皇帝陛下のお妃勤め

カギカッコ「」

文字の大きさ
4 / 26
第一部

4、皇后の正体

しおりを挟む
「淑妃様、今日も陛下が参りましたよ」

 妙にうきうきとした宮女へと淑妃である景素流は怪訝にした。
 彼女は現在庭先で鍛錬中だった。
 約束通り運動用の服一式を届けてくれた皇帝陛下には感謝している。しかしそれも彼自身のために過ぎないのだと素流はそう思っていた。

 素流が世継ぎを産めば、その子が皇后の子として扱われる。

 そこに不満はない。
 食うに困るような環境で流行り病に罹って死んでしまう幼子が、城下でも少なくはないのだ。田舎の方ならもっとその率も高いという。
 医療環境が整っていて、病で儚くなる可能性の低い場所で我が子が生きていけるなら、素流はそれでよしとする。この国のこの時代、不作や飢饉に喘ぐ年も少なくはなく、そういう考え方の下での選択は珍しくもなかった。

「来たからって、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「だって、陛下が淑妃様を気にかけてらっしゃる証拠じゃないですか」
「うーん、それはどうかなあ」

 単に怪我をされては困るからではないだろうか、と素流は考えている。それしか理由なんて思い浮かばない。だから一応は気を付けて体を動かしてはいるのだ。
 まあついつい、集中していると知らない間にどこかに擦っていて傷を作っている時もあるが、何故かそういう傷を見つけるのは決まって痛みを感じる自分ではなく彼の方だったりするのが不思議だった。
 宮女たちに言わせれば、それだけ熱心に妃である素流の事を見ている証拠だと、我が事のように頬を染める。
 素流はそこに一切甘さは感じず、むしろこれは究極の監獄の囚人であり、まさに監視の日々ではないかと辟易とした。

(はあー。人の鍛錬を一挙一動逃さずに眺めてられる程、あの人って暇皇帝なの? きっちり政務に取り組む性格だって聞いてたけどなあ)

 鍛錬後、今日も素流はそんなうんざりした疑惑を胸に、医官に手当てを命じる夫を見つめたものだった。
 後宮入りするまでは時間を惜しんでせこせこ働いていた素流にとっては、好感度は下がる一方だ。
 彼の方にしても素流への好意があるとは思えない。
 会話をしてもさほどこちらに興味があるとか言った様子はないし、初日同様にどこか淡白だ。
 ただ、一度だけ、嘗めておけば治るような傷に手当てはいらないと言った時は、

「大事な体だという自覚が足りぬ」

 と鋭く睨まれてしまったが。
 以来大人しく手当てを受けている素流だった。

(でもそのくせ、未だに私たち子作りしてないのよね。あの人ホント何したいのかわけわかんない)

 どうせ今日も清い関係で終わるのだろうと予想すれば、まさにその通りの日々が流れていった。




「――どうして何もしてこないのですか!」

 人払いのなされた皇后の宮の一室で、麗しの皇后が声を荒らげた。
 怒りが向けられているのは彼女の宮を訪れた若き皇帝陛下だ。
 通された室内で、彼はやや気まずげにそっぽを向くとかりかりと自身の首を掻く。

「いや、万全の状態でなければ発揮できないと思ってな。それに腕の腫れ具合を直接目にしたら向こうが気にするだろう? それでは色々と支障が出る」

 鮮やかな布を翻して皇帝に詰め寄った皇后はこめかみに青筋を立てている。

「そんなものは、いざ閨事に及べばさして気にならなくなるものだ! しかももうほとんど治っているだろうに!」

 赤い唇から抑えたように紡がれる声は低く、まるで男のようだ。

「それはそなたの経験からか? ――れん博風はくふう
「おいそっちで呼ぶな。誰が聞いているかもわからないんだぞ」
「だったらそなたもその地声で喋るな。どうするんだ皇后が男だってバレたら。そなたの姉君の捜索にも影響が出るだろうに」

 他では見せない皇帝の砕けた口調に美麗な顔を苦くした皇后は、胸のうちの鬱憤を逃がすように嘆息を落とした。

「もう四年だぞ。本当に姉上が見つかると思っているのか?」
「さあな。どこにいるにせよ、彼女は現状を知らない可能性が高いだろう。皇后は姉君に課された役目だったんだ。それを弟のそなたが代わりにしているなんて知ったら卒倒するんじゃないか? 知って飛んで来ない性格には見えない」
「だろうな。きっと蓮家出身の別の娘を姉だと偽って皇后に立てたと思ってるんだろう。だから乗り込んで来ない」

 今回の側室劇も皇后の生家である蓮家が大いに関わっている。
 ただし、皇后たっての願いだと言われてはいるものの、実際の表向きは政敵たちからの猛反発を食らわないよう巧妙に根回しがなされ、蓮家とは全く関係ない臣下からの奏上が発端とされている。
 表向きは、その奏上を耳にした皇后が乗り気になったという無難な形になっているのだ。

「何にせよ、このまま世継ぎが出来りゃ皇后の子として育てるだろ。その子が早々に立太子されれば、皆の目は太子に向くだろうしそう仕向けるようにするだろ。そこまで来たら皇后は特段病が悪化したとして皆の前に一切出ないようにする。そうやっていけば皇后の存在感も薄まるだろうし、後は病死でも何でもでっちあげればいい。いい加減夜陰に乗じてこそこそここを抜け出すの面倒になってきたんだよな。私もそろそろ年中無休の蓮博風として生きたい。だからよくよく頑張ってくれよ、色男?」
「……他人事と思ってよくも抜け抜けと」

 じろりと睨まれたものの皇后の衣装を着ただけで歴とした「男」である蓮博風は、乳兄弟である皇帝に怯むことは全くなかった。もちろんときめくことも。
 四年前、婚礼の直前に皇后になるはずだった博風の姉が行方をくらまし、このままではあることないことを追及され、政敵に追い落とされるだろう崖っぷちに立たされた蓮家は、一計を案じたのだ。

 姉に容姿の良く似た弟の博風に、皇后の代役を任せたのだ。

 皇后が替え玉であることを隠すため、皇帝本人さえ加担している欺きは今の所上手く運んでいる。
 皇后の存在自体を後宮から消すと言う方法を急ぐのも、四年前はもう少し少年らしく線の細かった博風も、今や一翔と同じく二十歳を幾つか超え化粧を取れば男だとバレてしまう恐れがあったからだ。
 一翔としては、中世的な顔立ちは変わっていないので皇后としてはまだまだ行けるんじゃないかと思っているが、それを口にするとすこぶる不機嫌になるので言わないようにしていた。
 博風の気持ちも理解できる。もしも自分も同じようなことを言われれば面白くないだろう。

 とにもかくにも成婚して四年、皇后が男である以上子など成せるはずがない。

 最近では臣下たちからは世継ぎの心配をされ、側室を娶るよう再三にわたって奏上されてきた。
 景素流を後宮に入れたのは、もうそろそろ躱わすのも限界だろうと判断した皇帝自身と、そして蓮家の総意だったのだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...