男装したら腐友人がBLさせようとしてくるようになった件

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5男装令嬢に甘噛み

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 決闘当日、私は実家ロビンズ家の庭の一角で一人朝から剣の稽古に励んでいた。

 季節の花々で色鮮やかな庭の景色とは対照的に芝しかないこの稽古広場は私のために庭師が造ってくれた練習場所だ。周囲には区切りとして低木が植えられてその間から屋敷まで繋がる小路や庭の散歩ルートに通じる小路なんかが延びている。
 ぎっくり腰前の師匠ともここでいつも手合わせしてもらっていた。

 慌てていたせいでステファンさんとはざっくり午後って約束しただけで明確な時間までは指定しなかったけど、まあ午後までには彼も到着しているだろうから開始のタイミングはその時決めればいいかなって思ってる。

 呑気って言われればそうだよね。でもいつ戦おうと、相手が師匠の孫で王宮騎士だろうと、私の辞書に敗北の文字はない!……なんて意気込んでみる。実際口にするのはかなり恥ずかしくて大声では言わないけど、紛れもなく百パー本気だ。

 五秒で叩きのめしてぐうの音も出ない程に私を師匠の弟子って認めさせるのが本日の対決の目的だ。

 まあそんなわけで時間はまだあるし師匠からは自主練をサボるなって言われてるのもあって一汗掻いていたってわけ。服は普通にパンツルックの稽古服。決闘も動き易いこれでいくつもり。
 決闘とは別に、ステファンさんが来たら師匠の様子も聞きたい。ぎっくり腰はきっともう治っているだろうけど、歳だし他にも不調が出てこないとも限らない。まあ夜会じゃ敵意が半端なかったし正直教えてくれるかは微妙だけどね。
 師匠、ホント元気かなあ。

 師匠からは私が男だったらなんて言葉を聞いた事はない。

 とりわけまだまだ男尊女卑が色濃い騎士社会にあって、もしも私が男だったら今頃はロビンズ男爵家の息子は凄腕騎士だって有名だったかもしれないけど、もしもは所詮もしもだ。
 私もこの私だからこそ誇れる力を身に付けられた過去がある。言い換えれば私が本当に男だったら今の実力には及んでいなかったかもしれない。
 ステファンさんとは違って師匠はとっくに性別で差別する無意味さをわかっていたんだろう。
 
 体を案じつつ切れないよう刃を潰した練習用の剣を振っていると、いつしか他の事にも思考がいった。

 私が剣を扱う女でも、レティシアもクラウスさんも一線を引いたりしない。昔ながらの因習や礼節を重んじる大貴族アドレア公爵家にあって二人は珍しくもとても思考が柔軟で視野が広い。
 それに、男装して社交界に顔を出すようになって、年頃になっても気楽に行き来したりする彼らと私の関係がとんでもなく貴重なんだって改めてわかった。
 今更世間一般的な節度を持ちましょうなんて言われても私にはそうできる自信がない。
 それくらいにレティシアもクラウスさんも今では私の日常の一部なんだよね。

 二人を思い浮かべたら芋づる式にクラウスさんとの一昨日の夜の出来事も浮かんできた。

 まあ芋づる式にだなんて言ってもなるべく考えないようにしていただけでずっと思考の片隅では気になっていたんだけどね。
 昨日の朝の彼は妙だったし、何度思い返してみても十中八九彼は噛みついてきたと思う。

 でもどうして急にそんな真似をしてきたんだろ?

 その時読んでいた小説はオメガバースだったけど……それを持ち出してふざけたとか?

 彼のマジな方向には考えない。
 だって好きな人がいるんでしよ。彼にとっては恋愛的なものじゃないはず。
 そうだよ、きっと私を揶揄からかおうとしたんだ。本当は寸前で止めるつもりだったのを何かの弾みで本当に噛んじゃって彼自身もやらかしたって思ったから驚いたみたいな顔をしてたんだよ。本当なら指先で噛み付くふりか何かしてオメガバースごっこだとかおどける気だったんじゃないの?
 ただ、幸か不幸かタオル越しだったから次の日何とか顔を合わせられたんだよね。

 このところただでさえ彼の言動に心臓がヤバいのに、逃げ出したいのを何とか堪えて平気な振りをしていたのをきっと向こうも知らない。

 思い出せば思い出す程に体を動かしての心拍数の上昇だけじゃない理由でより鼓動が速くなる。
 温まり解れた筋肉に熱い血が巡り汗が薄く滲む。

 もし、あの時もしも、直にクラウスさんの唇が首筋に押し当てられていたら……。

 もしも彼が血迷ってオメガバースのような意図で甘噛みをしてきたなら……私はどうなっていただろう。

 エマ、と彼から耳元に情熱的で甘い声を囁かれて、これで君は未来永劫俺のものって決定だ、なんてちょっと悪戯っぽい積極性で言われてバックハグされてその後はお約束の甘い甘い夜に――……。

「でもって名実ともにやっと君を手に入れたって言って……――ってわああ何妄想してんの私~っ、あの時読んでた小説の展開だよそれえええっ!」

 のぼせたように全身が熱いし変に脱力しそう。
 思わず剣を放り出して頭を抱えた。

「私なんかの貧相な妄想の中でさえ大変なのに、本物のクラウスさんからアプローチされる意中の子はもう何か……理性が爆発消滅して人として駄目になりそう……」

 前にクラウスさんはまだその人とはいい感じにはなっていない的な事を言っていたけど、そんなのは時間の問題だよね。あの人といたら好きにならないわけがない。
 もしかして、私が知らないだけでもう既に手応えを感じてるんだろうか。
 距離を縮めてるのかもしれない。

「そうなの、かな……」

 思わず痛んだような感覚に息が詰まって奥歯にも拳にも力が入っちゃった。

「はあもう、集中集中!」

 わかっていたのに、彼の愛情は私に向けられているわけじゃないって。凹むのはお門違い。やっぱり私には恋愛事なんて向かないのかもしれない。
 決闘前に無駄な精神力を消費するのはやめようとふるふると頭を振って気分一新すると、落ちていた剣をいそいそと拾った。

 それからは無心だった。

 師匠から叩き込まれた剣の基本を繰り返す。剣士なら誰でも習う型は勿論の事、実戦では決して正攻法とは言えない技も必要になるだとかで教えてもらった動きまでを引っ括めてお復習さらいする。彼の言った通り魔物退治で使ったっけ。飛んで跳ねて薙いで突いて風と共に風を生み出し仮想の敵を一刀両断。夢中になって体を動かしていたら周囲の音も消えていた。

 どのくらい没頭していただろう、ちょうど集中力が切れた頃、耳が草を踏む音を拾った。

 それは歩いて立てた音じゃなく、例えばその場で足を動かして休めの姿勢を変えた時のようなささやかな音だ。

 屋敷の誰かがそろそろ休憩してはと呼びに来て、少し待ってくれていたのかもしれない。
 腕を下ろしてその方を振り返った。

「んん……? ステファンさん?」

 芝の広場端に植わる低木の横には師匠の孫の青年ステファン・コンラートさんが立っていた。

 王宮騎士の立派な制服じゃなく、師匠のぎっくり腰を告げに来た時と同じ旅行者みたいなフードマントを羽織っている。マントの合わせ目からは腰に提げた剣帯に差し込まれた剣の柄が覗いていた。

「お早うございます。随分早いですね。昼前辺りに来るのかと思ってましたよ」

 日の高さからまだ朝の括りだ。

「ステファンさん……?」

 更にもう一度声を掛けるまで、何故か彼は言葉を失くしたように立ち尽くしていた。

 何か考え事でもしていたのか、我に返って咳払いすると相変わらずの突き刺すような目を送ってくる。
 彼は赤毛が目立つ青年だ。今は髪の毛が極めて薄い師匠も赤毛だし、往年のふさふさだった頃はきっとこんなだったろうなあ……なんて感慨深いものを感じたけど、そのある意味師匠不敬の臭いを嗅ぎ取ったのか彼は一層無言の圧力を強くした。

 それにしてもこの人いつからいたの?

 声を掛けてくれたらよかったのに。それとも私が夢中で声をスルーしちゃってたとか?

「あーええと、ごめんなさいステファンさん。夢中で素振りしてたから気付かなくて」

 先手を取って謝ってから剣を逆手にして駆け寄ると、彼の様子が何故かぎこちないのに気付く。緊張しているみたいだ。
 まさか決闘に?
 でも知り合ったばかりだけどそんなタマには見えない。

「ええと、もしウォームアップするんでしたらこの場所を使って下さい。そのために早く来られたんでしょう?」

 応対を丁寧にしてやれば、彼はじっと物珍しそうにこっちを見つめる。

「何か……?」
「いや、綺麗だったな、と」
「綺麗? うーん? ……ああ、剣の型とかですか。へへっ何てったって師匠直伝ですからね! 一番弟子ですからね!」

 ここぞとばかりに堂々と胸を張って得意げにすれば、ステファンさんは少し俯いた。

「……てっきりお嬢様の道楽なのだと思っていた」

 その声にはどこか悔やむような響きがある。

「ロビンズ嬢、今の一連の動きを見てわかった。あなたは剣に誠実だった。夜会では勝手な決めつけをして済まなかった。この通りだ」
「えっ」

 意外な事に彼はぺこりと折り目正しく頭を下げた。所作がもうきびきびしていて武人のそれだ。さすがは王宮騎士。
 内心で称賛を向けていたら、彼がすっと流れるように視線を上に動かしてバチッとしっかり目と目が合った。
 わお、手合わせ時の師匠と同じ鋭く油断ならない目。
 瞳の色合いも師匠譲りの琥珀色。光の具合によったら金色にも見えるんだろう。そういう時の師匠は人なのにジークウルフのウルフって名の通り狼を彷彿とさせる凄みがある。

 ステファンさんもそうなのかな……って、ええと、睨まれてるよね?

 謝ってきた割には何だかまだ私に対しては好意的じゃないんですけど……。何で? あ、やっぱり私声掛けられても気付かず無視しちゃってたの? だとしたら不愉快になるのも頷ける。

「あのーステファンさん、私が何か不愉快にさせてしまっていたならごめんなさい。あと師匠のことも丸投げな感じで任せちゃったので……ってああだから怒ってるんですね! お見舞にも行ってないから」
「怒る? 私があなたに? 大体見舞いは不要だと言ったのはこちらだし、どうしてそこで私が腹を立てるんだ?」
「ええまあそうですよね。なら何に怒って……?」
「別にもう怒っていないが」
「え? そうなんですか? でも私を睨んでるじゃないですか」
「別に睨んでいるつもりは……」

 明確に否定しないのはやっぱそうだからだよね。
 ちょっと気まずくてドキドキしていると、ステファンさんが顔を歪めて言いにくそうにする。

「ロビンズ嬢、申し訳ない」
「へ?」
「これは、この顔は、己の照れや恥ずかしさをどう処理すればいいのかわからず、まだ気持ちが落ち着かないせいだ」
「照れ?」
「ああいや、とっとにかく私の経験不足のせいだ。あなたを不快にさせてしまい重ね重ね済まない!」
「え、ええと」

 彼はとても悔いるようにきつく眉間を寄せている。これは突っ込めない雰囲気だよ。

「確かにさっきまで私はあなたに腹を立てていた。それは認める。あなたにとっては理不尽にもな。本当に済まない!」
「い!? えええーっと起きて下さいっ起きて! あなたの謝罪の気持ちは受け取りましたから! 騎士たるもの心に決めた主君以外に簡単に膝を屈したら駄目ですよ!」

 ホントね、急に地面に膝を突こうとするから心底びっくりだよ。
 予想外にも随分と正直な人だよ全く。振る舞いから生来生真面目なんだろうなあって何となく思う。一本気質過ぎて時に融通が利かない所があったりするんだろうなあこりゃ。もっとも、この件がそうだしね。
 誠実に懸命に主君を護る騎士って彼みたいな感じかも。
 これはレティシアの専属騎士を演じるにあたって参考にすべき部分がありそう。彼から話を聞いてみたい。
 それに騎士エドウィンの秘密を黙っていてくれるようにも頼みたい。そうすれば男装騎士終了はまだ考えなくてもよさそうだもの。
 彼の方は「それは一理あるが過ちを認め相応の態度を示す真摯さも必要だろう」とまだ謝罪し足りないのか罪悪感に苛まれたような顔でいる。

「私に怒っていたのは剣に不真面目だと思ったからですよね? これでわかって頂けたならそれで良いです」
「ああ、ロビンズ嬢の志や腕前は理解した。王宮騎士でもあなたと対等に渡り合える人間は三人もいるかどうかだ。無論、あなたは私よりも強い」
「嬉しい言葉をありがとうございます」

 遠慮なく称賛は受け取る。下手な謙虚さは時に相手を貶めかねない。
 素振りや身のこなしで実力を見極める辺りステファンさんも中々のものだと思う。さすがは師匠の孫。
 ところでこれはもう和解したって思っていいんだよね?
 彼は私のすぐ前で姿勢よく佇んでいる。話は逸れるけどこの人も背が高くて逞しくて騎士として恵まれた体の持ち主だ。
 クラウスさんは魔法使いだから優雅さの方が際立つ理想のボディだけど、ステファンさんは堅実に肉体で戦う士としての理想のボディだと思う。
 レティシアがここに居たら二人を絡ませてはあはあしそうだよ。
 私の胸中なんて微塵も知らないだろうステファンさんは依然真剣な顔でいる。

「私は、恥ずかしい話、先日初めて祖父から実は長年の弟子がいるという話を聞いた時、どうして孫の私ではなくて血縁でもない、しかも女を弟子にしたのかと憤っていたのだ。今日ここに来て実際に剣を振るうあなたを見るまでは」

 そこはステファンさんじゃなくても同じように思った男は多いだろう。世間でも武芸を嗜む女性は少ない。とりわけ騎士団界隈なんてまだまだ男社会だ。
 彼は偏見を持っていたけど、同じ剣士同士私が今の実力を得るまでの血の滲むような努力を理解したんだろう、柔軟にもそれを改めた。
 見るだに、根は素直な青年なんだよね。
 だから正直な所、指を突きつけて彼を責められなかった。
 五秒で叩きのめしてやろうと思っていたのになあ。

「しかも貴族令嬢と聞いて全く驚いた。正直何かの冗談かと思った。祖父も詳しくは話してくれなかったし、だから、祖父があなたを弟子にしたのは貴族の権威を振りかざされて仕方なくだとも思っていたのだ」
「ははあ、そうだったんですね」

 でもうち程度の小貴族じゃ振りかざす権力もない気がするよー。

「ああ、面目ない。祖父はあなたの才能を見抜いて、だからこそ弟子に取ったのだろう。嫉妬のあまりそんな深淵な思慮にも思い至らなかった」
「あー、その経緯につきましては……」

 私は目を泳がせた。
 うちを訪れた師匠の腕に惚れ込んだのはそうだけど、その当時彼がうっかりうちの先祖代々の高価な壺を割っちゃって、それをその時は私しか知らなくてそこにつけ込んだんだよねー。はは。黙っている代わりに私を弟子にしてって毎日しつこく迫った。

「し、師匠の思惑はわからないですけど、本当のところは腕前に惚れて逗留先にしつこく押し掛けて弟子にしてって頼み込んだんですよね!」

 既に有名騎士だった師匠にはおそらく弁償できるだけの蓄えがあった。でも私がしつこくていい加減もうあしらうのが面倒だったから弟子にしてくれたんだろうなって、当時を振り返るとそう思う。

「まあ根比べで僅差で私が勝ったと。しつこさなら私は師匠の上を行きますよ」

 微苦笑して言うと、ここでようやくステファンさんは口元をふっと緩めた。

「いや、あの人はそれだけで弟子にしたりはしない。ロビンズ嬢に才能の片鱗を見たからだろう」
「うーん、そうなんですかねえ?」
「ああ、孫の私が言うのだから」
「ふふっ、そうですか」

 お互いに口元が緩んで初めて彼との空気が和んだ。

「ロビンズ嬢、けじめとして今ここでもう一度改めて謝罪させてほしい」
「……ステファンさんは律儀ですね。謝罪はもう要らないですって。とっくに水に流しました」

 ついつい呆れたら、彼は瞳を揺らして動揺を見せた。え、何で?

「あなたは、律儀というかきっちりし過ぎている男は嫌いだろうか?」
「はい? きちんとしていることは良いことだと思いますよ」
「そ、そうか」

 彼は何故かほっとしたようにはにかんだ。何だ普通に笑えるんだ。

「ロビンズ嬢、私はこの先騎士として祖父のように大成してみせる」
「そこは私も同じです。当面の目標は師匠ですもん。ふふっじゃあステファンさんとはライバルですね。お互い切磋琢磨し合いましょう」
「ロビンズ嬢……っ、ああ、約束する!」

 何故かステファンさんが感動したように目を輝かせた。未来への希望に満ち満ちている。
 誤解が解けたなら、決闘はどうするんだろ。
 実力も及ばないって悟っただろうし、私の正直なところとしては無駄な争いは好まない。撤回してくれるといいんだけど。

「あのーステファンさん、決闘はどうします? 予定通りやりますか?」

 彼もそこは考え直していたのかもしれない。それでも言い出した手前引っ込めづらいのか悩んだように半目を伏せる。

「事の発端は心苦しいが、決闘は予定通りにしてほしい。純粋にあなたと手合わせしてみたいんだ」

 ややあっての彼の出した答えに私から否やはなかった。
 予想外にもステファンさんの強い決意の眼差しに、私も剣士として真面目に向き合うべきだって考えを改めたんだ。
 因みに、男装にも事情があるんだってのはわかってくれた。レティシア達の事情はさすがに教えなかったけど、生きていると色々あるからなって多くを聞かずとも寛容に理解を示してくれて、内緒にしてくれるって約束してくれた。好い人で良かった~。
 ついでにもう一つ。
 もうお互い知らない仲でもないんだし、師匠の弟子なら親戚みたいなものだからって彼はステファン呼びを希望した。さん付けはむず痒いんだって。
 だから私も師匠の孫なら親戚のお兄さんみたいなものだからって思って、堅苦しいロビンズ嬢呼びじゃなくていいよって歩み寄った。言うまでもなく男装時は駄目だけどね。その時はその時でエドウィン呼びでいいとも話した。

 そんなわけで、気軽にステファンとエマ呼びになった。




 その後、きちんと決闘時間を決めて時間まではそれぞれ自由行動にしようってしたんだけど、ステファンから庭先案内をお願いされてしまった。
 彼が庭造りに興味があったとは知らなかったよ。
 こっちとしても別段断る理由もなかったし、我が家の庭師達は常日頃から訪問客の少ないのを嘆いてもいたから、一人でも多くの人にうちの庭師達の汗と努力の結晶を見てもらえるならと快く引き受けた。庭師達は張り切ってそれぞれの持ち場にスタンバってくれたから、私が説明する手間が省けて楽だった。

 分厚い誤解の壁がなくなったおかげか、ステファンから師匠の近況も無事聞けて何よりだった。

 師匠の腰はすっかり良くなったみたい。病院から家に戻ってもう普通に立ったり歩いたり走ったり果ては薪割りまでをしているって話。薪割りだなんて相変わらずパワフルだなー。だけど寝込んでいたから体力が落ちていて「これじゃ弟子に合わせるマッスルがない」って家族と過ごしながらトレーニングに励んでいるんだとか。
 こっちは全然気にしないのに、無駄に律儀な所はステファンと一緒だよ。血は争えないね。

 お昼も近付いた頃、公爵家の兄妹二人がやってきた。

 メイドに案内されてきた二人は、休憩を挟みつつ庭案内をしていた私とステファンの姿を見るなり思い切り目を据わらせたっけ。

 敵だと思っていた男と仲良さげに談笑していたんだし、まあ無理もないか。ちゃんと説明しないと。あとは正式に紹介もね。
 私は一旦ステファンをその場に待たせると、どこか晴れやかな気持ちで二人の元へと駆け寄った。
 そしてかくかくしかじか。

「――だからといってエマがこの男を案内する必要性が見当たらない」

 簡単に説明した結果、クラウスさんは全く納得していない面持ちでそんな言葉を口にした。

「そこはだって私はこの屋敷の人間ですし、頼まれればそうしますよ」
「なら今から俺も個人的に案内してほしい。エマから庭を案内をされたことってないし」
「え? 子供の頃よく一緒に回りませんでしたっけ? まあ案内って言うか庭先探検みたいなものでしたけどね」
「あれは遊びだし、子供時代は子供時代だよ」
「うーん、そういうものですか?」
「そういうもの」

 腕組みしてしかと頷くクラウスさんは、だけど拗ねているみたいに見える。
 彼の横ではレティシアが口に手を当てている。あーこれは笑いたいのを堪えてるねー。でも何で笑いそうになるんだろ。いつも完璧な兄が子供っぽいからかな?

「そもそも決闘する相手と決闘前に馴れ合うなんて、気を緩めすぎだと思わないか?」

 ご機嫌斜めになる幼馴染の彼はやや置いて合流したステファンを軽く睨むと私の手を握った。

「庭先案内のガイド役は後で宜しく頼むよエマ。ところで昼食はどうする? 決闘に差し支えないくらいは食べるだろう? どうせならレティと三人で庭で食べないか?」

 クラウスさんが手を引いて勝手知ったるうちの庭を屋敷の方へと促してくる。ほらガイドなんて微塵も必要ないのにね。ステファンと無駄に張り合っているのは明白だ。夜会での心証が良くなかったから警戒するのも仕方ないけど誤解が解けたって説明したのになあ。
 困る反面、私の心の中は騒がしかった。そりゃお昼は食べる。沢山食べると動きに差し支えるから量はセーブするつもりだけど。でも、いきなり手を握られるのは心の準備が間に合わないんですけど!

「え、あの、あのっ」

 例えば人の心には恋のコップがあって、きっと私のそれには彼への気持ちが溜まり続けていた。溢れていなかったから今までは平気だったんだ。なのについに溢れて自覚したらこんなだよ。首に甘噛みされた出来事がもろに効いてもいる。
 時間が経つにつれてかえって動揺が強くなっていた。今日だって手を握られただけで自分でもここまで緊張して挙動不審になるなんて予想もしなかった。

 キュンとして体が錆びたみたいにガチガチになる。

 ああどうしよう、今一歩でも歩いたら躓いて転ぶかも。

「待ってクラウスさ――」
「それならいっそ昼前にこの決闘を済ませよう。それでもいいかエマ?」

 クラウスさんとは反対の腕をステファンが掴んだ。

「貴様……今何て?」

 貴様ってクラウスさんがこれまで使った所を見た記憶がない乱暴な呼称でステファンを呼んで、ステファンは眉をやや寄せて無言で彼の険しい視線を受け止める。

 三人お手手繋いで仲良しこよしーなんて空気じゃない。

 このピリピリムードはどういう状況?


「すぐに決闘をしようと提案した」
「そこじゃない。エマを呼び捨てにしただろう」
「ああ、それが? さっき二人で決めたんだ。勝手に呼んだわけではないから公爵令息あなたが気分を害す必要はない」
「何だと?」

 そうなのかエマ!?ってクラウスさんが驚き信じられないような顔で責める目を向けてくる。

「あ、ええと剣の同志ですし、私もステファンって呼ぶことにしたんですよ。だから大丈夫です。何も彼は悪くないので怒らないで下さいクラウスさん」
「……そうか。わかったよ」

 言葉とは裏腹にステファンへと向き直った彼は今にも反吐を出しそうな顔付きになっている。こんな風にもう敵じゃないとわかった相手に不愉快を露骨にするのは珍しい。

「……嗚呼、予期せぬ美形ライバルの出現ね。エマが騎士の男装じゃないのが本当に勿体ない! でも稽古服って男用も然りだしこれはこれでBLいけるかも。ふふふ長身美形からのサンドイッチ……! 戸惑いの美少年受けが前からも後ろからも攻められ決定でああもう今日のこればかりはお兄様には悪いけれど、イイ……!」

 視界の片隅でレティシアがはあはあし出した。
 もしもしちょっとレティシアさーん! 見てるならさっさと仲裁するなりして助けてよー!

「あのえっと二人共に落ち着いて下さい、ね? レティはレティで……頼むから鎮まりたまえ!」

 困った風に左右それぞれを交互に見上げれば、二人して私と目が合うやキョドった。
 え、何で?
 レティシアは放置の方が無難だからそうした。

「あらあらご主人様お願いの上目遣いに双方見事撃沈じゃないの。エマってば罪な女ねえ」

 いやいやいやそれはないでしょ。ってか実況はいいから!
 クラウスさんは他に好きな人がいるし、ステファンは会って間もない。フォーリンラブな要素がどこにあったよ?
 他方、クラウスさんとステファンは「ご主人様……てことは夫……妻からのお願いか!」「主人……ということは亭主……細君からのおねだりか!」とか何とかそれぞれぶつぶつ言って興奮に目を輝かせた。
 な、何だろう、怖……。悪い物でも食べた?
 私の本気のドン引きと僅か一割弱な心配に気付いた二人は揃って咳払いした。

「ステファンとやら、君はあの夜会前からエマを知っていたんだろう? 正直に白状しろ、どういう関係なんだ?」

 私から手は離さずにすっかり元通りのクラウスさんは彼の頭の中で何が起きたのか妙な上機嫌で問う。レティシアが明後日を向いて「チョロ~」とうそぶいた。

「そう言えば自己紹介がまだだったようで……。改めて、アドレア公爵令息、私はステファン・コンラートと申す。王宮騎士だ」

 対するこちらも元通りのステファンは律儀に名乗る。さすがにレティシアも彼をき下ろしたりはしなかった。お口にチャックだ。

「エマと実際に会ったのは今日で三度目だが、確かに少し前から存在を知ってはいた。あなたはエマから私の家について聞いては?」
「家の? 何を?」

 三度目って聞いた直後からまたムッとなったクラウスさんは低くステファンへと問いながらも、その怪訝さを内包した目は私を見てくる。二人の秘密があるのかってどことなく視線で問い詰められている感じがする。首を竦めるとステファンが意外そうにした。

「エマ、もしや話していないのか?」
「個人的な事情ですし、師匠だって公言してませんし、ステファンも他の人に知られたくないんだろうなって思っていたので」

 彼は軽く目を見開くと、一人うんうんと何か得心したように何度も頷いた。

「やはり私の目に狂いはないな」
「はい?」
「ああいや、エマは実に思慮深い女性だな、と」
「うん? それはどうも?」

 よくわからない賛辞に首を傾げると、ステファンがクラウスさんへと視線を戻す。

「エマは私の祖父の弟子なので知っているんだ」

 クラウスさんは大きく瞬いた。

「……まさか、君はジークウルフ殿の身内なのか? しかし彼は独身だったはず」
「祖父と祖母は教会で正式な婚姻を結んではいないので、血筋的にはとだけ言っておこう。まだ王宮内でも知る者はいないのでどうか内密に願いたい。私も祖父の七光りは望まない」
「なるほど……」

 クラウスさんはそれだけでステファンが抱える葛藤や家庭事情のおおよそを察したようだった。

「しかしだからと言ってエマと親しくしようとするとは図々しい。君は君、ジークウルフ殿はジークウルフ殿だ。血筋は関係ない。大体にして、夜会で無礼千万を働いておいてころっと態度を変えるのか。随分と軽薄なんだな。たとえ彼女が赦しても俺は君が彼女に近付くのは許せない」
「ふっ、私とエマの間に、あなたの許可など必要ない」
「へえ」

 バチバチッと空気に電気が走ったみたいだった。
 男二人が無言で睨み合う。
 火花って言うか散ってるのこれ溶岩の飛沫でしょってのがバチバチしてまさにとばっちりで熱いよ。お願いだから真ん中の存在を忘れないで、私が灰になる前に!

「あのっステファン! 決闘を早めるんですよね? 同意しますからすぐに始めましょう! クラウスさんも、ですのでレティと見ていて下さい。ねっ!!」

 このままじゃ埒が明かないとドキドキを押し込めて強情な笑みを浮かべる私に暫しだんまりしていたものの、私が徐々に圧を利かせたら二人は渋々従ってくれた。

 お互い適度なウォームアップをして、決闘は先の芝の広場で行った。

 稽古じゃなく決闘だから使ったのは真剣。気も引き締まったよ。
 結果は言わずもがな。

「――参った。私の負けだ」

 ステファンの実戦での実力を測っていた私がそろそろもういいかと彼の剣を弾き飛ばし、ものの数分で勝敗が決した。五秒で叩きのめすのはしなかった。
 敗北宣言をしつつも、やや放心気味だった彼は剣も拾わずに私のすぐ正面までやってくる。私と違って少し息を切らして。

「エマ、見事だった。今の私では完敗でしかない。あなたの動き全てに無駄がなく洗練された流れには芸術すら感じた。きっとあなたは祖父と同じく剣の神に愛されし者なのだろう」
「え、あははそうですか? ありがとうございます」

 騎士なら誰もが知る神話時代の最強の戦士たる剣の神まで持ち出されたら嬉しくないわけがない。少し大袈裟な言い様な気もしないでもないけど。
 照れる私の様子に清々しく微笑んだ彼は何故か素早く片膝を突いて見上げてきた。

「え? ちょっと何して!?」

 彼を起こす暇も、離れて見ていたクラウスさんが動く暇もなく、彼は鍛えられた腹筋から声高に言い放った。

「エマ、私に再戦の猶予を与えてくれないだろうか」
「へ、再戦の?」
「二年、いや一年であなたに追い付いてみせる。だからどうかその時また決闘をしてほしい」

 凄い予想外。この人はここまで騎士として向上心に溢れた男なんだ。それに当面の目標にされたのは素直に嬉しい。俄然私もこれからもっと強くなろうって意欲が湧くよ。

「わかりました。ですけど、私だって負けないように更なる高みへと鍛えて上りますからね」
「無論だ。それでこそ、この手が届いた時の達成感もひとしおだろうからな」

 快諾の意を示せばステファンは眩しいものを見るように両目を細めた。しかも何と剣を持っていない方の私の手を彼の両手で包み込むようにしてくる。何をやってるんだとクラウスさんが非難染みた声を上げて駆け寄ってくる。

「あの?」
「エマ、その時もしも私が勝ったら、――どうか私の妻になってほしい!」
「…………え?」

 エマ、としっかり握られる手からも思いを込められているみたい。生まれて初めて告白された私は驚きと恥ずかしさに赤面した。

 まさかまさかまさか師匠の孫から求婚されるなんて……。

 この人と結婚したら師匠が義理だけどお祖父ちゃん? そりゃ私だっていつかは結婚するつもりだったけど、現金な話英雄の孫の王宮騎士が相手なら同じ貴族じゃなくてもバランスは十分じゃない?
 相手を探す手間が省けたのかもしれない。
 結婚は恋愛なしにだろうなって漠然と思っていたけど、向こうが私を好きだって言ってくれるならその方が円満な家庭を築けるのかもしれない。
 ぐるぐるとそんな打算的な思考が回った。

 ……でも、私は負けない。

 勝負に手は抜かない。

 だから、彼との結婚は起こり得ない。

 それに何より……。
 瞬いた瞼の裏に銀の煌めきの下の優しい笑みが翻る。

 私には好きな人がいる。

 その人には好きな人がいて望みはなくても、まだ全然他になんて目を向けられない。

「ステファン、私は…」

 絶対に負けないと、そう言おうとした。

 刹那、彼の頬にピシリと音を立てて何かが当たった。

「へ?」

 見ればそれは白い手袋だ。

 え、誰の?

 しかし答えなんてわかり切っていたようにも思う。レティシアはレースの細かな肘まである長手袋を着けていたし、手袋は男物だ。この場にいる者は限られる。

 突然、ぐいっと肩を抱かれステファンから引き離されて誰かの胸の中にすっぽりと抱き締められた。

 その人から直に伝わる低い声が地を這った。

「さっさと手袋を取れステファン・コンラート。今から貴様に決闘を申し込む。俺が勝つから、貴様は二度とエマに近付かないと誓え」

 鼓膜を震わせたのは他でもない、いつになく怒気を孕ませたクラウスさんの声だった。




 急な邪魔立てにステファンは暴言こそなかったけど眉間を寄せて不愉快そうにはした。私の前でひざまずく彼はゆっくりと立ち上がって膝の汚れを払ってから表情を引き締める。手袋も拾った。

「その申し出、受けて立とう。ただし私の勝利条件も今あなたが言ったのと同じだ。エマに近付かないでもらおうか」
「は、上等だ」

 ここで呆気としていた私もハッとして慌てた。

「ちょちょちょっと勝手に人を出汁に使わないで下さいよ!」
「「出汁?」」

 偶然か台詞の揃った男二人が心底不可解そうな顔をする。

「そうですよ、立派な出汁でしょう。腕比べがしたいならお互いに素直にそう言えばいいじゃないですか! そこをどうして私に近付く近付かないなんて条件が出てくるんですか。いい迷惑です!」
「「……」」

 男二人が絶句して何故か愕然として息を呑んだ。何だか色んな意味が込められてそうだけど……。

「エマ、あなた相変わらずよねえ……折角の盛り上がりだったのに」

 見ていたレティシアが至極残念そうな顔でいる。どうしてレティシアまで?
 ステファンからの求婚にクラウスさんは関係ないから、張り合っている理由は腕比べしか思い付かない。
 皆の反応を見るとどうも違う理由があるのかもしれないけど、だけど私はそれ所じゃないんだよ。

 だってだってだーーーって、現在進行形でクラウスさんから抱き締められている。

 こんな時に要らないのに噛み付かれた感触までが鮮明に甦ってもきて、動悸がそれはもう大変な事になっている。ハート型に服を突き破らないのが不思議なくらいに。
 最早彼の気配に全神経が向いていて、吐息さえもピンク色って感じちゃうし! わああーっこのままじゃ心臓がもたないっ頭が爆発するっ人体発火するーっ!
 ああああこれ絶対にクラウスさんにも伝わってるよね。
 体が火照って熱々で、彼の存在を意識しちゃえば腰砕けになりそうってかなる寸前だ。プシューって耳から蒸気が出そう。どうしよう、早いとこ解放してもらわないと派手に失態を演じそうなんですけどっ。

「エマ?」

 ここでとうとう私の変化を悟ったクラウスさんから至近距離で顔を覗き込まれた。

「――っ」

 駄目押し! 私から見上げるのはまだいいとしても向こうから来られるのはやっぱり些かちょっといやかなり……デンジャラス。

「エマ……?」

 近い近い近いっ目が鼻が妙に色気のある唇がっ、しかも何かフェロモンみたいなのがわんさかくるっ、気がするっ。急にむっちゃ意識し過ぎて最早半分足から力が抜けてクラウスさんに体重を掛けちゃってるのがまた恥ずかしい。
 夜会の時に好きだと感付かれたかもしれなくとも、そこに輪を掛けてこんな女の子女の子しい私を知られたら明日から、ううん今日から彼とはやっていけない気がする。

 いつかはけじめのために告白してキッパリバッサリ振られるとしても、それまで気を遣われるのだけは嫌だ。

 だったら、そうと思われないようにしないといけない。まだハッキリ好きですって伝えたわけじゃない今なら誤魔化せるはず。

 気力を総動員して気丈な表情を張り付け、両手で相手の胸を押しやった。

「あのっステファン!」

 振り返り声高に訴える。

「決闘とは関係なく、今の求婚話進めましょう!」
「エマ!? 好きでもない男と結婚するつもりなのか!?」

 激しい動揺と憤りを混ぜたようなクラウスさんから両肩を掴まれ彼の方へとまた向かされた。

「エマ、どうしてだよ」
「その方が、それが、お互いにとっていいんですもん……! 私は私の大事な人の重荷になりたくないんです。ステファンならこの先きっと好きになれます」

 窘めようとしていたんだろう彼は、けれど私の顔を見るなり真顔になった。

「お互いにって、それは誰と誰のこと?」
「私とクラウスさんですけど……」
「重荷って、エマが俺の?」
「……はい。私との友情のためにクラウスさんが無理をして私の男避けをして、本当の恋の負担になったら嫌ですもん」

 彼は安堵したように微笑んだ。ええとここ安堵するとこ?

「エマはさ、たった今、俺から抱き締められてこんな顔をしているくせに他の男を好きになるって言うの? 無駄なことはやめた方がいい。君は俺を意識している、そうだろ?」
「それはっ……」

 彼からの初めての直接的な問い掛け。でも認めたところで何になるって言うんだろう。

「ちち違いますっ、まさかそんな、私はクラウスさんの恋を応援しようって人間ですよ。それなのに意識するなんてあり得ないですよ!」

 顔を背けて全力で否定するしかなく、そろりと視線だけを戻せば彼は探るように目をすがめた。

「人の恋を手伝っていて惚れるなんて話はよくあるよ。だから、あり得なくない」
「わ、私にはないですっ!」

 ついつい強く叫ぶようにしちゃえば、クラウスさんはむっとした。

「往生際が悪いな。エマは俺が嫌いなの?」
「え!? まさか大好きですよ!」
「なら付き合おうか」
「いやいやいや駄目でしょう! クラウスさんには好きな人がいるんですし、迷惑かけたくないです」
「……迷惑じゃない。俺にとってエマの全部が重荷でも負担でもない。無理だってしてないよ」

 えっ、ど、どういう意味?

「それに今の言い方はどうしたって俺を好きってことだよな」
「え、あ、いえそれは……っ」

 間抜けにも墓穴を掘ってしどろもどろになった。
 そんな私にふっと相好を崩した彼はレティシアもステファンもいる前で腰に両手を回してきたかと思えば、耳元に囁いてきた。

「あの夜遠慮なんてしないで、タオルなんかで防がないで、本当に噛み付いておけば良かった。ま、この世界にオメガバースはないけどさ」
「な……ななななな!?」

 彼が言わんとしている意味がわかって一気に首まで熱くなる。

「でっでもクラウスさんには意中の人がいるって前に確かに言って……えええ?」
「ああ、それがこの子だけど?」

 この子、と後頭部で束ねていた毛先を掬われてそこにちゅっと唇を寄せられる。

 BL演技でもなく気障な真似をした彼の顔も気付けば猛烈に赤い。

 な、何だそれ……。
 じゃあ、じゃあ、今までの恋絡みの全部は私に向けられた言葉だったわけ? 確かに少し前までは恋愛モードとは程遠かったから振り向いてもらえてないって思われても仕方なかったけど。
 びっくりな展開に思考が追い付かない。

「エマ」

 ステファンだ。
 彼は私とクラウスさんのやり取りを目の当たりにして確実に察するものがあったようだ。その表情は全く浮かない。
 と、ここでクラウスさんが鼻で嗤ったのが聞こえた。
 見やれば彼は実に余裕っぽい満面の笑みを浮かべている。

「わざわざここに来てまで、俺達のための当て馬役をどうも。大いに感謝するよ。だけど脇役の幕は降りたんだ、とっとと帰るといい、ステファン・コンラート」
「クラウスさん!」

 ひええっ何って皮肉を! いやもうねほぼそうなんだけど、でも言ったら駄目でしょーがっ!
 あああほらステファンの眼差しがこの上なく鋭いっ。決闘どころかどっちかが死ぬまで続けるような本気の殺し合いが勃発しかねないよーっ!

「ごっごめんなさいステファン!」

 クラウスさんを強く押しやってステファンの前に出て勢いよく頭を下げた。

「私は卑怯にも自分の気持ちから逃げようとしました! 私が悪いんです! 無意味な決闘はどうかやめて下さい!」
「エマ、好きでもない奴に優しくなんてするな」

 不機嫌になったクラウスさんに後ろから腰を抱かれた。

 だけどこの時ステファンからも片方の手を取られていた。

 そこに柔らかな感触が触れる。

 私の手から顔を離したステファンは、ふっと自信に溢れた太い笑みを浮かべた。

「エマ、私はそこの狭量な男には負けない。あなたが恋に真に目覚めてくれるのを待つことにする」
「へ?」
「彼との衝突は真実あなたを巡ってのものだ。あなたは私が初めて心動かされた女性だから簡単には諦めない。騎士たるものそう簡単に他者に膝を折るなと言われたが、あなただけは例外だ。あなたのためなら私は何度だってそうしよう。そしてあなたの愛を乞おう」
「スススステファン!? ここ困りますよ、その、本当に私の軽率な言動は申し訳なく思います。ですので考え直して下さい! こういう話は人生がかかってますし慎重にならないと!」
「ああ、だから人生をかけるならエマとがいいな、と」
「や、だからその」

 は、背後から殺気を感じる……。

「エマは駄目だ」

 クラウスさんの断固とした声が響く。そして何故だかやけに近い。抱き寄せられての近さ以上に、近い。

 首に当たる彼の髪の毛がくすぐったい。

 ん?
 ……え?
 …………ちょっと待って?

 どうして彼の髪の毛が首筋に当たるの?

 彼の行動を予想した直後、予想通りかぷっと首筋を噛まれた。

 痛くはなかったけど、どさくさで噛んだ後に絶対に嘗められた。

 ……嘗められた、首を!!

「もう未来永劫、エマは俺の運命だから」

 ステファンは意味がわかっていないらしく……ってまあ真面目な騎士なんだしBLオメガバースの知識はないだろうね、とにかく彼は破廉恥なって憤りを見せたよ。
 当然私とレティシアは違った。
 彼女は「あらまあお兄様! でかしたわね!」って大興奮した。大したもんでこんな時でも腐令嬢はぶれないなあって私は思ったけど、BL視点からの発言じゃなかったみたい。実は密かに彼女が兄の恋を応援していたってのはこの後で聞いた。

 私はって言うと、暫し固まってしまった。

「エマ」

 さすがに無反応を気掛かりに思ったクラウスさんから覗き込まれ、その赤い唇に嫌でも視線が吸い寄せられる。

 この麗しい口で………………あ、限界。

 BL小説のめくるめく悩ましい展開が頭を過り、ぶっと煩悩が弾けて赤いミストが降った。

 人を好きになるって剣の道よりもハードモードかもしれない。

 やっぱり私は恋愛向きじゃないって、心底そう思った。

「エマ!? エマーーーーッ!!」

 愛しのクラウスさんのアップに見送られて至福な反面、もう常習的なレティシアと違って生まれて初めてやらかした鼻から流血の最悪な事態を憂える私は、その乙女としてのヤバいだろう顔面で意識を手放した。
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