ただの魔法使いです

端木 子恭

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麦秀に寄す心

弟の技量

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 グラントがマストにくっつけられてすぐのこと。

 帆船から放った網が湾を出ようとするガレー船の櫂に引っかかり始めた。
 漕ぎ手が混乱するのを見てガンナーは櫂を止める。

「大将、まずいですよ。櫂を取られた。
 全員上に出て戦うぞ。……急げ!」

 ガンナーの声に、船上へ兵士たちが出てきた。
 そこへレイの乗った船がぶち当たってくる。
 お互いに身を削り合いながら接舷した。

「切りこめ!」

 レイの命令とともにリケの兵士が乗り移る。

「グラント! 動けるか!」

 呼びかけるが反応はなかった。

「グラントを確保する! 誰かついてきて魔法使いの杖を回収せよ!」

 一番に返事をした人間を伴って走った。
 敵の魔法使いは船尾まで下がっている。
 一緒にいるのは。

「大将だ!」

 レイが船尾を示した。足の速い兵士が抜け出て切りつける。
 ガンナーの防御にあって剣が通らなかった。

「グラントの救出を優先する!」

 レイはすぐに切り替える。
 グラントの顔に耳を近づけた。束の間、口から漏れる名前を確認する。
 その人物に心当たりがあった。グラントは別人の人生を体験している。

「魔法使いは防御に秀でたやつだ! グラントを正気に戻すのが先だ。
 魔法使いを見るな! 幻術も使うようだぞ!」

 目は開いているが意識はなかった。
 縄を切って肩に担ぐ。

 突然グラントが叫んだ。なぜか怪我をしたようで、甲板に血が滴る。

「……?」

 眉を顰めたが、レイは先に自軍のガレー船へと戻った。
 帆船が近づいてくる。船首から梯子が下ろされるところだ。
 レイのいるガレー船にかかった梯子を一気にのぼる。

「グラントは?」
「幻術にかかっている。彼が自分で解いてくるのを待つ」
「ケガしてる」

 ウーシーが目を見開いた。

「どこにもぶつけてない。おそらく魔法の作用だ。
 幻とこちらとで体験がつながっているんだろう」
「じゃあ向こうで命を落としたら、こっちでもそうなる?」

 ウーシーは奇人だが、時々正解を口にする。
 レイは急いで船尾の櫓の下へグラントを寝かせた。
 少し辺りを見回して、何もなかったため自分の長剣を抜く。

 グラントの腕に名前を彫った。

「思い出せ、グラント。取りこまれるな。自分のことを思い出せ。
 おまえはグラント・ルース。魔法使いだ」

 帆船に敵兵が登ってきはじめる。
 レイはそれを迎え撃ちに出た。
 黒い石のついた杖を持つ兵士を梯子から引き上げる。
 グラントの傷を押さえておくよう指示した。

「あの魔法使い、グラントをどうやって幻術に落としたんだ」

 船縁でボウガンを構えたウーシーが聞く。

「分からないが、彼を見るな。あいつの軍服の徽章はバロールだ」
「リケ公とおんなじ? 偶然?」
「いや。おそらくあいつはメイソン卿が戦に長けていないことを知っていた。
 だから万一の逃走先にここを選んだんだろう」
「……バロールかー」

 ウーシーはひひひ、と歯を見せて笑った。

「そいつを倒したらすごいな」
「そうだな」

 レイも不敵に笑う。

「先に雑兵だ。俺に任せてっ」

 登ってこようとする兵士の体が弾かれた。
 奪い取ったガレー船がもう1隻やってきて敵の船に飛び移っていく。

 ガンナーはさして慌てていなかった。
 防御には自信があるのだろう。




 船尾で物音がした。



 レイが振り向く。飛び起きたグラントと目が合った。
 グラント、と呼びかけようと口を動かす。

 じゅっ、と聞こえた気がした。

 グラントが顔を真っ赤にして両手で顔を覆う。

「嘘……、土にかえりたい。恥ずかしい」

 近づいてみたらそんなことを呟いていた。

「何がだ。グラントは負けてない。戦闘中だぞ」

 目の前に膝をついて顔を覗き込む。

「わたしが幻術にはまるなんて……! しかもあんな人に」
「とりあえず頭の血を止めろ」

 レイは嘆息した。

「なんだか知らないが、恥じるならすすいでこい。かたきは目の前にいる」
「……」

 グラントが唇を引き結んでわきの兵士から杖を受け取る。
 長剣が取られたことに気づいた。

 予想以上に気持ちが蝕まれている。
 立ち上がる気が起きなかった。



 不人気なのも頷ける。
 市場の奥様方の慧眼に恐れ入った。

 あの人は、父でありながらシェリーの敵だ。
 そしてレミー。
 シェリーを葬ろうとしたのは、彼。
 大きな屋敷に住んでいた。
 元々身分が高かったのだろう。
 せっかく手に入れた王族の子を守るため、シェリーをいないものとした。



「幻の中にシェリーがいた」


 生まれたばかりのシェリーは小さな宝玉だった。
 それを貶める立場の人間になっていた。
 そんな人間になっていることに気づかずに、命を奪われるところだった。


「わたしはシェリーを守る人間じゃなかった」

 このことが罪悪感を生む。

「幻だろう」

 レイは叱咤するような口調で言った。


 あれは幻だったが、おそらく大半が事実だ。
 シェリーが生まれる前後のこの国で。

 あの話は彼女の苦難の始まり。
 そしてまだ続いている。

 あれと対峙するには、実力だけではだめだった。

「幻のくせに、なんだか色々突き付けられた。
 わたしはシェリーを守るための何をも持ち得ていない」
「今はな」

 レイが呆気に取られながらも言う。

「何も持ってないのは私も同じだ。家の爵位は先祖が得たもの。
 今はなんの力もない。
 ……今日の戦いを勝ち残れ。そうすれば次の手が打てる」
「うん」

 傷を塞いで、膝を起こす。
 グラントは甲板を蹴って進んだ。船首のウーシーの肩を掴む。

「ウーシー、援護を」
「敵を愛せー、グラント」

 それはまだちょっと分からない。今は特に一番遠いところにある。

 グラントは杖を振って梯子から敵兵士をはたき落とした。

「もう復活か」

 帆船に乗り込めそうだった兵士が落ちる。
 それを見ながら青い石の杖を持つ魔法使いは薄く笑った。

 グラントはガレー船へ降りて、ガンナーのところへ渡る。

「エコー!」

 音の精霊を呼び出した。肩に乗せたまま彼の目の前に立つ。
 杖を魔法でできた壁に突きつけた。

「呪術師! 無効化しろ!」

 黒い石からフードを被った人影が現れる。
 その手が触れると、防護壁はするするととけていった。

「ウーシー! 撃って!」

 矢が大将の座る椅子に刺さる。飛び退いた彼は盾を構えた。
 グラントはエコーをぶん投げる。

「最大音量で叫べ!」

 彼女はまっすぐガンナーの頭に飛んでその耳を掴んだ。

「あなたの番だ、ガンナー!」

 エコーの最大音量。
 グラントの怒鳴り声が全て彼の耳に入る。
 目を回して、ガンナーはよろけた。

 グラントの指がガンナーの頭を掴む。間近に目を覗き込んだ。

「……」

 どこかに閉じ込められたと思ったら、すぐに扉が開く。




 ガンナーは二十歳の頃に戻っていた。
 バロールに迎え入れられたばかりの自分に。

 これからという時に父が戦死した。
 すぐに家の資金繰りは悪くなり、バロールの給料だけでは立ち行かなくなった。

 あの時、ジェロディに相談していれば、未来は違ったかもしれない。
 出勤したガンナーに、ジェロディは話しかけた。
 父のことを聞いて、暮らしは平気かと尋ねてきた。



 ……自分は、素直に苦しいと話した。
 金になることならなんでもしないと、生活が立ち行かない。


 ジェロディは方々に口を聞いてくれた。 
 家族は都外の領地に移り住むことになったが、生活は安定した。
 ガンナーはバロールをやめることも、犯罪に手を染めることもせずに済んだ。



「……。いや、そんなふうにはなってない」

 自嘲とともに言う。
 周りの景色が闇に変わった。
 グラントが目の前にいる。

「負けず嫌いだね、グラントは意外と。
 私が過去に閉じ込めたから、あるべきだった未来に押し込めた」
「あれは過去の事実でしたか?」
「だいたいは私の記憶が元だ。
 ……まさか娘の方と友だちとは」

 あに弟子は暗闇を見回した。

「ジェロディは今どうしてる?」
「シュトラールにおります。孤児院を開いています」

 小さく吹き出す。
 
「責任なんかないのに」





 景色が船の上に戻った。
 腕と太腿が射られていて、もう動けないと知る。

 現実のグラントは拾い上げた長剣でガンナーの体を打ち抜いていた。



 扱うのはまやかし。


 グラントの幻術に対する感覚は、ガンナーとはずいぶん違う。
 



 傾いだ体は甲板へ崩れ落ちる。

「メイソンなら楽勝だと思ったんだけどなあ……」

 大将を見た。
 彼は体を射抜かれていて、船尾の床にひっくり返っていた。
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