皇帝陛下のお妃勤め

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第二部

23 男たちの衝突

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 剣と剣がぶつかり合う甲高い音が響いているので、待っていれば護衛たちが緊急だと察して駆けつけるかもしれない。
 だが悠長に彼らを待ってはいられないのもまた事実。
 案外実戦向きなのかそれとも戦い慣れているのか、君子の教養以上の実力を見せる一翔の太刀筋には無駄がない。
 そんな一翔も、思った通り動きが俊敏な龍靖も、双方の一撃一撃が重い。
 とは言え、濡れた衣服が動作の足枷になっている一翔と、腰布一丁と身軽な龍靖とでは動きにも徐々に差が出始めていた。
 一翔は明らかに動きづらそうにしていた。

「二人共やめてってば!」
「素流はそこで大人しく待っておれ!」
「そうだぜ、すぐに決着を付けてやるって!」

 打ち合いからの鍔迫つばぜり合い、そして更には一度後退した龍靖が大きく剣を薙ぎ、その剣先が水面を走るようにして水を巻き込み飛ばした。
 飛沫が降る中、ほぼ水平に振られた一撃を的確に一翔が受け止める。
 甲高い金属音が鳴って、刹那、水で滑ったのか一翔の手から剣が離れた。

「一翔!」

 素流は思わず自覚なく名で呼んでいた。

「もらったあ!」
「心配無用!」

 大上段に振りかぶった龍靖が一翔目がけて水底を蹴って跳躍、一翔は咄嗟に鞘を抜いてそれを防御に翳した。
 鞘では斬ることはできないが、防御だけなら事足りる。
 しかしそんな彼の判断は彼自身にしかわからない。

「やめてっ!」
「「――ッ!?」」

 一翔が鞘を引き抜くのと龍靖が飛び出すのとほぼ同時に、何と素流も水底を蹴り出していたのだ。
 地上と同じように俊敏にとはいかないが、素流は借りた上着が肌蹴ようと気にせずに、距離を詰め一翔を庇う位置へと躍り出ていた。両腕を広げて盾になる。

 迫る剣先。

 龍靖の酷く驚く瞳。

 素流は斬られる覚悟をした。

 だがしかし、龍靖はあわやという寸前で剣の軌道を変え、剣先は素流のすぐ横を落ちるようにして白く濁る水面に没した。

「ばっかやろ! 剣の前に飛び込んでくるなんて危ねえだろ!」

 彼は即座に素流を振り向くと唾を飛ばすように叱りつける。
 だが素流も負けじと怒鳴り返した。

「あなたが私を忘れずにここまで来たのはその傷のせいなんでしょう!? だったら今ここで私に同じ傷を負わせればいいのよ!」
「なっ……! おい血迷ってんじゃねえ!」
「私は本気よ。そうすればあなたとの間の貸し借りはチャラになるでしょ!」
「……っ」

 一理ある訴えに龍靖がぐっと押し黙ったが、表情は全く同意していない。
 それは当然ながら一翔も同じだ。
 一翔は素流の思わぬ無謀さに半分唖然としつつ、もう半分では憤りを感じていた。
 彼女はまた自らの身を進んで危険に晒したのだ。
 ぐいっと素流の肩に手を掛け自分を振り返らせる。

「そなた、何と愚かな真似を……! 貸し借りだの何だのと。それが何だというのだ。斬られれば死ぬ危険もあるとわからぬそなたではないだろう? どうして命を粗末にする!」
「粗末にしてるつもりはないです。反射的な行動でした」

 素流は龍靖の動きを気にしているのか視線だけはまだ向こうにやっている。

「反射的だと? そのような言い訳は…」
「だって本当にそうなんです! 怪我されるのは嫌で、まして死なれるのはもっと嫌だったから! あなたが死んじゃったら私の人生だって死んじゃいます!」
「――っ」

 一翔を向いた素流の必死の目には嘘はなく、その澄んだ瞳の美しさに一翔は無意識に息を呑んだ。

「……それは俺とて同じだ。だがそなたはきっと俺の心をわかっておらぬ」
「そんなことはないです。私だって、あなたが私を大切に思ってくれているのはよくわかってますよ」

 一翔は思わず微苦笑した。
 それは本当に苦い笑いで、彼は素流を詰りたくなった。
 わかっていて後宮を出て行こうとし、挙句にはこんな風に心臓に悪い無謀をやらかすのか、と。
 彼は自らの想いの深さをどうしたら素流に伝えられるだろうと、もどかしささえ感じた。

 一翔の胸中など知らず、素流は龍靖へと再び向き直る。

「私はこの人が好きなの。大体もう結婚してるし、他の男には靡かないわ。だから潔く諦めて」
「は? 今何つった? 結婚、してんのか? そいつと?」
「そうよ」
「あんた、自分の嫁さんに男のカッコさせて喜んでるとか……変態か?」

 龍靖はあからさまに侮蔑を宿して一翔を半眼で睨んだ。

「ごっ誤解しないで、あれは私たち夫婦が実はお忍びだったから、身分がバレないよう男装しますって私から提案したのよ」
「……だからって承諾する方もする方だろ」
「だから、身の安全のためだってば!」

 抗議する素流とは裏腹に、一翔は微妙に悔しそうな顔でだんまりだ。彼も丸々私欲から素流の男装を認めたので反論のしようもなかったのだ。

「とにかく、私のことは諦めて」

 素流の真剣な眼差しに、龍靖はぐっと剣の柄を握ってしばし押し黙った。

「……オレに斬られて痛い思いしても、死ぬかもしれなくとも、そいつがいいのか?」
「そうよ」
「斬られて醜い傷が残ったら、捨てられるかもしんねえのに?」
「それでもよ。生涯愛する男は彼一人って、私がそう決めたの」

 素流と龍靖は互いに見つめ合った。

 まるで獣同士の睨み合いのように、寸毫すんごうでも目を逸らせば負けだとでも言うように、素流は瞬きさえ惜しんで洛龍靖という男を真っ直ぐ真摯に見つめ続ける。

 根負けしたのは龍靖の方だった。

「はー……そこまで気持ちが固いのかよ。ぶっちゃけオレは既婚者だろうと気にしねえが、素流はそいつと結婚して長いのか?」
「半年も経ってないかな。まだ知り合った日に結婚してから四カ月くらい?」
「はあ!? 何だよその超スピード婚! しかも四カ月くらいって……それじゃオレの方がお前に早く出会ってたんじゃねえかよ。今からでも考え直せ、な?」
「直しません!」

 龍靖がフラれるのが濃厚な雰囲気に、一翔がどこか不敵に鼻でわらった。

「想いの深さは年月では決まらぬ」
「てめえは黙っとけ! 素流こいつに騙されてるんじゃねえのか? でなきゃ弱み握られてるとか?」
「あのねえ、そんなわけないじゃない。ともかく私のことは諦めて」

 再度キッパリお断りされ、龍靖は大きく溜息をついた。

「オレを選ばなかったって後悔すんなよ? オレはそのうち王になる男だぞ」
「王? あなた隣国の皇族なの?」

 この国では皇帝を頂点としてその下に各地方を治める王という地位がある。
 似たような政治形態の隣国でもその上下はあると聞く。
 そして大抵「王」と称される者は皇帝一族の血を引いているのだ。

「ははっまさか。この国との戦争に負けたおかげで、今祖国は内乱真っ只中だからな。そこで成り上がってやるんだよ。絶大な戦力と権力があれば王にもなれる」
「へえ、まあ夢は大きい方が良いわよね」
「叶わぬ夢など見ている暇があるなら、くここから失せろ。素流との二人の時間の邪魔だ」

 短い間ながらも相対してみて一翔の性格を察したらしい龍靖は、面倒そうな面持ちで剣を引いた。

「素流、お前絶ッッッ対苦労するぜ。そこの若様は澄ました顔してるが結構粘着質だぞ。籠の鳥とかにされねえようにな」
「えーと……大丈夫じゃないかな」

 既に半ばそうなっているとも言えず、素流は曖昧に返した。
 自覚があるのかないのか、一翔は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「おいあんた、今回は諦めてやる。けどこの先素流が不幸になって泣いてる所を見つけたら、オレが掻っ攫いに来るからな。肝に銘じておけよ?」
「生意気な」

 完全に戦闘を放棄した龍靖は岩向こうに行くと、そっちに置いていたらしい着衣を羽織り簡単に整えて素流と一翔の前まで戻ってきた。腕には急いで纏めたのか、ぐるぐると雑に布を巻かれた荷が抱えられている。

「そんじゃあな素流。少しでも泣かされたら、すぐに別れろよ?」
「あのねえ、普段から本当に陛……旦那様は優しいのよ。ふふっだから心配は要らないわ」
「へーへーそうですか」
「そうですー。どこに行くか知らないけど、まあ道中気を付けて」
「ああ、ありがとな」
「素流、このような輩の道中を案ずる必要などない」
「ははっ、ホントやな奴だぜ。それじゃ今度こそマジでじゃあな素流」
「あ、うん」

 頷く素流へと龍靖は何故だかにやにやした。

(何……?)

「お前も大概良い体してるよな~」
「はっ!? え、あ……っ、最低ーーーーッ!」

 わざと指差しして肌蹴ていた素流を揶揄からかって、龍靖は一翔の存在はしれっと無視して猿にも負けない軽快な足取りで岩場から枝へと移ると、夜の木々の向こうに消えて行った。

「最低、ホント最低……ッ、脳みそ猿なんじゃないの!? 変態痴漢男ッ!」

 指摘されて即座にバシャンと湯に沈んでいた素流は、しばらくぶつぶつと龍靖への罵詈雑言を呟いていた。
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