏会らしい」
「そりゃ益々以って仕事がし易そうだな」
「ああ、打ってつけだ」

 話題を変えてやり、多少ギスギスが薄れた所でフォックスは内心何度目かの溜息を吐き出した。

「そういや、先日不思議な目をした娘を見たんだよ」
「かかっ、不思議ってどんな目だよ? 光るのか?」

 フォックスが気分を変えようと切り出せば、先程棚の高級酒に手を出した仲間が話に付き合ってくれた。

「お、鋭いな。そうなんだよ」
「うへっ?」
「あれは見間違いじゃない。暗がりでエメラルドに光ってたんだよ。可愛らしい顔もしてたし、あの娘を好事家にでも売り飛ばせばたんまり設けられるだろうよ」
「おいおい人をからかうのもいい加減にしろって。目が光るとか悪魔かよ?」

 完全に場を和ます冗談だと思っている仲間へと、フォックスが真実だと言い募ろうとした矢先、予想外にもクマ男が傍に寄ってきた。

「今エメラルドと言ったなフォックス。時に、貴様はエレノア・メイフィールドの顔を知っているか?」
「いや、生憎」
「ではその不思議な緑の目の娘だが、この写真の娘か?」

 クマ男から一枚の写真を差し出され、フォックスは一応手に取って見下ろした。二つに折られているようだが、そこが疑問に上る前に目を瞠った。
 反応を確認するやクマ男はさっさとフォックスの手から写真を引き抜いて、懐に仕舞った。

「あ、ああ、こんな顔だったと思う。……ってことは、何だ? 俺が会ったのは例のお嬢様だったってことか? てっきり客引きの女かと思ったぞ?」
「客引き?」
「ああいや、違ったな。そう思ってたら随分と見目の良い男と一緒だったか。ありゃきっと恋人同士で近くの劇場にでも来ていたんだろうな」
「なるほど。その男とやらが邪魔になるようであれば排除するまでだが、やはり占に出た通りメイフィールドの娘は王都に滞在しているのだな。……もしかすると留学話自体が嘘の可能性もあるか」

 獲物を見つけた猛獣のように銀の瞳を鋭く細めるクマ男の姿を仲間たちは遠巻きにしていたが、距離的に最も近くに居たフォックスは、初対面時にも感じたように彼にどこか見覚えがある気がした。ただこの場でも最後まで思い出せなかったが。
 男前ではあるから、きっと有名な役者にでもどこかが似ていてそう思うのだろうと結論付けた。
 とにかく、その後は皆でエレノアを舞踏会当日に誘拐するという計画を細部にわたって練った。
 ただし、クマ男は部屋の入口に戻ると壁に寄り掛かり、我関せずと作戦会議には混ざらず、また寝ているかのように瞼を下ろしていた。




「ついにこの日が来ましたわね。これぞ一夜のめくるめく夢の国の開幕ですわよ!」

 仮面舞踏会当日、アメリアは朝から元気だ。
 対照的に、侍女として起きがけの主人の髪を丁寧に梳くエレノアは微妙にやつれたような面持ちだった。

(今日で終わりにしようと思ってるのに、上手く聞き入れてくれるかしら。うううどうしよう益々乗り気にさせた気がする……)

 何故なら、自分宛てにここ連日大層な花束が届く。
 言うまでもなく、ジュリアンから。
 この花束のような素敵な君に、とか香しさは君には及ばないけれど、とか塩を降りかけたくなる熱烈な甘い言葉が躍る直筆カードも、エレノアの精神に重く圧しかかっていた。

「はあ……」
「まあエレノアったら溜息なんてついてどうしたんですの? 今日でクレイトン様と最後なのが堪えている、とか?」
「そうだけど、そうじゃない……」

 本音を言えば交際が終わろうと続こうと、きっとすっきりはしない。

「前々から思ってましたけれど、こんな回りくどい面倒なことしていないで、さっさと正体を明かしてハッキリ別れを告げてしまった方が手っ取り早いのではなくて?」
「ジュリアンも一旦白紙とか言ってたけど、万一向こうが義務感とか情けを掛けてきてやっぱり結婚しようってなったら、今度こそ……絶対無理」
「無理? 何がですの……?」
「だって留学って嘘ついて姿をくらますまでは、このままジュリアンと結婚しちゃってもいいかもって思っちゃうような説得の日々だったのよ。今でも妹みたいに大切に想ってくれてるのを知って、だからこそもっと時間を置かないと好きだって気持ちが溢れてくるから、まだ正体を明かしたら駄目なの。きっと断れないもの~っ」
「……エレノアも相当不器用ですわね」

 座ったまま体ごとこちらを向いたアメリアから抱きしめられて、気持ちがどこか癒される。

「まあ確かに、この調子だとエレノアとして会ったら間違いなく身を案じられて事件を追うのなんて曖昧にさせられて、クレイトン様に丸め込まれますわね」
「やっぱりそう思う!? だってあの人ってホント優しいもの!」
「ええ、ええ、なるほどそれじゃあエリーとして距離を置いておく方が賢明かもしれませんわ。これじゃあ腹が減った狼の前に弱って逃げられない羊を置くようなものですもの」
「腹減り狼? 羊?」

 まさかとエレノアは苦笑する。
 エリーとしてならともかく、少なくとも「エレノア」に対してのジュリアンは同情はあっても、もう狼にはなり得ないだろうと、呑気にも彼女は思っていた。

「まあ、中には離れてた分深まる想いもあるってことですわ」

 表情から胸中を察したらしいアメリアが困ったように小さく笑んだ。




 そんなアメリアは、兄のヴィセラスに何食わぬ顔で事情を訊ねた時の事を思い出していた。

『お兄様、クレイトン様は女性との噂が絶えない方ですけれど、実際の所いつ頃からああで、お相手とはどうなんですの? 以前は婚約者がいたって言いますし』

 最近の夕食の席での会話だ。

『ん? 俺の知る限り後腐れのない相手が主だが、こぞって金髪が多い。特にエリーみたいな髪の女は多少面倒でも声掛けてたな。いつ頃からだったかってのは、うーん……ここ半年から一年じゃないか?』

 それはきっとエレノアから婚約破棄の手紙を受け、留学先にも訪ねて行った挙句彼女が居ないとわかってからだろう。
 アメリアがそんな推測を立てていると、兄がボソリと呟いた。

『執着って怖えよな……』
『……。……お兄様ってエリーについて何をどの程度知ってますの?』
『ん? エレノア・メイフィールドだって事と、ジュリアンの元婚約者って事は知ってるよ』
『何だやっぱりですのね』

 半ば予想していたのでアメリアは驚かない。

『独自に調べましたの?』
『いや。俺は事情があるから彼女が屋敷に来た当初から聞かされてた。お前は独自に突き止めたみたいだが、感心だぞ~お兄ちゃんは』
『もうっ茶化さないで!』

 頬を膨らませると、何故かヴィセラスはスッとふざけた気配を潜め真剣な目つきになった。

『アメリア』
『……な、何ですの?』

 愛称のアミィではなく、きちんとアメリアと呼んだ。
 きっと真面目な話だ。

『やんちゃとかお転婆っての? そういうのは別に構わないが、あんまり無茶はするな』

 これにはぎくりとした。近頃こっそり護身用の短銃を手に入れた事をこの兄は知っているのではないかと思った。それは外れてはいなかったが、彼が最も言いたかったのは銃その物についてと言うよりは、それを必要とする状況との関わりについてだった。
 妹はここで止めても言う事を聞かない質だとわかっていたヴィセラスは、やんわりと釘を刺したのだ。
 そしてアメリアはその席ではそこまで思い至らなかったが、今思い返してみて理解した。
 兄があの会話以上の事情を知っているのだと。
 知っていて無理に止めようとしてこなかったのは有難かった。
 その代わりきっと自分たちへ監視を付けているはずだ。そう思えば、女だけで画策していた無謀な計画も少しは不安が薄れた。

『わ、わかりましたわ。ところで本当にクレイトン様って未だにエレノアに首ったけですのね』
『そうだな。人間さ、馬には蹴られたくないよな』
『は? それはまあ、誰しもそう思うのではなくて?』

 怪訝にする妹へ、兄は珍しく少し元気のない笑みを浮かべた。

(お兄様ったらどうしてあの時は元気がなくなったのかしら……?)

 ――疑問も一緒に思い出すアメリアは再び髪の毛を梳かしてもらいながら、気持ち良さそうに目を細める。

「もしも今日エレノアの気持ちを無視するみたいに無理強いしてくるようでしたら、そうですわね、やっぱりスッパリ平手打ちでもして振って差し上げるのが宜しいですわね」
「平手って、アメリアったら過激なんだから」
「エリーでいるうちは、それくらいの強い覚悟で臨むべきって意味ですわよ」

 アメリアは我が事のように鼻息も荒く意気込んだ。




「エリーは何色でも似合うけれど、んん~ッやっぱり瞳の緑系統に合わせてモスグリーンにしたのは正解でしたわ!」

 全身鏡の前でドレスを纏ったエレノアの後ろから顔を覗かせて、薄いピンクのドレスを着たアメリアが悶絶するようにはしゃいだ声を上げる。

「あとは髪の毛をセットするだけですわね。エレノアのは私がしますわね!」

 いつかの馬車の中のように手指をわきわきさせているアメリアの顔はスケベ男のようだった。
 客人たちが到着する夕刻までには支度を整えていなければならない。どこで誰に見られているかわからないのだ。エレノアは早々に仮面で顔を隠す必要性を感じていた。
 正直な所、乗り気じゃない。
 けれど自分には出るべき理由があるのだと言い聞かせた。




「ジュリアン早いな。まだ開始時間じゃないんだが」
「いいじゃないか、開場はしているんだし」

 開場早々ピンカートン家に自動車で乗りつけたジュリアンは、ヴィセラスから苦情染みた声をぶつけられても微笑んだ。手にはほとんど意味を成さない目元用のマスクが握られている。
 夜会の開始時刻が近付けば、招待客たちは仮面なりマスクなりを付けるが、さすがにまだ早い。

「時間まで廊下の椅子ででも寛いでるよ」
「んな事言って、エリーを待つ間に他の使用人に手を付けるなよ?」
「ヴィセラス、今日の僕はそんな気分じゃないのを知っているだろう?」
「どうだかな」

 ヴィセラスは短く笑ってやる。
 わざとらしい友人へ苦笑したジュリアンは、しかし急に思い悩んだように声を落とした。

「けれどさヴィセラス、女の子って難しいよね」
「は?」

 驚きの余りヴィセラスは入場と引き換えに受け取った招待状を危うく落としそうになった。
 この夜会は飛び入りも可能だが、会場のほとんどは事前の招待客で満たされるだろう。
 有力貴族なら係に任せればいい受付をホスト自らがわざわざこなす辺り、儲かっていようとまだまだピンカートン家の地位が低い事を意味している。貴族も訪れるこの舞踏会だ、伝手や財力で一応は紳士階級の扱いを受けてはいるが、顔を売る目的もあるとはいえ下手したてに出ざるを得ない現状には、内心渋面を禁じ得ないヴィセラスだ。
 だが今夜は苦いその一滴さえ心にひた隠して笑顔で耐えなければならない。
 それが長男としてヴィセラス・ピンカートンに課せられた義務だった。
 だから両親はエレノアに付いて来る爵位に目を付けたのだろう。
 強欲な事だとうんざりする反面、その欲が今のこの家をひいては自分たちの生活レベルを維持してくれているのだと思えば、頭から逆らうのは気が引けた。
 せめてアカデミー在籍中は好きに恋愛させてもらおうと思っていたが、気付けば当初目論んでいたような気持ちはいつの間にか薄れていた。

 その理由は薄々気付いていたが、彼は考えない。認めない。

 この友人を前にしては尚更に。

 恋愛沙汰の面倒ないざこざなんて御免だった。

「ジュリアンお前、何か変な物でも食べたのか……?」

 すっかり何でもない顔で茶化せば友人は正直に答えた。

「うん? まあ胸につっかえてるものはあるかな」
「それは、重症だな。どうせまたエレノア嬢のことだろ」
「まあ。僕は幼い頃からずっとエレノアの事が好きで、彼女はずっと僕の婚約者だった。全部僕だけが独占できるはずだったのに……」
「逃げられた」
「……君は人の傷口に塩を塗るのが好きなのか?」
「事実を言ったまでだろ」

 ジト目で見て来る友人の視線をヴィセラスはからりとして受け止める。
 ジュリアンは大きな溜息を落とした。

「だから正直彼女以外に入れ込むとは思ってなかったんだけどね」
「へー」
「あ、何だいその呆れ目は」
「いや別に。運命の女神様が悪戯大好きってのだけはよくわかったなと思って」
「何だいそりゃ?」

 呆れたような目をしていたヴィセラスは、滅多にしない柔らかな微苦笑で告げた。

「お前のそういう感情を偽らないところを羨ましくも思う。俺はどっか捻くれてるからな」
「ふふっそんなのは羨む事じゃないよ。君にもそのうち現れるんじゃないかな。捻くれてる暇なんてないくらいの存在が」
「あー、俺お前みたいになるくらいなら一生いなくていいわー」
「君ね……」

 嫌そうな顔をするヴィセラスに、ジュリアンはちょっとムッとした。
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