西涼女侠伝

水城洋臣

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第四章 西風を裂く剣

第三十五集 嵐中の敗走

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 漢陽かんよう郡の外れ、渭水いすいの流れを見下ろす崖の上の道で、青と赤の刃が交差した。刃の色以外は全く同じ装飾の宝剣、「冰霄ひょうしょう」と「獄焔ごくえん」……。
 趙英ちょうえい師母しぼである趙娥ちょうがから冰霄を受け継いだわけだが、趙娥もまたその師父しふより受け継いだだけで、宝剣の出自は全く知らないと語っていた事がある。

 同じ鍛冶師によって作られたと推測される、対となる宝剣の存在に衝撃を受けた趙英であったのだが、相手の何冲天かちゅうてんはそんな僅かな隙も見逃さなかった。
 内力の方向を変えて刃を受け流し、趙英が思わず体勢を崩すと、その胴を狙って斬り払う。
 茫然と立ち尽くしていた呼狐澹ここたんも戦況の変化に思わず声を上げた。

 斬り払われると同時に飛び退いた趙英は、数歩の距離を取って体勢を立て直す。短衣の脇部分が斬られているが、そこからはほぼ無傷の肌が覗いていた。内力を一部分に集中させる事で、一時的に皮膚その物を鎧のように硬く強くする硬身功こうしんこうである。

 呼狐澹は胸を撫で下ろしたが、何冲天の方はと言えば、それも予想の範囲内といった表情である。

「では続けよう」

 そう呟いて、再び踏み込んでくる何冲天に、趙英は冰霄を振るって応えた。その太刀筋の速さは常人の目にはほとんど映らないであろう。向かい合う両者の周囲に、振るわれる刃の間合いが赤と青の薄い球体となって浮かび上がり、その接触する箇所が火花を散らし、鋭い金属音が響き続けているといった状態だ。

 趙英の型は趙娥より受け継いだ越女えつじょ剣法の型そのものである。だが何冲天の方も、非常に良く似た型を使っている。或いは数百年前に分派した同門の型なのかも知れない。
 朴刀を使っている時は、その巨大な片刃に最適化した刀法を使っていたのであるが、その刃が砕かれ獄焔に持ち替えた瞬間に型その物を変えてきたのだ。恐らくはこちらが何冲天の本来の型。
 また得物の重量が軽くなった事で、速度も明らかに上がっている。趙英もそれに反応する事で精一杯であった。

 いつしか周囲に強風が吹き荒れていた。恐らくは砂嵐が近づいているのであろうが、まるで趙英と何冲天の戦いによって風を呼んだかのような錯覚を覚える。

 両者の動きそのものには付いていく事が出来ないと自覚している呼狐澹であったが、狩人として鍛えられたその動体視力の高さは抜きん出ている為、趙英と何冲天双方の動きは正確に捉えていた。
 それゆえに、趙英が押され始めている事は呼狐澹にもよく理解できた。何冲天が先に仕掛け、趙英がそれを逸らすという事が続いていたのである。

「どうした、その程度か?」

 口元にうっすらと笑みを浮かべた何冲天のそんな挑発にも、言葉を以って返す余裕すら趙英には無くなっていた。相手の繰り出す刃を正確に受け流す事にだけ集中する。一瞬でも気を抜けば、その赤く光る神速の刃が彼女の命を刈り取ってしまうだろう。

 そうした攻防が続く中で、遂に何冲天の持つ獄焔の刃が趙英の首に向かう瞬間が訪れた。冰霄の刃を返すには一瞬足りなかった。勝敗が決したと思った瞬間、そんな二人の間に割って入ったのが呼狐澹である。両者の太刀筋を正確に見切り、数手前からこの展開を予測していたからこその動きであった。
 獄焔の刃が呼狐澹の胴を切り裂いて鮮血を散らす。そして同時にその小さな体は数歩先まで飛ばされ、崖の下に向かって落下しようとしていた。

澹兒たんじ!!」

 趙英は自身も飛び上がると、そんな呼狐澹を抱きとめるようにして、共に崖の下へと落ちて行った。

 何冲天が崖際から下を覗くと、渭水の川面に水飛沫を立てて没する二人の姿が見えた。その様子を見た何冲天の表情には、仕留めたという勝利の手応えも無ければ、逃がしたという悔しさもなかった。
 その眼には、どこか悲し気な色を浮かべていたのだが、それを見る者は誰もいなかった。

 風も更に強くなり、しばらくすれば砂嵐も吹き荒れるであろう。何冲天は黒染めの外套マントに付いた兜帽フードを目深に被ると、その場を後にする。

 そう言えばもう一人いたな――。

 そう思い至った何冲天は逃げた一人、すなわち龐淯ほういくの後を追った。



 本格的に到来した砂嵐の中で、数歩先も見えない中、何冲天は馬よりも早い速度で山道を駆け抜ける。これもまた彼の強い内力の為せる技である。
 強風の中でわずかに聞こえるいななきと馬蹄ばていの音を聞き分け、あともう少しで目標が見える。真っ赤に煌めく宝剣「獄焔」を構え距離を詰めた。

 捉えた――。

 そう確信した何冲天は正面に現れたその影に刃を向けるが、そこには主が乗っていない馬だけが駆けていた。
 恐らくは追手が来る事を予期して、砂嵐に乗じて身を隠し、馬だけを走らせ囮としたのであろう。
 武芸の心得は無くとも、西域に育ち砂漠に慣れている龐淯が一枚上手であったわけだ。

 さすがにこの視界の中で、音を立てずに身を潜めている相手を探す事は不可能と断じ、何冲天は舌打ちをして去っていく。

 対峙した三人全員、無事に生還できる保証が無い状況に追い込みはしたが、同時に確実に仕留めたと言える者は誰もいない。そんな自分の甘さと不甲斐なさに自嘲する何冲天であった。





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