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手にした戦果
いのちを掌るひと
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リロイが領地ロードに戻ったのは、畑にライ麦のすきこみが終わったあたりだ。
これから春小麦を蒔くという時期に領主は帰ってきた。
いつもなら両手を広げて迎え入れる。
そのついでに種の入った大袋を任せる。それが通常の春先の光景だ。
ところが今回、農務長の手はつけていた帳簿を取り落とした。
「リロイ様、どこをケガしたんだ」
都の方へ続く主門から帰ってきたようである。
武具を預かった従者たちがおろおろしていた。
この様子では農作業をしている領民たちも動揺しているに違いない。
トゥーレは畑の方を見やった。
リロイはこの種まきで忙しい時期に小競り合いに駆り出された。
兵士は都に待機させてある者を連れて行くから領地の方はなんとかなる。
ひと月ほどで帰れると思う。
そう言って出発して行ったのは二週間前だ。
「……」
土埃の色になってしまった馬の首を撫でながらリロイは黙って右腕を示した。
自分も荒地の砂塵を浴びていて、布で覆われていない目はまつ毛が砂でできているようになっている。
「すぐに館へ連れていく。
武具は兵舎で洗って手入れしてくれ」
トゥーレは山間の小さな国で兵士をしていた経験があった。
素早く指示をするとリロイの前に割り込んで騎乗する。
「……都で、処置をしてもらっています……」
頭の後ろからくぐもった声が報告した。
「ただの小競り合いって言ってただろう。
そんなに強い敵が混じってたのか」
「いえ、これは将軍が」
その答えに、トゥーレは苦く瞬きする。
「獣め」
周辺国での評判が悪い人物だ。
領主の館に着くとすぐに人を呼んだ。
大柄なリロイを運ぶのは人手がいる。
農繁期に力持ちの欠員が出た。
ロードは昔から、領主は商談のために外へ出かけていることが多い。
しかしいれば頼りにされるもの。
柱が折れたような心地に領民は動揺した。
領民に見舞われるたびにリロイは申し訳なさそうだった。
荷馬車くらいなら、手伝える。
そう言って若干震える手で手綱を握ったのは二日後のことだ。
「無理すんな」
兵舎で一緒に育った仲間が呆れて忠告する。
「剣士が剣を振り上げられなくなったら引退だぞ」
「手綱は左手でひく。気がまぎれるから、こっちの方がいい」
大きさの違う腕を隠すように肘まで布地があるフードを着けていた。
天気の穏やかなこの日は帽子を後ろに落としている。
赤褐色の瞳がお願いだから手伝わせてと訴えた。
図体がでかいくせに、子どものような丸い目で見てくる。
少し年上の仲間たちは困ってため息をついた。
小さい頃から知っているのでたちが悪い。
比較的軽い花の出荷時期でもあった。
気をつけるように言って彼らはリロイを送り出した。
国土の半分以上が荒地。
それがリロイの住むアレスティアだ。
荒地の特産品は蘭科の作物である。
果物や甘味料だ。
それにしたって大した市場ではない。
リロイの治めるロードも半分は荒地だ。
あとの半分は土の豊かな地域が広がる。
この領地はアレスティアに出回る小麦の大半を担っていた。
畑の先はすぐに国境の森だ。
ちゃんとしまっているのを見たことがない門を通って隣国ガエルに入る。
美しい山道を下った。
まだ春先の茶色い木々。
木の芽の芽吹く気配を感じながらゆっくり馬を進める。
山道が合流するあたりに人影があった。
後ろ姿は小さな男の子に見える。
この辺りの道はすべて市場の国ガエルの中心地へ続いている。
その人影も目的地は同じはずだった。
近づくと頭で何か光るのが分かる。
髪飾りだ。
少年ではなく小柄な女性か。
リロイは関所までの道のりを見やった。
徒歩で行くのは大変そう。
「乗って行かれますか? 市場まで行くのでしょう?」
追いついたところで声をかけた。
「えっ?」
驚いて降り仰いだその人は、リロイを見てしばし動きを止める。
「ああ、……すみません。突然声をかけて」
小柄な人だ。
上から話しかけるリロイにはひと一倍威圧感を感じるかもしれない。
リロイは苦笑して頭を下げた。
「私はロードの者で、今から市場に向かうところです。
方向が同じだからあなたも市場に用事があるのだと思って。
徒歩は大変でしょう? ついでなので一緒に行きませんか」
辺りを見回した彼女は不思議そうに尋ねる。
「私が見えている?」
「……見えますよ?」
戸惑ったリロイは左手を伸ばした。
「もしかして、人ではないのですか?」
彼女の周りに何か触れる。
霧のようにひんやりしたものだ。
なんだろうと思う間にそれはリロイの手に吸い込まれるように消える。
「人間です」
リロイの手を握って、彼女は答えた。
そのまま軽い動作で御者席に飛び乗る。
リロイを押しのけて座ったその人はにこっと笑った。
「私はヘイデンの魔法使い。ディアドラです。
あなたの言う通り、市場へ向かう途中でした」
それからリロイの右腕に目を移す。
「私が使うのは地の精霊の力を借りた治癒の魔法です。
交通費代わりに、その腕を治しましょうか? ……ロードの…」
「リロイです」
「馬から落ちでもしたのかしら」
ディアドラは手際よくフードを除けて腕を吊っている布を解いた。
随から響いてくる痛みにリロイが顔を歪める。
症状を説明してくれるのを聞いていた。
足元から何かが伝ってくるような感覚がある。
見ると御者台の足置きに紋様が浮かんでいた。
そこから魔法が伝わってくる。
「骨つぎにしかかかってないでしょう。
見せたのは一回きり。一週間以内ですね」
ディアドラは言い当てた。
「大きな骨が折れると、その周辺も負傷しているものなの。
周辺ばかりでなく、肘や肩も確かめなくては。
数年後には腕が動かなくなりますよ」
楽になっている。
腫れが少し引いた。
残っていた違和感もない。
「すごいですね……!」
目を輝かせたリロイが右腕を動かそうとするのを、ディアドラは制止した。
「ダメです。完治したとは言ってない」
手綱を掴もうとする手を阻む。
再び布で腕を吊りにかかった。
だいぶ楽なのでもう治ったような気がする。
「あなたは剣士なの? 魔法も使えるようだけど」
「剣士ですが、魔法は使えません」
馬に進むよう命じてリロイは答えた。
ディアドラはびっくりしたような顔でリロイを見下ろす。
当て布を整えるとすとんと御者席に腰を落とした。
「私が魔法使いだなんて、どうしてそんなこと思ったんですか?
母も父も騎士です。魔法なんて縁がない家ですよ」
「そう? 魔法使いは呪文を唱える者ばかりではないのですよ?
リロイの魔法は、なんというか、動かない魔法……」
一生懸命に分かりやすい説明を考えているようだ。
ディアドラの黒い瞳がくるくると動く。
その猫のような動きにリロイは笑みを結んだ。
「アレスティアで見る魔法使いといえば、都の占い師くらいです。
剣士の中に魔法使いがいたとしても秘密にするでしょうね」
そんなことを知られたら実力で強くなったわけではないと中傷される。
そもそも剣士が使う魔法というのが想像できなかった。
「誰もリロイに教えなかったの?
あなたは魔力を持ち、魔法が使える。
先ほど私の従僕を消し去ったでしょう?」
「いつです?」
リロイは丸い目を大きくして記憶を辿る。
そんなことをした覚えがなかった。
ディアドラが目を瞬かせる。
人差し指を天に向けるとその先に蝶が現れた。
「魔物……」
普通の生き物ではないのに気づいてリロイは少し身を引く。
「先ほど私はこれと同種の蝶に命じて姿を隠していました。
あなたはそれを見破ったばかりか、消し去ったんです」
「偶然でしょう? 私はそれと思ってしたことではありません」
「傷を癒した時に分かりましたよ。
リロイは魔力を持っていて、魔法が使える」
確信を持ったディアドラの言葉にリロイは黙った。
彼女の指先から蝶が消える。
「知らないだけ」
その言葉には、導くような力を秘めた強さがあった。
これから春小麦を蒔くという時期に領主は帰ってきた。
いつもなら両手を広げて迎え入れる。
そのついでに種の入った大袋を任せる。それが通常の春先の光景だ。
ところが今回、農務長の手はつけていた帳簿を取り落とした。
「リロイ様、どこをケガしたんだ」
都の方へ続く主門から帰ってきたようである。
武具を預かった従者たちがおろおろしていた。
この様子では農作業をしている領民たちも動揺しているに違いない。
トゥーレは畑の方を見やった。
リロイはこの種まきで忙しい時期に小競り合いに駆り出された。
兵士は都に待機させてある者を連れて行くから領地の方はなんとかなる。
ひと月ほどで帰れると思う。
そう言って出発して行ったのは二週間前だ。
「……」
土埃の色になってしまった馬の首を撫でながらリロイは黙って右腕を示した。
自分も荒地の砂塵を浴びていて、布で覆われていない目はまつ毛が砂でできているようになっている。
「すぐに館へ連れていく。
武具は兵舎で洗って手入れしてくれ」
トゥーレは山間の小さな国で兵士をしていた経験があった。
素早く指示をするとリロイの前に割り込んで騎乗する。
「……都で、処置をしてもらっています……」
頭の後ろからくぐもった声が報告した。
「ただの小競り合いって言ってただろう。
そんなに強い敵が混じってたのか」
「いえ、これは将軍が」
その答えに、トゥーレは苦く瞬きする。
「獣め」
周辺国での評判が悪い人物だ。
領主の館に着くとすぐに人を呼んだ。
大柄なリロイを運ぶのは人手がいる。
農繁期に力持ちの欠員が出た。
ロードは昔から、領主は商談のために外へ出かけていることが多い。
しかしいれば頼りにされるもの。
柱が折れたような心地に領民は動揺した。
領民に見舞われるたびにリロイは申し訳なさそうだった。
荷馬車くらいなら、手伝える。
そう言って若干震える手で手綱を握ったのは二日後のことだ。
「無理すんな」
兵舎で一緒に育った仲間が呆れて忠告する。
「剣士が剣を振り上げられなくなったら引退だぞ」
「手綱は左手でひく。気がまぎれるから、こっちの方がいい」
大きさの違う腕を隠すように肘まで布地があるフードを着けていた。
天気の穏やかなこの日は帽子を後ろに落としている。
赤褐色の瞳がお願いだから手伝わせてと訴えた。
図体がでかいくせに、子どものような丸い目で見てくる。
少し年上の仲間たちは困ってため息をついた。
小さい頃から知っているのでたちが悪い。
比較的軽い花の出荷時期でもあった。
気をつけるように言って彼らはリロイを送り出した。
国土の半分以上が荒地。
それがリロイの住むアレスティアだ。
荒地の特産品は蘭科の作物である。
果物や甘味料だ。
それにしたって大した市場ではない。
リロイの治めるロードも半分は荒地だ。
あとの半分は土の豊かな地域が広がる。
この領地はアレスティアに出回る小麦の大半を担っていた。
畑の先はすぐに国境の森だ。
ちゃんとしまっているのを見たことがない門を通って隣国ガエルに入る。
美しい山道を下った。
まだ春先の茶色い木々。
木の芽の芽吹く気配を感じながらゆっくり馬を進める。
山道が合流するあたりに人影があった。
後ろ姿は小さな男の子に見える。
この辺りの道はすべて市場の国ガエルの中心地へ続いている。
その人影も目的地は同じはずだった。
近づくと頭で何か光るのが分かる。
髪飾りだ。
少年ではなく小柄な女性か。
リロイは関所までの道のりを見やった。
徒歩で行くのは大変そう。
「乗って行かれますか? 市場まで行くのでしょう?」
追いついたところで声をかけた。
「えっ?」
驚いて降り仰いだその人は、リロイを見てしばし動きを止める。
「ああ、……すみません。突然声をかけて」
小柄な人だ。
上から話しかけるリロイにはひと一倍威圧感を感じるかもしれない。
リロイは苦笑して頭を下げた。
「私はロードの者で、今から市場に向かうところです。
方向が同じだからあなたも市場に用事があるのだと思って。
徒歩は大変でしょう? ついでなので一緒に行きませんか」
辺りを見回した彼女は不思議そうに尋ねる。
「私が見えている?」
「……見えますよ?」
戸惑ったリロイは左手を伸ばした。
「もしかして、人ではないのですか?」
彼女の周りに何か触れる。
霧のようにひんやりしたものだ。
なんだろうと思う間にそれはリロイの手に吸い込まれるように消える。
「人間です」
リロイの手を握って、彼女は答えた。
そのまま軽い動作で御者席に飛び乗る。
リロイを押しのけて座ったその人はにこっと笑った。
「私はヘイデンの魔法使い。ディアドラです。
あなたの言う通り、市場へ向かう途中でした」
それからリロイの右腕に目を移す。
「私が使うのは地の精霊の力を借りた治癒の魔法です。
交通費代わりに、その腕を治しましょうか? ……ロードの…」
「リロイです」
「馬から落ちでもしたのかしら」
ディアドラは手際よくフードを除けて腕を吊っている布を解いた。
随から響いてくる痛みにリロイが顔を歪める。
症状を説明してくれるのを聞いていた。
足元から何かが伝ってくるような感覚がある。
見ると御者台の足置きに紋様が浮かんでいた。
そこから魔法が伝わってくる。
「骨つぎにしかかかってないでしょう。
見せたのは一回きり。一週間以内ですね」
ディアドラは言い当てた。
「大きな骨が折れると、その周辺も負傷しているものなの。
周辺ばかりでなく、肘や肩も確かめなくては。
数年後には腕が動かなくなりますよ」
楽になっている。
腫れが少し引いた。
残っていた違和感もない。
「すごいですね……!」
目を輝かせたリロイが右腕を動かそうとするのを、ディアドラは制止した。
「ダメです。完治したとは言ってない」
手綱を掴もうとする手を阻む。
再び布で腕を吊りにかかった。
だいぶ楽なのでもう治ったような気がする。
「あなたは剣士なの? 魔法も使えるようだけど」
「剣士ですが、魔法は使えません」
馬に進むよう命じてリロイは答えた。
ディアドラはびっくりしたような顔でリロイを見下ろす。
当て布を整えるとすとんと御者席に腰を落とした。
「私が魔法使いだなんて、どうしてそんなこと思ったんですか?
母も父も騎士です。魔法なんて縁がない家ですよ」
「そう? 魔法使いは呪文を唱える者ばかりではないのですよ?
リロイの魔法は、なんというか、動かない魔法……」
一生懸命に分かりやすい説明を考えているようだ。
ディアドラの黒い瞳がくるくると動く。
その猫のような動きにリロイは笑みを結んだ。
「アレスティアで見る魔法使いといえば、都の占い師くらいです。
剣士の中に魔法使いがいたとしても秘密にするでしょうね」
そんなことを知られたら実力で強くなったわけではないと中傷される。
そもそも剣士が使う魔法というのが想像できなかった。
「誰もリロイに教えなかったの?
あなたは魔力を持ち、魔法が使える。
先ほど私の従僕を消し去ったでしょう?」
「いつです?」
リロイは丸い目を大きくして記憶を辿る。
そんなことをした覚えがなかった。
ディアドラが目を瞬かせる。
人差し指を天に向けるとその先に蝶が現れた。
「魔物……」
普通の生き物ではないのに気づいてリロイは少し身を引く。
「先ほど私はこれと同種の蝶に命じて姿を隠していました。
あなたはそれを見破ったばかりか、消し去ったんです」
「偶然でしょう? 私はそれと思ってしたことではありません」
「傷を癒した時に分かりましたよ。
リロイは魔力を持っていて、魔法が使える」
確信を持ったディアドラの言葉にリロイは黙った。
彼女の指先から蝶が消える。
「知らないだけ」
その言葉には、導くような力を秘めた強さがあった。
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