西涼女侠伝

水城洋臣

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第三章 西涼の錦

第十九集 父との再会

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 朝日の訪れと共に目を覚ました呼狐澹ここたんは、対面に座っている緑風子りょくふうしが目に入る。夜の間に消えていた焚火に再び火を入れている所であった。ふと見回すも趙英ちょうえいの姿が無い。その様子を見た緑風子は、竹杖をコンと鳴らして呼狐澹の視線を導くと、微笑んだまま黙って川辺の方へ顔を振る。

 そこには趙英が見えた。よく見れば水面にわずかに覗かせている浅瀬の岩の上に立っているのだが、遠目で見れば水面に直立しているように見え、差し込む朝日を反射させて煌めく静かな水面と合わせ、非常に幻想的であった。
 そしてその左手には鞘に収まった剣が握られている。

 深く呼吸をしながら微動だにしていないかと思えば、次の瞬間に鋭い金属音を響かせて抜剣し、その刃を薙ぎ払うと、静かな水面に巨大な水柱が上がった。
 趙英がゆっくりと剣を鞘に納めると、空中に巻き上げられた水がまるで雨のように降り注いで小さな虹がかかる。そんな趙英の周辺には、数匹の魚が水面に浮かんでいた。何とも豪快な漁である。

「お見事!」

 そんな様子を川辺で眺めていた呼狐澹が拍手をして讃えるが、趙英は頭をわずかに動かしただけで一向に振り返ろうとしない。その様子を素直に疑問に思った呼狐澹が無邪気にどうしたのかと問うと、趙英はゆっくりと振り返った。
 一瞬だけ呼狐澹と目を合わせるも、すぐに視線が泳ぐ趙英。その顔を真っ赤に染めて、口を一文字に食いしばったままである。川辺を挟んで十歩ほど距離があるが、それでも非常に分かり易い表情であった。

 昨夜の出来事を思うと、顔を合わせられないといった所であるのだが、その時点でそれを察した呼狐澹の方も、気まずくなって何と声をかけるべきか悩んでしまい、互いに赤面したままただただ沈黙だけが続いた。
 その沈黙を破ったのは、後方の焚火にいる緑風子である。

「朝食の魚はまだかな、若人わこうどよ」

 よく通った緑風子の声で、互いに苦笑いを浮かべて何事も無かったように水面に浮かんだ魚を拾い始める二人。肩越しに振り返った緑風子は、その様子に微笑みながら肩をすくめた。

 互いに微妙な空気のままポツリポツリと他愛のない会話をしながら朝食を取った三人は、陽も高くなった所で旅を再開した。

 渭水いすいの流れも八カ月前と変わらず悠然とした流れを湛えて流れている。八カ月とは言わず、千年前も、そしてきっと千年後も、同じように流れていると考えると人間の営みの矮小さを感じさせ、自分の悩みなどくだらない物に思えてきた趙英は、馬を駆りながら自嘲を浮かべる。それでもなお割り切れないのも、また人間という物であろう。

 はん船頭と出会った川辺の村を通り過ぎ、しばらく行くと上邽じょうけいの城が見えた。その周辺には馬超ばちょう軍の本隊と思われる軍勢が県城の周辺に大量の天幕テントを備えて臨戦態勢になっている。

 あれが自分たちの敵。
 故郷であるこの漢陽かんよう郡を奪った敵。

 そう考えると悔しさがこみ上げてくる趙英であったが、それは今、表出させるべき感情ではない。途中で馬超軍の巡回兵に止められる場面もあったが、緑風子お得意の舌先三寸で切り抜ける。その点では非常に助かっていた。自分の中の感情を黙って抑えるのに必死で、腰を低くして笑っていられる自信がなかったからである。

 目的地である城に到着したのは、もうすぐ陽も傾こうとしていた頃である。ここにも当然のように馬超軍の兵士は巡回している為、あくまで立ち寄った旅人という風体で城門に入り、趙英を先頭にして自宅に向かう。

 とは言え趙英としても八年ぶりの自宅である。そこに幼い頃に過ごした自分の家があるのか。そもそも家族はまだ生きているのか。生きていたとして、どんな顔で会えばいいのか。一刻も早く帰りつきたいと思っていたはずが、そんな複雑な感情が渦巻き、その足を鈍らせていた。

「君はもしや、偉璋いしょうの娘さんか?」

 その声に顔を上げた趙英。
 そこには父の友人であり、同じく涼州で役人をしている尹奉いんほうがいた。趙英の幼い頃、趙家によく訪ねてきては父と共に酒を酌み交わしていたので、よく覚えている。

「そうです、慧玉けいぎょくです」

 趙英がそう言うと尹奉は笑顔を零した。

「やっぱりなぁ。顔に面影がある。旅に出たと聞いていたが、いやぁ、随分と立派になって……。いや女性に立派と言うのもおかしいかな?」
「あの、それで、父は……」

 そう訊いた趙英の不安気な顔に、帰ってきたばかりという事を察した尹奉は、安心させるように笑顔を崩さずに頷いた。

「無事だよ。父上も、母上も、それに弟もな」

 その言葉で、一気にこみ上げた安心感から、全身の力が抜けそうになる趙英。

「さぁ、早く父上に顔を見せに行ってやりなさい」

 趙英の様子を見て取った尹奉は、そう言って趙英を送り出す。その口ぶりから趙家もかつてと同じ場所にあると受け取って、趙英は記憶を頼りに自宅に向かった。

 趙家は政庁の近くだった。近くとは言っても元より敷地の広い冀城であるので、それなりの距離はある。決して貧しいというわけではないが、主人である趙昂ちょうこう、そして特に夫人の王異おういは儒教的清貧主義の思想が強く、家族が住めれば充分という意思で、州の役人にしては小さな家である。

 家の門の前まで来ると、それまでも足が鈍っていたが、途端に立ち止まってしまう趙英。その内心を察し、後ろで一緒に足を止めて待つ緑風子と、何で止まったかよく分からないものの、漢人の街の作法に疎いことから、一挙手一投足まで真似て立ち止まる呼狐澹。

 そんな三者三様の思いから、家の門の前で馬を連れたまま呆然と立ち尽くしている三人。傍から見ると奇怪な雰囲気であるが、表通りから多少離れている事で通行人が少ない事が幸いである。

 そんな状況の中、趙家の門が開く。趙英がハッと顔を上げると、そこに父・趙昂が姿を見せた。八年ぶりに見る父は、もちろん単純な加齢もあるが、この八カ月の包囲による心労から、記憶よりも遥かにやつれ、その髪にも白髪が多く混じっていた。

 趙昂もまた、門の前に立っていた趙英に驚く。その記憶は家を飛び出した時の十二歳の娘のままで止まっていたので、その野性的な様相に一瞬戸惑うも、その顔は自身の娘の顔であるとすぐに理解した。

 覚悟が出来ていなかった趙英は、いつぞや見た夢の事を思い出す。夢の中とは言え父に嘘つきと罵られた事が強烈に心に突き刺さっていた。援軍を呼んでくると大口を叩いて、それを果たせなかった事をどう詫びたらいいのか。口を開こうとしても言葉が出てこずに趙英が逡巡していると、趙昂は黙って歩み寄り、そのまま趙英を抱き寄せた。

「よくぞ……、生きて戻ってくれた……」

 父の胸に包まれ、そう言って後頭部を撫でられる感触。もう忘れかけていた感触であった。趙英はずっと堪えていた涙をここで再び流した。

 そんな様子を後ろで見ていた緑風子と呼狐澹は顔を見合わせると、静かに笑みを零した。これで趙英の心も少しは軽くなるだろう。語らずとも、互いにそう思っていた。




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