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はざまを歩くもの
Avant
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昼過ぎから集まった雲は夕刻には豪雨を降らせた。
初めて見たんも、こげな雨やったなあ。
建物のエントランスに叩きつけてくる強い風。
ちぎられた小さな枝や葉がガラスに張りついている。
また、……来るんか…。
記憶を辿るように落雷を逆に追う。
その目は黄色く濁っていた。
今度はもうぜってぇ許さんぞ。
苦々しい思い出をつぶすように、拳が固く握られていた。
ある年のこと。
天も割けるというほどの大嵐に見舞われた。
二方向を川に挟まれた小さな村はあふれた水に呑まれた。
厄災の後にはたくさんの遺骸が横たわっていた。
その中から阿呂と十麻、ふたりの鬼は生まれた。
何十年もふたりして水辺に棲み、人に悪さした。
退治してやろうとする人間もたまには現れた。
それもまた泥中へ引き摺りこんでやった。
ふたりのくらしが変わったのはいつだったか。
阿呂にはいつしか友達ができた。
ふらりと川づたいに彷徨っていた時だった。
遭難者と間違われ、阿呂はある人間に助けられた。
初めは気を許したところを食ってやろうと考えた。
養われ、労られるうちにそんな邪心はなくなっていた。
その人は鬼の阿呂のやらかすことを、辛抱強くとりなしてくれた。
村にいられるよう心を砕いてくれる人間だった。
何年かして十麻がやってきた。
十麻は阿呂の友達を害した。
ふたりは初めての大げんかをした。
川は荒れ、畑から水が噴き出した。
人間の友達が阿呂にいてほしいと願った村は、消えた。
それから十麻とは離れて暮らしている。
十麻はあいかわらず水辺にひそんでは人に害を為す。
水を溢れさせ、鳥を食い、人を落とす。
阿呂は人間に紛れて暮らしていた。
十麻に会わずに済むように、できるだけ陸を渡り歩く。
そんな阿呂が、何十年ぶりかに十麻の気配を感じた。
水辺に近づきすぎただろうか。
阿呂の今の状況を知っていて現れたのか。
不安を抱えたまま、阿呂は自宅の扉を開けた。
おかえり、と中から声がする。
阿呂には人間の妻がいて、何ヶ月か後には子が生まれる。
ここに十麻が現れたら、と考えると胸が塞がる思いがした。
「すごい天気になっちゃったね。大丈夫だった?」
タオルを手に妻が玄関にやってくる。
ずぶぬれの頭を包んで押さえた。
外は荒天で、マンションの5階にあるこの部屋は雷が近く感じる。
阿呂は窓際に寄った。
窓ガラスをつたう雨が滝のように流れている。
もし十麻と阿呂が喧嘩したら、どうなるか。
近くにいる人間は瘴気にやられてしまう。
妻か子のどちらかは助からないかもしれない。
それを分かっていて、十麻はやってくるのか。
「最近、こういう天気が多い気がするね」
同じように窓に寄ってきた妻が言った。
ちらりと阿呂を見上げる。
「もしかして鬼のしわざ?」
「天候までは力が及ばないよ」
彼女は阿呂の正体を知っていた。
妻が若い頃に出会った。
戸籍がないことにはこの国で静かに暮らせない。
阿呂のために何年もかけて手続きしてくれた人である。
三十になった今年、やっと結婚して子どもを授かった。
十麻から彼女を隠したくて、阿呂は窓から離れかける。
その視界の隅に飛び込んできた生き物に、目を見開いて振り向いた。
瞳孔は縦に裂け、濁った黄色い瞳が空を睨む。
鬼の目で凝視する先には雷雲があった。
その内側に手を差し入れて、のぼっていく生き物。
蛟龍
子どもの龍が天を目指している。
昇っていくところを見たのははじめてだった。
この嵐はあいつが引き起こしている。
少し離れた場所に大きな沼があった。
そこから飛び立ったのだろうと予想が立つ。
「夜の間ずっと雷が鳴るよ」
人の顔に戻った阿呂が妻に言う。
なるべく窓から離れておくことにした。
数日経ってから勤め先でその蛟龍を見た。
厨房で息を呑んだ。
人の姿をして歩いていたのだ。
あの蛟龍、落っこちたんだな。
隣にいておやつを買い与えているのは、この商店街の人間だ。
こりゃあしばらくこの辺におるのやな。
十麻のこと何とかしてもらえんか……。
突然わいた希望。
無邪気にあれこれ指差す青年をそっと見つめた。
初めて見たんも、こげな雨やったなあ。
建物のエントランスに叩きつけてくる強い風。
ちぎられた小さな枝や葉がガラスに張りついている。
また、……来るんか…。
記憶を辿るように落雷を逆に追う。
その目は黄色く濁っていた。
今度はもうぜってぇ許さんぞ。
苦々しい思い出をつぶすように、拳が固く握られていた。
ある年のこと。
天も割けるというほどの大嵐に見舞われた。
二方向を川に挟まれた小さな村はあふれた水に呑まれた。
厄災の後にはたくさんの遺骸が横たわっていた。
その中から阿呂と十麻、ふたりの鬼は生まれた。
何十年もふたりして水辺に棲み、人に悪さした。
退治してやろうとする人間もたまには現れた。
それもまた泥中へ引き摺りこんでやった。
ふたりのくらしが変わったのはいつだったか。
阿呂にはいつしか友達ができた。
ふらりと川づたいに彷徨っていた時だった。
遭難者と間違われ、阿呂はある人間に助けられた。
初めは気を許したところを食ってやろうと考えた。
養われ、労られるうちにそんな邪心はなくなっていた。
その人は鬼の阿呂のやらかすことを、辛抱強くとりなしてくれた。
村にいられるよう心を砕いてくれる人間だった。
何年かして十麻がやってきた。
十麻は阿呂の友達を害した。
ふたりは初めての大げんかをした。
川は荒れ、畑から水が噴き出した。
人間の友達が阿呂にいてほしいと願った村は、消えた。
それから十麻とは離れて暮らしている。
十麻はあいかわらず水辺にひそんでは人に害を為す。
水を溢れさせ、鳥を食い、人を落とす。
阿呂は人間に紛れて暮らしていた。
十麻に会わずに済むように、できるだけ陸を渡り歩く。
そんな阿呂が、何十年ぶりかに十麻の気配を感じた。
水辺に近づきすぎただろうか。
阿呂の今の状況を知っていて現れたのか。
不安を抱えたまま、阿呂は自宅の扉を開けた。
おかえり、と中から声がする。
阿呂には人間の妻がいて、何ヶ月か後には子が生まれる。
ここに十麻が現れたら、と考えると胸が塞がる思いがした。
「すごい天気になっちゃったね。大丈夫だった?」
タオルを手に妻が玄関にやってくる。
ずぶぬれの頭を包んで押さえた。
外は荒天で、マンションの5階にあるこの部屋は雷が近く感じる。
阿呂は窓際に寄った。
窓ガラスをつたう雨が滝のように流れている。
もし十麻と阿呂が喧嘩したら、どうなるか。
近くにいる人間は瘴気にやられてしまう。
妻か子のどちらかは助からないかもしれない。
それを分かっていて、十麻はやってくるのか。
「最近、こういう天気が多い気がするね」
同じように窓に寄ってきた妻が言った。
ちらりと阿呂を見上げる。
「もしかして鬼のしわざ?」
「天候までは力が及ばないよ」
彼女は阿呂の正体を知っていた。
妻が若い頃に出会った。
戸籍がないことにはこの国で静かに暮らせない。
阿呂のために何年もかけて手続きしてくれた人である。
三十になった今年、やっと結婚して子どもを授かった。
十麻から彼女を隠したくて、阿呂は窓から離れかける。
その視界の隅に飛び込んできた生き物に、目を見開いて振り向いた。
瞳孔は縦に裂け、濁った黄色い瞳が空を睨む。
鬼の目で凝視する先には雷雲があった。
その内側に手を差し入れて、のぼっていく生き物。
蛟龍
子どもの龍が天を目指している。
昇っていくところを見たのははじめてだった。
この嵐はあいつが引き起こしている。
少し離れた場所に大きな沼があった。
そこから飛び立ったのだろうと予想が立つ。
「夜の間ずっと雷が鳴るよ」
人の顔に戻った阿呂が妻に言う。
なるべく窓から離れておくことにした。
数日経ってから勤め先でその蛟龍を見た。
厨房で息を呑んだ。
人の姿をして歩いていたのだ。
あの蛟龍、落っこちたんだな。
隣にいておやつを買い与えているのは、この商店街の人間だ。
こりゃあしばらくこの辺におるのやな。
十麻のこと何とかしてもらえんか……。
突然わいた希望。
無邪気にあれこれ指差す青年をそっと見つめた。
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