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第十七話 酔っ払いの本音
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「ここからは何がどう転ぶかわかりませんし、護身用の武器を携帯しておいた方が無難ですわね」
真剣な面持ちで提案するアメリアに、エレノアは頷いた。
二人はジャスティンたちが入った部屋を見届けてからアメリアの部屋に来ていた。
クレマチスには急ぎこの部屋に来るようにと、廊下でたまたま会った使用人たちにアメリアが言伝てを頼んだ。
案の定裏方の仕事を手伝っているらしいクレマチスは、表向きアメリアの行儀見習いの講師として雇われている身なので本来は手伝う必要などないのだが、いつも何かと頼りにされ、今日も是非にと乞われたらしい。元々面倒見の良い人間なのだ。
あとは、アメリアが少し疲れたから部屋で休むと告げれば、その使用人たちに怪しむ様子はなかった。
これも日頃から正直で素直なアメリアが屋敷の皆から信用されている証だ。
アメリアは鍵のかかった引き出しに厳重に保管してあった二丁の短銃を慎重な手付きで取り出した。弾はまだ入っていないのだがエレノアも我知らずごくりと唾を呑みこんでいた。
「はい、エレノア」
「ありがとう」
渡されたそれを手にすればズシリと重い。
手に伝わる冷たい金属の温度にぶるりと寒気がした。
使わないまま済めばそれでいい。いやそれがベストだ。
銃の扱いは二人共購入した店の店主から教わっていた。けれど実戦になったら本当に自分たちで実弾を装填して使えるのか不安は尽きない。
「後は念のためメイド着に着替えておきますわよ。ドレスで廊下をうろうろしていたら目立ちますもの」
「そうね」
「ですけれど、ああ~ん折角のエレノアのドレス姿がもう見納めだなんて、心底勿体ないですわ」
嘆くアメリアへと半分笑ってから互いに着替えを手伝った。
「うううぅ~エレノアはメイド姿も可愛いですけれど、やっぱり貴族令嬢っぽく着飾った方が私の好みですわ」
「アメリア、いつまでも下着姿でいたら風邪引くわ」
先に着替え終えたエレノアは、自分に抱きつき頬ずりしてくるアメリアを押し返し軽く窘める。
「平気ですわよ。これからのスリルを思うと心も体もほっかほかですわ。ああでもこの姿でいるのもスリリングな気がしないでもないですわね」
「……変な道に目覚めないでね」
アメリアも着替えを終えると、慎重に弾を込めた短銃を目立たないように身につける。
太腿に専用のベルトを巻いてそこに収納した。購入時のおまけに女スパイものが好きらしい店主がくれたものだった。
準備が整ったアメリアが部屋の入口へと目をやる。
「クレマチスは遅いですわね。どうしたのかしら」
「仕事の手が離せないのかも。どうする? 二人で行動開始しちゃう?」
「うーん、そうですわね。早いとこ一度様子を見に行きたいですし……。これはもう仕方ないですわね、クレマチス抜きで見張りに行くだけ行きましょうか」
「ええ。よーしやってやるわ~!」
意気込むエレノアは、そもそもクレマチスにあまり無理をさせたくなかった。本人が聞けば「まだまだ若者には負けませんよ」と気を悪くするかもしれないが、家族同然の相手を案じてしまうのは自然な感情だろう。
誰に見咎められないうちにアメリアの部屋からこっそり出て、人目を避けてジャスティンたちのいる一角へと急いだ。
その途中、
「――おいやんちゃ娘たち、どこに行く?」
「「――っ!?」」
背後からの不機嫌な声に揃って肩を痙攣させて振り返れば、そこにいたのは……。
「お、お兄様。ああーら珍しくお一人ですのね。夜会はもういいんですの? それとも休憩に?」
「ヴィセラス様、これはその……」
しどろもどろになる二人を、ヴィセラスは身長差のままに見下ろして頭の痛そうな顔をしている。実際文字通り頭の痛い問題なのだが彼はその事は口にしない。
「そんな格好までして、お前たち二人で何をやるって?」
当然ながらの鋭い切り込みに、エレノアは言葉に詰まった。
「これはそのええとー……メ、メイドごっこですわ。たまにはこっちの立場で物事を体験してみないとって思いましたの。後学のためですわ。商売って何がきっかけでヒットするかわかりませんし、少しでもそのための経験を増やしておいて損はないでしょう?」
白々しくも説明するアメリアだが、完全目が泳いでいる。
ヴィセラスは胡乱な目つきだ。今にも詰問が飛んできそうである。
どうしようとエレノアもアメリアもだらだらと不自然な汗をかいたが、しかし彼は全く予想外の言葉を発した。
「実はお前たちに頼みたい事があるんだよ」
「へっ? な、何ですの?」
どこか疲れた顔のヴィセラスの視線はエレノアに向けられていて、内心ドキリとする。頼みとは一体何だろうか。
「俺の部屋でジュリアンが酔い潰れて寝てるんだが、ちょっと介抱してやってくれ。俺は会場に戻るから」
「あらまあ、クレイトン様ったら酔い潰れてるんですの?」
意外そうな顔をするアメリアはジュリアンの女性遍歴を調べたのでよく知っている。エレノアには教えないが女性と別れただけで自棄酒に走るとは思ってもみなかった。
彼にとって侍女エリーはいつもとは始まった状況も在り様もきっと違った恋人だったのだろう。心が動いていたのだとしたら気の毒としか言いようがない。
そもそも知らないうちに同じ相手に心を動かされていた辺り、奇跡のようにも思えるアメリアだ。
彼女はエレノアだと知っていて黙っていた事に対して僅かばかりの罪悪感を抱いた。
「行って差し上げたら?」
「え……?」
だからこれは、ジュリアンへの贖罪と同情、あとは気に病んでいるに違いないエレノアを気遣っての判断だ。
「ほらその、メイドごっこはその後にしましょう。まだ時間はありますわ」
その間ジャスティンたちに動きがない事を願うばかりだ。
「私が重要な部分はよーく見ておきますわ、ですから気にせずあの方の面倒を見て差し上げると宜しいんですわ。せめて、今くらいは」
「俺はまあどっちでもいいが、つーか二人でやってくれてもいいんだが、とにかく宜しく頼むな」
「わかりましたわ」
「わかりました」
用件を告げて立ち去ったヴィセラスの背中を少し振り返って見送ってから、アメリアはエレノアの背中をポンと優しく叩いた。
「そういうわけですし、見張りは私がやっておきますわ」
「一人で大丈夫……?」
「自分の家ですもの、万一何かあってもこちらには地の利がありますわ」
任せてと言わんばかりに白いエプロンの胸元を叩くアメリアは、まだ躊躇しているエレノアの背中を今度はぐいぐい押した。
「善は急げですわよ。酔っぱらって寝ているうちに顔を見てきちんと心の整理でも何でもつけてきたら宜しいんですわ」
「アメリア……。うん、そうするわ」
整理なんてきっと出来る気がしないけれど、エレノアはこれで見納めだという思いで彼の居る部屋へと爪先を向けた。
ヴィセラスの言っていた通り、部屋には長椅子の上に横になっている青年がいた。
小さな頃から知っている、金色の髪をした魅力に溢れる男の人。
「ジュリアン?」
今はベールも仮面もしていないので、遠巻きにしながら試しに声を掛けてみる。
反応はないが、苦しげでもなく規則的に胸は上下しているので、具合が悪いわけではなく単に寝ているだけだろう。
(ヴィセラス様が介抱とか言うから、正直心配だったのよね)
そろりと近付いて見下ろす。
「うっ本当にお酒臭いわ。一体どれだけ飲んだらここまでなるの?」
ムワッとする酒の臭いを我慢して、呆れると言うより申し訳ない思いでちょこんと長椅子の傍にしゃがみ込む。
「毛布でも掛けてあげた方がいいかしら。でも暑いかな」
夜会服の襟元はタイが外され寛げられいる。ヴィセラスがしてくれたのだろう、呼吸は楽そうだ。
(ずっとこうして眺めていられたら……)
ささやかな望みが切なく胸を焦がす。
「ジュリアン、大好きよ」
もう言える事はないかもしれないと思えば、ちょっとした悪戯心のようなものが疼いて囁いた。
瞬間、パチリと彼の両目が開いた。
(!?)
エレノアの姿を認めると飛び起きてびっくりしたようにこちらを見つめる。
(えっどうしよう気付かれた!)
「ジュリアン、あの、その……っ」
上手い言い訳を思い付かない。
彼は目をまん丸くして言葉を忘れたように黙りこんだままでいる。
よくよく見ればゆらゆらと頭が揺れているし、赤ら顔でどう見ても酔いは醒めていなそうだった。段々目の焦点も怪しくなってくる。
(あ、もしかしてまだちゃんと酔ってるの?)
「エレ、ノア……本物……? 夢……?」
これはバッチリ酔っていると内心ガッツポーズを作るエレノアは、額を押さえるジュリアンを長椅子にきちんと座らせて自分も隣に座った。
「そう、これは夢よ、ジュリアン」
「夢……」
「そう。猛烈にそうなの」
「……そっか。夢…なら、ついでに言いたい事、言っても…許してくれる、よね」
エレノアが頷くと、彼は背凭れに全身を預けて顎を仰のかせた。
「そりゃあそうらよなあ、これは夢か。そうか、うん、そうか」
彼のこんな姿は初めて見る。思考が酒のせいで散漫で呂律も怪しい。エレノアはやや呆れた。
「もう、飲み過ぎよ」
「なんらって? らって仕方がないよ、振られたんら、エリーに」
(え……? それだけの理由でこんなになるまで飲んじゃったの?)
「……そ、そんなにショックだったの?」
「ああ! もちろんらとも!」
酔っぱらい特有の奇妙な力説についつい噴き出しそうになりながらも、エレノアは黙って話を聞く。
「いや、いや、いや、今はエリーは、いい。君だ。君は、自分勝手ら! 僕はどんなことをしてれも、君が僕の前から姿を消さないために、動くべきらったと、何度も、そう思っ、た!」
据わった目でくだを巻く酔っぱらい程面倒なものはないと聞くけれど、ジュリアンの場合は普段とのギャップで面白いなと、エレノアは失礼にも思った。
ジュリアンは隣から子供のようにじっと覗き込んで来て、説教じみた表情を作る。
「留学先…にっ、君がいないって知った時の、僕の気持ち、わかる?」
「ええ、そうね。ごめんねジュリアン」
すると睨むように目を眇めて顔を近づけてきて、エレノアは一瞬で頬が熱を持つのを感じた。向こうは全然そんなことはお構いなしに愚痴を続ける。
「僕は君に謝ってほしいんら、ない! 僕のこの気持ちに、ろう責任取ってくれるんら?」
「今は謝るしか出来ないわ。あなたを傷付けて本当にごめんなさい」
「違う、違う違う違う、わからない、エレノア? 自分から言ったけど、僕は責任とか本気で思ってるわけらない。謝罪とかそんなもの、いらないんらよ!」
「え……」
そう言ったジュリアンがこてんと頭で凭れかかって来る。
「本当は、今でも君が好き…なんだ。男として、君を諦めたく…ない」
思わぬ囁きに息が止まりそうになった。
「けど、エリーも好きになってた、うむ」
「うむって……ふっ」
一人で勝手に頷いている様子にとうとう小さく噴き出したけれど、本心では全然面白くなんてなかった。
もう向こうは気持ちを整理して、エレノアに恋愛感情はないのだと思っていた。
エリーの事もクレマチスの手前付き合う格好にはなったけれど、本当は遊びなのだと思っていた。
でも全然違った。
「お願いだ…から、僕の所に戻っておいで、エレ…ノ…ァ…………」
あとはもう何を呟いているのか聞き取れなかった。
エレノアは少しでも楽になるようにと膝に彼の頭を乗せた。幸い銃を括りつけたのとは反対の方からで良かった。
乱れた前髪を指で梳いて横に流してやる。
スースーと寝息を立てる素の表情は全部あの頃のままで、歳上相手に可愛いなんて言ったら、意外と実はカッコ付けのジュリアンは不服顔になるだろうけれど、エレノアはふと可笑しくなった。
堪えたように笑ったら、ポタリと彼の額や頬に涙が落ちてしまった。
「こんな風に苦しめて、ごめんなさい」
声に反応したのか口の中でもごもごと彼が何か言ったけれど、エレノアはやっぱり聞き取れなくて目元を拭った。
「でもね、今のままじゃ私はあなたの所には戻れない。誰の所にも行けないわ。もう少しなの。もしも奇跡的に全部上手くいったら、或いはもう一度……」
もう少し寝顔を見ていたかったけれど、部屋がノックされてアメリアが静かに入って来た。
「お取り込み中だったかしらエリー……って大丈夫なんですのそんな近くで素顔を晒して」
「うん、だいぶ酔ってて夢だと思ってるみたい」
「そうですの」
アメリアはどこか憐憫を込めた眼差しをジュリアンに向けている。
「クレイトン様ったら完全に駄目男ねこれじゃ」
「私もここまで酔っぱらってるとは思わなかった。それでどうしたの? もしかして何か動きが?」
「ああそうそうそうですのよ。変な男たちが例の部屋の方に向かって行きましたわ」
ザワリ、と腕が粟立つ。本当に荒事に発展したのだ。表情を引き締めてかかる。
「落ち着いてエレノア」
指先を握り込んだところでアメリアから見透かされたように宥められた。
エレノアは膝枕をやめて長椅子から腰を上げた。
幸いジュリアンは起きない。
最後に薄い毛布を持って来て掛けてやり一瞥すると、アメリアと共に部屋の外に出るのだった。
真剣な面持ちで提案するアメリアに、エレノアは頷いた。
二人はジャスティンたちが入った部屋を見届けてからアメリアの部屋に来ていた。
クレマチスには急ぎこの部屋に来るようにと、廊下でたまたま会った使用人たちにアメリアが言伝てを頼んだ。
案の定裏方の仕事を手伝っているらしいクレマチスは、表向きアメリアの行儀見習いの講師として雇われている身なので本来は手伝う必要などないのだが、いつも何かと頼りにされ、今日も是非にと乞われたらしい。元々面倒見の良い人間なのだ。
あとは、アメリアが少し疲れたから部屋で休むと告げれば、その使用人たちに怪しむ様子はなかった。
これも日頃から正直で素直なアメリアが屋敷の皆から信用されている証だ。
アメリアは鍵のかかった引き出しに厳重に保管してあった二丁の短銃を慎重な手付きで取り出した。弾はまだ入っていないのだがエレノアも我知らずごくりと唾を呑みこんでいた。
「はい、エレノア」
「ありがとう」
渡されたそれを手にすればズシリと重い。
手に伝わる冷たい金属の温度にぶるりと寒気がした。
使わないまま済めばそれでいい。いやそれがベストだ。
銃の扱いは二人共購入した店の店主から教わっていた。けれど実戦になったら本当に自分たちで実弾を装填して使えるのか不安は尽きない。
「後は念のためメイド着に着替えておきますわよ。ドレスで廊下をうろうろしていたら目立ちますもの」
「そうね」
「ですけれど、ああ~ん折角のエレノアのドレス姿がもう見納めだなんて、心底勿体ないですわ」
嘆くアメリアへと半分笑ってから互いに着替えを手伝った。
「うううぅ~エレノアはメイド姿も可愛いですけれど、やっぱり貴族令嬢っぽく着飾った方が私の好みですわ」
「アメリア、いつまでも下着姿でいたら風邪引くわ」
先に着替え終えたエレノアは、自分に抱きつき頬ずりしてくるアメリアを押し返し軽く窘める。
「平気ですわよ。これからのスリルを思うと心も体もほっかほかですわ。ああでもこの姿でいるのもスリリングな気がしないでもないですわね」
「……変な道に目覚めないでね」
アメリアも着替えを終えると、慎重に弾を込めた短銃を目立たないように身につける。
太腿に専用のベルトを巻いてそこに収納した。購入時のおまけに女スパイものが好きらしい店主がくれたものだった。
準備が整ったアメリアが部屋の入口へと目をやる。
「クレマチスは遅いですわね。どうしたのかしら」
「仕事の手が離せないのかも。どうする? 二人で行動開始しちゃう?」
「うーん、そうですわね。早いとこ一度様子を見に行きたいですし……。これはもう仕方ないですわね、クレマチス抜きで見張りに行くだけ行きましょうか」
「ええ。よーしやってやるわ~!」
意気込むエレノアは、そもそもクレマチスにあまり無理をさせたくなかった。本人が聞けば「まだまだ若者には負けませんよ」と気を悪くするかもしれないが、家族同然の相手を案じてしまうのは自然な感情だろう。
誰に見咎められないうちにアメリアの部屋からこっそり出て、人目を避けてジャスティンたちのいる一角へと急いだ。
その途中、
「――おいやんちゃ娘たち、どこに行く?」
「「――っ!?」」
背後からの不機嫌な声に揃って肩を痙攣させて振り返れば、そこにいたのは……。
「お、お兄様。ああーら珍しくお一人ですのね。夜会はもういいんですの? それとも休憩に?」
「ヴィセラス様、これはその……」
しどろもどろになる二人を、ヴィセラスは身長差のままに見下ろして頭の痛そうな顔をしている。実際文字通り頭の痛い問題なのだが彼はその事は口にしない。
「そんな格好までして、お前たち二人で何をやるって?」
当然ながらの鋭い切り込みに、エレノアは言葉に詰まった。
「これはそのええとー……メ、メイドごっこですわ。たまにはこっちの立場で物事を体験してみないとって思いましたの。後学のためですわ。商売って何がきっかけでヒットするかわかりませんし、少しでもそのための経験を増やしておいて損はないでしょう?」
白々しくも説明するアメリアだが、完全目が泳いでいる。
ヴィセラスは胡乱な目つきだ。今にも詰問が飛んできそうである。
どうしようとエレノアもアメリアもだらだらと不自然な汗をかいたが、しかし彼は全く予想外の言葉を発した。
「実はお前たちに頼みたい事があるんだよ」
「へっ? な、何ですの?」
どこか疲れた顔のヴィセラスの視線はエレノアに向けられていて、内心ドキリとする。頼みとは一体何だろうか。
「俺の部屋でジュリアンが酔い潰れて寝てるんだが、ちょっと介抱してやってくれ。俺は会場に戻るから」
「あらまあ、クレイトン様ったら酔い潰れてるんですの?」
意外そうな顔をするアメリアはジュリアンの女性遍歴を調べたのでよく知っている。エレノアには教えないが女性と別れただけで自棄酒に走るとは思ってもみなかった。
彼にとって侍女エリーはいつもとは始まった状況も在り様もきっと違った恋人だったのだろう。心が動いていたのだとしたら気の毒としか言いようがない。
そもそも知らないうちに同じ相手に心を動かされていた辺り、奇跡のようにも思えるアメリアだ。
彼女はエレノアだと知っていて黙っていた事に対して僅かばかりの罪悪感を抱いた。
「行って差し上げたら?」
「え……?」
だからこれは、ジュリアンへの贖罪と同情、あとは気に病んでいるに違いないエレノアを気遣っての判断だ。
「ほらその、メイドごっこはその後にしましょう。まだ時間はありますわ」
その間ジャスティンたちに動きがない事を願うばかりだ。
「私が重要な部分はよーく見ておきますわ、ですから気にせずあの方の面倒を見て差し上げると宜しいんですわ。せめて、今くらいは」
「俺はまあどっちでもいいが、つーか二人でやってくれてもいいんだが、とにかく宜しく頼むな」
「わかりましたわ」
「わかりました」
用件を告げて立ち去ったヴィセラスの背中を少し振り返って見送ってから、アメリアはエレノアの背中をポンと優しく叩いた。
「そういうわけですし、見張りは私がやっておきますわ」
「一人で大丈夫……?」
「自分の家ですもの、万一何かあってもこちらには地の利がありますわ」
任せてと言わんばかりに白いエプロンの胸元を叩くアメリアは、まだ躊躇しているエレノアの背中を今度はぐいぐい押した。
「善は急げですわよ。酔っぱらって寝ているうちに顔を見てきちんと心の整理でも何でもつけてきたら宜しいんですわ」
「アメリア……。うん、そうするわ」
整理なんてきっと出来る気がしないけれど、エレノアはこれで見納めだという思いで彼の居る部屋へと爪先を向けた。
ヴィセラスの言っていた通り、部屋には長椅子の上に横になっている青年がいた。
小さな頃から知っている、金色の髪をした魅力に溢れる男の人。
「ジュリアン?」
今はベールも仮面もしていないので、遠巻きにしながら試しに声を掛けてみる。
反応はないが、苦しげでもなく規則的に胸は上下しているので、具合が悪いわけではなく単に寝ているだけだろう。
(ヴィセラス様が介抱とか言うから、正直心配だったのよね)
そろりと近付いて見下ろす。
「うっ本当にお酒臭いわ。一体どれだけ飲んだらここまでなるの?」
ムワッとする酒の臭いを我慢して、呆れると言うより申し訳ない思いでちょこんと長椅子の傍にしゃがみ込む。
「毛布でも掛けてあげた方がいいかしら。でも暑いかな」
夜会服の襟元はタイが外され寛げられいる。ヴィセラスがしてくれたのだろう、呼吸は楽そうだ。
(ずっとこうして眺めていられたら……)
ささやかな望みが切なく胸を焦がす。
「ジュリアン、大好きよ」
もう言える事はないかもしれないと思えば、ちょっとした悪戯心のようなものが疼いて囁いた。
瞬間、パチリと彼の両目が開いた。
(!?)
エレノアの姿を認めると飛び起きてびっくりしたようにこちらを見つめる。
(えっどうしよう気付かれた!)
「ジュリアン、あの、その……っ」
上手い言い訳を思い付かない。
彼は目をまん丸くして言葉を忘れたように黙りこんだままでいる。
よくよく見ればゆらゆらと頭が揺れているし、赤ら顔でどう見ても酔いは醒めていなそうだった。段々目の焦点も怪しくなってくる。
(あ、もしかしてまだちゃんと酔ってるの?)
「エレ、ノア……本物……? 夢……?」
これはバッチリ酔っていると内心ガッツポーズを作るエレノアは、額を押さえるジュリアンを長椅子にきちんと座らせて自分も隣に座った。
「そう、これは夢よ、ジュリアン」
「夢……」
「そう。猛烈にそうなの」
「……そっか。夢…なら、ついでに言いたい事、言っても…許してくれる、よね」
エレノアが頷くと、彼は背凭れに全身を預けて顎を仰のかせた。
「そりゃあそうらよなあ、これは夢か。そうか、うん、そうか」
彼のこんな姿は初めて見る。思考が酒のせいで散漫で呂律も怪しい。エレノアはやや呆れた。
「もう、飲み過ぎよ」
「なんらって? らって仕方がないよ、振られたんら、エリーに」
(え……? それだけの理由でこんなになるまで飲んじゃったの?)
「……そ、そんなにショックだったの?」
「ああ! もちろんらとも!」
酔っぱらい特有の奇妙な力説についつい噴き出しそうになりながらも、エレノアは黙って話を聞く。
「いや、いや、いや、今はエリーは、いい。君だ。君は、自分勝手ら! 僕はどんなことをしてれも、君が僕の前から姿を消さないために、動くべきらったと、何度も、そう思っ、た!」
据わった目でくだを巻く酔っぱらい程面倒なものはないと聞くけれど、ジュリアンの場合は普段とのギャップで面白いなと、エレノアは失礼にも思った。
ジュリアンは隣から子供のようにじっと覗き込んで来て、説教じみた表情を作る。
「留学先…にっ、君がいないって知った時の、僕の気持ち、わかる?」
「ええ、そうね。ごめんねジュリアン」
すると睨むように目を眇めて顔を近づけてきて、エレノアは一瞬で頬が熱を持つのを感じた。向こうは全然そんなことはお構いなしに愚痴を続ける。
「僕は君に謝ってほしいんら、ない! 僕のこの気持ちに、ろう責任取ってくれるんら?」
「今は謝るしか出来ないわ。あなたを傷付けて本当にごめんなさい」
「違う、違う違う違う、わからない、エレノア? 自分から言ったけど、僕は責任とか本気で思ってるわけらない。謝罪とかそんなもの、いらないんらよ!」
「え……」
そう言ったジュリアンがこてんと頭で凭れかかって来る。
「本当は、今でも君が好き…なんだ。男として、君を諦めたく…ない」
思わぬ囁きに息が止まりそうになった。
「けど、エリーも好きになってた、うむ」
「うむって……ふっ」
一人で勝手に頷いている様子にとうとう小さく噴き出したけれど、本心では全然面白くなんてなかった。
もう向こうは気持ちを整理して、エレノアに恋愛感情はないのだと思っていた。
エリーの事もクレマチスの手前付き合う格好にはなったけれど、本当は遊びなのだと思っていた。
でも全然違った。
「お願いだ…から、僕の所に戻っておいで、エレ…ノ…ァ…………」
あとはもう何を呟いているのか聞き取れなかった。
エレノアは少しでも楽になるようにと膝に彼の頭を乗せた。幸い銃を括りつけたのとは反対の方からで良かった。
乱れた前髪を指で梳いて横に流してやる。
スースーと寝息を立てる素の表情は全部あの頃のままで、歳上相手に可愛いなんて言ったら、意外と実はカッコ付けのジュリアンは不服顔になるだろうけれど、エレノアはふと可笑しくなった。
堪えたように笑ったら、ポタリと彼の額や頬に涙が落ちてしまった。
「こんな風に苦しめて、ごめんなさい」
声に反応したのか口の中でもごもごと彼が何か言ったけれど、エレノアはやっぱり聞き取れなくて目元を拭った。
「でもね、今のままじゃ私はあなたの所には戻れない。誰の所にも行けないわ。もう少しなの。もしも奇跡的に全部上手くいったら、或いはもう一度……」
もう少し寝顔を見ていたかったけれど、部屋がノックされてアメリアが静かに入って来た。
「お取り込み中だったかしらエリー……って大丈夫なんですのそんな近くで素顔を晒して」
「うん、だいぶ酔ってて夢だと思ってるみたい」
「そうですの」
アメリアはどこか憐憫を込めた眼差しをジュリアンに向けている。
「クレイトン様ったら完全に駄目男ねこれじゃ」
「私もここまで酔っぱらってるとは思わなかった。それでどうしたの? もしかして何か動きが?」
「ああそうそうそうですのよ。変な男たちが例の部屋の方に向かって行きましたわ」
ザワリ、と腕が粟立つ。本当に荒事に発展したのだ。表情を引き締めてかかる。
「落ち着いてエレノア」
指先を握り込んだところでアメリアから見透かされたように宥められた。
エレノアは膝枕をやめて長椅子から腰を上げた。
幸いジュリアンは起きない。
最後に薄い毛布を持って来て掛けてやり一瞥すると、アメリアと共に部屋の外に出るのだった。
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