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第五章 隴西の帝王
第四十二集 雪辱への胎動
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冀城での反乱の報を聞いた馬超は、前線を龐徳に任せると即座に軍を返した。
この漢の時代、漢人社会は儒教的な倫理観が強く、特に子が親に尽くす「孝」が無条件で尊ばれ、逆に親が子を捨てる事を道義的な罪と思う意識は現代よりも薄かった。
だが馬超は、そうした儒教的な倫理観の影響を受けない羌族の村で育ち、さらに彼自身、羌族の村娘の産んだ庶子だったという立場もあって、父や弟に対する引け目を感じて育った事から、自分自身の妻子への愛情は漢人よりも強かったと言っていい。
それゆえに妻子が人質に取られた事に対する焦りは人一倍であったのだ。
そんな馬超が冀城に戻る頃には、事態は既に解決しており、反乱兵は全て処断されていた。
妻の浥雉と幼い子供たちと無事な姿で再会した事を大いに喜んで安堵した馬超は、そこで趙昂の娘である趙英によって救われた事を知る。
馬超は趙英を呼び出して、満面の笑みで感謝の言葉を述べると、趙英は膝をついて包拳し、あくまでも父・趙昂や楊阜、尹奉らの要請に従ったまでの事と言った。
父らの信頼を得る為、そう答えるよう特に母・王異から言い含められていただけの事なのであるが、馬超の目には謙虚な態度に映った。
「趙慧玉と言ったな。そなたの事、覚えておくぞ」
いつになく穏やかな笑みを浮かべてそう言った馬超の目を、趙英もまた見つめ返した。いずれ刃を交える運命にある両者が互いの顔を認識したのはこの時である。
その後に馬超は今度の件を省みて、妻子の護衛に信頼のおける者を使おうと思い至った。はじめ趙英にその話が回るが固辞し、代わりに楊阜の従弟・楊岳がその任に着く事になった。
馬超自身の知らぬ間に、事態は着々と彼の首を真綿で締めていく事になっていたのである。
西平に残って閻行の支援をしていた緑風子が冀城へ戻ったのは、そんな頃である。
彼は韓遂の本拠地である金城へと二通の文を出すと、それを以って最後の仕上げとばかりに冀城へと戻り、楊阜や尹奉、そして龐淯らも含めた趙家の面々に、事と次第の説明をした。
近年の涼州の混乱そのものが枹罕の老王・宋建が起こしていたであろう事を告げた緑風子に、一同は驚きを隠せずにいたが、かれこれ三十年もの間、自領で王を僭称していた宋建ならばと納得する部分もあった。
また緑風子の追っている鍾離灼、更には呼狐澹の仇敵である何冲天もそこに集結しているのである。
馬超と韓遂の打倒計画は揺るがぬものの、このまま枹罕を放置するわけにはいかない。
そこで彼らが建てた計画はこうだ。
先の反乱鎮圧によって馬超からの信頼は最高潮に高まっていた。ほとんど自由に動けるこの機に乗じて各地の城と連絡を取る。
万全の準備が整った後、馬超に対し枹罕の宋建が全ての黒幕である事を明かして出兵を促す。毒を以って毒を制する如く、馬超軍に枹罕を攻めさせるのである。
金城の韓遂に対しては、その時期に効いてくるであろう置き土産を緑風子が残している。後顧の憂いがあるのは韓遂の方なのだ。
そして隴西郡で枹罕攻めをしている馬超の背後で、一気に漢陽郡全域の各城を奪還するというわけである。
また漢中へと抜ける道となる漢陽郡の南部、すなわち西城や歴城は蜂起させず、空けておく方が良いという結論に至った。
そこで馬超を必ず討ち取れるならば問題ないのだが、そこまでの確実性はない。下手に追い詰めて背水の陣となり、敵兵の士気が上がってしまう事は避けたいという狙いである。逃げ道があるのならば、馬超配下の兵士たちの士気も下がるという物。
また同盟者である張魯が治める漢中への道が開いているとなれば、逃走経路自体も最初から予測可能という事になる。例えそこで討ち取れずとも、漢中で体勢を立て直せば必ずや馬超は舞い戻ってくると踏んでの事。
それまでの間に涼州も内部を立て直して漢中から来るであろう敵軍を迎え撃ち、曹操軍の援軍を待てば良いのである。
趙英の気がかりは、漢中へと身柄が送られている弟・趙月の事であった。もしも敗残の馬超が漢中に至れば、首謀者の子である趙月の命が危うくなる。息子の命を惜しんで犠牲者を増やすわけにはいかないと趙昂や王異は半ば諦めているが、趙英は何としても弟の命も救いたいと思っていた。
何冲天との因縁もある以上、枹罕への攻撃には趙英自身も関わらねばならない。そしてそこに至れば冀城蜂起まで一気に進行してしまうだろう。だが枹罕攻めが始まる前に趙月が漢中から脱出してしまえば、馬超に気づかれて計画そのものを壊しかねない。
枹罕攻めの序盤の内に何冲天との決着を着ける。その後すぐさま戦線から離脱し、馬超が落ち延びる前に漢中へ向けて単身で馬を飛ばして趙月を救い出す。
全体の計画を邪魔せずに弟の命を救うには、机上の空論でしかないこの個人的な計画を何としても実行に移すしか手は無かった。
趙英、呼狐澹、緑風子、そして趙家に集った旧涼州の忠臣たち。全ての決着を着ける時が、近づいてきていた。
時に、建安十八年(西暦二一三年)、暮れの事である。
この漢の時代、漢人社会は儒教的な倫理観が強く、特に子が親に尽くす「孝」が無条件で尊ばれ、逆に親が子を捨てる事を道義的な罪と思う意識は現代よりも薄かった。
だが馬超は、そうした儒教的な倫理観の影響を受けない羌族の村で育ち、さらに彼自身、羌族の村娘の産んだ庶子だったという立場もあって、父や弟に対する引け目を感じて育った事から、自分自身の妻子への愛情は漢人よりも強かったと言っていい。
それゆえに妻子が人質に取られた事に対する焦りは人一倍であったのだ。
そんな馬超が冀城に戻る頃には、事態は既に解決しており、反乱兵は全て処断されていた。
妻の浥雉と幼い子供たちと無事な姿で再会した事を大いに喜んで安堵した馬超は、そこで趙昂の娘である趙英によって救われた事を知る。
馬超は趙英を呼び出して、満面の笑みで感謝の言葉を述べると、趙英は膝をついて包拳し、あくまでも父・趙昂や楊阜、尹奉らの要請に従ったまでの事と言った。
父らの信頼を得る為、そう答えるよう特に母・王異から言い含められていただけの事なのであるが、馬超の目には謙虚な態度に映った。
「趙慧玉と言ったな。そなたの事、覚えておくぞ」
いつになく穏やかな笑みを浮かべてそう言った馬超の目を、趙英もまた見つめ返した。いずれ刃を交える運命にある両者が互いの顔を認識したのはこの時である。
その後に馬超は今度の件を省みて、妻子の護衛に信頼のおける者を使おうと思い至った。はじめ趙英にその話が回るが固辞し、代わりに楊阜の従弟・楊岳がその任に着く事になった。
馬超自身の知らぬ間に、事態は着々と彼の首を真綿で締めていく事になっていたのである。
西平に残って閻行の支援をしていた緑風子が冀城へ戻ったのは、そんな頃である。
彼は韓遂の本拠地である金城へと二通の文を出すと、それを以って最後の仕上げとばかりに冀城へと戻り、楊阜や尹奉、そして龐淯らも含めた趙家の面々に、事と次第の説明をした。
近年の涼州の混乱そのものが枹罕の老王・宋建が起こしていたであろう事を告げた緑風子に、一同は驚きを隠せずにいたが、かれこれ三十年もの間、自領で王を僭称していた宋建ならばと納得する部分もあった。
また緑風子の追っている鍾離灼、更には呼狐澹の仇敵である何冲天もそこに集結しているのである。
馬超と韓遂の打倒計画は揺るがぬものの、このまま枹罕を放置するわけにはいかない。
そこで彼らが建てた計画はこうだ。
先の反乱鎮圧によって馬超からの信頼は最高潮に高まっていた。ほとんど自由に動けるこの機に乗じて各地の城と連絡を取る。
万全の準備が整った後、馬超に対し枹罕の宋建が全ての黒幕である事を明かして出兵を促す。毒を以って毒を制する如く、馬超軍に枹罕を攻めさせるのである。
金城の韓遂に対しては、その時期に効いてくるであろう置き土産を緑風子が残している。後顧の憂いがあるのは韓遂の方なのだ。
そして隴西郡で枹罕攻めをしている馬超の背後で、一気に漢陽郡全域の各城を奪還するというわけである。
また漢中へと抜ける道となる漢陽郡の南部、すなわち西城や歴城は蜂起させず、空けておく方が良いという結論に至った。
そこで馬超を必ず討ち取れるならば問題ないのだが、そこまでの確実性はない。下手に追い詰めて背水の陣となり、敵兵の士気が上がってしまう事は避けたいという狙いである。逃げ道があるのならば、馬超配下の兵士たちの士気も下がるという物。
また同盟者である張魯が治める漢中への道が開いているとなれば、逃走経路自体も最初から予測可能という事になる。例えそこで討ち取れずとも、漢中で体勢を立て直せば必ずや馬超は舞い戻ってくると踏んでの事。
それまでの間に涼州も内部を立て直して漢中から来るであろう敵軍を迎え撃ち、曹操軍の援軍を待てば良いのである。
趙英の気がかりは、漢中へと身柄が送られている弟・趙月の事であった。もしも敗残の馬超が漢中に至れば、首謀者の子である趙月の命が危うくなる。息子の命を惜しんで犠牲者を増やすわけにはいかないと趙昂や王異は半ば諦めているが、趙英は何としても弟の命も救いたいと思っていた。
何冲天との因縁もある以上、枹罕への攻撃には趙英自身も関わらねばならない。そしてそこに至れば冀城蜂起まで一気に進行してしまうだろう。だが枹罕攻めが始まる前に趙月が漢中から脱出してしまえば、馬超に気づかれて計画そのものを壊しかねない。
枹罕攻めの序盤の内に何冲天との決着を着ける。その後すぐさま戦線から離脱し、馬超が落ち延びる前に漢中へ向けて単身で馬を飛ばして趙月を救い出す。
全体の計画を邪魔せずに弟の命を救うには、机上の空論でしかないこの個人的な計画を何としても実行に移すしか手は無かった。
趙英、呼狐澹、緑風子、そして趙家に集った旧涼州の忠臣たち。全ての決着を着ける時が、近づいてきていた。
時に、建安十八年(西暦二一三年)、暮れの事である。
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