眺めのよい城。

おんきゅう

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喫茶オオタ。

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大学の授業開始が来週に迫ったある昼下がり、僕は意を決して喫茶店の扉を開く。


求人情報誌や町を歩いて色々調べてはみたけど、やはり地元特有のお店は求人募集していない。だいたいコンビニかスーパーか工事 警備関係が主だ。もうこだわらずに適当に決めてしまうか、諦めかけたその時、お寺の参道で見た喫茶店の求人募集を思い出した。

いきなり電話して面接をお願いするのもアリだけど、まずはお店の雰囲気とか色々見ておきたいなと思い、次の日の昼に下見に行く事にした。これでも僕は高校時代にチェーン店から個人店まで、色々な喫茶店やカフェに入って勉強したり本を読むのが習慣だった。コーヒーの味にもちょっとうるさい。

翌日、僕は参道の喫茶店の前に立っていた。店の名前は「喫茶オオタ」時刻は11時半、開店時間ちょうどに到着。よかった、古ぼけた求人募集の張り紙もまだある。ドアにOpenと書いてある看板がぶら下がっているので、たぶん入っても大丈夫だろう。別に面接に来た訳でもないのに、なぜかちょっと緊張する。

意を決して店のドアを開けると木製なので「ギィィィ」と言う音がする。すると奥の方から

「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」

と奥の方から声が聞こえた、多分ここのマスターだろう。僕は参道が見える窓際の席に座る、店内はゆったりとしたJAZZがレコードで流れ、装飾品も椅子もテーブルも年代物、店の奥にはピアノが置いてある。店構えも店内もとても良い雰囲気でゆっくりと寛げそうだ、これは期待が高まる。

少しすると奥からマスター…ではなくウェイトレスの女の子がやって来た。歳は高校生くらいかな?ボブカットで華奢な身体に、サイズの合ってない大きめな店のエプロン、そして何より接客業にあるまじき不機嫌そうな表情。僕のテーブルに水とメニューを置いて

「ご注文は?」

え?今メニューを置いたばかりなのに?僕は急いでメニューを見て、注文しようとするが中々決まらない。大して種類はないのだけど、こう急かされるとなかなか決まらない。えっと…よし!これだと決めた瞬間、ハァと言うため息と共に

「決まったら呼んで下さい」

と言われサッサと奥に行ってしまった。…あれ?ひょっとして、この店ヤバい店かな?すぐに呼び出すのも何か気が引けるので、メニューをすみずみまで見てから、無難にカレーとホットコーヒーを注文した。

すると他のお客さんもやってくる、ウェイトレスは相変わらず不機嫌そうな顔で接客。別に僕だから不機嫌な訳ではなく、みんな平等に不機嫌顔なのだ。しかしこのお客さんは常連さんなのか、慣れた感じですぐに注文していた。

しかし出鼻を挫かれた、マスターは声だけ聴いた感じ普通の人そうだけど、あの不機嫌ウェイトレスと一緒に働くのはちょっと不安だな…。そんな事を考えていると、ウェイトレスが無言で僕のテーブルにカレーとホットコーヒーを置いていった。まぁとりあえず気を取り直して昼食にしよう。

先ずはコーヒーでも飲んで落ち着こうと、一口飲む…すると僕の頭いや舌に衝撃が走った。う…美味い!これは今まで飲んだコーヒーの中で一位二位を争う、いいやズバ抜けて一位だ!深みとコクが半端ない。淹れてくれたマスターの愛情が身体中に染み渡る、ん?まさかあのウェイトレスが淹れたとか…って、んな訳ないか。

僕は感動のあまり3杯もコーヒーをおかわりしてしまった。おかわりする度にウェイトレスの機嫌が悪くなっていく様な気もしたが、多分被害妄想だろう。

決めた!僕はここで働く、あの不機嫌ウェイトレスは不安だけど、僕の中で一番美味しいコーヒーを淹れてくれる店、この出会いはきっと何かの縁だ。再三呼び出してそろそろ怒られそうだが、勇気を振り絞りウェイトレスを呼んだ。

「…おかわりですか?」

「あの、店の外に貼ってある求人募集の紙をみたんですけど、まだ募集してますか?」

「…………は?」

「えーと、ここでアルバイトしたいんですが…」

するとウェイトレスは奥に行ってしまった。代わりに初老の男性、おそらくこの店のマスターらしき人当たりの良さそうな人が小走りでやってきた。

「アルバイト希望って聞いたんだけど、本当?」

「はい!実は今日は下見で来てて、良さそうなら電話でアポとってそれから…」

「あいやいや、そんな回りくどい事しなくてもいいよ。実は外の紙はもう一年以上貼りっぱなしなんだけど誰一人来なくてね。まさか来るとは思ってなくて驚いちゃったよ」

なるほど、故に年季が入ってたのか。

「正直今まで飲んだコーヒーの中で一番美味しくて、もうこれは入るしかないと思いまして」

「あはは、それは嬉しい事言ってくれるね。じゃあ早速だけど明日から来てもらえるかな?」

「え?明日から?」

「履歴書とかいらないよ、住所と電話番号くらい教えてくれれば、あっ!あと名前か」

「あっどうも、川上悠人です。この春から桜花大学に入学するので、東京から引っ越してきました」

「どうも、ここのマスターをやってる 太田喜一 です。桜花大学なの?じゃあウチの娘が今年桜花大2年になるから後輩になるね」

娘って…もしかしてあの不機嫌ウェイトレス?いやでもこの人当たりの良いマスターの娘さんだし、きっと違うよね。

「とりあえず明日は大丈夫かな?」
 
「はい、でも面接もせずに入れて頂いてよいのですか?」

「まぁ長年喫茶店のマスターやってると、その人となりは、ちょっと見ればすぐに分かるものなんだよ。悠人くんは生真面目だろ?なら合格だよ」

なんてアバウト…いや寛大なんだ。アルバイトは高校時代に何度か経験したが、こうもあっさり決まってしまうのは初めてだ。

帰り際、レジにはあの不機嫌ウェイトレスがいた。明日からここで働くんだし、とりあえず一言挨拶しておこう。

「えっと、明日からここで働かせて頂く事になりました川上悠人です。よろしくお願いします」

「ああ…入るんだ…太田優希…よろしく」

ん!ん!太田??って事はやっぱり…。


波乱の予感しかしない。






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