西涼女侠伝

水城洋臣

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第四章 西風を裂く剣

第三十二集 師弟の礼

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 緑風子りょくふうし閻行えんこうと共に、狩りに出ると偽って囮にした偽兵部隊へと合流し、狩りの途中で再会した知人と言う体裁で西都せいと城へと向かった。

 西平せいへいは後年に西平郡として金城きんじょう郡から分割されるのだが、この時期は未だ郡となる以前である為、閻行も正式な太守というわけではない。とは言え西都城が西平の中心となる城である事は確かであり、西平一帯の統治責任者である事に変わりはない。
 しかし西域に面した辺境の土地で、漢人の人口も非常に少ない事もあり、中原の基準から言えば、西都城は小さな城市まちと言えた。
 城内の家も、城壁も、黄白色をした真新しい土壁で作られており、新興の開拓地といった雰囲気が伝わってくる。

 城市の中央に作られた政庁に接するように作られている簡素な邸宅。そこが閻行の私邸であった。その中に、件の阿琳ありんことかん夫人が待っているのだが、閻行は共連れの兵たちと別れると、緑風子を連れてまず政庁へと赴いた。

鍾離しょうり大人たいじん!」

 閻行に丁寧に呼びかけられた紅顔白髪こうがんはくはつな黒衣の男、鍾離灼しょうりしゃく。彼は政庁から出てくると閻行を出迎えた。

「これは将軍、早朝のはいかがでしたか?」

 閻行が表では出来ない密談を行っていると知っていて、鍾離灼は笑顔のままあえてそう訊いたのである。閻行は頷くと後ろに立つ緑風子を紹介した。

「実はの最中に旧友と出くわしてな。これより我らと共に動いてくれる事になった」
殷厭世いんえんせいと申します」

 笑顔のまま丁寧に拱手きょうしゅをした緑風子は、そう偽名を名乗った。厭世(世界に絶望する)などというあざなは、偽名であると疑われても当然の露骨なものである。
 その顔をみた鍾離灼から一瞬笑顔が消えるが、すぐに元の笑顔を浮かべて拱手を返した。

「これは殷大人。私は鍾離灼と申します。どうぞよしなに」

 緑風子から話を聞いていた閻行は、そうしたやりとりを眺めつつ苦笑をした。

「それでは、妻の小言をさかなに遅めの朝食を取ってくるとするか」

 溜息を吐きながら私邸へと向かう閻行を、緑風子と鍾離灼は揃って拱手をして見送った。閻行の足音が離れるのを待って、緑風子は笑顔を崩さぬまま隣の男に声をかける。

「こんな所で会うとは奇遇じゃないか、紅煬子こうようし
「本当にだったのかどうか……、怪しいもんだ」
「その点は本当さ。君がここにいると知ったのは今朝の事だからね」
「という事はつまり、我々の目的は同じではないかな、若師叔わかししゅく
「勿論、我らの因縁はまず後回しだ。でも今度は逃げないでくれよ」
「怖い怖い」

 二人は共に穏やかな笑顔を崩そうとしなかった。しかしその内心では相手に対する殺意にも似た憎悪が渦巻いており、それを双方とも笑顔の仮面で隠し、こうして二人きりの時でさえも崩さない。
 それは感情的になったら負けであると心に刻んだ智者たちの対峙であった。

 紅煬子と呼ばれた鍾離灼が緑風子を若師叔と呼んだ。
 これは両者が同門の弟子である事と、鍾離灼の師父しふ(師匠)が、緑風子にとっての師兄しけい(兄弟子)であり、師弟関係の系図で数えれば緑風子の方が一世代上である事を示す。
 しかしあえて「若師叔」と呼ぶという事は、年齢や経験は鍾離灼の方が上である事を意図的に強調し、「師叔」という敬称を使って一見丁寧に見せつつも「お前を上とは認めない」という含みを持たせた呼び方なのでる。
 血縁関係などにおいても、親子ほど年齢が離れた兄弟の場合、年下の叔父と、年上の甥という関係が発生する事はよくある話である。ことに師弟関係に於いては既に独立した弟子を持ち孫弟子もいる老齢の達人が、更に年少の直弟子を取る事は決して少なくはなく、こうした関係性は別段に不思議ではない。



 さて、西都で緑風子がそのような再会を果たしていた頃、趙英ちょうえい呼狐澹ここたん龐淯ほういくの三人は西平から南下し黄河を渡河。城に向けての最短経路である隴西ろうせい郡に入っていた。
 往路では馬超ばちょう軍と韓遂かんすい軍の小競り合いが行われているであろうと避けていた隴西郡であるが、遠回りをした事で道に迷ってしまった事は記憶に新しい。
 趙英や呼狐澹にとっては戦闘に巻き込まれる事よりも、見知らぬ土地で迷子になる事の方がより大きな心配だった。慎重派の緑風子がいない事も手伝って、多少危険でも直線距離で抜け、何かあれば強引に突破すればいいと考えていたわけである。

「あぁ……、あの山の向こうでやりあってるね」

 趙英と龐淯には全く判別できなかったが、呼狐澹の耳には風に紛れて嘶馬せきば干戈かんか(馬のいななきと武器を交える音)が聞こえているようだ。呼狐澹のそうした目と耳は、今度のように争いを避ける事は勿論、敵襲に際しても大いに助けとなっている。

 そうして危険を避けつつ馬を進ませた三人は、渭水いすい上流域にぶつかった。隴西から漢陽かんようを通り隴山ろうざんを越えて関中かんちゅうへと向かうこの川は、先年に長安ちょうあんへ向かって船旅をした川、その上流である。このまま渭水に沿うように東へ進んでいけば冀城へと戻る事ができるだろう。ゆっくり進んでも二、三日で到着するはずだ。
 現状では急ぎの旅ではない事もあり、陽が傾いてきた事を見た彼らは川辺で野営を始めた。

 夕餉は川魚にしようという意見でまとまったが、剣に手を掛ける趙英を見て呼狐澹が制止した。剣気で周囲の川の水もろとも上空に爆ぜ上げる豪快なやり方を何度か見ている為、をやると離れた所にいる軍から斥候を呼び寄せてしまう懸念があったわけだ。
 そこで呼狐澹が漁を担当する事になったわけだが、これまた水中のわずかな揺らぎから魚影を見分け、矢で正確に射抜いていくという、確かにほとんど音は立てていないが、凡人からすればそれも充分に豪快な漁であった。

 大した時間も掛けずに三人分としては充分な量の魚を獲った呼狐澹はそれを両手に抱え、焚火を起こしていた趙英と龐淯の所へと戻って来る。
 魚を炙りつつ、趙英の腰にかれた二本の直剣に目を向ける呼狐澹。その視線に気づいた趙英が何事かと訊いた。

「前に使ってた剣、よかったらくれないかな?」

 先日に亡き師母しぼである趙娥ちょうがから宝剣「冰霄ひょうしょう」を受け継いだ事で、それまで使っていた直剣が余っている状態である。
 呼狐澹としては趙英から内功を学びつつ剣の鍛錬もしていたが、修練用の木剣か、そこらで拾った木の枝を振るばかりで、武器と言えば愛用の短弓以外は獲物を捌く為の短刀を持っているくらいであった。趙英もその事に思い至ったが、しばし考え込んでしまう。剣を授けるという行為は、正式に弟子に迎える儀礼的な意味があった為だ。
 だが元々、そうした儀礼的な意味合いを気にせずに、というより意図的に無視する形で生きてきた趙英である。そうした考えに囚われている事を自嘲しつつ呼狐澹の願いを受け入れ、直剣を差し出した。

「ありがと!」

 単純に儀礼的な事を知らないからであるが、変に弟子としてへりくだる事をせずに剣を受け取る呼狐澹。その反応は儀礼に拘る大部分の漢人であれば「無知な蛮族」と蔑むのであろうが、趙英は逆に改めて気を遣わずに済むと胸を撫で下ろすのであった。





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