【完結】失くした記憶と愛の紋章

日車メレ

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森の中の拾いモノ1

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 魔法使いの伴侶は特別だ。
 儀式でつながり、互いの力を高め合うことができるのだから。
 伴侶を得た魔法使いは強い。
 真の力を手に入れたいのなら、その身に『紋章』を刻め。
 だが、決して忘れてはいけない。
 互いの心が離れれば、その『紋章』は互いの心身をむしばみ、やがて死をもたらす。『契約の紋章』は諸刃の剣――――。


***


 非正規《もぐり》の魔法使い、さらにその見習いの仕事はかなりの重労働だ。何でもすぐに魔法で解決できると思ったら大間違い。魔法とは、無から有を生み出すものではない。基本的には何かの効能を高めたり、能力を高めたり、必ず基となるものが必要なのだとロゼッタの母は口が酸っぱくなるほど彼女に言う。

 彼女が住んでいるレストリノの町から、往復すると半日では帰れないほど森の奥深くまで歩き、ロゼッタは今日もいろいろな材料を集めて回る。
 木の実やキノコ、森でしか採れない薬草を見極め、腕にさげているバスケットに手際よく入れていく。
 ロゼッタが山歩き用の丈夫なブーツで踏みしめる度、深く積み重なった落ち葉がサクサクと小気味のいい音を立てる。
 森を通り抜ける秋の風は少し強く、彼女の前髪を揺らす。けれど細かく編み込んでから綺麗にまとめられている灰色の髪がひどく乱れることはない。

 彼女が危険な森を一人で歩けるのも魔法のおかげだ。深い森は熊やオオカミなど危険な動物の住処でもある。母が作ってくれた動物よけのお守りの効果で、彼女は今日も安全に森を歩くことができる。
 お守りは丸い小さな水晶に母が魔力を込めたもので、本来透明なはずの石がラピスラズリのように青く染まっている。これは母の魔力の色で、魔力を込めた水晶は、それを作った魔法使いの瞳の色に影響され、変色するのだ。
 ロゼッタも母と同じ深い青色の瞳を持つので、彼女が魔力を込めても同じようになる。ただし、まだ半人前のロゼッタには繊細な作業が必要なお守りは作れない。
 実は、炎を出したり風を起こしたり、他人を攻撃するための魔法より、お守りのような補助魔法の方が加減が難しい。魔法使いとしての能力が一番試される部分なのだ。
 だから今日もこうして母の作ったお守りを首からぶら下げてロゼッタは森を歩く。

 ロゼッタのいるこの場所は二つの山に囲まれた峡谷きょうこくのような地形になっていて、間には川が流れている。彼女が川の付近の湿った土を好む薬草を採ろうと、流れの早い水に注意しながら近づいたとき、遠くで大きな音がした。直後に何かが水の中に落ちるドボンという音が聞こえ、複数の男の声や馬の鳴き声も響く。ロゼッタは音のする方向をじっと見る。

「――――落ちたぞ! 追え、逃がすな!!」

 ひときわ大きな声が響く。この峡谷の上には、町から西部に抜けるための街道があるので、そこで誰かが騒いでいるのだということは彼女にもすぐにわかる。

「ちっ! ここからは下りられない! 回り込め!!」

 明らかに関わりたくない相手が近づいてくる予感に、彼女は震えあがる。相手は山賊かなにかで、被害者が崖から落ちたのかもしれない。ロゼッタにはそうとしか思えなかった。
 どうしようかと考えあぐねていたところに、川上の方から「被害者」と思われる人物が流れてくるのが見えた。体の大きさや、髪の長さから男性のようだ。その男性が川岸の大きな岩に引っ掛かるように止まっている。

(し、死んじゃってる……?)

 一瞬、彼女はそう思ったが、男はまだ微かに動いていた。彼女は慌てて、自分の外套がいとうとブーツを脱いでから、躊躇ためらわずスカートの裾をたくし上げ、川の中の男を引っ張りあげようとした。
 水にぬれ、ほぼ意識のない状態の男を引き上げるのは彼女が思っていたよりも難しく、気がつけばロゼッタの服にも水が染み込み重くなっていた。

「お、お兄さん。起きて! ここにいたら死んでしまうわ!! この森で死なれたら、明日から怖くて一人で来られないじゃない」
「……くっ!」

 まだ冬ではないが、川の水は冷たく、容赦なく二人の体温を奪う。彼を傷つけた連中がいつ回り込んでこの場所に現れるかわからない。彼らがこの場所へたどり着く前に、自分だけ逃げてしまいたい衝動に駆られるロゼッタだが、放置すれば確実に死んでしまうこの男性を、このままにすることは、それ以上に怖かった。

 ずぶぬれになりながら、後ろから両脇を抱えるようにして何とか川から引きずり出し、乾いた落ち葉の上まで移動する。
 助けた男は、二十代中頃のように見える青年で、耳に少し掛かる長さの金髪と鍛えられた肉体の身なりのいい人物だった。
 彼がしっかりと呼吸をしていることを確認したロゼッタは、ぬれた服をどうにかしようと青年の外套がいとうに手を伸ばす。彼の外套はやぶれ、腹部は薄紅色に染まっている。それは水中で洗い流された彼の血だった。

「怪我をしているわ……」

 その時、うっすらと男が目を開け、外套に伸ばしていたロゼッタの手をつかんだ。彼の手は冷たく、そして震えている。
 ほとんど開かないまぶたを苦しそうな表情を浮かべたままこじ開け、彼は必死に何かを伝えようとする。少しだけ開かれた瞼の奥に見える澄んだ瞳の色は、空のような明るい青だった。

「に、にげ……ろ。……て、き……」

 紫色に変色した唇が、震えながら必死にロゼッタにそう訴える。「敵が来るから逃げろ」彼はそう訴えているのだろう。
 肩で大きく息をしながら、必死にロゼッタを危険から遠ざけようとする彼を放っておくことは、彼女にはできないことだ。

「ちょ、ちょっと困るわ。ここは私の仕事場なんだから……しっかりしてください。私はこう見えても魔法使いなんだから心配してくれなくて結構です。人のことより自分が助かることを考えてよっ!」

 ロゼッタも本当は恐ろしくて仕方がない。相手は複数で、明らかにこの青年を殺そうとしているのだ。青年を安心させるために、そして自分自身の恐怖を振り払うために、彼女は強い口調でそう言った。

 複数の人間が落ち葉を踏みしめる音が近づいてくる。

 母の作ったお守りは、人の気配を森に溶け込ませるものだ。森の中であれば野生の動物でも人間でも、お守りを持つ者を認識しづらくなる。
 ただし、二人分の気配を消せるかどうか試したことはない。そして、認識しづらくなるだけで本当に見えなくなるわけではない。大きな声を出したり、実際に触れられたりした場合は見つかってしまうのだ。

 ロゼッタはまだ名前も知らない青年に覆い被さり息を潜める。

「川を探せ!」

 どんどんと近くなる足音に、ロゼッタの心臓は張り裂けそうなほど激しく鼓動を刻む。そんなはずはないが、心臓の音で襲撃者に気づかれてしまうような気さえするのだ。

「おい! ここに跡が……」
「くそっ、まだ死んでないのか!」

 襲撃者は川岸にあった人のい出た痕跡に気がついてしまった。すぐ近くにいる襲撃者が自分たちの存在に気づいてしまわないか――――動揺するのは逆効果だとわかっているのに体の震えを止めることができない。彼女はぎゅっと目を閉じて恐ろしさで荒くなる息を必死に押し殺す。

「もっと下流を探せ!」

 数人の男たちの中で、指示を出す男の姿がロゼッタの視界に入る。

(騎士……? ……嘘だ、だって……)

 外套がいとうを羽織っているが、彼らの服装は明らかに民間人のものではなかった。指示を出している人物は黒髪の青年で、かなり大柄な、がっしりとした人物だ。

(じゃ、じゃあ……。この人が犯罪者で、私はそれを助けてしまった?)

 そう考えると、サーっと体から血の気がせ、冷や汗が出る。ロゼッタに対し、逃げろと言った青年は被害者ではなくて犯罪者。だとしたら、今すぐ声をあげて騎士たちにこの青年を引き渡すべきだ。

(どうしよう……)

 さっきまで怖いとは思わなかった金髪の青年のことが、ロゼッタには途端に恐ろしく思えた。けれども、正体のよくわからない騎士たちも彼女にとっては同様に恐ろしい存在だ。ロゼッタにやましいことなどないのだが、青年をかくまっているし、何より彼女は非正規の魔法使いなのだ。普段は見逃されている彼女のような存在だが、正規の魔法使いからすれば面白くない存在だ。正直に話しても信じてもらえず、共犯者にされてしまいそうな予感がして、彼女はどうしても声を上げることができず、ただ時間だけが過ぎた。

 息を潜め、ロゼッタが動かずにいると、騎士たちは下流の方へ移動し、やがて姿が見えなくなる。
 完全に気配が遠ざかるのを待って、ロゼッタは青年から離れる。青年の息は弱々しく、ぬれた衣服は彼から熱を奪う。このままでは死んでしまうだろう。

「……あなたは悪い人?」

 青年はロゼッタの問いには答えられなかった。
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