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第一章

10 いつの間にやら王宮暮らし

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 セオ様はあたしの様子見に来てくれていたみたい。グッドタイミングであたしが目を覚ましちゃったってわけね。でも口付けなしで目覚めちゃうなんて、あたし達ってば白雪姫と王子よりも絆が強いんじゃないの?
 前世の記憶を思い出すより前に彼に一目惚れまでしたのがそのいい証拠でしょ。いやん照れる~!

 世話役から話を聞けば、あたしは大広場でぶっ倒れてから三日三晩こんこんと眠り続けていたそうなー。お腹も空くわけよねそりゃ!

「ふむふむ、ここは王宮の空いている宮殿の一つで、あたしはここで寝泊まりをする、と」
「そうです。これも聖女様の身の安全を考慮して下さったセオドア陛下の優しさですね」

 これからはもう脱走不可脱走不可ですよバンザーイ……って彼の笑顔に書いてある。

 彼ってのは、あたし付きの青髪ロン毛の青年神父の事。

 基本的に教会でのあたしの世話役はこの男と、着替えとかの身の回りの世話をしてくれるメイドみたいな役回りも兼ねたシスターが二人の計三人。

 世話役は十人も二十人もいらないって断固退けたからこうなった。実は護衛としても選りすぐりの三人はあたしに合わせて王宮暮らしをしてくれるんだって。今も皆ベッドの周りに集まってあたしを案じてくれていた。うう、有難い事で……。だけどちょー真面目。脱走の一つや二つ、目を瞑ってくれてもいいじゃない。まあ一つ二つどころじゃないけども。

 誰でも自由に礼拝に訪れられる教会と違い警備が超絶厳重な王宮じゃ、勝手にうろつくと職質されかねない。

 でも王宮警備兵はあたしの顔を大体皆知っているから、たとえ見つかってもすぐに聖女だってわかる……って即刻身バレで完全詰んでるじゃないのっ。残念ながらもう冗談抜きに脱走はできなくなりそうよ。

 見つかるまでひたすら捜し回るとか、あたしからその手の迷惑を被っていた青髪神父はだからすっごく嬉しそうなのよねー。

 教会に戻った方がよくない? 自由度高いし……って、ううん自由は減っても陛下がすぐ傍にいるなら耐えられる気もする。兵士を買収して彼の寝室に潜入するのも夢じゃない。彼の枕にスーハーするのも目じゃないっ!

「聖女様、悪い顔になっていますよ」

 神父はあたしがまた狂犬の如く脱走を図りかねないと思ってか酷く不安そうにした。

 彼の名はイザーク。

 因みにシスター達は緑髪がメイで、赤髪がモカ。二人もイザーク同様長髪だ。

 三人ともあたしよりも年長者で二十代、あたしが聖女としては少々変わり者だって知っている数少ない人間でもある。聖女指導の三角眼鏡の家庭教師達と違って厳しくないし聖女らしくありませんって怒らない。
 当初は一挙に優しい兄と姉ができた気分だったっけ。ま、今じゃ泣きべそ茶飯事なイザークなんて兄には到底思えないけどね。

 そうだわ、家族の皆は元気かな。聖女になるにあたって縁を切ったも同然だけど……本当は少しだけでも会いたい。

 ここであたしはハッとしてこの思考を打ち切った。

 まだ陛下がそこそこ近くにいるんだった。ホームシックだなんて聖女失格って思われかねない。

 でもあたし、陛下になら知られてまずい事はほとんどない。
 この世界があたしが前世で読んだ小説世界ベースなんだって思考も多分聞こえた事があると思う。
 馬鹿げて意味不明な妄想だと思っているのか未だにその話題には触れられた事はないけど、率直に訊いてくれれば正直に答えるのになあ。
 三人から説明を聞き終えたあたしは広場での顛末と自分が置かれている状況を飲み込んだ。あの母子は無事。ワイバーンに掴まれた際にやっぱり怪我を負っていたらしいんだけど、それもあたしの魔法で治ったんだって。

「ねえ、教会の皆はあたしがここに引っ越すのを反対しなかったの? 教皇のお爺ちゃんや枢機卿のおじ様達は何と?」

 この国じゃあ、聖女の教会での地位は階級トップの教皇よりも上。だから本来は教皇へも畏まらなくていいんだって。まあそうは言われてもおしとやかにしておいた方が何かと便利だから猫被りはやめてない。

「そこは聖女様がご心配なさらずとも、教皇様から見習い達に至るまで、王家の血筋の継承をより重要視していますから」

 そう微笑んだのは赤い髪のモカ。

「血筋? どういう事?」

 論点がよくわからず小首を傾げたあたしへと彼女は少し困った風にした。他の二人も同様だ。聖女様はピュアですよねなんて呟いていた。あっはっはおかしなのーあたしのどこがピュア? どぼどぼの煩悩まみれなのにね。まあだけど彼らはあたしの煩悩までは知らないもんね。知らないって怖い怖い。

 とにもかくにも推しと一つ敷地内のラブラブ新生活が始まるってわけだ。

 独り身に沁みる王宮の夜には、あたしがぬくぬく抱き枕になってあげるから待っていて!
 げへへへと下卑た笑いを披露したいところだけと、さすがに悪い顔って言うよりキモい顔になるだろうから控えた。……この時陛下が危うく階段を踏み外しそうになっていたなんて当然あたしは微塵も知らない。

「それから、暫くの間は自主的治癒活動もお控え下さいね。まあ脱走ができないのでその心配はしていませんが、元々言い渡されていた休暇期間にしてもまだ残っておりますし、この機会にしっかり体を休めて下さい」

 今度は緑髪のメイから注意と労いをもらった。そういえばそうだった。

「ならここで何して過ごせばいいの?」
「何を仰っているんですか、今までと同じですよ」

 イザークの言葉に思わず顔をしかめちゃった。
 教会にいた間は祈祷、淑女マナーやダンス練習、座学だと聖女の心得や聖女の歴史が記された聖女全書なんかを延々読まされていたからもういい加減お堅い生活に厭き厭きしていたってのに。自然と表情が雲って溜め息が出てくる。
 折角王宮にいるのに勿体ない時間の使い方よそれ。
 いつ陛下の気が変わって教会に帰れって言われるかわからないんだし、できるだけ彼を見つめて過ごすか教会じゃ出来ない何かをして過ごしたい。

「本音を言えば、教会での日々は唯一の楽しみのお忍び治癒活動があるから我慢していられたのよね。当分は公私共にできないなんて、本気で退屈過ぎて死んじゃうー」

 庭の散策にも限界があるし、王宮施設内を見て回るのだってそう。

「聖女様そのような事を仰らないで下さいよ~っ、駄目ですからね死んでは~っ」
「はあ……。今のは単なる言葉のあやでしょ。それくらいにまだまだアウェーなここでは、どうやってモチベーションを保とうか悩み所と言いたかっただけ」

 あーあイザークの泣きべそスイッチ入れちゃった。全く心配性なんだから。メイとモカは温ーい目を彼に向けている。彼が一番歳上なのに駄目な子を見る目だ。

「訊ねたい事があったのに、教会に戻れないとなると手紙でも認めた方がいい……?」
「どのような疑問でしょう? 私共でもお答えできる事でしたらお答えしますよ」

 緑髪のメイが言って、モカも泣き止んだイザークも頷いた。
 別段隠したい内容でもないし、彼らが知っているなら手っ取り早い。

「ええとね、実は聖女能力の向上ってできないかなと思って。できるなら少しでも強くなりたいの」
「「「聖女様……!」」」

 やる気を示して拳を作って見せれば、今度はイザークだけじゃなくメイとモカまで涙ぐんだ。この反応は予想外。

「ええと、もしかして禁止事項なの?」

 いいえ滅相もない、とモカが頭を振る。

「でしたらどうして泣いてるの。泣かないでモカ、メイ」

 イザークは「え、私は?」って孤島に取り残された人みたいな顔をしたけど、いつでも涙がスタンバってる人を慰める面倒はしーない~。

「聖女様のお心に感動してしまいました。メイも同様でしょう」

 モカ同様に涙を拭うメイが同意の首肯をする。

「私もですよおっ!」

 イザークも必死に沖までいかだを漕いできて合流した。

「ふふ、三人とも大袈裟。ところでできるの?」

 苦笑して再度訊ねると、三人は縦に首を振った。
 やった、あるんだ!

「それで、それはどんな方法なの?」

 すると三人は申し訳なさそうにした。各自互いの顔を見てから代表してイザークが口を開く。

「過去に能力向上に励んだ聖女様がおりまして、向上はしたと聞き及んではおりますが何分古い話ですので、私共も具体的な方法は存じ上げないのです。お役に立てず申し訳ありません」

 じゃあ、教皇や枢機卿達に訊いても知らないかもかあ。
 と、メイが何か閃いたように顔を上げた。

「ああっそういえばここ王宮には大きな図書館がございます! 近年の聖女関連の書物は基本教会書庫の方が豊富ではありますが、もしかするとそこにない古文書に何か記載があるかもしれません。ここの方が教会よりも古文書の所蔵数は遥かに上ですし、調べる価値はありますよ」
「そっか王宮図書館か、存在を忘れてたわ」
「では聖女様の退屈凌ぎはそこで決まりですねえ!」

 最後にイザークが張り切ってそう宣言。

「なら、早速今から行ってみよっか!」
「「「今日はまだ駄目です!」」」

 あたしの健康を心配した三人から綺麗に駄目出しをハモられた。
 もう大丈夫だからと三人を粘り強く説得した結果、かくしてあたしの調べもの生活は明日から幕が開く予定となりました~。
 この後、ちょうど良い頃合いであたしの食事を王宮メイドが運んできて、体調を考慮されて作られたメニューはあたしの胃をそっと包み込むように優しい味のものばかりだった。ぺったんこだったお腹は大満足した。

 食後、お行儀悪くもベッドにごろんと横になったあたしはぼんやりと天蓋を眺める。

「そう言えば王宮図書館って、何かあったような……」

 思い出しかけたところでノック音がして、メイとモカが就寝準備に必要な一式を運んできた。

 あたしが目覚めた時点でもう夜に近かったから、病人食はそのまま夕食になった。だからそれが済んだらあとは身綺麗にして寝るだけ。入浴を希望したあたしのためにお湯のたっぷり張ってあるバスタブの準備もできたみたい。明日からはこの宮殿にある大きな湯殿をご用意させますって言われたけど、まだ温泉気分にはなれないから当分はバスタブでって断った。

 そんなやり取りをしているうちに、さっきの思考はどこかに行ってしまった。






 その夜、あたしは夢を見た。

 真っ黒い闇の中に仄かな金色の光が見える。
 見ているとその黄金色の光は、ここに来て、連れ出して、と訴えていた。
 それはもしかしたら音声でもなければ人間の言葉でもなかったのかもしれない、だけどあたしはそれの意思を理解できていた。
 
 ――今まで窮屈な暗闇の中で何度も何度も何度も何度も叫んだのに、誰にも声は届かなかった。

 この身をこんな場所に閉じ込めたあの聖なる女が憎かった。

 今では誰も、人間さえも訪れないこの知られずの場所で自分はあとどのくらい生きられるだろう。

 もう嫌だ。寂しいのは。

 ここに閉じ込められていた長い間ハッキリと意識だけはあったから何度も無理やり冬眠のような眠りにねじ込んでこれまで騙し騙しやってきた。
 しかしそろそろ限界だ。心も体も。
 炎も剣も跳ね返すどんなに頑丈な鎧で護られていようとも意味がない。

 この身が朽ちるのが先か、何かが起きてこの場所が白日の下に晒されるのが先か。

 かつてのように燦々とした陽光の下、じんわりした暖かさに包まれて時を待ちながら微睡みたい。大きく背伸びをしようと思える時まで。
 切実に、きっと叶わないだろう願いと知りながら、その光はまたそう願った。

 けれど、たとえ朽ちるにしても大嫌いな人間にどうにか一矢だけでも報いてやりたいと強く思う。

 人間は敵。人間は害悪…………ただ、ここ最近感じる奇妙な気配が妙に意識に引っ掛かって、むくむくと好奇心が育つのを感じていた。不本意にも。何もできないながらも。受け身でいるしかないながらも。

 よりにもよって大嫌いなあの力を持っている相手だと言うのに、気になって仕方がなかった。

 とうとう頭がイカれたのかもしれない。ならばもういっそ誰でもいいと思った。仲間ではなくても、何者でも。

 どうか。

 変化を。

 そう光は願う。

 ――夜中、ハッと目を覚ましたあたしは、変な夢って感じながらもわけもなく切なくなった胸を押さえた。だけど何かを考えるより先に眠気が強くなってすぐにまた眠りに落ちた。
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