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第一章

6 国王演説の日の波乱

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 教会に戻ってセオ様から言われた通り休養はした。たっぷり三日間。
 三日間が多いか少ないかは人によると思う。あたしにとっては十分過ぎる三日間だった。ぶっちゃけもう仕事を再開してもいいわ。
 だって聖女を一月も休むのは信条に反するんだもの。早速と教会の事務所から治癒者リストを強奪してきて癒しを必要としている人の元に出向いて回った。予想外に早い公務再開に周囲は心配もしてくれたけど、やっぱり助かったようだった。人間の生活はたとえあたしが一年寝ていても滞りなく続いていく。でも何もせず寝ているよりは誰かが少しはマシになった方がいい。
 陛下には内緒にするよう頼んだ。一応ね。
 でも王宮のスパイか何かがあたしには張り付いているだろうから、聖女アリエルが聖女活動を再開しましたーって報告はとっくに彼の元に上がってると思う。まあ文句を垂れ込んでこないって事は黙認しているって受け取っていいのかな。

 ただし、今日だけは例外。一日オフ日。

 何を隠そう本日は国王セオドア陛下様々の演説の日なんだもの。

 建国記念日とかその他の記念日に国王が民衆の前で演説をするのがこの国の慣わしなのよね。ところで今日は何の日だっけ。ああ初代国王の生誕日だ。
 もう半月、生のセオ様を見ていなかった。通常は出張がなければ七日ないし十日に一度は顔を合わせていたのにね。
 同じ王都にいるのに一月も会えないのは嫌だったから先日「頼もーっ」て勇んで王宮を訪ねたんたけど、生憎とアポなしじゃ王宮には入れてもらえなかった。聖女なのに門前払いって扱いにはちょっと泣けたけど、ならばこっそり盗み見ようってわけ。

 まあそんなわけであたしアリエルは推し様を見に来ましたけれども、実はこっそり教会を抜け出しても来ましたの。

 聖女として教会を出るってなると仰々しい護衛が付くわとにかく目立って身バレするわで、じっくりゆっくり秘密裏に陛下を堪能できないもの。
 演説会場の王都大広場には、じかに若き国王を目にできる機会とあって彼見たさに沢山の人が集っている。意気揚々として大広場へと到着したあたしは、聖女の顔を知っている人も中にはいるだろうし、しっかりと顔バレしないよう深くフードを被った。教会には日暮れまでには帰りますってメモ書きを残してきたから心配する必要はないんだけど、お歴々方は頭が固いから捜索されるかもしれない。

 演説が始まれば距離的にこっちの煩悩は陛下に聞こえるだろうけど、こうも人でごった返していると演説を中断してまであたしを捕まえて教会に強制送還するのも一苦労だろうから、むしろ何もしないに賭けた。
 ふへへへへ覚悟してねセオ様。たーんと視線で嘗め回して差し上げますから!
 国王演説は昼頃から始まった。これもある種のイベントだからか広場周辺には飲食のための出店が沢山並んでいて、あたしは食指が動いた物を買って食べ歩きした。

 ……なんか懐かしいなあこの空気感。

 出身村の豊穣のお祭りなんかは規模は全然劣るけど、毎年とても楽しかった。

 それに、前世の中の夏祭りは華やかな花火を見ながら浴衣にカラコロ下駄を鳴らして釣り提灯の下のどこか幻想的な賑わいを歩いたっけ。死んだ旦那と。

 人いきれや熱気って意味じゃ、故郷の村よりもそっちの記憶の方がこの場とよく似ていた。

 前世の夫の事は人並みに愛していた。

 でもこの世界のあたしはもう前世のあたしじゃない。

 アリエル・ベルなのよね、セオドア・ヘンドリックスという男を大大大好きな。
 前世の推しキャラだからってだけじゃない。
 確かに鼻血出して身が悶える程入れ込んでるけど、生身の彼を見て彼と話して、彼の生き様を見守りたいセコムとかアルソックみたいな気持ちなの。

 だからあたしはセオ様なの。前世の夫はじんわりするようないい思い出。

「何これ、うっま!」

 お昼にするつもりのホットドッグを手に遠すぎず近すぎない場所を見繕うと、目立たないようにやや俯きがちにして陛下の登場を待つ。
 程なく賑わっていた広場が更にざわざわとして、あたしは顔を上げた。見上げる先のバルコニーに今まさにセオドア綺羅星推し陛下が姿を現した所だった。

 きゃあーーーーんセオ様あああーーーーん!

 あたしは何にも憚らずにピンクの脳内から黄色い声を出した。
 微かに彼の動きが強ばった気がしたなあ~。相も変わらずの凛々しい姿をどうもありがとうございまーっす!
 あたしは目論見通りに彼の雄姿を堪能していた。煩悩も漏れまくりで。時々陛下が変な風に咳払いとか息を詰まらせるのはきっとあたしのせいだった。破廉恥妄想したのとちょうどタイミングが合っていたもの。完全にもう演説の妨害になっちゃってごめんなさい。だがあたしはあたしを止められない!

 そうして、彼の信望と権威を高める演説もそろそろ終盤に差し掛かろうかって頃合い、美声にうっとりしていたあたしは言い知れない寒気のようなものを感じた。

 あ、これたぶん、邪悪を忌む聖女の本能的なものだ。

「ならこれって……!」

 この感覚はカナール地方で頻繁に経験したものと同じだった。

 あそこは凶悪な魔物の襲来や出没が茶飯事だったから。

 込み上げる危機感に煽られるようにばっと空を見やる。
 周囲は未だバルコニーに釘付けで、異変にはまだあたしだけしか気付いていない。
 空の気になる方向をじっと凝視していると快晴に黒い点が現れた。それはみるみるうちに大きくなって形になって、その頃には広場でも気付き始める人が出てきた。
 皆が気付いた一番の理由は、おそらく陛下が演説をやめて空を睨んだから。
 彼には彼の察知能力があるのか、はたまたあたしの思考に釣られてそうしたのかはわからない。

「会場整備は広場の皆を避難させろ! 警備兵は総員構えろ! ワイバーンが来る!」

 ワイバーン。
 代表的な竜種の魔物だ。知能は低いとされていて、とりわけ市街地に現れたら即座に倒すのがベストだって言われてもいる。手当たり次第人を襲うからね。

 というか、魔物が王都中心にまで現れるのは極めて珍しい。

 通常王都は高い壁に護られているし、魔物が近付いて来ようものなら王都周辺を見張っている兵士に討伐される。
 こうも王都の中心まで入ってこられたのは、意外にも飛行高度が高かったからだろう。
 ワイバーンは全部で五体。彼らにしては比較的小さな群れだ。
 魔物の目にも獲物たる人間の集まっている大広場が際立ったせいか降下してくる。
 言うまでもなく、広場一帯は大変なパニックに陥った。
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