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春めく日
早春の森へ
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異変が起こったのは、夕刻だった。
シェリーが疲れを理由に食事を断った。
レイが様子を窺いにきて、悟られてしまった。
「アリア」
シェリーの部屋で、シェリーに似た声で、外の者と会話していたのは本の精霊だった。
バレてしまっては仕方ない。
アリアはレイをこっそり部屋に入れた。
どんぐりの葉の帽子を被った精霊は、気まずい顔をしている。
「何があった」
声をひそめて尋ねた。アリアも小さな声で会話する。
「シェリーがひとりでに茶色い小猿の姿に変わってしまいました。
自分がどうなっているか認識する前に外へ出て行きました。
いま頃気づいてびっくりしていると思います。勝手に出てきてしまったと」
「なぜ変じた」
「推測になりますが、無意識でしょう。
グラントについて森に行きたかったのだと思われます」
「グラントのいる場所は分かっている?」
「当てずっぽうです。グラントは森を把握していますが。
シェリーは街路もまだ覚えきっていません」
「自分で変じたなら、自分で戻れるか?」
「コツがわかれば、ではないでしょうか。
初めて自分の意思で発動したのです。何になったのかも知らないのでは」
アリアは説明書を読んでいたはずだった。
「魔法の説明書に戻り方はないのか?」
「随意で変わった時は、好きな時に戻れるはずなんです。
けれどシェリーは自分の姿を見たことがありません。
イメージがつかないのではないでしょうか」
魔法を使う時には「どのように」とはっきり思い描く。
それが大切なのだとグラントが言っていた。
魔力は仕事机。杖はペン。魔法は紙。
グラントはそのようなイメージで魔法を扱っている。
レイは束の間黙った。
「アリア、重責だとは思うが、このままシェリーのフリをしよう」
この判断でいいのか自信はなかった。
「私はジェロディに手立てを聞いてみる。
一人で頑張れるか」
「はい。やります」
アリアがクローゼットからシェリーの羽織ものを持ってきた。
それを被ってカウチの上に擬態する。
「外のことはお任せします」
レイは家人に朝までそっとしておくよう言ってから館を出た。
シェリーの方は、森まではちゃんとたどり着いていた。
ずいぶん小さいが、ちゃんと手のある獣になっている。
身軽に動くことができた。
何に変わったのかは分からないが出てきてしまった。
木の上から辺りを見回す。
一番近くの煙が立っている場所に行ってみようと思った。
なぜ獣に変じたのかは理解していない。
ケリーのように一緒に行けたらと思っていた。
いつの間にか目が見えるようになっていた。
獣になったのだと驚いた。
体は自由に動く。
しげみから様子を見ると、グラントではないと分かった。
近くの領地の貴族のようである。
従者を3人連れて狩りをしていた。
囲炉裏の近くには鳥籠が置いてある。
もう一度野営の煙を探そうと、シェリーは木を登り始めた。
「おとなしい猿だなあ。子どもか?」
突然間近にそんな声がする。
体を掴まれて、みるみる木から離れた。
「かわいいな。市場から逃げてきたんだろう?
北の国にはいない動物だ」
男性だった。毛糸の帽子を被っている。
好奇心をたたえた目でシェリーを見た。
「キアに持って帰ろう。見たことない猿だ。
きっと喜んでくれる」
彼は従者の一人に小猿を預ける。
余っていた毛皮でくるくると巻かれ、シェリーは鳥籠に入った。
黒い羽が多い鳩と目が合う。
止まり木の上から睨み下ろされた気がして、端に後ずさった。
困った。
夜に近づくにつれ凍えるように寒い。
初め、姿が変わってしまった時は意識がぼうっとしていた。
ふわふわしたまま、天井近くの装飾品をたどって外に出てしまったのだ。
気がついた時に引き返すべきだったか。
できると思ってしまった。
きっとグラントやケリーのいるところに行けると。
ミツバチの巣は風通しが良くて木が密集しているところにある。
本で読んだ。
そういうところを探せばグラントもすぐ見つかる。
安易だった。
「おまえ、魔法使いだね?」
鳩が口をきく。
人間たちは鳥籠を離れて獲物を探しに行ってしまった。
「怖がらなくていいよ。
俺はユスフ。魔物の鳥だが、俺を飼っている人間たちはただ長生きな鳩だと思っている。
おまえをつかまえたのはこの近くに住む貴族だよ。
ジョニール公クラルスの息子でシャニという。
意地悪ではないが、少々傲岸なんだ。相手の事情を慮れない。
おまえの名は」
話せる。
そのことにシェリーは少し安心した。
「シェリーです。魔法は最近授かったばかりで、今日もなぜ変化したのか」
「師匠はいないのか? 大した魔力でもないから習ってもいない?」
「その、魔法を授けてくれた友だちを追って森に来ました」
「友だちに? 魔法をくれる友だちとは」
鳩のユスフは嘴を大きく開く。
「そいつも魔法使いなんだろうが、魔法を授ける魔法使いなんて初めて聞いた」
「彼の精霊の力です」
「へえ……。そんな奴が表立って出てきたら、行列ができそうだが」
グラントはできるだけ目立たないように生きていた。
シェリーにエニを会わせたのは、助けようとしてのこと。
「では、こんなところに閉じ込められていては、困るんだな」
ユスフは丸い目を瞬かせる。
シェリーは大きく頷いた。
「しかし、猿は寒さに弱い生き物のはずだ。
一人でうろうろするのも結局危ない。
そいつは何をしに森へ来た。どれほどの時間いる?」
「蜜蝋を得るために、蜂の巣を探しに来ました。
森へ入ったのは昼過ぎ。一晩いる予定です」
「シャニは夜半までには館へ帰る。
その前に俺を使いに出してくれれば……。
そいつを探してシェリーのことを教えられるかもしれないよ」
小猿の瞳が輝く。感謝に堪えない光を見て、ユスフは笑った。
「精霊使いか? 精霊の気配を辿れば会えるかな」
「グラントは精霊も従えていますが、魔法も使っていると思います」
「使っている精霊は何だ」
「たくさんいます。砦の精霊と、家事の精霊はここでも呼び出しているのではないかしら」
「他にもいる?」
「はい。全部で、ええと……」
小猿は小さな指を折り折り数える。
「8つ」
ユスフがぎょっとした。
「精霊を呼び出す以外の魔法は強くないとか?」
「強いです。訓練された兵士を跳ね飛ばしたり。
門より大きな雪だるまを作るのは、……すごいですか?」
「まあ、器用だな」
ユスフは人物像が掴めずにしきりと首を傾ける。
「どんな外見をしている?」
シェリーは困って口を閉じた。
グラントの姿を見たことはない。
彼の幻に彼自身は出てこないのだ。
背が高いことは分かる。ゆっくりとした話し方をする。
性格もきっと優しい。大はしゃぎする精霊たちにも大きな声をあげない。
「私は人間の姿の時、目がはっきりと見えません。
グラントを見たことがないのです」
ユスフの首がはたと止まった。
「背が高くて、黒髪と聞いています。
あまり笑わない人だとも。
……そうだ。長い杖を持っています。黒い石のついた杖」
「精霊に囲まれて、長い杖を持っている黒髪の魔法使いだな。
心許ないが、おそらく見つけ出せるだろう」
ユスフは足の管を見る。
「キアに手紙を書いてくれるよう祈るばかりだ」
シェリーが疲れを理由に食事を断った。
レイが様子を窺いにきて、悟られてしまった。
「アリア」
シェリーの部屋で、シェリーに似た声で、外の者と会話していたのは本の精霊だった。
バレてしまっては仕方ない。
アリアはレイをこっそり部屋に入れた。
どんぐりの葉の帽子を被った精霊は、気まずい顔をしている。
「何があった」
声をひそめて尋ねた。アリアも小さな声で会話する。
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自分がどうなっているか認識する前に外へ出て行きました。
いま頃気づいてびっくりしていると思います。勝手に出てきてしまったと」
「なぜ変じた」
「推測になりますが、無意識でしょう。
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「グラントのいる場所は分かっている?」
「当てずっぽうです。グラントは森を把握していますが。
シェリーは街路もまだ覚えきっていません」
「自分で変じたなら、自分で戻れるか?」
「コツがわかれば、ではないでしょうか。
初めて自分の意思で発動したのです。何になったのかも知らないのでは」
アリアは説明書を読んでいたはずだった。
「魔法の説明書に戻り方はないのか?」
「随意で変わった時は、好きな時に戻れるはずなんです。
けれどシェリーは自分の姿を見たことがありません。
イメージがつかないのではないでしょうか」
魔法を使う時には「どのように」とはっきり思い描く。
それが大切なのだとグラントが言っていた。
魔力は仕事机。杖はペン。魔法は紙。
グラントはそのようなイメージで魔法を扱っている。
レイは束の間黙った。
「アリア、重責だとは思うが、このままシェリーのフリをしよう」
この判断でいいのか自信はなかった。
「私はジェロディに手立てを聞いてみる。
一人で頑張れるか」
「はい。やります」
アリアがクローゼットからシェリーの羽織ものを持ってきた。
それを被ってカウチの上に擬態する。
「外のことはお任せします」
レイは家人に朝までそっとしておくよう言ってから館を出た。
シェリーの方は、森まではちゃんとたどり着いていた。
ずいぶん小さいが、ちゃんと手のある獣になっている。
身軽に動くことができた。
何に変わったのかは分からないが出てきてしまった。
木の上から辺りを見回す。
一番近くの煙が立っている場所に行ってみようと思った。
なぜ獣に変じたのかは理解していない。
ケリーのように一緒に行けたらと思っていた。
いつの間にか目が見えるようになっていた。
獣になったのだと驚いた。
体は自由に動く。
しげみから様子を見ると、グラントではないと分かった。
近くの領地の貴族のようである。
従者を3人連れて狩りをしていた。
囲炉裏の近くには鳥籠が置いてある。
もう一度野営の煙を探そうと、シェリーは木を登り始めた。
「おとなしい猿だなあ。子どもか?」
突然間近にそんな声がする。
体を掴まれて、みるみる木から離れた。
「かわいいな。市場から逃げてきたんだろう?
北の国にはいない動物だ」
男性だった。毛糸の帽子を被っている。
好奇心をたたえた目でシェリーを見た。
「キアに持って帰ろう。見たことない猿だ。
きっと喜んでくれる」
彼は従者の一人に小猿を預ける。
余っていた毛皮でくるくると巻かれ、シェリーは鳥籠に入った。
黒い羽が多い鳩と目が合う。
止まり木の上から睨み下ろされた気がして、端に後ずさった。
困った。
夜に近づくにつれ凍えるように寒い。
初め、姿が変わってしまった時は意識がぼうっとしていた。
ふわふわしたまま、天井近くの装飾品をたどって外に出てしまったのだ。
気がついた時に引き返すべきだったか。
できると思ってしまった。
きっとグラントやケリーのいるところに行けると。
ミツバチの巣は風通しが良くて木が密集しているところにある。
本で読んだ。
そういうところを探せばグラントもすぐ見つかる。
安易だった。
「おまえ、魔法使いだね?」
鳩が口をきく。
人間たちは鳥籠を離れて獲物を探しに行ってしまった。
「怖がらなくていいよ。
俺はユスフ。魔物の鳥だが、俺を飼っている人間たちはただ長生きな鳩だと思っている。
おまえをつかまえたのはこの近くに住む貴族だよ。
ジョニール公クラルスの息子でシャニという。
意地悪ではないが、少々傲岸なんだ。相手の事情を慮れない。
おまえの名は」
話せる。
そのことにシェリーは少し安心した。
「シェリーです。魔法は最近授かったばかりで、今日もなぜ変化したのか」
「師匠はいないのか? 大した魔力でもないから習ってもいない?」
「その、魔法を授けてくれた友だちを追って森に来ました」
「友だちに? 魔法をくれる友だちとは」
鳩のユスフは嘴を大きく開く。
「そいつも魔法使いなんだろうが、魔法を授ける魔法使いなんて初めて聞いた」
「彼の精霊の力です」
「へえ……。そんな奴が表立って出てきたら、行列ができそうだが」
グラントはできるだけ目立たないように生きていた。
シェリーにエニを会わせたのは、助けようとしてのこと。
「では、こんなところに閉じ込められていては、困るんだな」
ユスフは丸い目を瞬かせる。
シェリーは大きく頷いた。
「しかし、猿は寒さに弱い生き物のはずだ。
一人でうろうろするのも結局危ない。
そいつは何をしに森へ来た。どれほどの時間いる?」
「蜜蝋を得るために、蜂の巣を探しに来ました。
森へ入ったのは昼過ぎ。一晩いる予定です」
「シャニは夜半までには館へ帰る。
その前に俺を使いに出してくれれば……。
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小猿の瞳が輝く。感謝に堪えない光を見て、ユスフは笑った。
「精霊使いか? 精霊の気配を辿れば会えるかな」
「グラントは精霊も従えていますが、魔法も使っていると思います」
「使っている精霊は何だ」
「たくさんいます。砦の精霊と、家事の精霊はここでも呼び出しているのではないかしら」
「他にもいる?」
「はい。全部で、ええと……」
小猿は小さな指を折り折り数える。
「8つ」
ユスフがぎょっとした。
「精霊を呼び出す以外の魔法は強くないとか?」
「強いです。訓練された兵士を跳ね飛ばしたり。
門より大きな雪だるまを作るのは、……すごいですか?」
「まあ、器用だな」
ユスフは人物像が掴めずにしきりと首を傾ける。
「どんな外見をしている?」
シェリーは困って口を閉じた。
グラントの姿を見たことはない。
彼の幻に彼自身は出てこないのだ。
背が高いことは分かる。ゆっくりとした話し方をする。
性格もきっと優しい。大はしゃぎする精霊たちにも大きな声をあげない。
「私は人間の姿の時、目がはっきりと見えません。
グラントを見たことがないのです」
ユスフの首がはたと止まった。
「背が高くて、黒髪と聞いています。
あまり笑わない人だとも。
……そうだ。長い杖を持っています。黒い石のついた杖」
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