ただの魔法使いです

端木 子恭

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麦秀に寄す心

ジャックスという少年

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 この少年は、シュッツフォルトの王族。
 王位継承権を数えると第12位だった。

 現王に嫡子が多い。加えて、嫡子の嫡子もすでにいる。
 立太子はまだだが、どのルートを辿ってもきっとジャックスは冠を被らない。

 なのにバロール騎士団に入ったばかりの騎士レミーは、目をかけてくれた。
 大切にされるのが嬉しくてずっと彼に言われるまま過ごしている。

 ジャックスは何もしなくていい。
 何もしないのがいいんだよ。王族らしいだろう。
 レミーはそう言う。

 煩雑なことはレミーが考えて、行うのだ。
 ジャックスはどこにいても守ってもらえる。

 本当は王族だって、従騎士として勤めるなら上下関係など厳しい思いをした。
 でもレミーのおかげでそんな辛い目にも合わずに済んでいる。
 今17歳だ。
 あと数年こうしてレミーのもとにいるだけで、騎士の称号を得る。
 そうしたらさらに数年間、騎士団に名ばかり在籍して、爵位を賜って。
 あとは自由。

 王宮に出入りして煩わしい思いをするのももう少しの辛抱だ。

 そんな状況が今夜はやけにモヤモヤする。

 自分の中にもう一つ魂が入ったような心地に、ジャックスはそわそわした。
 兄のせいかな。
 ジャックスは隣にいて追悼の辞を聞いているダヴィを横目に見る。
 
 追悼式の後、晩餐会が開かれた。
 親族を悼む会なので静かに行われる。
 楽団の曲も今日は静かなものばかりだ。

「今回は戦いに参加してきたの? ジャックス」

 末席の方に並ぶ兄が話しかけてくる。

「私は見習いだから、後方支援だ。陣営を守っていた。
 勇ましい話なんかない。
 ダヴィは? ずっと王都にいて怖い思いした?」
「少し……。うちの館のすぐ前を敵軍が通ったんだよ。
 敷地内に火矢を射かけられて、みんな慌てて消した。
 御者のうち一人が怪我をしてしまって、痛ましいことだったよ」
「はぁ……、痛ましい……」

 よく分からない。
 家人はそういう危険もある仕事なんだから。そんなことでいちいち痛めない。
 
「王都の民も甚大な被害をこうむった。
 復興を支援しようと考えている」
「へえ、立派ですね」

 しらっと、ジャックスは言い捨てた。

 任命式に自分の名が呼ばれ、ジャックスは神妙な顔で受けた。

 入浴を済ませてから、レミーにまたダヴィのところへ行けと言われる。
 素直に「はい」と答えた。

 向かった先は厩舎で、困り顔の御者に駄賃をやって一頭借りる。
 貴族の屋敷が立ち並ぶ街区も攻撃の痕があった。

 陥落寸前で敵を撃退したのである。

 晩餐会にも顔を出していた。
 バロール騎士団の隊長。
 常時1000人の騎士を率いる猛将コーマック。
 今回彼らと徴兵された兵士総勢3000人で王都を救ったらしい。


 目当ての屋敷に辿り着いた。
 通用門を開けさせると、従僕は気まずそうな顔をする。
 断れもしないのでジャックスを招き入れた。

 何やってるの、王宮へ戻れ。

 自分の中でそんな声がする。

「本当に、今日は具合が悪い……」

 見知った屋敷の廊下を歩きながら呟いた。
 部屋の前に目付女中が座っている。よかった。まだ起きているみたい。
 ジャックスの顔を見ると立ち上がった。

「……困ります。お帰りください」
「いいでしょう? またすぐ任務で王都を離れるんです。
 少しだけ。夜の間に帰ります。必ず」

 押し切って扉を開ける。
 眠ろうとしていた女の子が顔を上げた。
 彼女に笑いかけた時、ふと、窓ガラスが目に入った。

 真っ青な顔をした青年が非難するような表情でこちらを見ている。
 レミーの館で見えた者だ。



 どん、と轟音が響いた。
 船に立っているのだと思い出して、ジャックスは慌てて辺りを見回す。
 そばにはレミーがいて、怪訝そうにこちらを見ていた。

「話を聞いていたかい? 戦闘になるよ」
「戦闘?」

 まるっきり、何それ、と言わんばかりの目にレミーは心配な顔をする。

「島の方を見て」

 言われた通りに視線を差し向けると、これから上陸する地点にはすでに敵兵が並んでいた。

「見習いも騎士もない。ちゃんと戦わないと命を落とす。
 うまく立ち回って生き残るんだよ、ジャックス」
「え? レミーは?」
「自分の身を守るので精一杯だ」

 突き放すような声にショックを受ける。
 船の渡り橋が下りた。岸にかかって、兵士たちが走り出す。
 味方の振り回す剣の刃であちこち切り傷ができた。

「どうしよう……。どうしよう……」

 上陸して右往左往していたら、敵にも見つかってどうしたらいいかわからない。
 殴られた拍子に兜が飛んだ。
 顔が全部落ちるかというほど、後頭部に強い衝撃がある。
 何か流れてきて頭を押さえた。
 もう人生が終わったと思ったら、誰かが背中にジャックスを庇った。

「魔法使い……」

 その人が守っていると分かる。
 自分の周りを魔法で防御してくれている。

「大人しくしててな。そしたら連れて帰ってやれるから」

 鋭いグレーの瞳が肩越しにジャックスを見た。
 その人に背負われて戦線を離脱した。

 レミーに雇われたという魔法使いは、ジャックスをダヴィの館へ送り届けた。
 兄からも二重に報酬をもらって帰っていく。

 季節は移ろっていて、ストーブには灰が溜まっていた。

「港が凍る時期が終わっていて助かった。よく帰ってきたね。
 城に使いを出したよ。ジャックスが怪我をして戻ったと。
 じきに父上もいらっしゃる。今は安心しておやすみ」

 相変わらずイラつく。
 なのに今日は同時に兄に好意的な感情もあった。

 きっと、レミーの家で見かけたあの幽霊のような青年だ。
 取り憑かれたんだろう。
 そう思うことにした。

 
 動けるようになってすぐ、ジャックスはまた抜け出した。
 馬を借りて侯爵家へと出かける。

 その日は、従僕は真っ青な顔をしてジャックスを招き入れた。
 目付女中もそうだ。
 彼女が自ら扉を開けてくれたのは初めてである。

 なんだか、甘い匂いがした。

 彼女は寝台に腰かけていたけれど、寝ようとしていたわけではない。

「なぁに、それ?」

 ぼんやりと尋ねた。

 赤子を抱いている。女の子だ。
 腕の中にすっぽり隠れてしまうような小さい赤子。

 子どもが生まれたって、彼女は告げた。
 ジャックスが任地に赴いている間に生まれた。
 
 不安そうに赤子を差し出すから、受け取る。
 ジャックスは「うぇ……」と呟きかけて誰かに止められた。
 柔らかくてどうしていいのか分からない。
 赤子が動くから、ベビーブーツが脱げた。

 その足先の形に、ジャックスは女の子を寝台の上に投げ出す。

「うわぁ、何その足。気持ち悪い」

 思わず叫んだ。
 自分の内側から、心臓をどかんと殴られたような感じがする。
 怖いから、彼女に優しい言葉をかけて、部屋から逃げ出そうとした。
 扉に手をかけた時、利き手の外側に傷があるのが見えた。

「……なあに?」

 そろそろと袖をまくる。
 文字だ。文字が腕に刻まれている。
 気味が悪くて倒れそう。

 グラント

 そう読めた。
 
「グラント」

 声に出したら、この体がジャックスじゃなくなった気がした。
 鼓動が大きくなって、そこから動けなくなる。

「嘘だ。気持ち悪くなんかない……」

 思ってもいない言葉が口をついた。
 ジャックスは引き返して寝台のそばに膝をつく。

「シェリーだね」

 そんな優しい声なんか出したことなかった。
 ジャックスは信じられない気持ちで自分の行動を見ている。

「……かわいい。小さい足だ」

 赤子の足に指先で触れた。冷たく冷えてきているのに気づいてブーツを履かせる。

「初めて見た時、この足を人魚みたいって思ったよ」

 自分の声だけれど、何を言ってるんだろう。

 ジャックスは内心大いに狼狽えた。

「シェリー、生きて。生きて、会おう」

 薄い花びらに触れるように、赤子の頬に手を添える。
 気分の悪さに耐えきれずジャックスは屋敷を飛び出した。

 隠していた馬の手綱を引いて、とぼとぼと歩く。
 この日は真っ暗闇だった。
 早く帰らなきゃと思い出す。

 きっと抜け出したことはバレていて、家族は気を揉みながら待っていた。

「グラントって、何」

 ため息と共に呟く。
 そんなジャックスの前に大柄な男が立ちはだかった。
 長剣を抜いている。
 ジャックスは後ずさって腰に手を伸ばした。

「ああ……」

 ない。置いてきてしまった。

「どうしよう……」

 刺客から逃げようと後ろを向きかける。

 怖いけど、前を見るのよ、グラント。

 誰か女の人の声がした。
 だからグラントって誰なの。
 ジャックスは泣きべそで知らない男の方を向く。

 彼の剣はジャックスを狙って振りかぶった。
 身を小さく屈めて当たらないことを祈る。

 戦いなさい。

 どきん、とした。
 また勝手に喉から声が出る。

「エリカ!」

 そう叫んだのと同時に剣が体のそばを通った。
 転がって避けたらしい。

「ジャックス卿」

 剣を構え直して男が呼んだ。
 自分は首を横に振る。

「違う!」

 これから反撃するとでもいうように、低い姿勢から相手と睨み合った。

「なんのつもりか知らないけど、とんでもない幻術にかけたな」

 震える手を握りしめる。

「わたしはグラントだ! グラント・ルース!
 友だちを傷つけたりしない! シェリーを放り出したりしない!」

 叫んだ途端に周りの景色が崩れ落ちる。
 白い景色に、一瞬昼間の空かと思った。
 それもまた幻であると気づく。

 船の上だ。自分は船の上にいる。
 立て。早く。

「……っ」

 目を上げたら、レイの背中が見えた。

 
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