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第七章 訣別の祁山
幕間 白髪の忌み子
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「お久しぶりです、伯父上」
紅顔白髪の道士・鍾離灼が漢中を訪ね、当地の主である張魯に対してそう声をかけた。周囲に人がいなかった事を確認する張魯の姿に、意地の悪い笑みを零す鍾離灼。
「ここへ何しに来た」
冷たく突き放すような張魯の口調に肩をすくめる鍾離灼。
「今まで住んでた場所が、戦に巻き込まれてしまいましてね。行く場所が無いんですよ。身内の誼で、しばらく置いてくれません?」
ため息を吐いた張魯は言い含めるように言う。
「しばらく滞在する事は許可しよう。だが我らは身内ではない。分かったな」
笑みを崩さぬまま丁寧な拱手をした鍾離灼。これが趙英が南鄭に到着する前日の事である。
後世に伝わる道教の言い伝えにこういう物がある。
張天師(五斗米道の開祖・張陵の尊称)の孫娘である張玉蘭は十七歳の時、夢に赤い光が現れて口に入り、目覚めると懐妊していた。
未婚の娘が子を孕んだとして両親に詰問されるが、玉蘭は不義などしていないと主張し、自ら腹を裂いて死んでしまった。
その腹からは経典が出てきた。それこそが唐代に広まる道教経典のひとつ『本際経』であるという。
勿論の事ながら、それは創作された伝承に過ぎない。
張魯の妹に当たる張玉蘭は、実際には不義密通を働いていたのだが、両親に詰め寄られても頑なに口を割らなかったのだ。
そして臨月を迎え、遂に赤子が産まれる事となったのだが、あまりの難産に母である玉蘭は命を落としてしまった。
その赤子は、生まれ落ちた瞬間から白髪。すなわち後世における白子症であった。
父親は誰か分からず、母親も亡くしてしまったその赤子は、赤い光を意味する灼と名付けられると、誰にも望まれぬ忌み子として、まるで世間から隠されるように育てられた。白い化け物と揶揄されながら。
そんな灼は、求仙道という別宗派に属する旅の道士・鍾離玄に預けられる事となる。当時の当主である張衡からすれば、体のいい厄介払いだったのであろう。
だがそんな鍾離玄から姓を貰い、弟子として道術の修練も受け、紅煬子という道号も授かった。
そんな彼が十三歳になる頃、同じ求仙道の門下であるという年下の少年と出会う。当時まだ十歳にも満たぬ幼子でありながら、天賦の才を見出され、既に老齢であった大師父の直弟子になったという。
その幼子は既に道号を持っていた。緑風子と言った。
師父である鍾離玄の師弟(弟弟子)である以上、鍾離灼にとっては師叔である。幼子と言えども目上の礼で接しなければならない。だがそんな物は、生家で化け物として軟禁されていた時に比べれば大した事などなかった。
だがある時、緑風子がこんな事を言った。
「髪が白いんですね。かっこいいな」
それはまだ幼かった緑風子の、素直な言葉だったのだろう。だが生家で散々に馬鹿にされてきた鍾離灼にとっては癪に障る言葉だった。思わず手が出てしまった。
目上である師叔を殴ったとして宗派内でも問題となり、大勢の前で叩頭(土下座)までさせられた。
その一件以来、鍾離灼は緑風子が苦手になった。
下手に近寄ると、何かあれば自分が悪者にされる。緑風子にその気が無くてもだ。
更に緑風子は本当に紛う事なく天才であり、その才能はお世辞抜きに当時の同門内でも最高であった。それは道術に留まらず、内功や点穴、書経や兵法の類も難なく習得していった。大師父が直弟子にしたいと思うのも道理だ。
年齢が近い事もあって、近くにいれば嫌でも比較された。
それが一方的な妬みである事は、鍾離灼自身もよく分かっていた。緑風子には何の悪意も嫌味もない。それが最も癪に障った。
そうして修行も終えようとしていた頃、師父である鍾離玄から出生の真実を聞かされた。自分こそが父親であると。
母である玉蘭と密通して子を孕ませたのは、他でもない鍾離玄であったのだ。
祖父・張陵が五斗米道を起こして名を馳せて、自身も宗家の巫女であった玉蘭としては、他宗派の道士と密通していたなどという事実を知られるわけにはいかなかった。
そして生まれた我が子を、偶然立ち寄った旅の道士を装って、善意で引き取る振りをしたのだという。
だが鍾離灼にとっては、父のその行動が許せなかった。それでは母を見殺しにしたも同然ではないかと。
感情のままに激しく詰め寄り罵った鍾離灼は、ふと気が付けば実父であり師父でもある鍾離玄を殺害していた。そして彼の逃亡生活が始まったのである。
もう家だの宗派だのに煩わされたくなかった。
どちらも不条理に虐げられ、頭を下げさせられた嫌な記憶しかない。何物にも縛られず、ただ自由に生きたかった。
だが師父殺しは大罪だ。当然のように求仙道から誅罰の為の追手が差し向けられる事になったが、それが正に彼の天敵である緑風子だったわけである。
あいつはいつも正しい側にいる。
こちらが逃げれば、どこまでも追いかけてくる。
こちらが攻めれば、その才能で全てを覆してくる。
いつでも、あの癪に障る涼しい笑顔で。
どうせこちらは最初から悪なのだ。
生まれ落ちた瞬間、母の命を奪った。
そうして親族から疎まれ、存在を悪とされた。
正直に生きようとしても悪とされた。
何よりも恩のある師父を、それも血を分けた実の父をこの手で殺している。そんなの誰がどう見ても悪でしかない。
ならばとことんまで、悪として生きてやる。
どんな手を使おうと構うものか。
何物にも縛られず、自由に生きる為。
そしてあいつの笑顔を消してやる為に――。
紅顔白髪の道士・鍾離灼が漢中を訪ね、当地の主である張魯に対してそう声をかけた。周囲に人がいなかった事を確認する張魯の姿に、意地の悪い笑みを零す鍾離灼。
「ここへ何しに来た」
冷たく突き放すような張魯の口調に肩をすくめる鍾離灼。
「今まで住んでた場所が、戦に巻き込まれてしまいましてね。行く場所が無いんですよ。身内の誼で、しばらく置いてくれません?」
ため息を吐いた張魯は言い含めるように言う。
「しばらく滞在する事は許可しよう。だが我らは身内ではない。分かったな」
笑みを崩さぬまま丁寧な拱手をした鍾離灼。これが趙英が南鄭に到着する前日の事である。
後世に伝わる道教の言い伝えにこういう物がある。
張天師(五斗米道の開祖・張陵の尊称)の孫娘である張玉蘭は十七歳の時、夢に赤い光が現れて口に入り、目覚めると懐妊していた。
未婚の娘が子を孕んだとして両親に詰問されるが、玉蘭は不義などしていないと主張し、自ら腹を裂いて死んでしまった。
その腹からは経典が出てきた。それこそが唐代に広まる道教経典のひとつ『本際経』であるという。
勿論の事ながら、それは創作された伝承に過ぎない。
張魯の妹に当たる張玉蘭は、実際には不義密通を働いていたのだが、両親に詰め寄られても頑なに口を割らなかったのだ。
そして臨月を迎え、遂に赤子が産まれる事となったのだが、あまりの難産に母である玉蘭は命を落としてしまった。
その赤子は、生まれ落ちた瞬間から白髪。すなわち後世における白子症であった。
父親は誰か分からず、母親も亡くしてしまったその赤子は、赤い光を意味する灼と名付けられると、誰にも望まれぬ忌み子として、まるで世間から隠されるように育てられた。白い化け物と揶揄されながら。
そんな灼は、求仙道という別宗派に属する旅の道士・鍾離玄に預けられる事となる。当時の当主である張衡からすれば、体のいい厄介払いだったのであろう。
だがそんな鍾離玄から姓を貰い、弟子として道術の修練も受け、紅煬子という道号も授かった。
そんな彼が十三歳になる頃、同じ求仙道の門下であるという年下の少年と出会う。当時まだ十歳にも満たぬ幼子でありながら、天賦の才を見出され、既に老齢であった大師父の直弟子になったという。
その幼子は既に道号を持っていた。緑風子と言った。
師父である鍾離玄の師弟(弟弟子)である以上、鍾離灼にとっては師叔である。幼子と言えども目上の礼で接しなければならない。だがそんな物は、生家で化け物として軟禁されていた時に比べれば大した事などなかった。
だがある時、緑風子がこんな事を言った。
「髪が白いんですね。かっこいいな」
それはまだ幼かった緑風子の、素直な言葉だったのだろう。だが生家で散々に馬鹿にされてきた鍾離灼にとっては癪に障る言葉だった。思わず手が出てしまった。
目上である師叔を殴ったとして宗派内でも問題となり、大勢の前で叩頭(土下座)までさせられた。
その一件以来、鍾離灼は緑風子が苦手になった。
下手に近寄ると、何かあれば自分が悪者にされる。緑風子にその気が無くてもだ。
更に緑風子は本当に紛う事なく天才であり、その才能はお世辞抜きに当時の同門内でも最高であった。それは道術に留まらず、内功や点穴、書経や兵法の類も難なく習得していった。大師父が直弟子にしたいと思うのも道理だ。
年齢が近い事もあって、近くにいれば嫌でも比較された。
それが一方的な妬みである事は、鍾離灼自身もよく分かっていた。緑風子には何の悪意も嫌味もない。それが最も癪に障った。
そうして修行も終えようとしていた頃、師父である鍾離玄から出生の真実を聞かされた。自分こそが父親であると。
母である玉蘭と密通して子を孕ませたのは、他でもない鍾離玄であったのだ。
祖父・張陵が五斗米道を起こして名を馳せて、自身も宗家の巫女であった玉蘭としては、他宗派の道士と密通していたなどという事実を知られるわけにはいかなかった。
そして生まれた我が子を、偶然立ち寄った旅の道士を装って、善意で引き取る振りをしたのだという。
だが鍾離灼にとっては、父のその行動が許せなかった。それでは母を見殺しにしたも同然ではないかと。
感情のままに激しく詰め寄り罵った鍾離灼は、ふと気が付けば実父であり師父でもある鍾離玄を殺害していた。そして彼の逃亡生活が始まったのである。
もう家だの宗派だのに煩わされたくなかった。
どちらも不条理に虐げられ、頭を下げさせられた嫌な記憶しかない。何物にも縛られず、ただ自由に生きたかった。
だが師父殺しは大罪だ。当然のように求仙道から誅罰の為の追手が差し向けられる事になったが、それが正に彼の天敵である緑風子だったわけである。
あいつはいつも正しい側にいる。
こちらが逃げれば、どこまでも追いかけてくる。
こちらが攻めれば、その才能で全てを覆してくる。
いつでも、あの癪に障る涼しい笑顔で。
どうせこちらは最初から悪なのだ。
生まれ落ちた瞬間、母の命を奪った。
そうして親族から疎まれ、存在を悪とされた。
正直に生きようとしても悪とされた。
何よりも恩のある師父を、それも血を分けた実の父をこの手で殺している。そんなの誰がどう見ても悪でしかない。
ならばとことんまで、悪として生きてやる。
どんな手を使おうと構うものか。
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