別れのあと先

梅川 ノン

文字の大きさ
4 / 22

しおりを挟む
一方帰宅の途についた有希はふわふわした気持ちだった。浮かれるほどまではなかったが……引き留められたのも嬉しかったけど、明日の誘いはもっと嬉しかった。
 昨晩のキスは? 敬吾さん僕のことどう思っているの? 僕とは違って大人だからそういうことにも慣れている? もう考えるのはよそう。なるようになれだ。ふだん真面目で深く物事を考える有希だったがここは考えることを放棄した。それは敬吾に対して愛が芽生えはじめたからだが、有希はまだ気づいていなかった。
 愛に対して驚くほど奥手だった。女性となら付き合ったことはあったし童貞でもなかったが、本物の愛は知らなかった。愛したことも、愛されたこともなかった。
 本物の愛を知らない点では敬吾も同じだが、交際経験からの駆け引きめいた経験の違いなど二人は大人と子供ほどの違いがあった。そこがまた敬語が、有希に強く惹かれる所以でもあった。

 翌日当直が明けた有希は、一度帰宅しシャワーを浴び着替えてから敬吾の家に行った。
「お疲れー、一旦帰ったの?」
「うん。シャワー浴びて着替えてきた」
「どうぞ上がって。忙しかったか? 眠くはないか?」
「そうでもなかった。仮眠取れたから大丈夫」
「繊細だけどそういうとこは図太いよね。ほめてるんだけど。そうじゃないと医者勤まんないでしょ」
「ははっそう。指導医からも言われてる。寝られるときに寝ておけと。どこでも寝られないと医者は勤まんないって」
「まあそうだね。でもどこでも寝ると襲われるからそこは注意しろよ。まあ病院は安全だと思うけど」
「まさか僕が襲われるなんてないよ。洗面所借りるね手洗ってくる」
 全く無自覚なんだから……敬吾は苦笑した。『深海』も絶対に一人では行かないように言い聞かせておかないと危ないと思った。虎の群れに子猫が紛れるようなもんだ。絶対に食われる。一瞬で食われる。
「いい匂いがする」手を洗った有希が戻ってきた。
「朝飯って言うか十時過ぎてるからブランチだね。だからボリューム多めにした」
「うん。腹減ってるからありがたいな。今日は洋食なんだね美味しそうだ」
「ああうまいぞ。沢山食べろよ」
「いただきます」有希はミネラルウォーターを飲んだあとシーザーサラダから食べ始める。シャキシャキの野菜にクリーミーなドレッシング、カリカリのベーコンとクルトンが絡み合って絶妙だ。
 次に食べたスクランブルエッグがまたトロトロで美味しいし、こんがり焼けたソーセージは一口噛むと肉汁が溢れほんとにうまい。有希は感嘆した。
「敬吾さんほんと料理上手だよね。どれも、これも最高に美味しいよ」
「有希はほめ上手だな。切ったり焼いたり手は掛けてないよ。あーでも夕飯はカレーを昨日から仕込んだんだ。一晩寝かせるとうまいから。明日は日勤だけど早めに食ってから帰ればいいだろ?」
「うん、それは大丈夫。でもカレー、凄いな。僕なんていつもレトルトばかりだよ。手作りのカレーなんて実家出て大学入ってから始めだよ」
「有希の実家のカレーってどんなの?」
「普通のだよ。ジャガイモとか人参が入ってな。あとたまねぎに肉は薄切りのだった。だからあんまり煮込んで作る感じじゃないと思う。だけど翌朝に食べる朝カレーがうまくてそれが楽しみだった。あれ寝かせるとうまいからなんだね」
「そうだよ。一晩置くとうまいんだよ」
 話しが弾んでいるうちに食べ終えた。有希は後片付けを手伝うと言ったが敬吾が滑って怪我したら大変だからと言ってさせなかた。
「手は外科医の命だろ。大切にしろ」
 過保護だなあとは思ったがそれを言われたら有希も従わざるを得なかった。

 「ドライブにでも行かないか」
 後片付けを終わった敬吾が誘った。
「うんいいね、どこに行くの?」
「どこか行きたいところはあるか?」
「うーんそうだなあ……海かな。海が見たいかな」
「街から見える海か? それとも砂浜のある海がいいか?」
「波の来るよううすが見たいから砂浜のほうがいいな。あっでも足汚れるかな?」
「流石に冬の海で裸足は無理だろ。靴で行けそうなところまで行けば大丈夫だよ。よし行こう」
 敬吾は決断が速い。だからといって強引でもない。有希は敬吾と過ごす心地良さを感じていた。
 部屋を出てマンションの駐車場から敬吾の車に乗り込んだ。
「運転すみません」
「ほらまた敬語。それに俺が誘ったし、俺運転好きで結構一人でもドライブするんだ。気分転換にはもってこいなんだ」
「そうだね。僕は車持ってないから気分転換は散歩かな。ぶらぶら歩いて、本屋寄ったりしてね」
「散歩もいいな、けど昼間だけにしろよ。夜は危ないから」
「ふふふ、男だから大丈夫だよ。敬吾さん心配性だね」
「有希に対してだけだよ」
「えっ!?」
 有希は言葉に詰まった。そしてしどろもどろ赤くなった。不意打ちにそんなこと言わないで欲しい。
 有希は翻弄されているのは自分だけと思っていた。こんなあたふたして恥ずかしい。
 しかし敬吾も有希のしどろもどろな反応に激しく欲情していた。今すぐ押し倒したい思いだった。運転中だと己に言い聞かせた。いや運転中で良かっと思った。部屋だったら理性に打ち勝てだろうか? 有希も敬吾を翻弄していたのだ。
 どこか甘酸っぱい沈黙を破ったのは敬吾だった。
「どこもかしこもクリスマスばっかりだな。有希は勤務どうなってんの?」
「今年は平日だからな。二十四日は当直で二十五日はそのまま日勤だよ」
「イベント時は、研修医と独身の先生が犠牲になる慣習だからな」
「まあ仕方ないよ。子供のいる先生は家族サービスしないと、ただでさえ忙しすぎて子供にお父さんって認識されていない先生もいるってだし」
「はは医師あるあるだよね。その点看護師は、勤務中は息もつけない忙しさだけど超過勤務はあんまないからいいかな」
 再び話が弾んでいるうちに駐車場につき車を止めて外に出ると、そこはもう海だった。
 敬吾が有希の首にマフラーを巻いてくれた。「風が冷たいだろ」そう言って。
 有希はマフラーの暖かさよりほのかに感じる敬吾の香りになにやら全身を包み込む暖かさを感じた。
 海岸線まで出てコンクリートでできた階段を降りると砂浜が見えた。
 敬吾が有希の手を引いた。最初は戸惑ったが砂浜は歩きにくくおかげで躓かず歩けた。
 指先が熱い。
 触れている手のひらに全身の神経が集中して胸が騒ぐ。
「行けるとこまで行こう」
 敬吾の有希の手を握る力が僅かに強まった。男らしい大きな手。有希も強く握り返した。今の有希にできる精一杯の意思表示だった。
 ふっと、敬吾が立ち止まった。
「有希」
 名前を呼ばれて顔を上げると、敬吾の唇が有希の唇に触れた。ほんの一瞬の優しい重なりだった。
 唇が熱い。身体が熱い。全身の血が沸騰しながら巡っていくようだ。ここはほんとに冬の海なのか……。
「好きだよ、有希」
「えっ……」
「ふっ、ゲイに告白されても迷惑?」
「……いやそれはない。敬吾さんとこうして一緒に過ごすの好きだから、多分僕も……好きなんだと思う」
 語尾は聞き取れないほど小さかったが、敬吾はしっかりと聞き留めた。
「嬉しいよ。でも手は出さないから安心して。こうして時折会ってくれたらいい」
 どうして手を出さないのかとは思ったが、それ以上を考える余裕は今の有希には全くなかった。
 敬吾のぬくもりに包まれ好きだと言われ、心も、身体もお花畑にいるような、多幸感につつまれていた。
「風が強まってきたな。そろそろもどろうか、風邪ひくといけない」
「ふふふ敬吾さん心配性だよね」
「だから有希限定だって」
「ど……どうして」
「好きな人を心配するのは当然だろ。俺丈夫だから風邪なんて引かないけど、有希は繊細そうだし」
 さっきは戸惑った敬吾の心配が今は嬉しかった。敬吾の自分への思いを知ったからだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

先生と俺

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 ある夏の朝に出会った2人の想いの行方は。 二度と会えないと諦めていた2人が再会して…。 Rには※つけます(7章)。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

僕の目があなたを遠ざけてしまった

紫野楓
BL
 受験に失敗して「一番バカの一高校」に入学した佐藤二葉。  人と目が合わせられず、元来病弱で体調は気持ちに振り回されがち。自分に後ろめたさを感じていて、人付き合いを避けるために前髪で目を覆って過ごしていた。医者になるのが夢で、熱心に勉強しているせいで周囲から「ガリ勉メデューサ」とからかわれ、いじめられている。  しかし、別クラスの同級生の北見耀士に「勉強を教えてほしい」と懇願される。彼は高校球児で、期末考査の成績次第で部活動停止になるという。  二葉は耀士の甲子園に行きたいという熱い夢を知って……? ______ BOOTHにて同人誌を頒布しています。(下記) https://shinokaede.booth.pm/items/7444815 その後の短編を収録しています。

【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。

キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。 しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。 迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。 手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。 これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。 ──運命なんて、信じていなかった。 けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。 全8話。

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

処理中です...