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第五章 隴西の帝王
第三十八集 死中求活
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韓夫人こと阿琳が真夜中に何者かによって殺害されたという話は、翌朝には西都中を駆け巡っていた。閻行にとっても勿論の事、その参謀として動いていた緑風子にも寝耳に水の事態である。
情報が錯綜し、バラバラに届く知らせを整理する頃には、西都中に話が伝わってしまった後の事である。そして麹演と鍾離灼の姿が見えないという報告で、緑風子は全てを察した。
本来は冀城での蜂起の準備が整うまで閻行には韓遂に帰順する形を取ってもらい、その間に西都城内の味方を固める。時期が来たら冀城と呼応して一斉蜂起するという予定であった。
しかし今度の事件が起きた事で、韓遂と閻行の関係は一気に瓦解し、冀城の蜂起を待つ事が出来ない。
鍾離灼の目的が韓遂と閻行の仲違いであるならば、どっちに転んでもそれは果たされるが、冀城の蜂起に合わせるという緑風子の目的は果たせない。
「紅煬子め……、やってくれたよ……」
そう呟いた緑風子に、困惑気味の閻行が歩み寄ってきた。
「殷大人、これはどうしたら……」
その質問に、緑風子は考えを巡らせながらゆっくりと答える。
「まずは韓夫人を丁重に弔う事です。出来るだけ盛大な葬儀を。そして韓遂には、奥方を守れなかった事の謝罪の書状を送り、葬儀への参列を求めるのです。恐らく韓遂はあなたを疑って、葬儀に顔は出さないでしょうが、そんなお二人の態度の違いを西平の民に見せる事が第一です。対立が表面化するのは時間の問題ですが、その時にそんな葬儀の様子を見ていた者たちが、どちらの味方をするか、という話です」
その話に大きく頷いた閻行は、すぐさま葬儀に向けての準備に取り掛からせ、同時に韓遂への書状も自ら筆を取った。
さて、娘の死を知らされた韓遂であるが、それを報告した麹演の語り口は、当然ながら閻行が離反する為に邪魔な阿琳を排除したかのような物であった。
報告を聞いた瞬間の韓遂は頭に血が上って怒り狂ったが、この時に主力軍は隴西で馬超軍と対峙していた最中であった事で、西平に即日出兵するという事が出来なかった。これが明暗を分けたと言っていい。
その翌日には閻行からの書状が到着する。そこには深夜に何者かによって阿琳が殺害された事。守れなかった事の素直な謝罪。そして阿琳の葬儀への出席要請が丁寧に書かれていたのだ。
多少は頭が冷えていた韓遂もこの書状を読んで、娘を手にかけたのが本当に閻行であるのか疑問を覚えるに至ったわけである。
韓遂の周囲には、麹演を始め閻行失脚を狙う者は複数に及んでおり、そうした彼らからの進言によって葬儀への出席は辞退する事になる。ましてや麹演にとって、直接に顔を合わされては自分が犯人である事が明かされてしまう可能性があった以上、心中は穏やかでは無かった。
阿琳の死は予想外の窮地であった事には違いないが、馬超軍の攻勢と、それに乗じた緑風子の機転によって、皮肉にも閻行による西都城内中立派の取り込みは順調に進む事になったわけである。
一時的とはいえ急場を凌いだ西都城では、阿琳の葬儀の準備に追われていた。道家である緑風子もまた必然的に葬儀の作法に関して指示する立場となる。
そうした準備に一日中縛られ、時間が空いたのは人の寝静まった夜中になってからの事。彼は政庁の裏庭の地面に竹杖で陣を描いた。後世に八卦図と呼ばれる道教占術に使われる円陣の原型である。
八卦それぞれの方角に篝火を置いた緑風子は、易占の文言を唱え始めた。姿を消した鍾離灼の行方を追う為である。
この時代、武術流派と同様に道教も未だ体系化されていなかったわけだが、黄巾の乱を起こした大平道や、漢中で勢力を伸ばしている五斗米道などは、老子による『道徳真経』を主体とした思想を中心に多くの信徒を集める、どちらかと言えば政治的な宗教団体と言えた。
しかし後世に様々に分派する道教の流派は、必ずしもそうした面ばかりではない。
緑風子や鍾離灼が学んだ流派は、思想によって信徒を増やしていく外向きの流派ではなく、より実践的な道術によって神仙を目指し修練を重ねる内向きな流派である。広い知名度や政治力は無いが、多くの者が人の領域を超えるほどの道術を身につけるのである。
それゆえに教祖と信徒という関係は無く、その全員が求道者であり、弟子に迎え入れられるのも高い素質を持つ者が選ばれる。その結果として鍾離灼のように、「自分は凡人とは違う」と、強い選民意識に囚われる者も出てくるのであるが。
姿をくらませて行方知れずだった今までならいざ知らず、現在のように直接顔を合わせた直後であれば、易占によって行方を追う程度は、緑風子にとっては容易な事であった。
風が吹き抜け篝火の炎を揺らす。しかしとある二つの篝火だけは、他の篝火とは違う方向に揺れた。その様子に目を細めつつ続ける緑風子。
しばらくの間が空いた後に、別な方向から突風が吹くと、今度もまた特定の二本だけが他の篝火とは別の方向に炎が揺れた。
「天風姤……、のち水火既済」
易占の結果を得た緑風子は、松明を片手に政庁の中に向かう。既に寝静まって火も落とされた暗い建物に入ると、その壁に貼られていた涼州の地図を見上げた。
西都の位置に指を当てると、ゆっくりとなぞるように動かしていく。その指は隴西郡の西部で止まった。その場所には辺境の城市の名が記されていた。
或いはここは、この涼州の厄災を引き起こしている黒幕の拠点である可能性も高かった。
「見つけたぞ、紅煬子……」
情報が錯綜し、バラバラに届く知らせを整理する頃には、西都中に話が伝わってしまった後の事である。そして麹演と鍾離灼の姿が見えないという報告で、緑風子は全てを察した。
本来は冀城での蜂起の準備が整うまで閻行には韓遂に帰順する形を取ってもらい、その間に西都城内の味方を固める。時期が来たら冀城と呼応して一斉蜂起するという予定であった。
しかし今度の事件が起きた事で、韓遂と閻行の関係は一気に瓦解し、冀城の蜂起を待つ事が出来ない。
鍾離灼の目的が韓遂と閻行の仲違いであるならば、どっちに転んでもそれは果たされるが、冀城の蜂起に合わせるという緑風子の目的は果たせない。
「紅煬子め……、やってくれたよ……」
そう呟いた緑風子に、困惑気味の閻行が歩み寄ってきた。
「殷大人、これはどうしたら……」
その質問に、緑風子は考えを巡らせながらゆっくりと答える。
「まずは韓夫人を丁重に弔う事です。出来るだけ盛大な葬儀を。そして韓遂には、奥方を守れなかった事の謝罪の書状を送り、葬儀への参列を求めるのです。恐らく韓遂はあなたを疑って、葬儀に顔は出さないでしょうが、そんなお二人の態度の違いを西平の民に見せる事が第一です。対立が表面化するのは時間の問題ですが、その時にそんな葬儀の様子を見ていた者たちが、どちらの味方をするか、という話です」
その話に大きく頷いた閻行は、すぐさま葬儀に向けての準備に取り掛からせ、同時に韓遂への書状も自ら筆を取った。
さて、娘の死を知らされた韓遂であるが、それを報告した麹演の語り口は、当然ながら閻行が離反する為に邪魔な阿琳を排除したかのような物であった。
報告を聞いた瞬間の韓遂は頭に血が上って怒り狂ったが、この時に主力軍は隴西で馬超軍と対峙していた最中であった事で、西平に即日出兵するという事が出来なかった。これが明暗を分けたと言っていい。
その翌日には閻行からの書状が到着する。そこには深夜に何者かによって阿琳が殺害された事。守れなかった事の素直な謝罪。そして阿琳の葬儀への出席要請が丁寧に書かれていたのだ。
多少は頭が冷えていた韓遂もこの書状を読んで、娘を手にかけたのが本当に閻行であるのか疑問を覚えるに至ったわけである。
韓遂の周囲には、麹演を始め閻行失脚を狙う者は複数に及んでおり、そうした彼らからの進言によって葬儀への出席は辞退する事になる。ましてや麹演にとって、直接に顔を合わされては自分が犯人である事が明かされてしまう可能性があった以上、心中は穏やかでは無かった。
阿琳の死は予想外の窮地であった事には違いないが、馬超軍の攻勢と、それに乗じた緑風子の機転によって、皮肉にも閻行による西都城内中立派の取り込みは順調に進む事になったわけである。
一時的とはいえ急場を凌いだ西都城では、阿琳の葬儀の準備に追われていた。道家である緑風子もまた必然的に葬儀の作法に関して指示する立場となる。
そうした準備に一日中縛られ、時間が空いたのは人の寝静まった夜中になってからの事。彼は政庁の裏庭の地面に竹杖で陣を描いた。後世に八卦図と呼ばれる道教占術に使われる円陣の原型である。
八卦それぞれの方角に篝火を置いた緑風子は、易占の文言を唱え始めた。姿を消した鍾離灼の行方を追う為である。
この時代、武術流派と同様に道教も未だ体系化されていなかったわけだが、黄巾の乱を起こした大平道や、漢中で勢力を伸ばしている五斗米道などは、老子による『道徳真経』を主体とした思想を中心に多くの信徒を集める、どちらかと言えば政治的な宗教団体と言えた。
しかし後世に様々に分派する道教の流派は、必ずしもそうした面ばかりではない。
緑風子や鍾離灼が学んだ流派は、思想によって信徒を増やしていく外向きの流派ではなく、より実践的な道術によって神仙を目指し修練を重ねる内向きな流派である。広い知名度や政治力は無いが、多くの者が人の領域を超えるほどの道術を身につけるのである。
それゆえに教祖と信徒という関係は無く、その全員が求道者であり、弟子に迎え入れられるのも高い素質を持つ者が選ばれる。その結果として鍾離灼のように、「自分は凡人とは違う」と、強い選民意識に囚われる者も出てくるのであるが。
姿をくらませて行方知れずだった今までならいざ知らず、現在のように直接顔を合わせた直後であれば、易占によって行方を追う程度は、緑風子にとっては容易な事であった。
風が吹き抜け篝火の炎を揺らす。しかしとある二つの篝火だけは、他の篝火とは違う方向に揺れた。その様子に目を細めつつ続ける緑風子。
しばらくの間が空いた後に、別な方向から突風が吹くと、今度もまた特定の二本だけが他の篝火とは別の方向に炎が揺れた。
「天風姤……、のち水火既済」
易占の結果を得た緑風子は、松明を片手に政庁の中に向かう。既に寝静まって火も落とされた暗い建物に入ると、その壁に貼られていた涼州の地図を見上げた。
西都の位置に指を当てると、ゆっくりとなぞるように動かしていく。その指は隴西郡の西部で止まった。その場所には辺境の城市の名が記されていた。
或いはここは、この涼州の厄災を引き起こしている黒幕の拠点である可能性も高かった。
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