恋知らずの聖女は結婚のために竜を殺せとは言っていない!

丸みそ

文字の大きさ
20 / 23

20

しおりを挟む
 ブラン伯爵邸に到着するなり、ヴァールハイトは寝室にエレオラを放り込んでバタンと扉を閉めた。ハンナを筆頭としておろおろするメイドたちに、「明日朝まで誰も近寄らせるな」と言い置いて。

 鍵をかける音が、重々しく寝室に響く。ベッドに腰かけたエレオラは、涙の跡を拭うこともせず、ぼうっと壁を見つめていた。

(この後どうなるんだろう……)

 こんなの全然聖女エレオラじゃない。第一王子の執務室で泣いて、喚いて、子供みたいなわがままを言って。

(ヴァールハイトさまもきっと失望している。聖女エレオラの正体がこんなつまらない小娘だったなんて許せないでしょうし)

 邸の主であるヴァールハイトが命じた以上、この部屋には誰も近づかない。エレオラがどれだけ泣き叫んでも、助けの手は望めないだろう。

(明日の朝まで……長いな)

 分厚い雲に覆われた空はいよいよ暗黒色で、雨が寝室の窓一面を濡らしていた。雲の上には太陽があるはずだが、光の気配は少しも感じられなかった。

 ヴァールハイトが無言でエレオラに近づいてくる。二、三歩の距離をあけて立ち止まり、見開いた瞳をエレオラに据えた。

 視線が肌に突き刺さるようで、エレオラは喪服を膝で握りしめる。どんなことをされるのか想像もできない。死ぬほど苦しい目に遭わされたり、物みたいに扱われるのかもしれない。握った拳の内側が汗で滑った。

 ヴァールハイトが一歩足を踏み出す。びくりとエレオラの肩が揺れる。

 吐息混じりの笑い声が、頭上で空気を震わせた。

 それから、ヴァールハイトが礼礼しくエレオラの足元に跪いた。

「……ノインにひどいことはされなかったか?」
「え……?」

 予想だにしない問いかけに面食らう。ヴァールハイトは慎み深い手つきでエレオラの拳を開かせた。

「エレオラが泣いていたから」
「え、ええ」
「てっきり、あの男に何かされたかと」
「えっ、いえ、殿下は私の話を聞いてくださっただけなので。本当に無実です。濡れ衣です。……というか、もっと他に聞くべきことがあるんじゃないですか」
「何を?」

 怪訝げにヴァールハイトが首をひねる。エレオラは大きく息を吸い込んでから、一息に言った。

「こんな振る舞い、聖女エレオラらしくないんじゃないか、とか」
「そうだな。それで?」

 間髪入れずに返ってきた答えに、エレオラは目を丸くする。眼前の男はうっとり微笑んで、

「色んなエレオラが見られていいな。夫の特権だ」
「……ヴァールハイトさまは、聖女エレオラがお好みなのでは?」
「聖女エレオラはエレオラを語る上で欠かせない重要な要素だが、それは俺の手を及ぼしていい事象ではない。俺はただエレオラの行く道についていくだけだ」
(語るってなんだろう?)

 謎のコメントにこっそり首を傾げながらも、ここぞとばかりに畳みかけた。

「……では、ヴァールハイトさまは私の何がそんなにお気に召しているのですか?」
「覚えていないのか?」

 今度はヴァールハイトが目を見張る番だった。

「あなたが聖女になる前に、俺はエレオノーレ公爵邸であなたに会ったんだ。まだ公爵令嬢だったあなたに」
「……そうでしたか? 聖女になる前なら十年以上前ですか」
「十一年と五ヶ月前だ。エレオラは八歳で、俺は十三歳だった」
「はあ……」

 そんな幼い頃に、エレオラは一体何をしでかしたというのだろう。まるで記憶がない。
 ヴァールハイトは宙に視線を彷徨わせた。そこに過去を映し出そうとするように。

「俺はノインに付き従って公爵家の茶会に参加して……庭の隅の、イチイの木の下であなたと巡り逢った。——片翼の小鳥を両手に持ったエレオラに」
「ドーナツのことですか?」
「……ああ」

 ヴァールハイトが微妙な顔で首肯する。ぼそりと「……もう少しロマンチックな名前の方が良かったな……」と独りごちたが、エレオラの耳には届かなかった。

 エレオラは指先で唇をなぞり、ドーナツを拾ったときのこと呼び起こしていた。

 確か、茶会に飽きて庭を散策していた。そこでドーナツを見つけたのだ。

 片翼のうえ、巣から落ちて瀕死だった茶色の小鳥。放っておけなかった。死にそうな小さな生き物を庇護しようとするのに大した理由なんてない。

 その小さな体を両手のひらに収め、今にも指の間をすり抜けていきそうな温かさをどうにか保とうと必死になった。

「俺は言ったんだ。『じきにその鳥は死ぬ。生き延びても翼が欠けていれば生きている意味がない。殺してやった方がそいつのためだ』と」

 ——そうだ、何かショックなことを言われた。

 ドーナツを包む両手に影がかかって、幼いエレオラは泣きそうになってしまった。公爵令嬢として周囲に愛されて育った彼女に、意地悪を言ってくる者はいなかった。

 けれども、まだ手のひらには確かな重みがあったから。

 それを無意味とは思わなかったから。

「だが、エレオラは俺に言ったんだ」

 自分よりもずっと背の高い年上の男の子に、エレオラは言い返したのだ。

「『欠けていたって、そのまま生きてくれればいい』」

 ぽつりとこぼれた声に、ヴァールハイトが息を呑む。そのまま握りしめたエレオラの手を額に戴き、祈りを捧げるように告白した。

「それを聞いて——こんな人間に、所有されたら、幸せだろうと確信したんだ」

 声は熱にかすれていた。その指はかすかに震え、伏せた顔の下、どんな表情をしているのかは見えなかった。

 エレオラは返す言葉もない。手を強くとらえられたまま、その拘束をどこか心地良く感じているのが不思議だった。

 これは自分をとらえると同時に、目の前の男を縛めるものだったのだ、と腑に落ちる。この制御不能な剣の。いつ鞘走るか分からない呪われた刃の。

 ヴァールハイトが顔を上げ、エレオラの膝にこてんと頭をのせる。上目遣いに、

「エレオラには、俺が好きに生きているように見えるだろうが」
「えっ、違うんですか……?」
「違わないが」

 ヴァールハイトが憫笑を浮かべた。

「それでも、人と異なっていることくらいはさすがにわかるさ。俺と同じモノはどこにもいない。——だが」

 腕を差し伸べて、内緒話をするようにエレオラの頭を引き寄せる。雨音にかき消されてしまいそうなほど幽かな響きで、だが底には焼きつきそうな熱を湛えて、

「エレオラが教えてしまったんだ。そのままで生きていいと。だから責任を取ってくれ。一生手放すな」

 大きな手のひらがエレオラの頬を包んだ。相変わらず血に濡れたような瞳に、エレオラの顔が映っている。

 なんだかおかしくなって、エレオラは笑った。

 エレオラを庇護して、愛してくれる家族はもうどこにもいない。全員亡くなった。

 でも彼女の手には、それに似て、けれど決定的に違う何かが一つ、残されたらしい。もはや遙かな星の光すら届かない過去の日の報いが、ずっとエレオラの影について回るのだ。

 エレオラは人差し指をすっと立てて、ヴァールハイトの唇を押さえた。

 聖女エレオラは恋をしない。だからこの胸を震わせる衝動がなんなのか、言葉にしようがない。

 たった今、自分は不幸になろうとしているのかもしれない。母と同じように。

 それでももう、エレオラは知ってしまった。恋知らずの聖女エレオラは奇跡を起こせない。母の言葉の意味は永遠に分からない。死者は二度と正解を教えてはくれないから。

 だからエレオラは、自分のことは自分で決めていい。

「……いつかの先を教えてもらえますか。今度は、私から、あなたに口づけを返したいんです」
「はっ⁉︎」

 ヴァールハイトがぎょっと飛び上がる。大げさな反応に、エレオラの頬に赤みが差した。

「ええと、すみません。そういう雰囲気ではなかったですか?」
「いやそういう雰囲気だ。すぐにしてくれ」
「早……」

 ヴァールハイトは瞳孔の開ききった目でエレオラの顔を熟視している。視線が痛くて早口に頼んだ。

「目を閉じてもらえませんか?」
「嫌だ。エレオラがどんな顔でキスするのか見たい」
「この……」

 早くもやめたくなってきた。だが撤回はできないだろう。エレオラがためらったって、ヴァールハイトはしつこく口づけをねだるに違いない。そうだ、明日の朝まで二人には時間があるのだ。

 覚悟を決めて、触れるか触れないかの口づけを落とす。ぱっと身を離したところで、勢いよく体をベッドに沈められた。喪服の裾が翻る。ヘッドドレスがシーツの上に転がった。

「ちょっと⁉︎」
「全然足りない。挨拶でももっとちゃんとやるぞ」
「慣れてなくて……んぅっ」

 ヴァールハイトが覆いかぶさってきて、激しく口づける。初夜では同じようなことをされている。路地裏ではもっとひどくされた。でも、今までよりももっと深いところでつながれたような気がして、エレオラの吐息が甘く溶けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

聖女は秘密の皇帝に抱かれる

アルケミスト
恋愛
 神が皇帝を定める国、バラッハ帝国。 『次期皇帝は国の紋章を背負う者』という神託を得た聖女候補ツェリルは昔見た、腰に痣を持つ男を探し始める。  行き着いたのは権力を忌み嫌う皇太子、ドゥラコン、  痣を確かめたいと頼むが「俺は身も心も重ねる女にしか肌を見せない」と迫られる。  戸惑うツェリルだが、彼を『その気』にさせるため、寝室で、浴場で、淫らな逢瀬を重ねることになる。  快楽に溺れてはだめ。  そう思いつつも、いつまでも服を脱がない彼に焦れたある日、別の人間の腰に痣を見つけて……。  果たして次期皇帝は誰なのか?  ツェリルは無事聖女になることはできるのか?

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

処理中です...